90.警戒心は強く
俺とアルが野営地に戻る頃には、既にルークが東の森の中にヒュプノスローズが群生していたことを伝え終わっているようで野営地の冒険者たちはそれぞれが口元に布を当てていたり、口元を覆い隠す覆面のようなマスクをしていたりと対策を取っているようだった。
ただ、そうしてマスクをしていると人相の判別がし難いのでグィードは大変かもしれない。まぁ、本当に盗賊団の人間が紛れ込まないか警戒しているのであればの話ではあるのだが。
「師匠!」
そんなことを考えていると奥の方からルークが走り寄ってきた。そして、その後ろには仲間と思しき冒険者が一人。
「どうした、ルーク」
そういえばルークに師匠と呼ばれるのを拒絶していなかったことにふと思い至った。とはいえ、今更やめるように言ったところでルークはやめないだろうし、ルークの中では完全に弟子入りしたことになっていそうだった。その考えをどうにか改めさせようとすると疲れそうなので放っておこう。
「いや、他の冒険者にはヒュプノスローズのことを話したって報告に」
「あぁ、そういうことか。ありがとうな、手間が省けた」
「これくらい良いって!それよりもヒュプノスローズのことを報告してたらエレンが少し話がしたいって言ってるんだ」
「エレン、というのはもしかして後ろにいる子かな?」
ルークがエレン、という名前を口にしたがどうやらアルの言うようにルークの後ろにいる仲間のことを言っているらしい。
「おう!俺の幼馴染でパーティーの頼れる魔法使いだぜ!」
「初めまして、エレンよ。ルークに師匠なんて呼ばれてるみたいだけど大丈夫?迷惑じゃない?」
エレンと名乗った明るい桃色の髪の少女はルークから師匠と呼ばれている俺に対してそう言った。迷惑かどうかと問われれば、多少は迷惑だと思っている。それでも言うだけ無駄なのと、冒険者としての腕はそれなりにあるようなので今回の依頼では友好的に接しておこう。と思っている。
ただ、少ししか接していないながらも何となくわかったルークの性格からして一度でも友好的に接することが出来た相手はお友達認定してそれ以降も普通に仲良くしようとするだろう。それに俺は師匠認定されているのでなおのことだ。
まぁ、今後どういう扱いというか、接し方をするかはまた今度考えるとして、否定的ではない言葉を返しておこう。
「とりあえず困惑はした。でも……とりあえず、悪い奴じゃないみたいだからな」
「それはそうよ。昔っからお人好しで困ってる人がいたらすぐに手助けしようとするんだもの。ただ……どうにも私やおばさん以外の女の人と話をするのは苦手みたいだから、手助けした後にあたふたしてるのよね」
「あぁ……だから俺に対してちゃんと女の人と話せるようになりたい、何て言ったのか」
「そうそう。とはいえ……ちょっとやそっとじゃルークが女の人と話せないっていうのが直るとは思わないのよねぇ……」
呆れたような、それでいて何処か嬉しそうな様子でエレンがそう言った。さて、これはどういう意図があるのだろう。そんなことを一瞬だけ考えたが、それは自分にとって意味のない思考だと切り捨てる。まぁ、幼馴染で母親以外で唯一まともに話が出来て、という状況なら少しばかり邪推もしてしまうのだが。
それこそ俺には関係ないか、と浮かんでくる意味のない思考を押し殺し本来の要件が何なのか聞くことにした。
「それで、話したいことってのは?」
「ヒュプノスローズを見つけたって話だけど、ルークが言うには一人だけ気づけたのよね」
「そうだな。甘い匂いがして、それに覚えがあったからもしかして、と思ったらヒュプノスローズだったな」
「へぇ……随分と鼻が利くのね?」
徐々に挑発的な態度を取りながら言葉を続けていたが、どうにも俺は疑われているらしい。一緒に行動していた二人が気づけなかったのに俺だけが気づいたのがおかしいと思ったのだろう。それにアルのことは俺の仲間だと認識しているようなので、同じように疑われているかもしれない。
「あぁ、思いのほかな。それで、それがどうかしたか?」
それがわかっていて、同じく挑発的な態度を取るのはスラム街での習慣というか癖というか。とにかく相手に舐められたら終わり、というような部分があったので仕方がない。
ただ意外なことにエレンが不快感を表情や態度に出すことなく挑発的というよりも、もはや獰猛とも呼べるような笑みを徐々に浮かべ始めた。いや、浮かべ始めたというよりも抑え込むことが出来なくなってきた。と言った方が正しいのかもしれない。
「何が言いたいかわかっててそういう態度なんだ」
「わかってるからこういう態度なんだよ」
「そう……なら、とりあえず色々と疑ってることがあるから武力行使で良いわよね?」
獲物を前にした肉食獣というか肉食の魔物を彷彿とさせる獰猛な笑みを隠そうともせず、そう言ったエレンからは魔力が漏れていることが見て取れた。目に見えるほどの魔力、と言えば凄まじいようにも感じられるが単純に不自然な風がエレンの周囲に吹いているからそう判断したに過ぎない。
それに実際に目に見えるほどの魔力を持つような人間がいるとは思えない。そういった存在は神や魔族、魔女と呼ばれる人から逸脱した存在、エルフの中の極一部。といったところではないだろうか。他にもいるかもしれないが俺の中にある心当たりはこのくらいだ。
そうしたことを考えていると、慌てたのはアルとルークの二人だった。周囲の冒険者たちは何事かと遠巻きに見ているだけのようだ。
「おいエレン!お前何やってんだよ!?」
「待ってくれ!何があったのかよくわからないけど、少し落ち着いたらどうだい?」
「ルークは黙ってて。それと、アルだっけ?私は落ち着いてるわよ。ただ……アッシュの態度が態度なんだから仕方ないでしょ?」
「いやいやいやいや!仕方ないわけないだろ!!」
「……エレン、だったよね?」
「ええ、どうかした?」
「君がアッシュに危害を加えるつもりなら、僕は君を力づくで止めないといけない」
俺としてはエレンの行動に納得していて、本当に戦うつもりなら応戦するつもりだった。だが予想外にアルが交戦の意思を見せた。とはいえあくまでも俺に危害を加えるつもりならば、という前提なのでエレンが引き下がってくれれば何事もなく収拾がつくだろう。
エレンの浮かべている表情を見る限りは、素直に引き下がるとは思えないのだが。
「私は別にあんたたち二人を相手にしても良いわよ。ルークはお人好しだから他人に騙されることもあって、こういうのには慣れてるのよ。疑わしきは罰せよ、ってね」
「エレン!!師匠とアルはそんなんじゃねぇよ!!」
「ルークは黙ってて。それで、大人しく白状するか、ボッコボコにされてから白状するか。選んで良いわよ」
既に臨戦態勢に入っているエレンは、どうやらルークのことが心配で心配で仕方なく、こういった行動に出たようだった。それがわからなければ修羅場と言える状況だが、わかっている俺としては微笑ましさすら感じてしまっている。
ただこのままだと本当にエレンと戦うことになりそうなのでそれらしいことを言っておこうと思う。警戒していたからとか、イシュタリアに何か加護や祝福を押し付けられたかもしれないとか、そういう話をしたとしても信じないだろう、ということで信じてもらえそうな話をして誤魔化すしかないと判断したからだ。
それに俺だけなら戦うというのも有りだがアルを巻き込むわけにはいかない。
「はぁ……ヒュプノスローズに気づけた理由ってのは簡単なことだ」
「簡単なこと、ね」
「ヒュプノスローズは使い方によっては結構有用でな。睡眠障害がある人間でもヒュプノスローズを使えばすんなりと眠ることが出来るし、魔物と戦う際に乾燥させてから砕いて粉末状にした物を魔物に吸わせれば楽に倒せる」
「……ええ、確かにそうね。そういう使い方も出来ると思うわ。まぁ、普通の冒険者だと扱いに失敗するリスクを考えてそんなことはしないと思うけど」
「俺は使うけどな。とにかく、そういうことでヒュプノスローズの匂いは嗅ぎ慣れてるんだ。だからほんの僅かな匂いでも気づけた。信じるか信じないかは、好きにしてくれ」
事実としてヒュプノスローズにはそういった使い方がある。エレンの言うように冒険者がそういったことをするのは基本的にないのだが。ただ俺は仕事の内容によっては使うこともあったので嘘は言っていない。
それを信じるのかどうかはエレン次第なので最後は投げやりにそう言ったのだがエレンは何やら考え込んでいた。本当か、嘘か。それを考えているのが手に取るようにわかる。
そんなエレンの隣ではルークが心配そうにオロオロとしていて、俺のすぐ前にはアルがいつでも剣を抜けるようにと構え、周りの冒険者たちは不穏な空気を悟って自分たちに被害が出ないようにと警戒しつつも俺の言ったヒュプノスローズの使い方について少しだけ考えているようだった。
「……ルーク」
「な、何だよ……」
「アンタは信用出来ると思うわけ?」
「……師匠のことだよな?」
「それ以外に誰がいるのよ」
「俺は……まだわからないけど、っていうかたぶん良い人ってわけじゃないかもしれないけど、だからって悪い人でもないと思う……」
ルークのことだから信用出来る、と断言するかと思えばどうにも煮え切らない言葉を口にした。
そう思っていたのは俺だけではなくアルもだったようで驚いているようだった。ただ流石に幼馴染というだけあってエレンは驚いた様子もなく、ルークの言葉に頭を悩ませていた。
「はぁ……ルークは本当に感覚に頼ってるせいで意味がわからないわね……まぁ、良いわ。今回はアッシュの話を信じて矛を収めてあげる」
ルークの言葉に毒気を抜かれたようで、ふっと魔力が霧散した。それからまた呆れたような表情を浮かべていたのでもしかしたらこういうやりとりは普段から慣れているのかもしれない。
そんなエレンの様子を見て、ほっとしたようなルークだったがすぐに俺とアルに向き直って頭を下げてきた。
「師匠!アル!エレンが本当にごめん!!」
「え、いや……僕としてはアッシュに危害を加えないなら良いんだけど……」
「俺は気にしてないぞ。というか、こういう奴は嫌いじゃない」
少し笑って言えば、アルもルークもエレンも、意外そうな表情で俺を見た。というかエレンの場合は驚いているようにさえ見えた。
「そう、なの……?自分で言うのもどうかと思うけど、割と好戦的なところがあるから初対面だと良い感情を持たれないんだけど……」
「そうかもしれないな。ただ……そうやって警戒する理由を考えれば、な?」
言いながらルークを見ると、目が合ったルークは不思議そうにしながら首を傾げていた。
「え、俺が何かあるのか?」
「はぁ!?べ、別にルークは関係ないからね!?」
「え?え?」
不思議そうなルークに、焦ったように否定の言葉を口にするエレンと、どういうことなのかわからず困惑するアル。そんな三者三様な様子を見ながら何でもないから気にするなと周りの冒険者に示す。
何と言うか、ルークのことが心配で、そのルークが懐いている俺のことを警戒していたエレンの様子は微笑ましいものだったので俺としてはそれを見守るような気持ちだった。
そして、エレンのような人間が傍にいると言うのはルークは随分と恵まれた環境にいるようだ、と思ってしまったのはきっと仕方のないことだったはずだ。




