第7話 モデルになって
私の日常はまた元の平凡な日々の連続になるはずだった。
ところが最近、親友の恭子の身辺が慌ただしくなったお陰で、私にもその影響が全くないとは言いがたい状況になっていた。
「理沙!ごめんね、遅くなって」
一緒の部活を恭子だけ辞め、彼女はカメラマンのアシスタントのバイトを始めた。
コンテストの入賞がプロの写真家の目に留まり、アシスタントを始めた。
バイトとはいえ、ある意味弟子入りを果たした格好だった。
彼女とは、休みの日の午後だけ暇を見つけては以前のようにお茶をしていたが、
いよいよ仕事が忙しくなり私もしばしば彼女の仕事場に立ち寄るようになっていた。
「理沙ちゃんだっけ?」
写真家の先生が声を掛けてきた。
「は、はいっ!」
「今日のモデルさんが前の仕事が押しちゃって、
キミ、ポラの構図に立ってくれないかなぁ」
私をモデル代わりにって事?
「いいじゃん、理沙!」
「あんた前はモデル志望って言ってたじゃん!」
恭子が声を上げた。
「まぁ、モデルって言っても立ち位置だけだから頼むよー」
「バイト代は、出すからさー」
少し迷ったが、悪い話ではない。
むしろ、二度と無い良い経験かもしれないと思った。
「はい、解りました」
「衣装はそのままでいいよ」
「じゃぁ、セットしてー!」
どこからか声がかかった。
慌ただしく、スタッフが動き始めた。
立ち位置だけとはいえ緊張する…
スタイリストさんが近寄ってきて私の髪をいじったり、体の向きや顔の角度、まえからは扇風機のデカいので風まで送られてきた。
本格的だ!
だんだんと私は、仮りモデルの事を忘れ、
気持ちよくなってきた。
いつの間にか、
毎日部屋で練習していたようなポーズをとったり、笑顔を造っていた。
ポラのシャッター音が心地よさを増幅させてゆく。
「よーしっ!」
先生の声がスタジオ内に響いた。
一通り終わったと思い、
おたち台を降りようとする私に先生が、
「理沙ちゃん!ちょっと待ってね」
とストップを掛けた。
「は、はい」
何やらカメラを一眼レフに替えている。
スゴい装備が出てきた。
一連の装着が終わると、恭子がストロボを高くかざした。
その瞬間!
もの凄い閃光が私の目に降り注いできた!
必死で目を開けて前を見ようとする私に、
先生が声を掛けているのが分かった。
「脚広げてー腕前にー顔斜め上に笑ってわらってー」
「いーねー」
「恭子ちゃん、友達の理沙ちゃん使えるでしょ?」
先生が恭子と何やら話している。
「はい、私もファインダー見ていて驚きました…」
「はーい!理沙ちゃんいいよー
お疲れさま!」
疲れた…ホントのモデルみたいな感覚に私の脚がガクガクしている。
嬉しかったというより、いい経験をさせてもらった。
「ありがとうございます」
頭を深々と下げて、
おたち台から降りると周りのスタッフから拍手をもらった。
「え?なんで、恥ずかしいです…」
恭子が近づいてきて、
「理沙!あんたスゴいよ!」
「先生があんなにシャッター押すこと滅多にないのよ」
「そうなの?」
「撮られてる時はどんな感じだった?」
「えっ?どんなって…」
あの感覚を表現するのは少し恥ずかしかった。
人に言えるような感覚ではなく、
一種のエクスタシーで、
ある意味薬物中毒や麻酔に比喩されるような感覚と言っていいのかもしれない。
先生と呼ばれる写真家の言葉に乗せられ、
いつのまにか、ふつうならばとても恥ずかしいような格好や表情になっていただろう。
はじめは緊張と照明のせいで顔が熱く火照っていたが、
シャッターの音が私の体のあらゆるツボを刺激する度に、
皮膚には電気が走り、やがて指の先までもが研ぎすまされて敏感になるのが解る。
背中から頭の先に稲妻が走るような感覚を得たあとは、首から上の強ばりが取れ本当に楽しいときの表情ができた。
「理沙ちゃん、明日もお願いできるかなぁ、バイト…」
こんな気分が良くて、お金が貰えるなんて…断る理由がない。
「恭子、どうしよう…」
「良いきっかけじゃん、受けなよ」
「私だって理沙と仕事できるなんてビックリだから」
彼女の後押しもあって、
「じゃぁ、お願いします…」
今にも消えそうな声で、そう答えた。
「よしっ!決まりだ!」
「恭子ちゃん、明日から忙しくなるよ!」
「お疲れさまでしたー」
家路に就いた時には、
夜の10時を回っていた。
帰りの道で恭子が、
「理沙、あんた本気でモデルやる気あるの?」
「なんで?」
「先生、あんな感じだけど本気モードだったよ」
「あんた、気づかなかった?」
「今日、予定のモデルさん、来なかったでしょ」
「あれ、断ってたよ」
「理沙に差し替えてたから、もしかすると、もしかするよー」
「えーっ、私なんかが…」
「今日の理沙、女の私が見てもエロかったもん」
「誰を思ったらあんな表情出来るのかなぁ」
「才能あるんじゃな?い?」
「恭子、冗談言わないでよー」
彼女のその言葉に、
恭子にも言えない、あの時の感覚を思い出し、両脚の内側に例えようのない熱感が伝わってくるのを感じた。
家に帰ってもその感覚が離れない。
思い出せば出すほど、脳内麻薬が放出されるかの如く、胸がドキドキしてくる。
二階へ上がると、
ベッドの上で布団を頭から被り、
まだ火照りの残る太ももに、両手を挟んだまま体を横たえた。
ゆっくりと押し寄せてくる波に何度も何度も息を殺し、陶酔した。
徐々に意識が遠のきはじめたとき、
突然あの時と同じ、稲妻のような電気が脚の先まで走るのを感じた。
と同時にそれは私の脊髄から頭の裏側を貫いた。
どのくらい経っただろう。
部屋のテレビには砂の嵐が点いたままだった。
リモコンのスイッチをオフにし、
パシャマに着替え、髪をほどいた。
鏡に映し出された自分の姿を見ると、
少し、痩せたような気がして嬉しくなった。