101話 捕らわれの幸助
この状況、一体どういう経緯でなったのか、想像してみて下さい。触れますが、具体的に触れるのは『妖界放浪記・長編』で明かすかと思います。
ここでお知らせです。まだ確定ではありませんが、このまま四章に入る可能性があります。理由としましては、キリが悪いので、ちょうど良いところまで進めようかと考えております。
もし、希望がありましたら、コメントの方お願いします。
華名達が森に入ってから見えなくなり、妲己の怒りは沸点をとっくに超えていた。
聖域陵はあらゆる妖術による干渉を無効化し、太古の妖怪ですら立ち入れない。妲己の『千里眼』ですらも森の中を探れない。
見られぬという怒りが爆発し、支柱や机を粉々に破壊し、襖絵や壺も木っ端微塵にする。
手に持つお気に入りの盃を乱暴に投げ付け、窓ガラスを割る。
「なんだこの仕打ちは⁉︎ワレの癪に触る森だなっ‼︎見通せぬではないか‼︎こんな森など焼き払えばよいものを‼︎」
外へ飛んだ盃を褒姒が丁寧に回収する。戻るように褒姒の手で拾い上げられ、妲己へ返す。
「妲己様、この盃はひいきにされている物では?大事になさって——」
物腰よく渡そうとするが、妲己はそんな気遣いすらも踏み躙る。
素手で盃を吹き飛ばし、狐のような形相で睨み散らす。
盃を刎ねようと、褒姒は無表情を貫く。しかし、それが更に火に油を注ぐ。
「微塵も思ってない癖に!ワレに取り繕うとするな‼︎お前はもう褒姒ではないのだ!目障りだ!とっとと消え去ればいい‼︎」
心にない言葉が出てくる。自分の感情を抑えず、守護者あるまじき言動である。
他の者には見せられない妲己の姿を、褒姒はずっと見守ってきた。
その目に涙は浮かべず、怒気も見せず、感情の一文字もない。
「……」
「なんだその顔は?ワレを嘲笑うか九尾風情がっ‼︎醜い憎い…‼︎こんな、こんな姿……っ⁉︎笑ったな貴様っ‼︎」
酷い言い掛かりだ。褒姒は表情をどころか、眉ひとつ動かしていない。妲己の単なる勘違いの暴言がぶつけられる。
「出ていけっ!貴様なんか居なくたってどうでもいい‼︎その首を晒し首にしてやろうか⁉︎」
ここまで酷い態度を取られても、褒姒は表情に変化を見せない。
褒姒は頭を深く下げ、無言でその場を後にする。
城の一室には妲己のみ。
妲己は落ち着きを取り戻し、荒れた部屋を見る。その目に映る光景は、妲己のずさんだ心が映る。
自分の髪を触る。黒い髪は荒れ、むしった狐耳や尻尾は無惨なほどに毛が抜けていた。
だが、抜けた毛は一瞬で再生し、髪も元の麗しい輝きを取り戻す。
妲己の目に輝きは消える。
「嫌だ…こんな醜い妖怪、消えればいい。あんな女さえ消えれば、ワレは元に戻れる。全ては『九尾狐』という存在が招いた不幸。根源を殺せば……」
先程の癇癪が嘘のようにおとなしくなる。妲己は虚ろな目で割れた鏡に映る自分を見つめる。
声は震え、自分の姿を見る内に鏡に映る自分の姿に畏怖する。
その姿は妖狐の鱗片を纏い、人間からすれば美貌と野生みが混合した美女の姿。
だが妲己は違った。自分の姿を拒み、映る鏡を睨んで破壊する。
「こんな姿、ワレは欲しくない…。こんな姿をズタズタに切り裂いてやりたい。誰も望まないこんな妖怪が生きて何が悪い。ワレは悪女と恐れられた人間と妖怪の混ざりし混妖。誰も見てくれない…ワレなど、誰も認めようとしない」
自分の姿を見る度、この屈辱の罰を思い出す。
人間であった妲己は人間を強く恨み、『九尾狐』である來嘛羅を呪う。
だから、來嘛羅の加護を受けた人間である松下幸助に目を付けた。
初めて見せた機会、來嘛羅が人間に“ある禁忌”を犯させ、名を賜った。その人間を消せば、自分と同じ痛みを与えられる。
そう強く恨み続けた結果、妲己は『九尾狐』としての怨念に取り込まれた。
人間だった自分を捨てた。その憎悪は幸助へ向けられる。
「来い、九尾狐に気に入られし愚か者よ。ワレの恨み、貴様の命を持って晴らせて貰おう。“放浪者”松下幸助、あの女の加護を受けた運命を呪うがいい」
紅い瞳は幸助達がいる方角へ向けられる。
妲己は妖狐としてその身に負の感情を蓄える。
装束が黒に染まり、死の風格を思わせる妖気が漏れる。
妖狐となり、全盛期に匹敵する妖力を取り込んだ今、たった一人の人間を殺すため、妲己は積年の恨みを全て賭ける。
妲己の負の妖気を感じ取った褒姒は、この状況に危機感を抱く。
「妲己様……どうか、目を覚まして下さい。貴女様は伝承そのものに操られてしまっている。わたくしめの力ではお救いできない…。どうか、これ以上恨みに囚われないで下さい」
心底からの願い。褒姒は妲己の恨みをこの目で見てきた。
恨みは晴れず、どんどん膨らむ。
呪いは身を滅ぼす。褒姒は何度もそれを見てきた。
“四霊神獣”は妲己に愛想を尽かしたのではないことも知る。
「貴女様は人間を殺し、人間に殺され、妖怪となり、生きる存在を殺し、妖怪に負け、妖怪の呪いを受けました。何が貴女様の苦しみなのかを転生後に調べ尽くしました。そして、わたくしめと貴女様は同じ『九尾狐』でした。前のわたくしめに気を向けて下さっていたことも知っております。……本当は、貴女様は心優しい御方の筈。幸助さん、どうか、妲己様をお救いして下さい」
褒姒は古都を出て、幸助達の元へ行く。
褒姒は勝手に動いた。これが知られれば、自分は用済みと殺される。
それでも、彼女は妲己を救う為に身を犠牲にして幸助達を迎えに行く。
一刻も早く、妲己を救えなければ手に負えなくなると、そう予感がしていたのだ。
あとひと月も待ってはいられない。今すぐにでも幸助を連れてくるべきと急いだ。
古都を出た褒姒は、自身の血を使って門を喚ぶ。
一瞬で望む場所へ跳び、果たすべき己の使命を優先する。
門を潜り、幸助達の居る聖域陵の前で待機する。
(規則を破りし者には死刑。わたくしめはこの罰を潔く受けます。その代わり、妲己様を救える者をお連れします。そして、失敗したとしても……わたくしめは何度でも妲己様をお救いするまで、転生し、その役目を継続させて頂きます)
魂に刻んだ使命さえあれば、例え混妖でも、死を迎え転生後、その役目を果たす為に肉体が勝手に行動するように刻める。
それにより、褒姒は記憶を失っても、妲己に従うことを忘れなかった。
褒姒はこの手段を使い、妲己に仕えるのを強く望んだ。
彼女を救う為に、褒姒は迷いを捨てた。
褒姒が聖域陵の前で待つこと3日、一切微動だせず、目を瞑り幸助達が森から出てくるのをひたすら待つ。
一言も喋らず、何も食さず、何も見ずに沈黙で待機する姿を目撃した他の妖怪は、あまりの異様さに、誰も近付けなかった。
妖怪は妖力さえあれば食を必要としない。しかし、それでも立ち続ける褒姒の姿は威厳すら感じる。
3日間待ち続け、幸助達が現れた。漸く目を開き、彼らを目にする。
現れたのは、華名と夜叉、夜叉に担がれた瀕死状態の幸助の3人だけだった。
幸助の体は傷だらけアザだらけ。意識もほぼなく、夜叉の肩とその足元には血が滴る。
「うっ……ぅ」
褒姒は驚きもせず、幸助達を迎える。
「お待ちしておりました、泉華名様、夜叉様。そこに担がれているのは松下幸助で間違いないですか?」
華名と夜叉は膝をつき、夜叉が褒姒に報告する。
「はい。マツシタコウスケはこの通り、殺す寸前まで痛め付け、妲己様の贈り物として献上致します。他の付き人である『雪女』であった雪姫、新城悟美、十六夜紗夜、すね子の四名は聖域陵内で始末完了済みです」
「そのようですね。では、妲己様は古都の城にてお待ちしております。刺客を放ちましたが、返り討ちに遭い、彼らは全員始末すると激怒されております。彼らとはお会いしましたか?」
「残念ながら、彼らは既に故人であるかと思われます。弱き妖怪は滅ぶが定め。所詮、彼らは妲己様の期待に応えられなかったに過ぎません」
二人は冷酷に会話を交わす。感情はなく、ただ与えられた命令について語る。
「当たり前のことを仰いますこと。御二方は妲己様のご期待に応えれば済む話です。そこに感情を入れ込んではならない。そう、あの御方は決められています。命令・秩序・規則を破れば死があるのみ。それを踏まえ、わたくしめは問います」
褒姒は最後の確認をする。
「妲己様にお会いしても、問題はございませんか?」
その意図は、この場の三人しか理解ができない。
華名と夜叉は同時に答える。
「「問題ありません」」
口を揃え、その言葉に疑いがないと判断したのか、褒姒は血で門を召喚する。
「では、この門を通過することを許可致します。まずは、マツシタコウスケの醜態を晒すことから致します。既に騎乗する馬と告知文を手配しております。晒し人とし、松下幸助を古都の城まで歩かせる罰を行います」
これから市中引き回しが行われる。
死刑以上の罪を背負った者を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に、刑場まで公開で連行していく。
妲己は、幸助が日本人ということで、日本史に残る刑を執行することを強く望み、褒姒が去った後に手配を済ましていた。
妲己の機嫌は最悪だったが、幸助の姿を確認したことで、有頂天に心が躍る。
褒姒の身勝手な行動に一度腹を立てたが、やり取りを確認したことで、褒姒に対する怒りはさっぱり消えていた。
妲己の頭は、幸助をどのように苦しめるのか、拷問や量刑で頭がいっぱいだった。
幸助は連行され、古都の町をきちんと拝むことなく、意識を失ったまま一日かけて城へと入城した。
幸助の容態は酷く、人道にあるまじき大怪我を負っている。
とても会話が出来る状態ではなく、市中引き回しをされている間、幸助は完全に意識を失っていた。
1日かけ、城へと入城した幸助達を待っていたのは妲己だった。
華名と夜叉は膝をつき頭を垂れる。
「御苦労。このガキが松下幸助で間違っていないな?」
馬に乗る幸助を指差す。夜叉は口で発さず、頷いて答える。
妲己は馬に乗る幸助が、偽りではないかを『千里眼』で見抜く。
「ほう、間違いなく本物だ。まさか、本当に半殺しで連れてきてくれるとはな。執拗に思うところがあったか?」
夜叉に問う。
「はい、できればこの者と交渉が出来るかと考えておりましたが、残念ながら叶いませんでした。この者は他の者とは違う…そう思っていた己が愚かだと浅はかでした」
「クハハハ、そうであろうな。所詮はワレを苦しめる人間に過ぎない生き物。死ぬことこそが人間にとって至極の苦しみというもの。丁重に治療しながら、1年は苦痛の表情を見せて貰おうか」
妲己はそう言うと幸助を触れずに持ち上げ、自身の空間へ繋げる。
「貴様らも来てよい。褒美を取らせてやる」
妲己はご機嫌に笑うが、その頭で考える事は惨虐なもの。
華名と夜叉を空間に招き、自らの手で殺めると思考する。
「ご褒美ですか⁉︎」
華名は食いつく。
妲己はこれ見よがしに大層に笑う。
「クッハハハ‼︎貴様は人間でありながら、よくぞ同胞をその手で捕らえた。躊躇するなら殺すところだったが、今回はその男嫌いを称賛するぞ!好きな褒美をワレから与えよう」
「あ、ありがとうございます!」
「どんな褒美を切望に願うか、この者を苦しめ終えるまで考えておくとよいぞ?時間はないからな」
妲己は華名の喜ぶ姿を見て、その笑顔が絶望に変わる様を想像する。




