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ドロップは恋の表現では使わない  作者: 橋本洋一


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「……僕はいつだって優しいよ」

 心拍数がまだ跳ね上がっている状態で、僕は家に帰った――酔っぱらっている女がリビングのソファでぼうっとしていた。

 起きているのは珍しいなと思いつつ「ただいま」と声をかけた。


「うー? あ、賢悟ちゃん。久しぶりだねえ」

「……そうだね。お酒、また飲んできたの?」

「うん……いろいろと忘れたいことがあるから」


 酔っていると言っても、普段よりは回っていないらしい。

 僕は「忘れたいこと?」と何気なく訊ねる。


「えっとねえ。今の生活のこととか。満たされないんだよね」

「…………」

「お金もあるし、欲しいものも買えるのに、毎日遊んで暮らしているのに、つまらないの」


 女は悲しそうに微笑んで、起き上がっていた身体を沈ませる。


「そんなところで寝ると身体、痛くなるよ」

「そうだねえ。でも良いんだあ」

「良くないって。ちゃんと――」


 そう言いかけたとき、リビングのテーブルに買い物袋が置かれているのに気づく。

 中身を見るとりんごが三つ、入っていた。


「なにこれ。誰から貰ったの?」

「違うの。買ったんだよう。美味しそうだなあって」

「ふうん……剥いてあげようか」


 女は「珍しいねえ!」と嬉しそうに歓声を上げた。


「賢悟ちゃんが優しくしてくれるの。とても嬉しい」

「……僕はいつだって優しいよ」

「でもお母さんって言ってくれないじゃない」


 女の言葉に対し、胸がひどく痛んだ。

 とてもじゃないけど、この女を母親とは思えないし呼べない。

 包丁と皿を台所から取ってきて剥こうとすると「あー、賢悟ちゃん」と妙に甘えた声を出した。


「うさぎちゃんにして。そっちのほうが可愛いから」

「……いいよ。そうしてあげる」


 皮むきをせず、そのまま切って、それからうさぎに仕立てる。

 三個できた時点で女に渡すと「わあ。可愛い」と本当に嬉しそうに言う。

 僕が知る限り、不幸な女なのに、このときばかりは幸せそうだった。


「あーむ。うん、美味しい……!」


 りんごを食べている様子を見ても僕は何も思わない。

 女が食事しているだけだ。

 それしか思えない――


「賢悟ちゃんも食べて」

「僕はいいよ」


 女が皿ごと僕に差し出す。

 ちょっとムキになっている様子で。


「だーめ。食べるの!」

「分かったよ。食べる。食べるから」


 一個手に取って、少し躊躇ってから齧る。

 どこで買ったのか分からないけど、とても美味しかった。


「美味しい?」

「うん、美味しいよ」

「本当? なら笑って」

「…………」

「あの人のように、笑って?」


 女は僕をあの人に似ていると言う。

 それを聞くたびに吐き気がしてくる。

 僕は作り物の笑顔になった。


「ふふふ。あの人と同じ笑顔だあ」


 そうだよね。あの人は作り物の笑顔しかしない。

 すっかり騙されているんだね。


「会いたいなあ……」


 悲しげに呟いて、女は寝てしまった。

 放置しておくのも良くないので、僕は女を寝室に運んだ。

 女は小柄で痩せている。毎晩浴びるほどお酒を飲んでいるのに、全然太らない。


 女を布団の上に寝かせて掛け布団をしてあげる。

 そして僕は自分の部屋に行く。

 詩織と違って殺風景な部屋。


「今日はいろいろあったなあ……」


 ありすぎて疲れてしまった。

 だけど詩織に言われたことを思い出してしまった。

 詩織は僕とそういう行為に及んでもいいのだろうか?

 一応、付き合っているのだから……僕のほうにはその覚悟はなかった。


 僕は詩織のことが好きだ。

 けれども、愛情を示す方法が取れるかどうかは微妙だった。

 臆病者だからかもしれない。

 あるいは卑怯者と言い換えてもいい。


 女性と付き合ったことのないから――ではないだろう。

 僕はまだ、詩織と付き合う資格がない。

 誰かを好きになる資格がないんだ。


「はは。泣けてくるね。結局は、あの人の息子ってことか」


 そのままベッドに倒れ込む僕。

 何も考えたくなかった。



◆◇◆◇



「賢悟。どうやら女の子と交際しているようだね」


 次の日、僕は料亭にいた。

 日本料理が楽しめる一流の店だけど、目の前にいる男とは何を食べても無味無臭に感じる。

 僕は慎重に「よく知っていますね」と答えた。


「私は君のことなら何でも知っている」


 自分で注いだ日本酒を口に運んで飲む男。

 僕は男の次の言葉を待った。


「家にお呼ばれしたのも知っている。流石に中で何があったのかは分からない」

「それは嬉しいですね。かなりの醜態を晒しましたから」

「外に出さなければ問題はない。その辺は弁えているね」


 僕は刺身を食べた――高級であることしか分からない――飲み込んでから「それで、何が言いたいのですか?」と本題を促した。


「うん。別に自由に付き合ってもらっても構わない。だけど――」


 男は至極当たり前に、僕に命令した。


「時期が来たら別れなさい」


 一瞬、何を言われているのか分からず、次に理解したときは、顔が強張っていた。

 徐々に怒りから諦念に変わる――最後は悲しみになった。


「……はい、分かりました」


 僕はこの人には逆らえない。

 詩織が好きな気持ちは嘘じゃないし、好きでい続けたい。

 それでも、この人が決めたことに逆らうのはできなかった。


「随分と弁えているようだね。少しくらいは反抗されると思っていた」

「僕が、あなたに反抗なんてしたことないでしょう」

「ああ、そうだった。とても安心したよ」


 男は突きつけるように、あるいは刺すように、言葉を投げかける。


「君は私の言うことを聞けばいい。逆らわず従えばいい。ずっとお金に不自由せず、ずっと安心して幸せに暮らせる。いつか、君に似合う女性も見つけてあげよう。それまでの『遊び』は許可するよ」


 僕は何も言えない。


「君はただ生きればいい。私の事業を引き継いで、それを次に世代につなげるのが役目だ。そのために大学に進んで、五体満足に生きて、私の助けになれるように自己を研鑽しなさい」


 僕は何も言えない。


「君にはやりたいことやしたいこと、そして叶えたい夢なんてないんだ。だから私の言うことだけを聞いていれば幸せなんだよ」


 僕は――何も言えない。

 情けないことだけど、何も言えなかった。


「そうそう。君がこの前描いてくれた計画のおかげで、事業が一つ、上手くいったよ」


 ついでのように言う男に「そうですか」としか僕は答えられなかった。

 人を陥れる計画なんて、聞きたくもなかった。


「君には才能がある。悪辣な計画を描く才能が。それを大事に大切にしなさい」

「……はい」

「よろしい。それでは、たくさん食べなさい」



◆◇◆◇



 翌日、月曜日。

 暗い気持ちで登校した僕。校門をくぐったところで「内藤先輩!」と話しかけられた。

 振り返ると満面の笑みを浮かべた詩織がいた。


「おはようございます、先輩!」


 眩いくらい、明るい笑顔。

 将来、自衛官になりたいと願う、希望溢れた女子高生。

 本当に僕にはもったいないくらい、素敵な人で――


「ああ、おはよう。詩織」


 精一杯の笑顔で応じた僕。

 詩織は僕の横に並んで「貸した本、どうでしたか?」と楽しそうに言う。


「面白かったよ。まだ途中だけどさ。映画版と少しずつ違っていて、飽きないね」

「そうですよね。原作の文章、私には分かりにくいんですけど、先輩なら楽しめると思いました!」


 詩織は知らない。

 僕がいつか、あの人のタイミングで別れるつもりなのを。

 ずっとそばにいてくれる詩織に申し訳ない気持ちで一杯だ。


「ねえ、詩織」


 だからこそ、今だけはいい思い出を作ってあげよう。


「どうしたんですか、先輩?」


 不思議そうな顔で僕の顔を覗き込む詩織。

 虹彩が輝いていて、希望に満ちている目。

 そこに僕が映っていると思うと幸せを感じる。


「――好きだよ」


 改めて自分の気持ちを告げると、詩織は驚いた顔をして。

 それから嬉しそうに笑った。


「ええ。私も大好きですよ、内藤先輩」

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