102話 気持ち悪い
主人公の趣旨趣向があらぬ方向へ……。
彼の恐ろしい一面が出てきて、流石に気味が悪いものでしょう。
普通、皆さんならこの場面はなんと思う事でしょうか?自らが死刑台に立たされ、執行人に刑を告げられるのは。自分だったら泣きべそをかく自身があります。
それがないあたり、主人公も相当な変態なのかもしれません。
ちなみに、妲己は伝承をみればわかりますが、伝承が始まった当時は九尾狐ではなく、ただの悪女のような妖怪でした。戦国から江戸時代あたりで妲己が九尾狐の1人と囁かれたのも、この作中では関係してきます。
もう、華名を生かす理由がなくなった今、妲己は華名を惨殺するつもりである。
(クククク、喜べガキよ。貴様は夜叉の前でこの世に生まれた事に絶望する極刑を試行してやろう。久方ぶりに人間を殺めるものだからどう痛ぶり殺してやろうか?どうせ、死ねば地獄で苦しむのが定め、ワレがその地獄すらも生温い拷問をくれてやる)
幸助を殺した後、華名にもその牙が向く。
痛ぶり、苦痛を与えるのを是とする妲己は、下に付く者にすら無実の死を与える。
人間の苦しむ様を楽しみ、国を滅ぼした悪女と知られる妲己の異能も、彼女の欲望から体現したものである。
人を残酷に殺めることに特化した異能、その名を妲己は既に解明し、覚醒者としての実力を持つ。
しかし、その実力を持ったとしても、恨み続ける來嘛羅や“三妖魔”には及ばない。
彼らのような至高の域に達した妖怪は、伝承ばかりに影響されるような柔な太古の妖怪ではなく、存在自体が伝説そのもの。
『大獄丸』や『酒呑童子』の姿は目撃されるのは耳にするが、『玉藻前』が誰かの前で姿を現したという噂は一つもない。
そんなこと、自己嫌悪に陥っていた妲己に知る術などなかった。
妲己は來嘛羅の悲痛に崩れる顔を想像し、空間へと入る。
空間には、殺風景だった筈の場所に岩盤が地面を覆い、幸助を地面に落とす。
「無様なやられようだ。こんな若い男を容赦なく痛ぶる精神性は可笑しいほど愛くるしい。どれほど恨んでいたのかが容易にできるぞ?クククッ!あの華名というガキも早く殺してやろう。手始めに、骨を砕いて食わせるのも悪くないな」
舌で手を舐め、面白く笑う。
惨虐な行為と妄想した妲己は興奮し、無様と吐き捨てた幸助を嘲笑う。
「この状況を見て、あの女が泣いているのが見えるぞ⁉︎見えぬ“三妖魔”を追う哀れな人間が今、貴様のせいで死ぬぞ。何も出来ぬ身で、この者が死に絶えるのを見ているんだな」
今かと今かと心が躍る。妲己の興奮は止まず、よだれが出そうなぐらい我慢している。
そして、私刑は始まる。
妲己は順序を重んじる。人を殺める際、自らの理念に沿った行動をする。
まずは、瀕死状態の幸助に治癒を施す。自身の唾液を幸助に滴らし、怪我を負った傷口に働きかける。
『九尾狐』に属する妖怪は、治癒に関する妖術を得意とし、各々が持つ手段で怪我を負った者を癒す。自身にも使用が可能で、その傷は病すらも完治させるほどの万能な治療が施せる。
妲己は自身の体液を使い、他者を癒す。しかし、これは他者に取られたくないという目印のようなものであり、これから殺す獲物を離さないという意味を込める。
「ククククッ!このまま食らうのも悪くないが、ワレの腹の虫がそれを許さない。傷が癒えた後、まずは、ワレのこの姿で恐怖を植え付けてやる。誰もがワレを恐れるのは、この忌々しい妖怪の姿があるからこそだ。さあ、ワレを見て恐れ、惨めに命乞いをするがいい!」
妲己は來嘛羅と違い、自分の容姿を自由に変えられない。
決して未熟者というわけではなく、妲己に与えられた屈辱の罰とも呼べる姿なのだ。
黒い狐耳に黒い九本の尻尾。極め付けは、紅い目付きの野生味を隠せない鋭い眼光。
自分の容姿を呪い、それが憎悪に変化し、『九尾狐』そのものを恨んだ。
恨みに恨みを重ね、人間への増悪と『九尾狐』の両方を怨んだ。その怨みは幸助へとまた向けられようとした。
幸助がゆっくり目を開ける。
妲己はその動きを見て、笑みが歪む。ドス黒い感情のある目で見下ろし、待ち望んだ顔をする。
「起きたか?目覚めたのに悪いが、貴様は全ての拷問を受けて貰う。その身に宿る加護を呪え」
妲己は尻尾を揺らし、目覚めたばかりの幸助を萎縮させようと威嚇をする。心臓が張り裂けそうなぐらいの威圧は、華名と夜叉にも他人事ではないと感じた。
「これが⁉︎妲己の妖力と言うのですか⁉︎予想外の殺気溢れる妖力……肌に痛みを感じます」
「痛っ!」
夜叉は計算外だったのに戸惑う。体に訴えるその妖力は毒となり、夜叉の体がそれを拒む。
華名も異端な妖力の前に、心臓が押し潰されたように苦しく、動けなくなった。
妲己は偽りの妖力で己を隠していた。目に視えるものが全てだと誤解した夜叉を欺くほどの妖力の操作に長けている。
拷問をすると宣言した瞬間、本来の妲己となる。
太古の妖怪と謳われる妲己の前に、並の妖怪や人間は畏怖し命乞いを始める。
妲己の妖狐の姿を見た幸助は、その目を大きく開き、その容姿に口が震える。
「何か言いたげな様だな?喋れるのも今のうちだ、心置きなく申してみろ。だが、その申し出が叶う事はないがな」
妲己の目には、自分の姿に怯え、子鹿のように震える弱い人間が目に映る。
言葉がなかなか出てこないその姿は、妲己には至極の優越感に浸る。
(これでいい!この男も所詮は人間。ガキに加護を与えたあの女は間抜けな妖怪だ。可哀想に。これからワレに殺されるというのに怯える様は美味なものだ)
優越に浸り、幸助の震える姿がゾクゾクして堪らない。
動物を愛でるような感情を抱くが、それを自分の手で殺めるという高揚感が勝る。
治療した幸助にこの世に存在するあらゆる拷問や懲罰を与え、長くじっくり苦しめたのちに、幸助の首を來嘛羅に送り付ける。人道を踏み外すことを恐れない妲己に、慈悲など存在しない。
既に何をしたいのかを前もって考え、手には剣が握られている。その剣は宝剣であり、伝承にも記載されている名剣。それを穢すのも厭わない彼女の精神は歪だと判らされる。
妲己には隙がない。剣で肉を剥ぐ準備は済ましているのだ。
この状況の中で、幸助は何を言うのか………。
「…だ、誰だ?」
幸助は間抜けな声で訊いた。
まだ視界がおぼつかず、妲己の顔がよく見えなかった。
華名達に重傷を負わせられ、意識が飛んでいた。
徐々に目が慣れ、視界が定まってくる。
幸助の瞳に妲己がはっきりと映る。
幸助が意識を戻したところで、妲己は剣を首に当てる。
「誰でもいい、貴様はワレを知らなくて良い。これから肉を削ぎ、臓器を抉り食らう。貴様の体内にある臓物を貴様自身に見せつけ、焼き捨ててやる。ククク、心配しなくとも数週間は生き地獄を見せてやるから死ぬことはないがな…」
妲己は歪んだ笑みで幸助に言う。
死の宣告を告げられ、普通ならば絶望に顔を蒼白させるところだが、幸助にはその余裕がなかった。
なんと、妲己をはっきりと認識した瞬間から、その目には大粒の涙が溜まり、涙腺が崩壊していた。
恐怖から涙した?否、彼にそんな感情は微塵もなかった。
妲己を見て、会えた喜びに涙したのだ。
不思議な心情を抱き、幸助は妲己の出会いに声が出なかったのだ。
來嘛羅とは違う漆黒の魅力は、幸助の涙を誘うには十分。
「やはり怖いのか?泣く者もよく見てきたが、特に貴様の目は綺麗に見えるの。ワレと同じ紅い真紅眼とは…何か不思議な繋がりを感じる。あの女の手土産の首以外に、貴様の目は頂くとするか」
まさか、目の前の人間が恐怖を抱いていないとは妲己の思考にはなかった。
勘違いは続く。
幸助の目に魅力を感じ、思わず、その綺麗な目にうっとりした表情をする。
頬を触り、舌で幸助の顔を舐める。
「塩の味がするぞ。良い飯を食らっているみたいだな?肉食は数ヶ月ぶり、剥いだ部分を食べるのも良い。非常に稀な味だ」
血は鉄の味がすると言うが、幸助からは塩の味を覚えた。
久しく新鮮な肉体に、妲己は少々幸助に興味を抱く。
「これは実に惜しい。あの女が食べなかった理由が解せん。こんな肉、数万の人間を探したとて見つからない。仕方がない…凌遅刑で剥いだ肉を食うとしよう」
処刑が決まった瞬間、幸助の体を木の板と鎖で縛り付け、身動きできないようにする。
幸助に剣を入れようとゆっくり皮膚に当てる。
そこで漸く、幸助が妲己に言う。
「なあ、俺を食べるのか?」
不思議そうに顔を覗く幸助。
妲己は笑みを見せる。その言葉には残虐性が入る。
「食べるとも。それが何か?命乞いをして許しを乞うか?」
剣は寸止めされ、軽く力を入れればブスリと皮膚を貫く。
危機的状況の中で、幸助は今尚、涙が止まらなかった。
「違うな…。あんたの一部になるっていうならそれもアリだなって」
恐怖で泣いているのではない。
自分が『妲己』という妖怪に食べて貰えると思うと、恐怖よりも嬉しさで正気が狂っていた。
否、『九尾狐』であれば、その心は容易に差し出せる覚悟がある。
好きという感情は、時には恐ろしい方向性へと向かうことがある。好き過ぎるが故に、その者に何をされても咎めない狂人じみた精神を見せることがある。
愛する者、その心は状況次第では強力な凶器となる。
「っ⁉︎ワレに食われても良いと申すか?」
「ああ、俺は九尾狐が好きなんだ。好きな奴が俺を欲するならくれてやるよ」
「…?阿保抜かしおって。貴様は死ぬ、と言っている。理解しているだろ?」
妲己は幸助の返答に不審を抱くが問い直す。
しかし、幸助はその質問の意味を理解しているか不明な返答をする。
「あんたに食われるなら本望って言ってんだよ。すっげえ綺麗な美人のあんたに食われることを所望してんだ。來嘛羅に食われるのもいいんだが、俺を食べてくれるならいいぜ?味わって貰いたいな!」
「……貴様は何を言っている…?ワレが食うと言っているのだぞ⁉︎」
幸助の返答に思考が狂わされる妲己。
妲己は読唇術で可笑しな事を言う幸助の本音を見る。
表情や涙、口元の緩み具合を隈なく見る。
「なんか…見られるの、凄えゾクゾクするな」
「黙れっ!貴様の嘘を暴いてやる‼︎」
ついカッとなって言う妲己。変態紛いの言動に思わず感情が乱れる。
匂い・鼓動・体温・顔色・鳥肌を舐め回すように確認する。
この行動が、更に調子を悪化させる。
(このガキ、ワレを恐れていないだと⁉︎恐怖の一滴もない。馬鹿な……そんな事は絶対にあり得ない‼︎)
妲己が逆に幸助に恐怖に近いものを抱く。
自分を恐れない存在はいない。
古代中国において、死を恐れない民を見た覚えがない。
無実の罪で裁き、民の命を弄び、国の王すらもその美貌で心を支配した。自分がこの国の頂点であり、民は自分の傀儡、そう極楽な快楽を独りよがりに求めた。
国が滅び、自身が滅ぶまで、数多の命に対して感じた感情はなかった。妲己にとって、人間の命などどうでもよく、その命は傀儡の一つに過ぎない。
殺す者の最期をすべて見届け、死に様を見る事を喜びとした。
鬼畜極まりない感性がここにあり、妲己という妖怪になった後も、その記憶と全てを引き継ぎ、妖界で多くの命を奪った。
それでも、罪悪感や嫌悪感を殺す者に向けたことがなかった。
敗北や屈辱感は何度も味わったが、この感情はなかった。
そう、心の底から来る湧いてきたような不快感が、彼女の心情を乱している。
数千年が経った今日、妲己に新たな感情が芽生える。
——気持ち悪い。
妲己にそんな感情が初めて生まれた瞬間だった。




