69.秘密の多い女
アナスタシアを連れて訪れたピースフルはやはりというべきか、特に込んだ様子もなくすんなりと座ることが出来た。それから相変わらずフィフィがふらりふらりと歩きながら注文を取ったり料理を運んだり、時折他の従業員に何か声をかけたりしていた。
「ここは……特に繁盛しているという風には見えませんわね……」
「何だ、不服か?」
「あぁ、いえ……そういうことではありませんわ」
「ピースフルは良いところですよ?」
「隠れた名店ってやつなのかもしれないな」
「隠れた名店……そう言われると、期待してしまいますわね……」
俺としてはピースフルは名店と呼んでも差し支えがないと思っている。だがアナスタシアの言うように繁盛していると思えるほどの客がいるわけではない。だからこそ隠れた、という枕詞をつけている。
そして、俺がそう表現したのでアナスタシアとしてもどれほどの物なのかとつい期待してしまったようだった。まぁ、甘い物が好きなのであれば満足するだろう。
「お勧めはパンケーキ、って言うべきか?」
「苺のタルトも美味しいですよ!」
「それはシャロの大好物の苺を使ってるから、だろ?」
「はい!苺がたっぷり使われていて、食べているとすごく幸せな気分になれます!」
実際にシャロが苺のタルトを食べている時は非常に幸せそうで、個人的には非常に眼福である。見事に絆された物だと思うが、俺にとって悪いことではないので気にしない。
だが魔力変換を使ってまで苺のタルトを食べようとするのは流石に止めている。魔力変換はほんの少しでも魔力を回復したい場合に使うものであって、思う存分何かを食べたいから使う物ではない。
シャロもそのことがわかっているのに、美味しい物を前にするとどうも歯止めが効かないというか、つい魔力変換に頼って食べ過ぎてしまうというか。その辺りのことは矯正した方が良いのではないか、と思い始めている。
「……アッシュさんもシャロさんも、随分と楽しそうですわね。仲良きことは美しきかな、と申しますが……」
「まぁ……それなりのことがあったからな」
「それなり、とは随分とぼかしましたわねぇ……」
「親しい間柄ってわけでもない相手にわざわざ話すと思うか?」
「それもそうですわね」
棘のある会話をしているようで、特にギスギスしたようなものは感じない会話が成立している。どうにもアナスタシアはこうした皮肉というか嫌味な言い方をする会話に慣れているように感じた。
それが貴族間で行われるものよりも直接的で拒絶の色が込められていることがわかりやすい物であってもだ。どうにも貴族の出身とはまた違うような気がしてくる。
わざわざ冒険者登録なんて物をしているとなれば、貴族である可能性は低いのだから当然といえば当然か。まぁ、王都の人間ではなく帝都の人間である可能性の方が高いような気がするので、王都と帝都では貴族の在り方というか、違いがある。ということもあり得るのだが。
「それで、何を話そうっていうんだろうな」
「それは注文を済ませてからにしませんこと?」
「それもそうだな。俺は……サンドイッチと紅茶で良いか。シャロはどうする?パンケーキか?苺のタルトか?」
「私は苺のタルトを頼もうかと思います。パンケーキも美味しいですよ?でも……やっぱり苺をたっぷり使っているタルトの方が好きなので。あ、私も紅茶を頼みます」
「だと思った。アナスタシアは?」
「そう、ですわね……ではアッシュさんがお勧めだとおっしゃったパンケーキを頼もうかと思いますわ。それとお二人と同じように紅茶を」
「わかった。フィフィ!」
何を注文するのか決まったので早速注文をすることにした。丁度近くにはフィフィがいたので名前を呼べばフィフィはふらりと俺たちの席までやって来た。
「ご注文、お受けしますねぇ」
「俺がサンドイッチ、シャロがいつもの苺のタルト、アナスタシア……こいつにはパンケーキを頼む。飲み物は全員紅茶だ」
「わかりましたぁ。それではぁ、少々お待ちくださいねぇ」
いつもであれば少しばかり話をしてから離れて行くのだが、今日は新顔のアナスタシアがいるので注文を取るとそのまま離れて行った。
料理が届くまで少しかかるがその間に話をするとしよう。
「料理が届くまで時間がかかるわけだけど……話でもするか?」
「そうですわね……では、少しばかりわたくしのことを話すべきですわね。わたくしの依頼を受けていただく上では必要なことでしょう?」
「確かに必要かもな。で、何でも答えてくれるのか?」
「何でも答える、というわけではありませんわ。答えられることだけ、でしてよ」
流石に聞きたいことすべてに応えてくれるわけではないようだ。当然と言えば当然なのだが、それではどういった質問であれば答えてくれるのだろうか。
とりあえず依頼内容に関することはストレンジで聞くので必要はない。帝都の人間なのか、聞いておきたい気もするがそれを街中で聞くのはやめた方が良い。
王国と帝国は戦争をしていたという過去から、目に見える傷は癒えたとしても人々の心には互いに対する敵愾心のようなものが根強く残っている。らしい。
俺個人としては王国も帝国も特に拘る要素ではないと思っているので特に気にしたことはない。それに戦争をしていたのは過去のことであって、俺自身には何の影響も及ぼしていないのだから気にするだけ無駄だ。
とはいえそこは個人の考えなので俺は気にしないとしても帝国の人間憎しという住人もいると思うのでやはりこの話はダメだろう。
そうやって俺が何を聞こうかと考えているとシャロが小さく手を挙げておずおずと言った。
「あの、アナスタシアさん」
「どうかしまして?」
「えっと……主様ではなくて、私が聞きたいことを聞いても大丈夫ですか?」
「シャロさんが?ええ、構いませんけれど……」
俺が何か聞き出そうとするのかと思えばそういった意図のないシャロが聞きたいことがあるというのでアナスタシアは少しばかり戸惑っているようだった。
俺としてもシャロが何を聞こうと思っているのか、気になるので耳を傾ける。
「アナスタシアさんが持っているその箱には何が入っているのですか?」
「それは……」
「それは……?」
「秘密ですわ」
人差し指を立てて口元に持って行くと、シャロに向かってウィンクをしてからそう言い切った。
どうやらシャロの質問には答えられないというか、答える気がないらしい。中身が何なのか隠そうとしているのか、もしくはあのケース自体に何か仕掛けがあるのか。どちらにしても追及したところで意味はなさそうだ。
「それなら、えっと……その日傘は大きすぎませんか?」
「これくらい大きくないと、わたくしには物足りませんわ。他の方は小さな日傘でも大丈夫だそうですけれど、わたくしとしてはこれくらいで丁度良いように思えますわね」
「な、なるほど……」
ちゃんと答えているようでいて、やんわりと誤魔化している。どうにも日傘についても話をする気はないようだ。
もしかすると、話をするとは言ったが、教えることの出来る情報はあまりないのかもしれない。だからこそ、こうしてやんわりと誤魔化そうとしているのではないだろうか。
「シャロ、まだ聞きたいことがあるか?」
「い、いえ……少し気になったので聞いてみただけですので、大丈夫です」
「そうか、それなら良いんだ」
「シャロさんはもう聞きたいことがないとして……アッシュさんは何か聞きたいことがあるのではありませんこと?」
シャロは気になったから聞いた。という程度だったので現状、これ以上に聞きたいことはないらしい。
それを聞いてアナスタシアが俺に対して何か聞きたいことはないかと再度聞いて来た。まぁ、この話し合いでの本命は俺が何か情報を聞き出そうとしているということなので当然か。
とはいえ下手なことを聞いたとしても誤魔化されてしまうのは目に見えている。となれば誤魔化されない程度で、俺としても有用な情報が手に入るような質問を選ばなければならない。
「……随分と上品な振る舞いってやつをしてるけど、面倒じゃないのか?」
「面倒、ですの?」
「あぁ、礼儀作法だの仕草だの、身に着けるのも面倒で、それを維持するのも面倒だと思わないか?」
「いえ、わたくしとしては面倒ということはありませんわ。昔からこうした振る舞いが出来るようにと教育されて来ましたもの。言ってしまえば、癖のようなものでもあるかとは思いますけれど……」
「癖か。それなら自然にやってるみたいだから面倒ってこともないか」
事実として面倒だろうな、と思っているところもあったのでそう言ったのだが、アナスタシアはそんな俺の心情を察したせいか、油断して昔からそういった振る舞いが出来るように教育された。と言った。
ということは貴族の出身である可能性が高くなって来る。ただ、その貴族出身の人間がどうして冒険者になろうとしているのか、となると本当に謎だ。
ある意味では有用な情報であり、またある意味ではより謎を呼ぶ情報となってしまった。
というかアナスタシアは実はこうした腹の探り合いがそこまで得意ではないのかもしれない。そうでもなければあの程度でつい情報を零してしまう。ということはないと思うからだ。
「それでも冒険者になった以上はそういうのが鼻に付くって奴らも出てくるだろうから、気を付けた方が良いかもな」
「ええ、ご忠告痛み入りますわ。ですが、これでもわたくしはそれなりには強いと自負しておりますの。何かあったとしても返り討ちにして差し上げますわ」
「へぇ……随分と自信満々だな」
「ふふ……これでも修羅場を切り抜けて来ましたもの」
得意げにそう言い切ったアナスタシアの言葉が本当だとすると、冒険者ではない状態で何らかの修羅場と遭遇し、それを切り抜けてきたとなるともしかするともしかするかもしれない。
俺の考えが正しければそれなり、どころではない可能性も出てくるので、その辺りはストレンジで確認を取るとしよう。依頼を受けるのに必要な情報だと言えばある程度は話してくれるはずなのだから。
「修羅場、か……まぁ、俺に対する依頼ってのがその修羅場みたいに面倒な物じゃないことを祈らせてもらうか」
「そうですわね……わたくしにとっては修羅場になるかとは思いますが、アッシュさんにとってはそうならないように気を付けさせていただきますわ」
「気を付けないと俺も巻き込まれるってことか」
「さて……それはどうでしょう?」
優美に、たおやかに、それでいて悪戯っぽく笑みを浮かべながらそう言ったアナスタシアは実に楽しそうだった。
そんなアナスタシアを睨む、とまではいかないが観察するように見ているとシャロが何やらそんな俺のことをちらちらと見ていた。それが気になったが、丁度フィフィが注文した物を持って近寄って来たので今は置いておくことにした。
何にせよ、これ以上は聞き出せそうにないのでストレンジでの話し合いが本番だ。




