78.見送り
日が昇るよりも少し前。俺とシャロはストレンジへとやって来ていた。先日、約束したように一度ハロルドにシャロを任せるためだ。
自分でも早い時間に来ているとは思うがこの後すぐに北門に向かうので時間に関しては仕方がない。それにこう言っては何だが、ハロルドは確実に起きている。という妙な信頼があった。
事実としてハロルドは普段と変わりのない様子でカウンターの中に立っていて、俺とシャロを見るとやはり普段と同じように言葉をかけてきた。
「あら、おはよう。二人ともちゃんと起きられたみたいで良かったわ」
「おはよう、ハロルド。俺はそれくらい出来るに決まってるだろ」
「俺は、って言い方をするのね……シャロも、ちゃんと自分で起きられたかしら?」
俺の言い方からどういうことなのか察しているはずのハロルドは、それでもシャロに直接確認を取り始めた。
するとシャロは気まずそうに、というか恥ずかしそう俯いてから口を開いた。
「え、えっと……実は、その……朝に起きられなくて、主様が朝食の準備とか済ませて、起きるようにって声をかけてくれました……ふ、普段はちゃんと自分で起きるようにしていますよ!?でも、今日はいつもより早い時間だったので、それで……」
語気が強くなった時点では一度顔を上げたのだが、その語はまたごにょごにょと弁明というか言い訳をするシャロをハロルドは生暖かい目で見ていた。シャロのそうした様子を見たかったからわざわざ口にしたのだと思うが、何をやっているんだ。と思ってしまった俺は悪くない。
ただこうしてハロルドがシャロをからかって遊んでいる状況で俺もそれに参加するとまた拗ねてしまうので、それは出来ない。
なので今回はシャロのフォローに回るのが正しいだろう。
「ハロルド、あんまりシャロをからかうなよ。シャロだっていつもより早い時間だったってのもあるし、今日から俺が王都を離れるってことで不安になってるっていうか、心配してくれてるんだ」
「……それもそうよね。シャロはアッシュに会ってからずっと一緒に居たから、それは不安にもなるし、アッシュのことが心配にもなるわよね……」
「あ、あの……そこまで深刻そうにしなくても……確かに不安に思うこともありますし、主様のことが心配です。でも、私は桜花さんが傍に居てくれるという話になっていますし、主様も生き延びることに関しては自信があるとのことです。ですから、私は主様を信じて帰りを待ちます」
不安な気持ちは傍に誰かが居てくれるから大丈夫。俺のことは心配だが、俺のことを信じて帰りを待つ。
そう言ったシャロは無理をしている様子はなく、本当に言葉通りのようだった。こんな小さな子供がこうもしっかりとしているのを見ると、外面だけは平然としていて内心であれこれと考え続けている自分が少しばかり情けなくなってしまう。
それにシャロは俺を信じているというのに、俺はシャロのことがどうしても心配で、大丈夫だと言われてもそれを信じることが出来ていなかった。これは相手を心配しているから、ということもあるのだがそれ以上にシャロのことを信用していない。ということでもあるのではないだろうか。
であれば、ここはシャロを見習ってシャロのことを信じてみよう。
「なら俺もシャロを信じて依頼に行ってくるよ。あ、でもちょっとお願いがあるんだけど良いか?」
信じるのは良い。だが少しの間離れると言うことでシャロが寂しいのではないかと思ってしまう。たぶん、そうだとしても桜花が甘やかすので大丈夫だとは思うのだが、それでもこれは言っておこう。
「はい!頑張って来てくださいね!それで、お願いというのは?」
「いや、無事戻ってきたらとりあえず甘やかしたい」
「え?」
「シャロを思いっきり甘やかしたい。まぁ、単純に俺がそうしたいってだけだから嫌なら断ってくれて良いぞ」
「わ、私としてはそういうのも吝かではありませんけど……べ、別に私が主様に甘やかされたいとか、そういうことではありませんからね?主様のお願いだから、であって実は主様に甘やかされるというか甘えたいと持っていたわけでは……」
必要のない言い訳をごにょごにょと続けるシャロの言葉を聞く限り、シャロとしても甘えたいと思っていたようだった。ということは甘やかしたい俺と甘えたいシャロの目的が合致したことになる。
これならば戻って来てから思いっきりシャロを甘やかせそうだ。そう考えながら未だにごにょごにょと続けながら、頬を緩ませているシャロの頭を軽く撫でてから口を開く。
「わかったわかった。俺が甘やかしたいからであってシャロが俺に甘えたいわけじゃないんだよな?それなら俺のお願いを聞き入れてもらうんだ、そのうち何かお返しくらいはしないといけないかもしれないな」
たぶんそういったことは必要ないのだが、こう言っておけばお返しとしてまたシャロを甘やかすことが出来ると思う。それと、お返しということならばとシャロから甘えてきてくれれば嬉しいという考えもある。
何らかの理由がなければシャロは甘えようとしない。いや、甘えたいとは思うのだが自制しなければ。と考えているようで甘えて来ない。
だからこそ甘えることが出来る理由にでもなれば、と思っての提案だ。
「そ、そうでしょうか?それでしたら、えっと……機会があれば、何か考えますね」
「あぁ、そうしてくれ。俺に出来ることなら節度を守ってくれれば極力させてもらうから」
「はい、わかりました!」
俺がどういう意図で提案したのかはわからないが、それでもこうして返事をしたということは何かしらのお返しをしてもらう。というのには賛成ということになる。
シャロの性格を考えると無理なことは言わず、本当に些細なことをお願いしてくる。というのが考えられる。その些細なことが甘えてくれるようなことであれば良いのだが。
そんなことを考えているとハロルドが俺とシャロを微笑ましい物を見るような目で見ていた。どうにもハロルドと白亜、それと桜花はこうして俺とシャロの様子を見守るというか、眺めるのが好きらしい。
俺としては特にそうして眺めていて楽しいようなことはしているつもりはない。勿論、シャロもそういうつもりはないはずだ。
それなのに、どうしてあの三人はそうするだけなのに微笑ましそうだったり楽しそうだったりするのだろうか。
まぁ、そんな考えるだけ答えの出ないことを考えるよりも、これからのことを考えた方が良いのかもしれない。
「さて、それじゃそろそろ俺は北門に向かうかな」
「あら、まだ早いんじゃないかしら?」
「こういうのは少し早めに行っておいた方が良いんだよ。特に複数のパーティーが集まるなら、どういう奴が参加するのか見ておきたいだろ?」
「あぁ、確かにそれもそうね……それなら、ちゃんとシャロに行ってきますを言わないとダメよ?」
「はいはい。シャロ、これから行ってくるけど……桜花に迷惑をかけるなよ、とか言わないから思いっきり迷惑かけて来い。シャロがそうやって迷惑をかけても桜花は絶対に喜ぶから」
「えぇ……普通は迷惑をかけられても喜びませんよ……」
「あー……桜花ならアッシュとシャロに迷惑をかけられたり頼られたり甘えられたら確実に喜ぶわね……あの子はあの子で、好きになった相手には全力奉仕、って性格だから……」
俺の言葉にシャロは困惑しているが、桜花の性格を知っている俺とハロルドにとっては絶対に喜ぶと言いきれてしまう。ハロルドの言うように桜花は好きになった相手には自分の出来ることを全力で奉仕する性格をしている。
白亜に対しては普段の様子を考えればそうは見えないが、俺があの二人と知り合うよりも前からずっと一緒にいるらしいので見えないところで桜花は白亜を支え、手助けをし、遺憾なく奉仕精神を発揮してきたのだろう。
「……確かに、桜花さんはそういう方のような気がしてきました」
「そういう子なのよ。だからシャロは思いっきり甘えて、世話になって、たまに迷惑をかけるくらいでちょうど良いと思うわ」
「そ、それで大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だろ。試しに桜花にご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。とか言ってみろよ。どんどん迷惑をかけて来てください。とかその辺を言うんじゃないか?」
「桜花なら言うわねぇ」
俺とハロルドの二人が言うのだからそうなのだろう。とシャロも納得したようだ。
「なるほど……でしたら後で宵隠しの狐に行ったら桜花さんにそう言ってみます。本当に主様の言うような言葉が返ってきたら笑ってしまいそうですけどね」
ふわりと笑みを零しながらシャロがそう言うのを見て、この様子なら本当にシャロから離れても大丈夫そうだと思った。だから、後はハロルドや白亜、桜花に任せて俺はさっさと依頼を片付けに行こう。
「よし、どうにも大丈夫そうだから俺は行ってくる。後はよろしく頼むぞ、ハロルド」
「ええ、任せて頂戴!気を付けて行ってくるのよ」
「主様、桜花さんに料理を習ったりしながら帰って来るのをお待ちしてますね」
「あぁ、帰ったら夕食をシャロ一人で作ってもらうつもりだから楽しみにしてるぞ」
「そ、それは、その……が、頑張りますっ!」
王都に来てから未だにシャロは一人で料理をしたことがない。まぁ、俺が隣で一緒に料理をするのが楽しいから、という理由もあるのだが大きな理由としては思っていたよりもシャロは料理が苦手だから。というものだ。
本人としてもそれを理解しているので日々料理の練習をしているが、一朝一夕で上手くなるようなものではない。勿論、桜花に教えてもらっても同じだ。
とはいえ、こういう軽口くらいは叩いても良いだろう。出かけていくのにはこれくらい軽いやり取りをしてからの方が気が楽だ。
「期待してるからな。それじゃ、一仕事してくるか」
「いってらっしゃい。無理はしないようにね」
「えっと……ご武運を。とかで良いのでしょうか?」
「ちょっと硬いな。もっと気楽に言ってくれ」
「それなら……ちゃんと戻って来てくださいね、主様」
「勿論、無事に帰って来るさ」
言ってから席を立ち、ストレンジから出て行く。その時に少しだけ振り返ってから手を振ればシャロとハロルドがそれに返してくれた。
そんな二人に小さく笑みを零してからストレンジの外へと出た。少しずつ登り始めた太陽は朝の訪れを知らせてくれる。ただ北門に集合するまではまだ時間がある。
最終的な確認をしながらのんびりと向かえば、ある程度は参加する冒険者が揃っているはずだ。だからあれやこれやと玩具箱の中を確認してしまおう。




