72.クレイマン
シャロが満足するまで頭を撫でる、となるとどうしても時間がかかり、ハロルドを待たせる形になってしまうのでそれなりに撫でたところで一度手を止めた。
止めたのだが、それとほぼ同時にハロルドが口を開いた。
「あ、私のことは気にしないで良いわよ。こういう時はお互いに満足するまで、っていうのが理想的じゃないかしら?」
「ハロルドはそれで良いのか……シャロ、どうする?」
「えっと……もう少しで良いので、撫でていただけると嬉しいです」
「わかった。ハロルド、悪いけどもう少し待っててくれ」
「ええ、少しと言わずに何時までも待つわ!」
何やらハロルドの様子がおかしいが、待ってくれるらしいのでもう少しシャロの頭を撫でることにしよう。
シャロは帽子を胸に抱いて嬉しそうにしていて、もう少しで良いと言いながらも、もう少しでは終われそうにない。まぁ、俺は俺でシャロが甘えてくるのは嬉しいので構わない。
ただ先ほどからずっとハロルドに見られているのでそれだけが気掛かりだった。
「はぁ……良いわぁ……」
そしてそんな言葉を漏らすのだから余計に気になってしまう。何が良いのだろうか。
「主様、手が止まってますよ」
「ん、あぁ……悪い」
ハロルドのことが気になってしまって撫でる手が止まっていた。それをシャロに指摘されてから再度撫でるために手を動かす。
シャロは嬉しそうにしているし、俺はシャロに甘えてもらえて更にシャロの髪の手触りを楽しむことが出来るのでハロルドのことは気になるが、とりあえずは気にしないことにした。
そうして暫くシャロと他愛のない会話をしながら頭を撫で、お互いにそろそろ良いかな。と思ったタイミングが偶然重なり、何となくお互いにそれを察したのでシャロの頭から手を放して本命の続きをするためにハロルドに向き直った。
同じようにシャロも帽子を被り直してからハロルドの方を向いたのだが何故かハロルドは顔の前で合掌した状態でピクリとも動かなくなっていた。
謎の行動にシャロと二人で戸惑いながらも、顔を見合わせてから俺がハロルドに声をかけることにした。
「あー……は、ハロルド?どうかしたのか?」
「…………い……」
「えっと……ハロルドさん?」
「おい、ハロルド?」
「尊い……!」
「……は?」
「今までアッシュのことを見守ってきた身としては、アッシュの変化とシャロとのやり取りがもう尊くて……!もう胸がいっぱいだわ!」
何やらハロルドは意味の分からないことを口にしていた。尊いとか言われて、俺もシャロも疑問符を浮かべて戸惑うしかなかった。
ハロルドはハロルドでそれだけ言ってまた合掌した状態のまま動かなくなり、どうしたものかと思いながらとりあえずシャロと二人でハロルドがまともに動き始めるまで待つことにした。
待つことにしたのだが、思っていたよりもすぐにハロルドが合掌した状態をやめ、満足そうな満ち足りた表情で俺たちを見てから口を開いた。
「ふぅ……良い物を見せてもらったわ。それと同時にほぼ毎日こんな二人を見てる白亜と桜花が羨ましくて仕方がないわね」
「お前……大丈夫か?」
「アッシュ、大丈夫か、の前に頭って内心で付けてることくらいわかるわよ?勿論大丈夫に決まってるわ」
「でも、ハロルドさん……こう言うのも何ですけど、様子がおかしかったですよ?」
「んー……シャロに言われるとちょっと辛いわね……」
「純粋な子供からの言葉ってたまに刺さるよな」
「そうね……まぁ、何にせよ私は大丈夫。良い物が見れて、満足したもの!あ、そろそろ話の続きをしないといけなかったわね」
俺とシャロが本当に大丈夫なのかとハロルドを見ていると、流石にいたたまれなくなったのか不自然に思えるほど急に本題の続きをしようと言い始めた。
とはいえ俺としてもそのつもりだったので、これ以上話が逸れる前にそれを終わらせたい。
「そうしてくれ。とりあえず形見の品についてはわかった。それで、当然盗んだ相手のことも調べたんだよな?」
「ええ、勿論よ。それで、フランチェスカ家に忍び込んだのはどうにもクレイマンみたいなのよね……」
「クレイマン?あいつ、王都に戻って来てたのか?」
「王都に、というよりも……とある盗賊団の頭領になってるらしいのよ……」
「盗賊団の頭領って、まさか……」
非常に嫌な予感がする。最近どうにも盗賊団の話ばかりを周りで聞いている。それに重なるようにクレイマンが盗賊団の頭領になっていると言われれば、誰でも思い至るようなことが頭に浮かんだからだ。
どうか俺の予想が外れていますようにと柄にもなく神頼みをしそうになりながらハロルドの言葉を待つ。
「そのまさかよ……ギルドで討伐の依頼が出てる盗賊団の頭領がクレイマンなのよ……」
「マジかよ……!」
クレイマンが盗賊団の頭領で、フランチェスカ家から色々と盗み出した張本人だというなら今回の依頼はどちらも非常に難しくなる。Bランクの依頼、として出しているがそんなものじゃない。
俺とハロルドが苦々しげにしているとクレイマンのことを知らないシャロが疑問符を浮かべていた。
「あの、そのクレイマンという方は、どういう方なのですか?」
「クレイマンについて私が知ってることは、昔アッシュと一緒に仕事をしていたグループの一人ってことと、とんでもなく強いってくらいのものよ。面識もないし、王都から離れた場所で活動していたらしくて思うように情報が集まらなかったのよね……」
「クレイマンについては仕方ないだろ。というか、あの頃のグループ、アルヴァロトのことを調べようとしても厳しいと思うぞ。どいつもこいつも一癖も二癖もあるような変わり者ばっかりで、スラム街で生きる厳しさを知ってるせいで警戒心も強かったからな。色々と自分に関することは人に知られないようにしてたんだ」
「私がアッシュについて知ったのはそのアルヴァロト?が解散してからのことだったから、そのアルヴァロトについてはほとんど知らないのよね……あの頃は色々とやってたみたいだから、名前と面倒な相手ってことくらいはわかってるわ」
本来スラム街から抜け出せるような人間は少ない。子供の頃からスラム街にいるようであればそのまま野垂れ死ぬか成長してもスラム街で生きることは変わらず、犯罪を繰り返してその日暮らしの生活をするしかない。誰か他人の手によって抜け出すということはそれなりにあるのだが。
そんな状態であったにも関わらず、俺と、昔に一緒に仕事をすることがあったアルヴァロトのメンバーたちは全員がスラム街から抜け出すことが出来ている。これは非常に珍しいことだ。
まぁ、抜け出したからといってまともな生活をしているわけではないのだが。結局は犯罪を繰り返していたり、俺のようにまっとうな仕事と後ろ暗い仕事をしながら生きていたり、もっとろくでもない場合もある。とはいえアルヴァロトのメンバーはそう酷いことはしていない、と思いたい。
「とにかく、クレイマンが敵になるならBランクの冒険者には荷が重すぎる。とはいえ、ギルドにそれを言ったとしてクレイマンのことをほとんど知らないだろうからなぁ……」
「言ったところでどうしようもないわね……アッシュはアルの依頼を受けるから参加することになるでしょうけど、充分に気を付けるのよ?」
「わかってる。わかってるけど……クレイマンか……」
「主様はそのクレイマンという方にあまり良い感情を抱いていないのですか?その、随分と苦々しい表情をしていますけど……」
「いや、その……」
シャロに指摘されるほど苦々しい表情を浮かべていたのかと思ったが、クレイマンとは関係が関係なのでそういう表情を浮かべてしまうかと一人で納得してしまった。
「私としては厄介な相手だから、ってくらいかと思ったけど……もしかして、それ以外にも理由があるのかしら?」
「……一応な」
「それは、私たちが聞いても大丈夫なことですか?」
「大丈夫なのは大丈夫だけど……いや、まぁ……泥水を啜って飢えを凌いでたあいつを拾ったのが俺ってだけだからなぁ……」
汚いことに手を染めてはいたが、それでも幼い子供が飢えを凌ぐために泥水を啜っている姿というのは見るに耐えない物だった。まぁ、俺自身がそういうことをしていたので、余計にその辛さがわかったから。ということもあるのだが。
「汚いこともやってたけど、流石に俺よりも幼い子供がそんなことをしてるってのが見るに耐えなくてな。隠れ家に連れ帰って、泥水よりはまともな食料と飲み物を与えて、最低限の生きるための術を教えて、その後にアルヴァロトが出来たんだ。で、それが解散するまで行動を共にしていた。その程度の関係だな」
「その程度って……どう考えてもアッシュが命の恩人よね!?」
「いや、最初に拾ったのは俺の都合、生きる術を教えたのも俺の都合、アルヴァロトで行動を共にしたのはお互いに生き残るため。ってなると、別に命の恩人ってわけでもないだろ」
「主様がそう思っていても、そのクレイマンという方は主様のことを命の恩人だと思っているかもしれませんよ。スラム街のことに詳しいわけではありませんが、幼い子供が生きていけるような環境ではないはずですからね」
「どうなんだろうな……いや、そんなことは良いんだ。とりあえず、そういう関係だからどうにもな……」
俺がどういう戦い方をするのか知っていて、不意打ちや騙し討ちが通用しない。となるとどうにもやりずらい。まぁ、いくらでもやりようはあるので戦うこと自体は可能だ。
「それは……そうね、やり辛いでしょうね……」
「はい……主様にとっては教え子のような方ですからね……」
「あぁ、悪いな。二人が思ってるようなやり辛さは別に感じてないぞ」
「え?」
「え?」
二人としてはそういう関係だから戦い辛いのだろう。と思っているようだったがそういうことではない。
本当に、単純に戦い方を知られているせいで面倒だ。という感想を抱いているだけに過ぎない。
勿論、ハロルドの言うように純粋に強い相手とは戦いたくない。ということもあるのだが。
「俺たちは仕事で敵対したなら戦う。仕事で協力する必要があるなら協力する。それで、仕事が終われば普段通りに戻る。そういう感じだったからなぁ……」
「何て言うか……スラム街の住人って随分とさっぱりとしてるのね……」
「いや、アルヴァロトに限っての話だ。普通は仕事で敵対したなら仕事以外でも殺し合って、仕事で協力する必要があるなら最後の最後で殺して報酬を独り占め。ってくらいのことをするのがスラム街の住人だぞ」
「そ、それはそれでどうかと思いますよ……」
「殺伐とし過ぎよ、それ……」
二人は俺の話を聞いて引いている様子だったが、スラム街の住人というのは大抵そういうものだ。
殺伐としていて、退廃的で排他的。自分が生き残るためには他の全てを利用する。そういう人間ばかりだった。
その中で出会い、気が付けば儚く脆い理想郷という大仰な名前のグループが出来て、あれはあれでかけがえのない出会いだったのかもしれない。
そんなことを思いながら、その中の一人と戦わなければならない可能性を考慮すると非常に気が重かった。




