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アニメ

君の名は

作者: とびうお君

 意図的に前置きを長くしようと思う。本来ならこのアニメの感想じゃない。別カテゴリーにするべきだと思うが、参考アニメがこの作品1つなのでアニメカテゴリーで書きたい。そのためそうじゃない部分を長く書くつもり。


 良い作品とはなんであろうか?私は良い作品はすぐれた審美眼をもった少数の集団に選ばれるべきだと思ってる。最近の大衆文化を真っ向から否定する貴族趣味になる。それには理由がある、大衆文化は大衆文化としての良い作品を選ぶべきで、そこに貴族趣味の価値判断で図ってはならない。


 そう考えているからこそ、良い作品の定義をしてしまうんだ。平均的な大衆は良さについて語る資格を持たない。そんな馬鹿なと多分反発を覚えるだろう。だがこれがスポーツならどう思う?草野球こそ最高の野球の良さを見せるのか?違うでしょ?レベルの高い評価をするのにある程度は慣れやセンス経験が必要になる。


 それは大衆的人気で選ばれるべきじゃない。こういったものに反発を覚えるのは怠け者のくせに自分を高く見せようとする幼稚なプライドゆえになる。こんなゴミみたいな人間の考えを肯定してやる必要は無い。きっぱりと選ばれたものにしか良い評価は出来ないとしたほうが良い。


 この前置きがとても重要で、この作品は大衆文化の傑作だと思う。何故か?私は直接感動したわけじゃないが、大衆文化の傑作としてあまりの出来の良さに涙汲みそうになった。素晴らしすぎる隙が無い。


 じゃ何故この作品がエリートが選ぶ良き作品と素直にしたら駄目なのか?私が感動したのは平均的な大衆を楽しませる創意工夫に溢れた傑作だという点で、これがエリートを楽しませる技量に溢れたものだと判断したわけじゃないからになる。


 ここにはもう1つの問題がある。お前はどう感じたのか?で面白いが、本当の意味で強い感情は昔からの大衆受けしない新海ファンとしての彼の独特のマニアックな部分の個性となる。この両者が宿ってるという点で宮崎の再来を感じたが、彼が宮崎に慣れるか?は全く別。恋愛しか根本的には描いてない。


 次にこれはまぐれ当たりだとすぐに感じた点。ええーとこの作品はまぐれあたりじゃない。え?意味分からんよってなる。


 大衆人気は様々な要因で結果が出る。そこには結果論だとしか言えない作品の良さの偶然もある。だがその良き作品を創る作者の能力の偶然もある。これは能力に必然を感じさせない。


 何が駄目なのか?で結局エリート思想になるのだが、彼の一貫した部分で、ファンタジックな部分が弱い点。根本的にコレはリアルな実写ドラマにファンタジーのふりかけをした、今まで彼が受けなかったスタイルのままでしか創ってない。大衆にはこれが受けるんだ。マニアックな高い非現実的な刺激を与える能力は逆に受けない。


 多くの人はリアルな話しをベースにして、そこに差異を見出して楽しめるからになる。非現実的な部分なんてマニアにしか簡単には刺激にならない。逆に幼稚な妄想とかたづられるのがオチだ。


 非現実的な作品を創るには、その部分に力を発揮できる安定した能力が必要で、肝心の面白い部分がリアルなドラマの受ける要素で、そこにファンタンジーによって生じるわずかな差別化によって奇異な作品を創るのでは、結果論になりやすいからになる。まさに奇をてらった作品から抜け出してない。


 さてでも作品としては何故大衆娯楽として傑作なのか?これ時をかける少女にとてもストーリー構造が似ている。ここがすごい。何が?これ起承転結があまりに見事すぎる。


 まず映画だという点で傑作。映画はアニメシリーズや漫画と違う。多くの人は映像ばかりに目が行くが、映画のツボは時間のコントロールにある。だらだらといつ終るか?未定の漫画じゃストーリーの面白さと構造への関係が映画とは全く違う。1、2クールと言う長さの区切りも時間が全く違うって点が大きい。


 2時間以上以下では全くストーリー構造による面白さは違う。多くの漫画が根本的に違うのは、2時間の映画は短編による、話そのものを楽しむって部分がぎりぎり残されてる。それにアニメも漫画も単行本でも、またされて続きを見る。これはストーリー全体を、2時間の映画ほど覚えてるか?私は疑問がある。


 ストーリーの全体像で楽しむ、そこが起承転結の美しさが時かけに似てるんだ。


 具体的には、最初に大きな変化がある。入れ替わりと、時間移動になる。次にそれを使ってささやかな日常の変化を楽しむ。その時はひたすら軽い。もうコメディか?ぐらい軽い。両者はここ驚くほど似通っている。ここから転において、突然の暗鬱とした展開に移っていく。何故映画が素晴らしいか?で、これを長期でやると鬱展開といわれるだろう。


 だが映画はそれを全体の起承転結で不可欠な要素に変えてしまう。あのダラダラした軽い日々が懐かしくなるような破壊が生じる。時かけは後悔となり、この作品ももう戻らないあの時間への執着に繋がる。そして解決への結に繋がる。なんと特にこの作品で驚きは、新海ファンはにやりとするだろう。ラストシーンが秒速5CMの別ルートに近くなってるからだ。


 この作品は紛れも無いハッピーエンドなんだ。結まで気を緩めない大衆娯楽の傑作になってる。以前の新海監督が大衆娯楽として力を発揮できなかったのは、そこが180度逆の作品でマニアの評価を貰ってるからだ。やはり大衆娯楽はハッピーエンドこそが王道になる。時かけも主人公は別れのせつなさを抱えつつも救われて終る。


 本当にストーリー構造が良く似ている。


 最後に、私個人の刺激の部分だが、繊細?と言うか、新海監督一貫して、届かない思いって距離やすれ違いを描いてる。一見全く違う作品を創ってるが、根底は同じものを描いていて、それを完結させるのじゃなくて、ハッピーエンドのための前振りに使ったんだ。だから喪失感とそれに対する執着は全く過去作品と同じ水準を保ってる。


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