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ドロップは恋の表現では使わない  作者: 橋本洋一


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「それでも、内藤先輩のことを好きになれて良かった」

「内藤先輩は人を好きになったこと、ありますか?」


 赤に近い橙色の夕日が徐々に沈んでいく。

 紫色の幕が下がる中、僕は「あるよ」と答えた。


「幼稚園とか小学校とか。だけど最近は……あんまりないかな」

「私、背がでかいから、好きになってもフラれること多いんですよね」


 詩織の口調は軽かったけど、緊張をほぐそうとしているのが分かる。

 無理して僕と向き合おうとしていた。

 申し訳ないと思ってしまうほど、一生懸命に。


「女らしくないし。性格もがさつだし」

「自虐するほどじゃないよ。僕には……」


 素敵な女の子に見えるよと言いかけて、それが虚しいものだと気づく。

 一人きりで山の頂上にいて、やまびこをするような類の自己満足。

 詩織は「下手な慰めはいいですよ」と渇いた笑みを見せた。


「好きになって、告白して、フラれて。落ち込んでから立ち直って。自分の夢に一生懸命になって――また人を好きになる。あはは。学習能力ないですよね?」

「そうは思わないよ。人を無条件に好きになれるって素敵だ」

「その言い方だと、条件付きで人を好きになるのは不純になりますね」


 揚げ足を取られた気分だ。

 僕は「それで商売が成り立つこともある」と肩を竦めた。


「キャバクラとかホストクラブとか。いわゆる疑似恋愛で大金が動くのは世の常だ」

「でも先輩は、それを素敵だとは思わないんですね」

「純粋な愛と比べたらね。だけどそういうのを否定しない。それで経済を回せるから」


 詩織は「お金はそんなに重要ですか?」と無垢な少女らしい質問をする。


「衣食住だってお金がないと成り立たない。高校生なんだから分かるだろ」

「……質問を変えます。内藤先輩はお金が大好きですか?」

「好きじゃないよ。むしろ大嫌いだ」


 吐き捨てるように僕は言い放った。

 あの人たちのことを思い出してしまう。


「お金なんて、人並みの生活ができればそれ以上要らない。あれば腐るだけだ。金も、持ち主も――」

「……大丈夫ですか? 今にも死にそうなくらい、ツラい顔していますけど」

「…………」


 心配というより不安を感じているらしい。

 顔を伏せた僕を覗き込む表情は少しだけ怯えがあった。


「文月さん。僕はね、君のことをどう思えばいいのか、分からないんだ」

「どう思えばいいって……考えるようなことですか? 素直に心のまま――」

「僕なんかを好きになってくれたんだ。真剣に考えるだろう」


 初めは暴力を振るった加害者だった。

 それがだんだん、大事な後輩になっていった。

 そして今、彼女は僕に恋してくれている。


「中途半端なことは言えないし考えられない」

「真面目に考えてくれるのは嬉しいですけど、疲れないですか?」

「本音を言えば疲れる。だけど……」


 言い淀んだのは気恥ずかしさからだった。

 疲れるくらい考えているのは、詩織のことが大切だから。

 はっきり言えるほど僕には度胸がない。


「私のこと、好きですか? 嫌いですか? それとも関心ないですか?」

「……嫌いで関心が無かったらここに来ていない」

「それは――期待していいんですか?」


 無意識に詩織の目を見てしまう。

 大きな瞳。黒い虹彩が輝いていて、眩しいくらいだった。

 僕が映っているのも分かる。少しだけ――嬉しかった。


「私の想いが叶うって、期待しても良いんですよね?」

「勝手にすればいい」

「じゃあ――そうします」


 身体に重さと柔らかさを感じた。

 何が起こったのか――詩織が座ったまま、僕に抱きついたんだ。

 僕の頭の後ろに詩織の顔がある。だからどんな顔をしているのか分からない。

 女の子特有の匂いとか感触とか。それらが僕の鼓動を高鳴らせる。

 呼吸が上手くできているか分からない――だけどそれ以上に、とてつもない多幸感に溢れていた。


「ふ、文月さん――」

「黙ってください。私だって、余裕ないんですから」


 それから五分――体感だと一時間ぐらいだ――詩織は僕に抱きついていた。

 ゆっくりと離れる彼女。残念だと思ったのは気のせいなんかじゃない。


「これで、もういいです。最後に良い思い出ができました」

「文月さん……」

「内藤先輩が何を抱えているのか分かりません。きっと私には支えられないでしょう」


 詩織は泣きそうだったけど、涙をこらえていた。

 自分の無力さを悔やんでいるのがありありと分かった。


「それでも、内藤先輩のことを好きになれて良かった」

「僕は、好かれるような……」

「聞きたくないです。だって、馬鹿みたいじゃないですか――好きになったことが」


 詩織は未練を見せずに、潔く立ち上がった。

 何かを言おうとして――言えない自分に気づく。


「さようなら、先輩」


 詩織は小走りで公園から去っていく。

 僕は追いかけることができなかった。

 人に好意を向けられるのが怖い――臆病者だから。


 世界はすっかり暗闇に閉ざされていた。

 空には星が瞬きつつある。

 だけど、手は届かない。

 どう足掻いても。



◆◇◆◇



 家に帰ると酒とタバコで塗り潰された『女』がソファーで寝ていた。

 今日は悲しい夢を見ているのか、マスカラが涙で滲んでいる。


「……起きな。夏でも風邪引くよ」


 僕が身体を揺すると、女は寝言混じりに文句を言ってからゆっくりと起き上がった。


「……賢悟ちゃん、泣いているの?」


 女は寝ぼけているのか、僕の頬を何度もこする。

 鬱陶しいと思ったけど、なすがままにされておく。


「泣いてないよ。ほら、ここで寝ないで部屋に行って」

「やだ。めんどい。おぶって」

「わがまま言わないの。肩を貸すから」


 文句を言いながら女は二階の部屋に行く。きちんとベッドで寝たのを確認してからリビングに戻る。冷蔵庫を開けると今朝とまったく同じものが入っていた。


 女が料理をしてくれたのは随分前だ。

 僕の料理を食べてくれたのも。

 女はいつ、ご飯を食べているのだろう?


 昔のことを思い出す。

 『あの人』が女と遊ぶとき、僕はいつも買い物袋から一人分減らす。その軽さが寂しかった。惨めでもあった。総計すると怒りよりも悲しみが勝った。


「……何のために、僕は――」


 言葉は続けられなかった。

 口にしたら、もっとツラい現実に直面しないといけないから。


 こんな寂しい夜だからか。

 さっき会ったばかりなのに、詩織と会いたくなってしまった。

 でも、どんな顔をして会えばいいのか、分からない。


 自分の部屋に戻る。

 布団とゴミ箱しか置いていない、殺風景な空間。

 隅に体育座りして、ゆっくりと考える。

 頭の中にあるのは、詩織のこと。それだけで占められている。


 どうやら僕は詩織のことを……言える資格はないけど、好きみたいだ。

 一緒にご飯を食べるときは楽しかった。

 いろんな話を聞いたり喋ったりして愉快だった。

 昼休みが待ち遠しくなったのも事実だ。


「だけどなあ。僕なんかが人を好きになっていいわけねえよ」


 ぽろぽろ、ぽろぽろと。自分では止められない。

 どうして僕は弱いんだろう。


 もしもまともな『環境』で、汚いことに手を染めなくてもいいのなら。

 きっと詩織に恋していた。


 自分が卑怯者なのは分かる。

 詩織の純粋な想いに応えられない。

 人を好きになるのに、資格は要らないって、分かったような奴は言うけど、絶対に間違っているんだ。


 だってそうだろう? 他人を蹴落としたり踏みつけたりできる僕が、今更まともになろうだなんて、虫が良すぎる。

 何人、何十人、何百人。僕が生きる上でたくさん犠牲になった。

 だから僕は人を好きになっちゃ駄目なんだ。


 分かっている。

 分かっている?

 分かっているはずだ。


 だけど、ごめんな――詩織。

 自分でもどうしていいのか、分からないんだ。

 君のことも、自分のことも。

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