82.少しだけ縮んだ距離
二人が黙り込んで考え事をしている間に時間が過ぎ、気づけば北門には多くの冒険者が集まって来ていた。ざっと見るだけでも、俺たちを合わせて三十人ほど。今回の依頼には思っていたよりも多くの参加者がいるようだ。
時間も予定されていた集合時間に近づいて来たのでそろそろ考え込むはやめて行動しなければ。そう思って二人を見ると、どうやら考え事は終わったように見える。ならばせっかくなので考え事について聞いてみようか。
「考え事は終わったか?」
「ええ……偉大なる母という人物について少し考えていましたが……信じられないという思いと、そうして誰かのために生きられることが少し羨ましく思いましたわ……いえ、わたくしの生き方は今更変えられるものではないので本当に羨ましく思ってしまった程度なのですけれど」
そう言ったアナスタシアの表情はただ羨ましいというよりも、何処か悲しそうな、そんな表情な気がした。だがそれについて踏み込むほどの間柄ではない以上、それに気づかないふりをするべきだろう。
ただ、どうしてそういった表情を浮かべたのか、何となくだがわかってしまう。自分には出来ない生き方をしている人間が羨ましくて、それが出来たならどれほど良かっただろうか、と考えて悲しくなったというところだと思う。
俺も同じような感情をその話を聞いた時に抱いたことがあるので理解出来てしまった。いや、思い違いの可能性も充分にあるのだが。
「僕は二人がそうした地獄のような場所で生きて来たことに対して考えてしまったね……けど、それについて話をするには少し時間が足りないかもしれない。だからまた今度話させてもらうよ」
「そうか。いや、別に考えてたことを知りたいってわけじゃないんだけどな。とにかく、そろそろ移動しようか」
言ってから先導するように移動を開始する。俺のすぐ後ろにはアナスタシアが顔を見えないようにフードを深く被ってついて来るが、アルは動こうとしていない。どうしてだろうかと足を止めて振り返ると、アナスタシアも同じように振り返った。
そしてアルを見れば真剣な表情で、何かを決意したように俺とアナスタシアのことを見つめていた。
「ただ、これだけは二人に言うっておくべきだと思ったから言わせて欲しい。いや、違うか……僕が二人に伝えておきたいから、が正しいのかもしれない」
「……何を伝えたいんだ?」
真意が掴めず、とりあえず続きを促すことにした。アナスタシアも同じように真意を掴めず、探るようにアルを見ていた気がする。まぁ、フードで顔が見えないので何とも言えないのだが。
「僕は絶対に君たちを裏切らない。二人の話を聞いていて、これを言ったところで信じてはもらえないと思う。それでも、僕は二人にちゃんと伝えておきたかったんだ」
俺とアナスタシアが人を信用しないと言うことから、信用してもらうために口にした。というわけではなく、本気でアルは俺たちを裏切らないと誓っている。そんな気がした。
「すぐに信用してもらうことは無理だと思う。けど、僕は二人を裏切らない。そのことで、いつか二人が僕のことを信用してくれたらと思っているんだ」
真剣な瞳で、真摯な態度で、疑う余地のないほどに心の底からの言葉だった。どうして疑う余地がないと思ったのかはわからないが、強いて言うならば直感だろうか。
とにかく、俺にはその言葉に嘘偽りの一切ない言葉だと感じられ、たったそれだけで好感度は爆上がりである。というか、どうしてか本当にわからないのだがアルのことは初対面の時点であれこれと言いながら信用しても大丈夫なような気はしていた。
直感でそう思ったのか、別の理由があるのか。とりあえずそれは置いておこう。
「……どうにも貴方はわたくしたちとは違って、善良過ぎるようですわね」
俺とは別にアナスタシアもアルの言葉に嘘はなく、心のそこからの言葉であり、それを違えることがないであろうことを理解したようだった。
だからこそ、その言葉には先ほどと同じように羨ましく思う気持ちと、悲しい気持ちが入り混じったような、そんな思いが込められていた。
「みたいだな。何て言えば良いのか……眩しい、とも思えるよ」
「ええ、本当に。けれど……わたくしたちのような人間には、その眩しさが羨ましく思えますわ……」
「俺たちにはないものだからな……とはいえ、ないものねだりをしたところでどうしようもないってこともわかってる。そうだろ?」
「勿論ですわ。わたくしは、わたくし以上の人間には成れませんものね。ええ、結局は地獄の窯の底で踊り続けるのがわたくしたちですわ」
結局俺たちはどうしようもなく、真っ直ぐで、善良で、正しくあろうとするアルが羨ましいのだ。そうした生き方など、当の昔に出来なくなってしまったのだから。
そして、それを理解しているからこそ俺たちは俺たちのまま、ろくでなしのまま生きていく。自分以外の何物にも成れはしないのだから。ただ地獄の窯の底で踊り続ける、というのはどう考えても言い過ぎだ。とはいえそれは冗談で口にしているのが雰囲気でわかるので無粋な指摘はやめておこう。
「えっと……あの、二人とも?」
まぁ、俺とアナスタシアの心情がわかっていないアルとしてはいきなりこんな話をされても困惑しかしないとは思う。事実としてアルは非常に困惑した様子で俺とアナスタシアを見ていた。
そんなアルの様子がどうしてかおかしくて、アナスタシアと一緒に小さく笑んでからアルに背を向けた。アナスタシアも同じように背を向けていたので、もしかしたら俺とアナスタシアは思っていたよりも考えが似通っているのかもしれない。
「え、ふ、二人ともどうしたんだい!?」
「そろそろ時間だってだけだ。そうだよな、アナスタシア」
「ええ、遅れるわけにはいきませんものね」
「それはそうだけど、その……僕の言葉を流されると少し傷つくと言うか……」
確かに、あれだけ真剣に言った言葉を流されたとなれば傷つくのも当然だろう。ただ、俺とアナスタシアは流したのではなく、その言葉に対して何か返すと言うのが少し照れ臭いだけだった。
とはいえ、こう言われては何か言葉にして返さなければアルが不憫なので立ち止まってから少し振り返ってこう言った。
「アル、期待してる」
「少し、信じさせていただきますわ」
それだけを言って、前を向いて歩く。込められた意味は、アルならば信用しても良いかもしれないというものだ。
見ていないからわからないが、きっとぽかんと間の抜けた表情でも浮かべているのではないだろうか。人を信用しないと言われて、自分もそう簡単に信用してもらえないと思っていたところに、俺とアナスタシアの二人から好意的な言葉が返ってきたのだから。
そんなアルを放っておいてアナスタシアとすたすたと歩を進めるのだがその途中でアナスタシアが口を開いた。
「実はわたくし、アッシュさんのことを信用する気は微塵もありませんでしたわ」
「そうか、奇遇だな。俺もアナスタシアのことは信用出来ないと思ってた」
「ですが……どうにもわたくしたちは似通った点が多くありそうですわね」
「みたいだな。考え方も、羨んでしまう物も」
「ええ、本当に似通っていますわ」
俺が思っていたことをアナスタシアも感じていたらしい。確かに、同じような考え方や感じ方をするような人間であればそれも納得か。
「だから、というわけではありませんが……少し、信用させていただいてもよろしくて?」
「それはアナスタシアの好きにしろ。代わりに俺も少しくらいは信用させてもらうからな」
「あら、そう言われてしまえばわたくしも信用せざるを得ませんわ」
くすくすと小さく楽しそうに笑んでからアナスタシアはそんなことを言った。どうやらお互いに警戒し合って依頼に臨むことになるかと思っていたが、この様子ならそうはなりそうもない。どちらかと言えば和気藹々、とまではいかなくても友好的な雰囲気で依頼に臨めそうだ。
アナスタシアも同じことを考えている、かどうかまでは判断が出来ない。それでも楽しそうにしている姿を見ればたぶん同じだろうと思ってしまう。
何にしろ、依頼の達成率が少しは上がったような物なので非常に素晴らしいと思っていこう。
「二人とも!今の言葉は……!」
そんな時に、先ほどの俺とアナスタシアの言葉の意味を理解したアルが後ろから駆け寄ってきた。
「そういうことで、良いだよね!?」
「そういうことって言われても、どういうことなのかわからないな」
「そうですわね。わたくしたちには、さっぱりわかりませんわ」
「だから、その……僕のことを少しくらいは信用しても良いかもしれないって思ってくれたんだよね?」
やはりというか、俺とアナスタシアの真意を汲んでいたようだった。ただそれをわざわざ口にするのは少し無粋というものだ。だからこそ俺はその言葉には答えずに、小さく笑んでから気にせずに歩き続けた。
少しだけ見たアナスタシアは立てた人差し指を口元に持って行くと、静かに、の動作をした。いや、この場合は秘密。という意味の方が合っているのかもしれない。そして、優美に笑んで見せるのだからそれ以上の追及は出来ないだろう。
そんな俺とアナスタシアの様子から、わざわざ口にするつもりはなく、かと言って否定はしないのだとわかってアルは嬉しそうに笑みを零していた。
他の人たちからは何てことはないやりとりをしているように見えていると思う。それでも俺たちにとってはほんの僅かな時間でお互いの距離が少し縮んだことになり、俺とアナスタシアのことを思えば随分と大きな一歩を踏み出したようなものだ。
だからこそ、もしアナスタシアが必要だというのであれば少しくらいは手を貸しても良いかもしれない。と思えるようになっていた。
まぁ、それをわざわざ口にする必要も、口にする気もないのでアナスタシアが頼ってきたら。ということにしておこう。
それに今はちゃんとこの二人を盗賊団の討伐依頼に潜り込ませないといけない。そう難しいことではないが、警戒心の強い相手であればまず疑われてしまうのでそれをどうにかするのが俺の仕事だ。




