62話 花吹雪
幸助と雪姫の実力の差とも言うべきでしょうね。幸助が経験浅く、雪姫は経験に豊富。技量も妖怪の中でもありますので、強い妖怪であるほど経験は豊富だと思って下さい。中には、種族の強さに驕り、力が乏しい妖怪もいたりします。
個人的には雪姫はかなり気に入っているキャラクターですので、今後も彼女の深層心理はかなりあるかと思います。
このストーリーの要としては、幸助自身の成長や価値観の変化だけではなく、妖怪それぞれが抱く葛藤感や絶望、多くの挫折などもあったりします。伝承に沿った形で書いているつもりですので、妖怪の価値観や性格も忠実にしていきたいところです。他の小説でも書いていたので、その点に触れられれば良いかと思ってます。
暴れている人間は無差別に妖怪を蹂躙していく。
目的があるような行動を取ることはなく、ただ人殺しを楽しむように妖怪を嬲り殺し、命乞いすら聞かない。
しかし、その男に理性という欠片は見られず、まるで本能に赴くままに暴れているようだった。
大柄の男で、その肉体は人の原型を保っているのが不思議なほどに腐敗している。皮膚は爛れ、ゾンビのような見た目だ。
血は爛れ、骨や肉が浮き彫りになっている。
肉体は通常の人間の三倍以上のサイズを誇り、顔以外は人外の大きさであった。
どう見ても、人間の容姿には程遠い。
しかし、顔を見れば人間だったということが誰の目からも分かる。
身に宿る膨大な力に振り回されるように、男は無差別に暴れ回った。
その行動が、幸助の怒りに火を付けた。
「てめぇ…妖怪を殺して楽しいか?」
「うっ?うぅ…」
幸助は冷気を身体中から放出させ、僅かに黒い妖力が漏れる。
冷気と妖力が混ざり、幸助の身を包む。再び自身の枷を外し、その身をあやかしへと変える。
今回は憤怒がきっかけとなり、『妖怪万象』へと至る。
それでも尚、幸助は口が止まらない。
「腐った体で妖怪に手をかけやがって!俺の好きなもん奪っておきながら腐り散らかしてただで済むと思うなよ‼︎」
「うっ⁉︎」
男は幸助の凍てつく妖気に声がひきつく。
「おい、うっしか言えねえのか?妖怪を殺すんだったら俺を殺せよ。なに、遠慮するなよ?俺がその腐った肉を凍らしてやるからなぁー‼︎」
黒い霧が晴れ、幸助の纏う雰囲気が一変する。
何故、幸助が純妖の切り札である『妖怪万象』を扱えるかは本人は理解していない。しかし、使えるというのは既に幸助は理解している。
今度の幸助は一味違う。
その殺意を持って確実に殺しに掛かる。
腐肉の体を持つ男の力は膨大。あやかしの力を持つ幸助の力は微小。両者の身に宿る力に差がある。
男に生気は宿っておらず、人間には毒でしかない妖力が身を支配する。
妖力に耐性ある人間は妖力を生気に変換するのだが、この男は生気ではなく妖力のみが肉体のエネルギーとして循環している。
あり得ないのだ。男の体が腐食した状態で生気を宿らせず、妖力のみを帯びる人間は存在しない。妖力を大量に取り込めば、生きている人間は妖怪へ変わってしまう。
幸助は人間の身でありながら妖術を扱い、更には『妖怪万象』を扱う。
加護を受けた事で、雪姫と來嘛羅の妖力をその身に宿しても尚、人間で生き続けられる。
類い稀なる人間として唯一、人の身で妖術を行使する事が可能。
俺は力を解放し、腐った男を始末する為に冷気を刀身に流し込む。
「てめぇのやった事を返してやるぜ!」
息を止め、俺は一瞬で腐った男の胸に斬り掛かった。
深く斬り込み、男は天に向かって叫んだ。
「グオオオーーーっ‼︎」
「へっ、吠えるじゃねえかよ」
痛みはあるようだな。
俺は空かさず斬撃を三発お見舞いしてやる。
腐った血肉は飛び散り、腐臭が更にキツくなる。
「臭っ!本当に生きてるのか⁉︎生肉腐ってるぜ!」
それと同時に、俺に容赦なく拳が降ってくる。
悟美に比べると見劣りするぐらいの速度。俺は『未来視』を行使しながら攻撃を避けていく。
力は確かに腐った男の方がある。だけど、俺の方が理性的な戦いができる。頭が悪いみたいなのか、俺を標的にしてからは俺しか攻撃してこねえ。
周りに妖怪が居ないのが幸いかもしれねえが、こいつを始末するならコレしかねえ。
「妖力じゃ俺は及ばない、か。なら、秋水の奴にやった時と同じようにすれば…」
「ウガッー!」
攻撃をギリギリで躱し、俺は妖術を使う。
「『凍錠固定』!」
刀剣を脇腹に刺し、内臓から瞬時に凍結させる。
『凍錠固定』は内臓を凍らせ、刺した範囲を凍傷させる。『遅慢の凍聖霊』に比べると全体的ではなく、部分的に凍らせる妖術だ。
それで脇腹に流し込めば、腰辺りは凍りついて動けなくなる。
俺は刀剣を片手で天に向かって高く上げる。
「てめぇは後で割られて死ぬんだな」
俺は必殺技の『遅慢の凍聖霊』を放つ準備をする。
この技は知能ない相手又は動こうとしない相手には当たり易い。
秋水の野郎よりは積極的だから、攻め易かったな……。
トドメを刺そうと刀剣を下した。
「う…ウガアアアッーーー‼︎」
腐った男は凍傷に怯む事なく、俺へ向かって拳を一直線に放ってきた。
「がはっ‼︎」
威力は半端なく、俺が必殺技を放つ前に俺の腹に入った。
吐血し、家屋の方まで飛ばされてしまった。
ヤベェ……やっちまった。
また肋骨が折れたな。しかも、無防備で受けたから体が動かねえ。
声が出ない。というか、前よりも重傷だなこれは。
家屋にゆっくり迫ってくる腐った男を見た瞬間、俺は死を悟った。
「うぅ…うう」
喉が潰れているようなのか、腐った男は唸り声のような音を鳴らす。本当に喋れねえみたいだな。
巨大な足が俺の顔に目掛けて踏み込まれる瞬間、俺は心の中で謝罪した。
仇、取れなかった………。
思考を放棄し、生への望みを捨てた。
腐った男の足は容赦なく幸助の顔面を狙って踏み抜かれた。
そう思ったのは一瞬の絶望の淵に立たされたからに過ぎない。
腐った男が踏み抜いたのは、幸助の形取った氷だった。
踏み抜かれる前に、幸助を救った者がいた。
「傷を負って……幸助、しっかりして」
抱き抱える雪姫の妖術によって、幸助と氷をすり替えた。
腐った男は踏み付けたのが幸助だと錯覚し、天に向かって咆哮していた。完全に隙だらけで、いとも簡単に仕留められる。
「うっ‼︎いてぇ……」
意識は朦朧し痛みに顔を歪ませる幸助を見て、雪姫の心は穏やかではなかった。
「大丈夫。幸助は休んでいて」
深傷を負い、腐食する傷口が皮膚を腐らせる。腐った男に触れた箇所は皮膚が爛れ、血や神経にまで腐食は及ぶ。
だが、幸助が無意識に傷口に働きかけていたお陰で大した腐食は進んでいない。
雪姫は痛みに苦しむ幸助を見たくないと、幸助に睡眠術をかける。
「無茶しない。幸助は私が目を離すと大怪我して…。許せない、腫れ物と化したその肉体に無闇に傷を負わせなくない。理由は知らないけど、その肉体は……」
何度も見た腐食する人間の姿が立ち、目は腫れ上がり、人間に似つかない体躯が雪姫の目に初めて映る。
動揺はしない。しかし、見覚えある人物に雪姫は慈しみを向ける。
雪姫には忘れられない記憶がある。
雪女だった頃の雪姫は、この男と住んだことがあった。
「そう…あなたは数十年前に死んだ。私の傍から逃げ出し、消息が分からないまま消えてしまった。そして、私が探した時はあなたは既に命を落とした。どうして、今更私の前に姿を見せたの?」
腐った男の生前を知る雪姫にとって、感動の再会にはならなかった。
生前と死後を見た雪姫には悍ましいものだった。まるで正気を失った亡者と対面しているようなのである。
腐った男は雪姫の方を向く。しかし、その表情は崩壊しており、雪姫を威嚇する。
懐かしむ様子などなく、ただ標的として狙いを定められる。
「酷い。一体、誰があなたをこんな姿にしてしまったのか。ごめんなさい。私が救ってあげられなくて…」
雪姫は察した。腐った男は別の存在なのだと。
そう覚悟した雪姫の体は吹雪に包まれる。
幸助を抱えたまま、雪姫は刀で腐った男の腕ごと斬り落とす。斬り落とした断面には凍結による止血が施される。凍傷で痛みは麻痺し、腐った男は苦痛の表情を浮かべない。
慈悲はなく、無心を唱えながら刀を振る。そう見える攻撃には、雪姫なりの心遣いがあった。
雪姫は襲ってくるのに反応して反射で攻撃する。自分から率先して攻撃は加えない。
雪姫とて、助けた人間を痛ぶる精神は持ち合わせていない。
自分が救えなかった人間を斬り裂く真似を本当は望まない。
せめて、痛みなく手を掛けるのが雪姫の信条である。
秋山名妓に対しても、痛みを与える行為は一切せず、安らかに眠るように死を与えた。
雪姫は心優しき妖怪でもあり、無慈悲な死を本来は望まない。
その想いは腐った男には伝わらない。
温情を捨て切れぬ施しを受け続けて数分、雪姫は氷結でトドメを刺す。
「お願い、あなたは死を迎えた故人。もう、私の幸助に危害を加えないで」
「ううっ‼︎ガアッッ‼︎」
切実な思いを伝えるが、腐った男はただ雪姫を襲うだけ。
救えない。そう判断し、吹雪が荒れる。
「……さよなら、『花吹雪』
自身の妖力を微細な雪結晶に変え、白い花を吹かせる。
幻覚・睡魔・麻痺・破壊・凍結を同時に混ぜ、夢という死を与える雪姫の奥の手。
生きている者ならば、この光景は天に昇る心地となろう。
死ぬという知覚はなく、花を見た瞬間に幻覚を魅せられる。同時に、体が完全に麻痺し、幻覚による脳の麻痺も起きる。
尚、体の神経を完全に破壊する為、死体にも有効打となる。
死人といえども肉体の神経を完全無視は不可能。全ての神経が破壊されれば、肉体は動けなくなる。
微細となった雪結晶に僅かでも取り込めば、その箇所は永久凍結する。
溶かす事は不可能となり、自らの意思で氷解する事も出来ない絶対凍結。
雪姫は元救い人の安らかな眠りを願い、男に最後の救いを与えた。
腐った男の動かなくなった姿を見て、雪姫は目を潤す。
「おとぎ。あなたの死に際を看取ってあげられなくてごめんなさい。私の妖術…いいえ、私の呪いのせいで死んだのも同然ね。心の底から、あなたに安らぎをあげられなかった事を許して欲しい」
雪女の伝承は人の命を奪うものばかり。決して、好んで命を刈り取るわけではなく、無自覚に奪っているわけでもない。
雪女に宿る伝承は恐ろしいのだ。死を運び込む死神と恐れられ、室町時代より畏怖の存在として伝承に現れる。
関わりを持った人間の命は短い。
幸助もまた、雪女と関わりを持った。
しかし、幸助が雪女に『雪姫』と名を授けたことで、雪姫に大きな変化が起きていた。
幸助も雪姫も、この真相に気付いていないのだった。




