75.妥当な依頼、事情は伏せて
何とかシャロの機嫌が少し良くなったタイミングで丁度ハロルドとアナスタシアの話も終わったようだった。何かを納得した様子のハロルドと、昼間は優雅な様子さえ見せていたのに何処か疲れた様子のアナスタシアという状態になっていた。
とりあえずは依頼の話やどうして俺のことを知っていたのか。その辺りに関してはハロルドの様子を見る限りでは問題はない。と判断しても良さそうだった。
そんな二人が俺とシャロの近くまでやって来て、ハロルドはシャロの前に。アナスタシアは俺の隣の椅子へと腰かけた。
「アッシュ、アナスタシアが話をしたいそうよ」
「えぇ……少しばかりアッシュさんと話がしたいと思っていますわ。その……ハロルドさんとの話で少しばかり疲れてしまったというのは予想外ではありましたけれど……」
「仕方ないだろ。ここでハロルドに話を通すよりも先に俺に直接依頼を持って来たんだからな」
「次からは気を付けますわ……」
「まだ今回の依頼の話をしてないのに次もあるのか……」
そんなことを言ってからアナスタシアは姿勢を正して俺とシャロへと向き直った。
「それでは改めまして……こんばんわ、アッシュさん、シャロさん」
「あぁ、こんばんわ。アナスタシア」
「はい、こんばんわ、です。アナスタシアさん」
礼儀正しく挨拶をされたので一応それに応えておく。こういう挨拶も依頼人との会話を円滑に進めるための手段となることがある。まぁ、挨拶をするよりも要件と開示する情報を口にして、依頼を受けるか否か早々に決めて欲しいという依頼人も時折現れるのだが。
ただアナスタシアはそういう依頼人ではなく、対話を求めるようだったので険悪な雰囲気にならないように。ということだけは念頭に置いて話をしたいと思う。
とはいえ、ハロルドが問題なしと判断した相手であれば険悪な雰囲気になる。ということも少ないのではないだろうか。とも思ってしまう。
「ハロルド」
「ええ、シャロに話し相手になってもらうわ。アッシュはちゃんとアナスタシアと話をするのよ?」
「当然だな。シャロ、ハロルドの相手は頼んだぞ」
「主様はハロルドさんの言い方に乗らなくて良いと思います!それとハロルドさんはハロルドさんで、主様ならこう言っていそうだな。という予想をして言わなくて良いですから!」
「あら、アッシュは言ってなかったの?」
「言っていましたけど!」
せっかく機嫌が少しは良くなったのに、ハロルドがからかったせいでまた機嫌が悪くなってしまった。いや、機嫌が悪くなったというか単純にまた拗ねてしまったと言うべきだろうか。
まぁ、こうなってしまっては仕方がない。ハロルドに押し付けてしまおう。
「シャロ、とりあえずハロルドはまだからかおうとしてるから、怒って良いぞ」
「ハロルドさんだけじゃなくて、主様も後でお話がありますからね!」
拗ねていると思ったが、これは普通にお怒りのようだ。ぷんぷんと擬音が聞こえてきそうな可愛らしい怒り方ではあるが、怒っていることに代わりはない。
とりあえずシャロにはハロルドを生贄として捧げておいて、怒りが収まるようであれば良し。収まることなく、俺まで怒られるならばそれはそれで仕方ないので甘んじてお説教なり受けよう。
まぁ、拗ねたり機嫌が少し悪くなったシャロは見たことがあるが、こうして怒っている姿はあまり見ないのでそれを近くで見てみたいような気もする。というのがそうして甘んじて受けるつもりになっている理由なのでシャロには言えない。
「わかったわかった。それじゃ、後は頼んだぞ」
「ええ、任せて頂戴」
そう言ってからハロルドはいつものように指先でカウンターを叩き、シャロと向き合って話を始めた。わかりきっていたことだがハロルドはシャロに怒られている。
そんな二人から視線を外してアナスタシアに一応の説明をすることにした。
「ストレンジには変わった魔法陣が敷かれてるんだ。今それが起動したんだけど、そのおかげで盗み聞きはされない。依頼人としては嬉しいだろ?」
「な、なるほど……魔法陣を起動する様子は一切ありませんでしたが、アッシュさんの言葉が事実であれば見事な物ですわね……」
「あぁ、それのおかげでこうして話が出来るから助かるな。それで、早速で悪いけど話をしようか」
別にアルのように一応の友人というわけでもなく、あくまでも依頼人でしかないアナスタシアと世間話を一つ挟んでから。という気にはなれない。
だからこそこうしてさっさと話をしようと切り出した。アナスタシアとしても同じように思っていたのか、それに異を唱えることなく一つ頷いてから口を開いた。
「ええ、わかりましたわ。とりあえず依頼の内容ですが……冒険者ギルドからの盗賊団の討伐依頼。これにわたくしを参加させることは可能でして?」
「それだけなら可能だな。どうしてその依頼に参加したいのか、理由を聞いても?」
「少しばかり個人的な事情ですので、伏せさせていただきますわ」
「ハロルドには話したか?」
理由については話そうとしないが、先ほどハロルドと話をしていたのであればハロルドが知っているかもしれない。そう思って聞いてみると、困ったような、疲れたような表情を浮かべた。
ハロルドとの会話は、アナスタシアに思いのほか負担がかかったというか、ハロルドが負担をかけたというか。とにかくハロルド相手にはアナスタシアの優美さも優雅さも無遠慮に剥ぎ取られてしまったらしい。
俺としてはアナスタシアが優美であろうとそうでなかろうと気にしないし興味もあまりないのでそのことについては何も言わない。
「はい……仲介人ということもあって、ある程度の事情を理解していなければならないということと、ハロルドさん自身が信用出来ない相手からの依頼を仲介出来ない。それにストレンジでも優秀な請負人をそういった依頼に就けたくはない。ということでしたので、多少は……」
「なるほどな……それでハロルドは納得したと」
「そう、なりますわね……わたくしとしてはあまり話したくはありませんでしたわ……」
「へぇ……何にしろ、ハロルドが納得したなら俺が依頼を受けても問題なさそうだな」
「……そういう判断は、他人任せにするべきではないと思いますわ」
「ハロルドのことは信用してるんでな。それで、盗賊団の討伐依頼に潜り込ませるだけで良いんだな?」
ハロルドであれば判断を誤ることはない。そう思っているので、ハロルドが大丈夫だと判断したならば俺が話を聞いたとしても同じような判断になるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、時折俺たちの様子を窺っていたハロルドが驚いたような表情を浮かべ、それから嬉しそうな笑みを浮かべていたので読唇術で話の内容を理解したようだ。
聞かれて困るようなことではないが、少しばかり気恥ずかしい気もする。ただ、それを表情に出してしまうとハロルドの笑みがニヤニヤとしたものに変わりそうだったので表情には出さないようにする。
「はい。その依頼に潜り込むことさえ出来れば後はわたくし一人でどうとでも出来ますもの。依頼料としては……口止め料を含めて百万オース。悪くない条件だと思いますわ」
「口止め料を含めて、か。依頼に潜り込んだ時点で俺は関与しない。ってことで良いんだよな?」
「構いませんわ。ただ……場合によっては一緒に行動をしていただければ助かりますわね。ああいう依頼は基本的には幾つものパーティーが集まりますから……」
「他人から怪しまれないように、か。それくらいなら追加料金はなしでやって良いかもな」
「……追加料金を取ろうとする辺り、こういう依頼には慣れていそうですわね……いえ、頼もしくはありますけれど……」
パーティーを組んでいるように見せる程度であれば追加料金を要求しない方が良いだろう。もっと面倒なことであれば遠慮なく要求したとは思う。
ただ二人だけのパーティーというのはアナスタシアの容姿のこともあって考えなしの冒険者に絡まれてしまいそうなので、当日一緒に行動することになっているアルを含めて三人のパーティーということで通してしまおう。
まぁ、容姿の整った二人がパーティーを組んでいる。となれば気後れして話しかけてこない。ということになってくれれば俺としては大変助かるのでそれに期待してみようか。
「あぁ、そうだ。そのパーティー擬きを作るのに丁度良い相手がいるんだ。そいつがいれば三人ってことでそれらしくはなりそうだと思わないか?」
「二人よりは良いと思いますわね。あぁ、盗賊団の討伐は三日後に出立となっていましたわ。その時に顔合わせをするよりも、事前に顔合わせがしたいのですが……」
「それもそうだな。それなら前日の夜にでも顔合わせが出来るようにしておこうか」
「わかりましたわ。では、そういうことでひとまず話は終わりといたしましょう」
「わかった」
ひとまずの話し合いは終わりとなった。ならば次は出立の前夜にアルにはストレンジに来てもらわなければならない。俺が連絡をする、ということは出来ないのでハロルドに連絡をしてもらわなければならない。
いきなり二日後の夜にストレンジに来るように。というのは厳しいかもしれないが、アルにはどうにかして顔を出してもらわなければならない。いや、最悪は当日に顔合わせをするというのでも良いのだが。とりあえずは二日後の夜にどうなるか、だ。
そう考えながらハロルドの視界の隅に映るように手を伸ばして指先でカウンターを叩く。するとハロルドも自然な動作で軽く指先でカウンターを叩いた。
「シャロ、ごめんなさいね。話はまた今度にしてくれるかしら?」
「え?あ、もしかして……」
「悪いな。話が終わったんだ」
どうにもまだハロルドはシャロに怒られているようだったが、こちらの話が終わった以上はそれを中断してもらわなければならない。
アナスタシアは魔法陣が停止したことを何となく察したようで、周囲を見渡していた。何か変わったことはないか、果たして本当に魔法陣があったのか。その辺りが気になっているのだろう。
そんなアナスタシアを尻目にハロルドにアルへの連絡を頼むことにした。
「ハロルド、盗賊団の討伐は三日後に出立しないといけないらしい」
「三日後……随分と急な話ね……」
「本当にな。何か事情があるんだろうけど……それで、アルを二日後の夜にストレンジに呼んで欲しいんだ。アナスタシアと顔合わせをしてもらおうと思ってな」
「二日後の夜ね、わかったわ。ただ、あの子も忙しいはずだから来ることが出来るか、それはわからないわよ?」
「わかってる。最悪、当日に顔合わせをするつもりだから、それでも良いんだよ」
そこまで言ったところで一つ思い至ることがあった。
「三日後はここで一旦合流したいんだけど、場所を使わせてもらっても良いか?」
「それくらいは構わないわよ。あぁ、それと一緒にシャロも預かりましょうか?」
「頼めるか?白亜と桜花に頼んであるから、連れて行ってくれると助かる」
「ええ、任せて頂戴!」
ハロルドから了承を得た。そして話を横で聞いていたアナスタシアも自身がどう動けば良いのか理解したようで一人で一つ二つと頷いていた。
これならば改まって話をする必要もないだろう。ならば俺が話をする必要があるのはシャロだ。
「シャロ、三日後は朝にストレンジに来て、それから宵隠しの狐にハロルドと一緒に向かうことになる。大丈夫か?」
「わかりました。えっと、白亜さんと桜花さんにお世話になって、夜には家に戻れば良いのですよね?」
「まぁ、そうなるとは思うんだけど……」
俺としてはシャロに一人で夜を明かす。というのは避けてもらいたいと思っている。
それに白亜と桜花であれば、俺のそうした考えを察して宵隠しの狐というか、二人の住んでいる住居で俺が戻ってくるまで生活するように、と言いそうな気がする。俺の願望が多分に含まれた予想でしかないのだが。
頼み事ばかりになってしまうが、その辺りのこともちゃんと言葉にして二人に頼んだ方が良いのかもしれない。
「とりあえず、その辺りのことはまた宵隠しの狐に行ってから話をすることにしよう」
そう結論付けて、また細々した話をハロルドを含めてアナスタシアとしなければならない。
だがシャロが聞いているとしてもアナスタシアが気にした様子もないので魔法陣の起動は必要ない程度の話になりそうだった。




