89.白き薔薇
野営地から離れて周囲の散策を始めた俺とアルだったが、やはりというべきかすぐに何かが見つかる。ということはなかった。散策すれども森、森、森。立ち並ぶ木々や鬱蒼と生い茂る草の合間に何か罠がないかと目を凝らしてみたが何もない。
何もないということは盗賊団に俺たち冒険者の存在を悟られていない。もしくは冒険者の存在を悟りながらも罠を仕掛ける必要はないと判断した。と考えることが出来る。
前者であれば依頼を達成し易くなるので良いのだが、後者であれば一気に危険度が跳ね上がることになる。それなりに数の揃った冒険者を相手にして勝てるだけの何かがあるということになるからだ。
もしくは単純に俺が罠を見落としている可能性もあるのだが。またはこの辺りが盗賊団の縄張りであるならばこの森の中にある物を用いた天然の罠という物がある可能性もある。
何にしてもまだまだ探索を続けなければならない、ということだ。
「僕の目には特に怪しい物はないように見えるけど、アッシュは何か見つけたかい?」
「いや……俺も怪しい物は見つけられないな。ただこの辺りにはないってだけかもしれないから他も回ってみよう」
「うん、わかった。でも何処を見行こうか……周囲の散策は済んだけどほとんど何もなかったからね……」
「そうだな……西に行けば泉があるらしいけどそこは水浴びに使われてるし……」
では何処に行こうか。そんなことを考えていると人の気配が近づいて来て、そちらを見るよりも早く声が聞こえてきた。それも割と大きな声で無遠慮に、だ。
「そこにいるのは師匠だな!!」
俺を師匠と呼ぶ時点で一人しか心当たりはない。
「……やっぱりお前か……」
振り返れば予想通りルークがずかずかと近寄って来ていた。その後ろに仲間の姿はない。もし仲間がいたのであればさっさとルークを引き取ってもらうつもりだったので非常に残念だ。
「おう、俺だ!で、師匠は何してるんだ?この辺りを散策してるんだったら、特に何もなかったけど……」
「まぁ、何もなかったな。だから別の場所でも探そうとしてたところだ」
そこまで言ってからふとアルを見ると何やら困惑している様子だった。たぶんルークがいきなり俺のことを師匠と呼んだせいだろう。
それとルークはルークで俺の隣にいるアルに気づき、顔を隠していることを不思議そうに見ていた。
「アル、こいつはルーク。俺のことを勝手に師匠認定する頭の可哀そうな奴だ」
「えっと……流石にそれは言い過ぎじゃないかな……?」
「いきなり師匠認定されてみろ。こいつ、頭大丈夫か?って絶対に思うから」
頭が可哀そう、という評価に対してアルがそう言ったが初対面でのあれを見ればきっとアルも理解してくれると思う。というか人を師匠と呼ぶ理由を知ってもたぶん理解してくれるのではないだろうか。
というわけで師匠と呼び始めた経緯でも話しておこうか、と思っている間に話が進んだことによりその機会を逃してしまった。
「俺はルーク!よろしくな!」
「うん、よろしく。僕のことはアルって呼んで欲しいかな」
「わかった。それで、師匠とアルはこの後、何処か行く目星は付けてるのか?」
「いや、特には。まぁ、西には泉があったよな、って話はしてたけど」
ただ水浴びに使われているので見に行くことはないし、その必要もないと判断していた。何か仕掛けられているとしたらアナスタシアが気づくだろうし、放っておいても問題はない。
それに今近づけば必ず覗き魔扱いされてしまうので、近寄ろうという気は全く起きて来ない。
「え、も、もしかして……!?」
「何だよ」
「いや!師匠もアルも男だからそういうのに興味があるのはわかるぞ!でも、ほら、そういうのは良くないっていうか、男としてどうかと思うっていうか……と、とにかく!そんなことはするべきじゃないよな!」
「いや、だから何だよ」
何が言いたいのかわかっているのだが、もはや投げやりにそんな言葉を口にする。アルはすぐには思い至らなかったようだが、少し考えてからルークが何を言っているのかわかったらしく慌てて口を開いた。
「え、いや!違うよ!?僕たちは純粋にそっちには泉があったことを確認していただけで覗きだとか、そういうことをしようって話は全くなかったからね!?」
「え、あ、そ、そうだよな!いや、悪い悪い!俺はてっきり、そういうことなのかと思って……」
「そんなわけないじゃないか!良いかい、女性を傷つけるような行為は男なら絶対に取るべきではないんだ。だから覗きなんて最低の行為は絶対に許されないよ」
まぁ、そういうことだ。確かに女性陣が水浴びをしている泉があるという話をしていればそうした勘違いもされるかもしれない。だが冒険者の水浴びを覗いても良いことはないと思う。
基本的に水浴びをする際にも何かしらの武器を携帯するのが常なので、見つかればボロ雑巾にされることは間違いない。余計なことをして怪我を負うなんてあり得ない。
「ほら、落ち着けむっつり共。で、とりあえず西には泉、南に進めば街道に戻って東に向かっても特に何もなくて森が続くだけ。北に行けば盗賊団がアジトにしてる炭鉱。となれば……」
「むっつりじゃないからね!?」
「むむむ、むっつりじゃねぇよ!?」
「はいはい。で、どうするんだ?俺としては東に行くしかないと思ってるけど」
むっつりと言われて焦ったように否定する二人だったが、まぁ、たぶん間違っていないのだろう。とはいえそれを突き過ぎても良いことはないのでこれで終わりにしておこう。
「本当にむっつりじゃないからね!?」
「わかってるって。それよりもさっさと答えてくれ」
「はぁ……まったく……僕も東に行くしかないと思うよ」
「むっつりじゃないから!むっつりじゃないからな!あ、いや……今はそうじゃなくて、東に行けば良いんじゃないか?」
二人を落ち着かせて、いや落ち着いてはいないがとりあえずは何処に向かうのかと話をした結果、東に向かうこととなった。東には本当に森が続いているだけで目立つような物も、目印になるような物もなかったはずだ。
だからこそ何か仕掛けている。という可能性もあるのでそちらに向かってみよう。本命は北だがやはり盗賊団のアジトに近づいてしまうことを考えるそちらは難しいだろう。
三人で東に向かうとその途中で他の冒険者の姿を見つけたが木の上を見ていたり、草木の間を何かないかと探っていたりとそれぞれが盗賊団の襲撃を警戒しているようだった。これならば夜中に襲撃されたとしても問題なく迎撃出来るのではないだろうか。
そんなことを考えながら何か仕掛けられていないかと目を凝らしてみるがやはり何もない。
「やっぱり何もないかぁ……俺たちだけなら見落としってこともあるけど他の冒険者とか、俺の仲間が見て回っても何もないらしいから本当に何も仕掛けられてないってことで良いのかな?」
「僕はそれで良いと思うけど、アッシュはどう思う?」
「…………ちょっと待て」
「え?」
二人が怪訝そうに俺を見ているとわかっているが少し気になることが出来た。
既に野営地からはある程度離れた場所まで来ていて、他の冒険者の姿はなかった。どうやらここまでは来ていないらしい。つまりこの先は誰も見に行っていないのかもしれない。
「師匠、何かあったのか?」
「微かだけど甘い匂いがする」
「甘い、匂い……?アッシュ、それはどういうことだい?」
「まさか……アル、ルーク、とりあえず布で口と鼻を押さえとけ。それでついて来い」
「師匠!?」
「アッシュ!?」
二人に口と鼻を布で押さえるように言ってから先ほどから鼻孔を擽る甘い匂いの発生源へと走った。勿論、二人に指示を出したように自身の口と鼻を玩具箱から取り出した布で押さえながら、だ。
またこの匂いには覚えがあり、俺の予想している通りの物であればとても厄介な物が近くに存在していることになる。
非常に嫌な予感がするが急いで向かうと徐々に甘い匂いが強くなり、予想がほぼ確信へと変わっていった。これだけの強い匂いがするということはそれなり以上の数があるということになる。
そして緑生い茂る光景が続いていたが、ふと開けた場所に出ることとなり、その一帯は見事なまでに白で埋め尽くされていた。
「一体どうしたんだよ!」
「いきなり走り出すなんて、どうかしたのかい?」
その光景を見て立ち止まると、後ろから俺の言ったように口と鼻を布で押さえたアルとルークがやってきた。口々にどうしたのかと聞いて来るが、それの答えは口にせずとも眼前の光景を見てもらえばわかるだろう。
「って、え……?」
「これは……!?」
二人が絶句してしまうのも仕方ないだろう。俺たちの眼前に広がる光景を作り上げているのはたった一種類の花であり、不快感を覚えることのない甘い匂いを放ち続けている。
この花が何であるか理解しているのであれば二人のような反応をするのが当然のことだと思う。
「二人とも、ちゃんと口と鼻を押さえておけよ。こんなところで寝られても困るからな」
可憐な見た目に反して非常に凶悪な花。冒険者であればその危険度がどれほどの物か理解し、アルの様子からもしかすると騎士たちの間でもどれほど危険なのか伝わっているようだった。
非常に甘い匂いを放つ真っ白な薔薇の花。名前はヒュプノスローズといい、シャロが攫われた際に使われたものだ。
花弁、花粉、種などほぼ全てに強力な睡眠効果を持つこの薔薇は世界中に自生していて、甘い匂いがしたと思ったら意識を失っている。ということも少なくはない。そしてその間に魔物に襲われて命を落とす。というのが最悪な流れだ。
とはいえヒュプノスローズの睡眠効果は人間だけではなく魔物にも適用されるので、ヒュプノスローズによって眠っている魔物を冒険者が仕留める。ということも少なくはない。
「マジかよ……師匠の言ってた甘い匂いってよりによってヒュプノスローズだったなんて……!」
「それに数が数だからね……でも野営地のすぐ近くじゃなくて良かった。これくらい離れていれば害はない、はずだよ」
「普通ならな……けど、これだけ群生してるってことは盗賊団がここのことを知っててもおかしくはないだろうな」
何が言いたいのかというと、盗賊団側がこのヒュプノスローズを使ってくる可能性が高いということだ。
とはいえヒュプノスローズの存在に気づけたのであれば戻ってから他の冒険者たちに警告をしておけば、ヒュプノスローズへの対策も可能だろう。
まぁ、使われるにしてもどのようなタイミングで使われるのかわからないので常に気を張り続けなければならないのは、それはそれで更なる負担になりそうだ。気づけば眠り込んでしまって全てが終わった後に目が覚める。となるよりは遥かにマシではあるのだが。
「とりあえず戻ったらこのことを報告しないとな。他の冒険者にも警戒させておかないとろくなことにならないぞ」
「確かにこれは情報共有すべきだね……」
「だな。っていうか……師匠は良くわかったよな。俺たちは匂いなんて何もわからなかったのにさ」
戻ったらヒュプノスローズについて報告しなければならないと話をしているとルークが不思議そうにしながら言った。確かに俺がヒュプノスローズ特有の甘い匂いに気づいた段階では二人がそれに気づいた様子はなかった。
単純に危機察知能力の違い、というのも関係しているのかもしれないが俺自身がヒュプノスローズを使うことがあるので僅かな匂いにも反応することが出来た。ということではないだろうか。もしくはイシュタリアから押し付けられた祝福や加護の中に何かあったのかもしれない。
「たまたまだな。本当に匂いがする気がした、って程度だったから運が良かったってとこだろ」
「なるほど……けどその運が良かった、というのはアッシュ一人じゃなくて僕たち全員の運が良かった、ということになるのかな?」
「確かにそうかもな!師匠が気づいてくれたおかげで面倒なヒュプノスローズのことがわかったわけだしな!」
「はいはい。とりあえず東からの風でヒュプノスローズの花粉が飛んでくる可能性があるから各自そのことを警戒しておくように、って全員に伝えないといけないな」
「そうだね。よし、早速戻って伝えよう」
「よっしゃ!そうと決まれば善は急げだ!何が起こるかわからないから先に行って伝えておくぜ!」
そう言ってからルークは走り出し、迷うことなく野営地へと向かっていった。これなら俺が報告せずとも良さそうだ。
「ルークは行動力がすごいね……アッシュ、僕たちも戻ろう」
「あぁ、わかった」
返事を返すとアルはそのまま野営地へ向けて歩き始めた。俺もそれについて戻っても良いのだが、その前に少しだけやることがある。
とはいえそれ自体はそう時間のかかるものではなく、ほんの数秒で終えることが出来るのでアルが何か疑問に思うよりも早くその背に追いつくことが出来た。
ヒュプノスローズの存在に気づけたことで事態が良い方向に進んでくれると良いのだが。そんなことを考えながら頭の隅では別のことを考える。
水浴びに向かったアナスタシアは上手くやってくれているだろうか。いや、どうにも場慣れしているようなのでたぶんアナスタシアなら大丈夫だろう。というか大丈夫であって欲しい。




