60話 狐の呪い
皮肉な妖怪種族は多くいますが、來嘛羅の言うことはかなり恐ろしいものばかりです。今後も彼女の気持ちに変化は起きるのか?一応、変わっている描写はあるように見えますが、これを見ると捉え方は変わるかと。
妲己は今後の幸助達の活躍に関係してきます。
昨日はすいませんでした。予定があり、投稿する事が出来ませんでした。
「ないのじゃ。そんな同胞に手を掛けぬという定めはな。妾が気乗りせぬだけじゃよ」
あまりにも哀しげな表情をしているように見えた。
とてもじゃないが、來嘛羅が可哀想に思えてならない。
「やっぱ…玉藻前は殺せないんだな…?」
俺は重くそう口にした。
來嘛羅は無表情を保っているが、どうにも納得しないような顔をし続ける。
「殺さぬ、が正しいの。妾『九尾狐』の血を引く者は、一度滅べば力を失う。如何に“三妖魔”でおる玉藻前でさえも、その魂を滅ぼす事は躊躇うものじゃ。血を分けた…否、妾の行き着いた末の末裔を…どうして我が子を殺める事が出来ようか」
『九尾狐』・『妲己』・『褒姒』・『クミホ』・『華陽夫人』・『玉藻前』の中で、一番最後に生まれたのが玉藻前だ。
他の九尾狐の伝承は浅くも深くも繋がり、一人の妖怪として今は伝承に記されている。
『妲己』・『褒姒』は最初から人間の頃の伝承と史実が存在する為、彼女達は混妖の種族。今は人間を食らい純妖へと進化を果たしている。
しかし、一人だけ例外がいた。
それが玉藻前なのである。
人間に擬態し、寵愛者を病に追い込み、妖術と魅了で人間を葬った伝承を残す。
正体は立派な妖怪として記されている。
つまり、『玉藻前』だけは純妖だという。
『九尾狐』は他者の肉体に取り憑き、その持ち主を喰らい暗躍する腹黒さを持っている。
その伝承があるのが『妲己』であり、のちに中国三大悪女に数えられた。
中世の世に至るまで、『九尾狐』は力を蓄え、気に入った美女を食らっては乗り換えていた。
それを繰り返し、最終的には『玉藻前』は自ら肉体を生成し、その猛威を振るうようになったとか……。
これが事実だと來嘛羅が言うものだから、俺は納得するしかない。
「ならなんで…俺を玉藻前と戦わせるように閻魔大王に直訴したんだ?」
「正直に聞きたい事があるのなら申すがよい。お主には話してやろう」
今の話と“妖怪裁判”、“三妖魔”の話を考えてみた。
「そうだな。俺が言いたいことは山程あるんだが…。そんなに玉藻前が大事に思ってるのなら、交渉するだろ?捕らえるのなら、かえって都合が悪い筈だ」
「率直じゃな。じゃが、お主の訳の方がかえって都合が悪い。“三妖魔”と交渉すると申せば、あの場におった太古の妖怪に大きく恨まれてしまう。特に『鬼』・『河童』・『天狗』は妾を目の敵にすらしておる。もし、あの場で交渉に乗り出すと申せば、忽ち彼奴らがお主を亡き者と動くじゃろう…」
そんなに恨まれてんのかよ…⁉︎
楽観視どころの話じゃねえな。
俺は怖かったが、気を取り直す。
「で、でもさ?來嘛羅が口を開けば聞くんじゃねえのか?」
「妾がそんな偉く見えるかの?」
あ……これも駄目か。
「見える」
俺がそう答えると、來嘛羅は鼻で笑った。
「そう思ってくれるだけで嬉しいの。じゃが、残念じゃな。妾を本気で敬愛する者はおらぬぞ。“三妖魔”を生んだ『鬼』と『九尾狐』である妾は妬まれ、暗殺まで企てられる始末じゃ。都市を侵略しないという掟を破り、古都や怪都…特に怪都を守護する『吸血鬼』の真祖が激怒しておったわ。妾の加護はお主と後は数名…しかも人間じゃから、妬む者はお主達を常に狙い、雪姫と烏天狗はその始末に覆われておったのじゃ。その数は実に五十じゃ…。彼奴、余程精を出しておったな。雪姫は口にするなと申しておったが、事実を知らずして過ごすのも胸が痛まれるじゃろうて。秘密じゃぞ?」
來嘛羅は自分の口に人差し指を付ける。
「お、おう…」
仕草が大人の女性そのもの。会話よりも仕草に目がいきそうになる。
それを我慢し、俺はグッと堪える。
「ンフフフ!お主は妾の言うことを守ってくれる事を知っておる。そんなお主じゃから、お主に交流会を持ち出したのも、妾の敵がどれぐらいかを探らせて貰ったぞ。お陰で大体の検討と首謀者を捕らえ、妾の妖術で記憶を弄っておいたから安心するがよい。不快な思い…したかの?」
明かした中には、信じ難い裏があり、俺は試されていたのだと消沈した。
「ありがとう…ございます。ちなみに、俺を狙っている妖怪は誰だったんだ?」
「そうじゃの。指折りでは数え切れぬが、特に危険じゃった妖怪の名は、『くびれ鬼』・『二口女』・『迷わし神』・『鬼婆』じゃった。この者は妾の眷族にこっ酷く痛い目に遭って貰っておる。フッフッフ、彼奴…お主の為に激怒しておったわい」
「ん?俺の為に?…誰が?」
「失敬。妾の失言じゃ」
『くびれ鬼』と聞いた時、俺は何か思い出しそうになった。
雲かかった感じでよく思い出せない。
そういえば、ある妖怪に名前を付けたような……。
來嘛羅は幸助の記憶を弄っている。
それは完璧であり、ゆきなと出会うまで思い出せない。そう記憶に蓋をした。
だが、それが解けかかっている。
(やはりか。ゆきなの鱗片を感じ始めておる。『九尾狐』に属する者を忘却しない異能ではない筈。まさか、幸助殿には妾の妖術が効かぬ体質があるのかの……)
調べた筈だが、幸助の耐性は全くと言ってもいいぐらい、自身の妖術に抵抗力がない。
加護を与えた人間を容易に記憶を弄れる。それこそ、都合良く人間を従わせる事が可能である。
しかし、來嘛羅はそれを良しとしない人格を持ち、人間を愚弄しない信条を持つ。
その為、弄るとしてもその人物にとって都合の悪いものを消去する又は封印することを目的として記憶に干渉する。
幸助の死への死生観を変え、人格を保たせた。
ゆきなの記憶を消したのは、ゆきな自身が既に來嘛羅にその強さを認知させた事で消えることはない。
ゆきなを幸助に接触させないのは、彼女が幸助と旅をさせると未来が変わってしまうからである。
機会が訪れるまで、ゆきなを自らの眷族として育成させると決めた。
「もう時間じゃな。既に人間は寝る刻じゃ。妾が用意した寝床で寝るとよい」
幸助に帰宅を促す。
「そうしたいのは山々なんだが…」
「うむ、やはり雪姫が気になるのじゃな?」
「……親みたいに怒るからな」
「それはお主を心配じゃからだと思うぞ?彼奴はお主を誰よりも気に掛けておる。折角じゃ、妾が宿まで飛ばしてやろう」
來嘛羅は空間を開け、幸助を宿まで送った。
來嘛羅が本当に興味を持つのは、幸助の内面や外見ではない。皮肉だが、幸助を調べて全てを知っているように振る舞っているに過ぎず、『九尾狐』としての残忍な性格がそうさせている。
幸助の異能によって來嘛羅にも変化はあるものの、その変化は微々たるもの。
幸助の前で振る舞っている來嘛羅は幸助が望む人物像。
言ってしまえば、幸助からは完璧妖怪にしか見えず、自身を好く彼を呑み込めさせ易いと考えている。
特別な感情もそこまであるとは言えず、気を歪めれば簡単に抱ける。來嘛羅の妖術を持ってすれば心の変化など自由に操れる。
人間や殆どの妖怪は己の持つ感情の支配は不可能。しかし、『九尾狐』の伝承を持つ來嘛羅であれば、全ての感情の内外を演じ分けられるのだ。
あらゆる感情を自由に振り分けられ、自身が気に入った者を容易く篭絡する役者。
本物の感情を知る術などない。來嘛羅は妖怪で居続ける限り、役者をやめることはない。
再び空間内に戻った來嘛羅は妖怪を呼ぶ。
「さて、其方には演技を任せてしまったの。蛸の店主の元に潜み、長い期間妾のために暗躍してくれて助かった。礼を言うぞ」
來嘛羅が庭の方に声を掛けると姿を見せる。
姿は景色に擬態し待機しており、徐々に鮮明にその姿を晒す。
その姿は來嘛羅と容姿は違うが、その妖怪も尻尾が九本生えている。
堂々たる佇まいをする來嘛羅とは異なり、お淑やかな黒髪の美女はゆっくり頭を下げる。
「いいえ、恐縮です。わたくしめにこのような大事を任せて頂いたことをただただ光栄に思うに過ぎません。寿司屋であなた様へ興味を抱かせ、この褒姒、運命を導く役目を任命したあなた様のご判断は正しきと思います」
「うむ、其方の暗躍のお陰で幸助殿の異能の感度を知れた。まさか、褒姒である其方の力で他者から記憶を消したというのに幸助殿にはその記憶があった。楽しみが増えたと言ってよい」
來嘛羅は褒姒を褒める。褒姒はそれを礼として承る。
「感謝恐縮です。わたくしめにできることがあるのでしたら今後も引き受けます」
声は來嘛羅よりも歳ある老女に近いが、何処か冷たさがある。
そして、彼女の最大の特徴であるのは声や容姿、九尾狐の証拠である尻尾でもない。
「では其方には『妲己』と共に古都で幸助殿に道を教えておくれ。其方らが九尾狐と知れば信用はしよう。無類の妖怪好きでも幸助殿は珍妙で面白う人間じゃからな」
「はい」
「……やはり笑わぬか」
「わたくしめは喜色を浮かべることができないことは承知済みの筈。神の子である人間がわたくしめにお与えした伝承のお陰と思ってください。別に、お辛いという感性もありませぬので」
ただ、褒姒は無表情しかしない。
『褒姒』は九尾狐である以前にある伝承が有名なのだ。
感情がないわけではなく、心の中では笑うことはある。
しかし、『妖怪変化』をしなければ作り笑いすらできない。
伝承というのは逆らうことができず、刻まれてしまった伝承に人柄も入れられてしまえば尚のこと。
“笑わない美女”である褒姒は、妖界に生を受けて以来、妖界で一度も笑ったことがない。
それは來嘛羅にも少なからず罪悪感があった。
「心の中では面白く思っておろう?妾には其方が幸助殿を見て心躍っておるように見えたんじゃが?」
「どうでしょう?あの人間に特別な気配は感じておりましたが、來嘛羅様は如何なる理由で彼に肩入れを?」
「そうじゃったな…。其方や妲己、まだ転生せぬ華陽夫人及びクミホは異能を看破できなかったな。幸助殿は其方らに接触させるから待っておればよい」
「申し訳ございません。玉藻前と妲己様以外は既に一度死を経験し、九尾狐である力を一部失ったばかりに…」
太古の妖怪とはかなり曖昧な概念なのだ。閻魔大王が勝手に定めたもので、その概念という定義が定かではない。
妖界で一度も死を経験しない純妖を太古の妖怪と定めている。そう塗り替えられてしまった。
「一度も閻魔に処されなかった妖怪。数多の人間に対する神の概念と畏怖の念を与えた妖怪。人間や妖怪にとっても恐れられる絶対的存在。それらを全て満たしている妖怪を太古の妖怪という。天逆毎や幾つかの例外はおるが放っておいても問題なかろう」
「……まさか、あなた様がお食らいになった貞信にわたくしめらが討伐されるだなんて…」
「よい。その仇は妾が果たしたから気を病めるでないぞ。其方は九尾狐に名を連ねる者でも弱き者。討伐されてしまっても仕方がなかったのじゃろう」
『九尾狐』と言ってもその強さは伝承の違いで隔絶した差がある。
妖術を扱うという点で優れているのは、概念妖怪である『九尾狐』と日本妖怪の『玉藻前』。しかし、他の『九尾狐』に該当する妖怪は名がない妖怪と名のある四人は、二人に比べると見劣りする。
凶悪さは伝承に刻まれていたとしても、妖怪としての脅威が記されているのかで変化は起きる。
中国の地で史実として残った『妲己』と『褒姒』は確かに太古の妖怪には認定されていた。ただ、その実力は知恵や残虐性を重視されてしまう。その為、知恵はあっても力がない妖怪なのだ。
「來嘛羅様はやはり…玉藻前を見つけ出さなければならないのですか?わたくしめらが代わりに」
「駄目じゃ。中国妖怪である其方らが代わりになってどうする?妾は古代中国の生まれでおるが、概念妖怪じゃから許されているに過ぎない。妾が虚言で閻魔を騙せば如何なる罰が下されるか。それを分からぬ其方ではなかろうて」
褒姒は失言に謝罪を述べる。
「野碑な発言にお許しを。決して、そのような意味で言ったのではございませぬ」
「分かっておる。彼奴の為を思っての発言じゃから咎めなどせぬ」
「心遣い恐縮です」
褒姒は來嘛羅の気にしない態度に安堵する。表情には出ないが、心の中で安心の安らぎを得る。
「して、妲己には妾の会話は伝わっておるな?」
「勿論ですとも。妲己様もこの会話を聞き耳立てております」
「うむ、やはり妾を忌み嫌うかの。趣味の悪い奴じゃ」
「すみません。妲己様は來嘛羅様に助けられたのを酷く恨み続け、顔も姿も見せぬと存じ上げます」
「構わぬ。最も古く人の名を持った九尾狐の一人じゃ。傲慢さは妾に匹敵するじゃろうし」
來嘛羅は扇子を口に当て笑う。
「はい…そうですね」
褒姒は苦笑いを見せることなく言葉を詰まらす。
(これは不味く酷い。妲己様は來嘛羅様から古都の守護の地位を譲られ、それを善しとしない。自ら勝ち取った筈の守護の座を根源的存在の九尾狐様で在らせた來嘛羅様に奪われ、1000年は自ら従わざる得なかった。そこに、更なる屈辱が妲己様を襲い……根に持っていることは知らないわけがない……)
遥か昔、生まれたばかりで妖界に降り立った妲己は、当時、人間の名と残虐性のある恐ろしさ、名高さを持つ妖怪として生まれた。
そして、太古の妖怪でも珍しく混妖として生を受けた。
紀元前11世紀頃の中国が殷の時代、実在した人物として記されている。
人間界で人間として生きた彼女は、死を得て妖怪に転じた。
そんな彼女は『九尾狐』という名を受ける前から凶悪さを兼ね揃える悪女だった。
妖怪へ変貌した妲己は古都を支配し、自分の望むがままに暴虐の限りを尽くす。
当時の妲己の凶悪さは歯止めが効かず、妖界で生を受けてもその残虐性は消える事がなく、多くの命を奪った。
その結果、混妖から純妖へと進化し、長い年月を掛けて異能を獲得した。獲得した後もその傲慢さは変わらず、思うがままに古都を支配し続けた。
しかし、そこに現れたのは概念妖怪である『九尾狐』だった。
互いに熾烈な戦いの末、勝者は九尾狐である。敗者には拒否はなく、妲己は九尾狐に従わざる得なかった。
そして時が経ち、妲己は最も屈辱とされる罰を下された………。
來嘛羅はこれから必要な事項を全て褒姒に話し、褒姒を古都へ帰させた。
來嘛羅は美女の吐息をする。
「フゥ…変化とは皮肉なものじゃな」
望んでいた変化ではなく、來嘛羅は疲れたように振る舞う。
疲れたという態度を晒すが、ある事を聞こえぬ者へと言葉を送る。
「妲己・褒姒・華陽夫人・クミホ。其方らには悪いことをしてしまったの。人間によって常に伝承は変化し、思わぬ形で最悪な妖怪に至らしめてしまった。妾の罪か人間の業が相まっての裁きなのじゃろう。じゃが、安心するがよい。其方らは妾の寵愛を欲する者に救われる」
しかし、來嘛羅から発する言葉には彼女達に対する深謝と彼への想いが込められていた。




