45.感謝の気持ちは言葉に乗せて
シャロは上機嫌に俺の尻尾を触り続けている。見た目だけでもふさふさしていて触らずともふわふわしているであろうことがわかる。だからこそシャロは飽きることなく触り続けているのだろう。
そんな状況でふと思い出すことがあった。俺もカルルカンを撫でるときはそういった手触りを楽しんでいて、カルルカンも撫でられるのが好きなので俺が適当に切り上げない限りはずっと撫で続けていたりする。ただ、それでも限度はあるので俺は気を付けるようにしているし、カルルカンはカルルカンで仲間と交代で撫でられているので一匹がずっと。ということはない。
何故そんなことを思い出したかというと、このままだとシャロが本当にずっと尻尾を触り続けていそうだったからだ。
「シャロ、そろそろ良い時間になるから手を放せ」
「も、もう少しだけ……!」
「それ、引っ込みつかなくなって終わらないやつだろ」
「いえ!大丈夫です!もう少しだけふわふわを堪能したら手を放しますから!」
「本当かよ……」
俺の呟いた言葉は聞こえなかったようで、シャロは俺の尻尾をモフモフすることに夢中になってしまった。
それに対してこれ以上言っても意味がなさそうだな。とため息を零した俺の様子を見て白亜と桜花は非常に楽しそうにしていた。何がそんなの楽しいのかわからなくて、少しばかり首を傾げてしまった。
ただそうした仕草をした後でまたこの二人に何か言われそうだと、とも思ってしまった。
「アッシュくんも大変そうですねー」
「だなぁ……でも、前よりは良いんじゃないか?」
「そうですね。シャロちゃんとの間にあった壁も良い具合になくなってますからね。何があったのかは聞きませんよ?何となくわかりますけど」
「そういうのを詮索するのはダメだよな。まぁ、アッシュのことだから何となく確信はあるけどさ」
思っていたのとは違ったが、やはり二人には俺がシャロに対して壁を作っていたことも、警戒していたことも、名前を呼ばなかったこともお見通しだったようだ。まぁ、この二人の場合は当然かと思うと同時に、何も言わなかったのは何故だろうか、とも思った。
「なぁ、こんなことを言うのもおかしな話だけど、どうして二人は何も言わなかったんだ?別に言って欲しかったとかじゃなくて、単純に気になったんだけど」
「ん……まぁ、その、アッシュとしてはあんまり言われたくないことかなって思ってさ」
「白亜としてはアッシュくんが後々精神的に大変になりそうだからって世話を焼きたかったみたいですけど、個人の問題に口を挟んでもアッシュくんが嫌がるんじゃないかって腰が引けてましたねぇ。白亜ってば普段はあれですけどアッシュくんのことが大好きですから、それが原因で嫌われでもしたらどうしようって悩みもあったみたいですから」
「桜花、それ言わないって約束したよな?したよな!?」
「それとアッシュくんの状態を指摘して、無意識にそうしてるなら傷つけることになるって二の足を踏んでたり、でもシャロちゃんのことを考えると早めにどうにかしないといけないって言ってましたよ。言うだけでしたけど」
「俺のこと嫌い?実は嫌いだったりする?」
「そんなことありませんよ?そうやって葛藤してたり結局何も出来なかったへたれな白亜も大好きです!」
良い笑顔で言い切った桜花に何も言えなくなった白亜はどうしたら良いのかわからないという顔をしていた。
「とはいえ、私も結局は白亜と同じように二の足を踏んでいて何も出来なかったんですよ」
「はぁ……いやさ、俺たちにとってはアッシュはまだまだ子供で、大人の俺たちがある程度は見守らないといけないように思っててさ。これはハロルドも同じなんだけど……」
「俺を見守るどうこうってのはそういうことか……」
この世界ではそう長い時間を生きてきたわけではなくとも前世も合わせれば充分過ぎるほどに大人と言っても過言ではない。だから子供なんだから見守らないと、というのは間違っている。
間違っているのだが、自分がしていたことを思えばそうやって見守らなければならないと思われても仕方ないことだと思えてしまう。
こうしてみると本当に情けないなと実感するのと同時に、誰かに助けられて生きてきたとはわかっていてもこうして見守られていたとは思っていなかった。なんだかんだ言いながらも俺はちゃんとしていると思っていたのだが、どうも違うようだ。
それを理解すると同時に二人にとって感謝の想いが胸の内に溢れてくる。いや、二人だけではなくハロルドに対してもだ。
「…………あの」
「ん?どうかしたのか、アッシュ」
「何ですか?」
「その……」
こう、感謝の想いが溢れてきたとしてもそれを口に出すのは恥ずかしいように思えてくる。だからこうして言葉が出てこないのだが、それでも伝えておかなければならないような気がする。
だから何とか感謝の言葉を口にする。
「……ありがとうな」
たった一言しか出てこなかった。それに自分でも顔が赤くなっているだろうことがわかる程度には顔が熱い。感謝の度合いによってはすんなりと口に出来るのに、本気で心の底から感謝していると口に出すのが難しくなるものだとこんなことで理解することになるとは。
「それと、あー……今後はたぶん、色々頼ることも増えると思うから、その時はよろしく頼む」
今後は俺自身のことだけでなく、シャロのことを頼む機会があると思う。だからこそこうして二人に頭を下げてお願いしている。今思えば散々頼ったり見守られたりして置いて今更何を言っているのか、とも思うのだが。
それでもこうして面と向かってお願いするのは必要なことだ。何も言わなくても何かしてもらえると思うのは大きな間違いだ。まぁ、今までは二人が優しいから色々としてくれていたのだが。
「…………やべぇ、正直この展開は予想してなかった」
「そうですねぇ……でも、こうして素直にお礼が言えて、お願いも出来るんですからやっぱりアッシュくんは良い子ですよね」
「でも、そんな頭を下げなくても良いんだぜ?俺たちとしてはアッシュにもっと頼って甘えて欲しいんだからさ」
「甘えてくれれば、思いっきり甘やかしますよ?」
「いや……頼りはするけど、甘えたくはないかな」
「えー、甘えてくれよ。甘やかすぞ?全力で甘やかすぞ?」
「そうそう、私と白亜の二人、もしくは従業員たちも一緒に甘やかしますよ!」
「人数多すぎるだろ……そうやって甘やかすなら俺じゃなくてシャロを甘やかしてやってくれ。親元から離れて寂しいこともあるだろうしな」
幼いシャロが世話役として王都までやって来た。お母様とやらの話を何度もしているがそこに亡くなった相手への悲しみだとかはなく、存命であることが予想出来た。
となればまだ幼いのに親元を離れているシャロは寂しい思いをしていると考えるのが当然だ。いや、現状はそれどころではないのでまだ大丈夫かもしれないが、王都での生活に慣れて落ち着いた頃に寂寞とした思いにでも囚われてしまうかもしれない。
だからこそ誰かに甘える、誰かに甘やかしてもらうということが出来ればそれも少しはマシになるのではないだろうか。そう思っての提案というか、お願いをしたのだ。
「いやぁ……それは俺たちじゃなくてアッシュの役目だろ?」
「そうですね……シャロちゃんの傍にいるのはアッシュくんなわけですから、寂しくないように構ってあげたり、甘えさせてあげたり、ちゃんとしないとダメですからね?」
お願いしたのだが、どうにも二人は嫌がるというのではなくそれは俺がすべきことだと思っているようでそう返された。シャロの一番近くにいるのは俺なので、確かにそうなのかもしれない。
ただそうなると問題がある。どうすればそうして寂しいと感じた時に俺に甘えてくれるようになるのか、ということだ。シャロには変に遠慮はしなくて良いと言っているが、そういった場合に遠慮せずに甘えてくるというのは想像が出来ない。
妙なところでしっかりしている、もしくは真面目すぎるのできっと我慢するなり、俺に気づかれないように振る舞うような気がしてならない。
「そう、かもしれないけど……」
「甘えてもらえるか不安、ってとこだろうなぁ」
「んー……そうですねぇ……もっと二人で過ごすようになれば、自然と甘えてくれるようになると思いますよ?」
「だな。アッシュはなんだかんだで面倒見が良いから、そういうのは時間が解決してくれるだろ」
「曖昧って言えば良いのか……時間が解決か……」
果たして本当に二人の言うように時間が解決してくれるのか甚だ疑問だ。とはいえすぐに何か出来るわけではないので、やはりちゃんとシャロと向き合っていく中でどうにかして甘えてもらえるようになるしかないのだろう。
「でも、こうやって頼ってもらえるってのは嬉しいよな」
「はい。これからもっともーっと頼ってくださいね?」
「それは……まぁ、適度に頼らせてもらうさ」
「おう!あ、でも甘えられる練習がしたいなら、俺がアッシュに甘えるぞ?例えば膝枕とか添い寝とか愛に溢れた抱擁とか!」
「もしこの先シャロちゃんに甘えることがあるかも。と思うのであれば甘える練習に付き合いましょうか?膝枕で耳かきとか、添い寝で寝物語とか子守唄とか、ぎゅっとして背中をぽんぽんするとかありますよ!」
適度に頼らせてもらうと言えば、これで話は一旦区切りがついたと思ったのか二人とも冗談めかしてそんなことを口にした。
いや、冗談めかして言っているようでたぶん二人とも本気で言っている。白亜は今すぐにでも抱き着くなりしてきそうな雰囲気で、桜花はさぁ、おいで。とでもいうように両腕を広げている。
「遠慮させてもらう。あー、でも……色々と礼はしないといけないから、それが礼になるっていうなら、まぁ……考えとくよ」
一応、二人の好意を無下にすることは出来ないのと、普段から礼と言える礼を出来ていないのでそんなことが二人への返礼となるのであれば、恥ずかしいのと照れ臭いのを我慢してそうするのも吝かではない。と思ってそう口にする。
まぁ、白亜の場合は甘えられる練習というのを口実にして自分がそうして欲しいだけだと思うのだが。いや、それを言えば桜花も変わらないのかもしれない。
「言ったな!?今、それが礼になるならって言ったな!!」
「ええ、今確実に言いましたね!その時を楽しみにしてますよ!」
うん、確実に自分たちの欲求を満たしたいという思いがあったようだ。俺の言葉を聞いて二人のテンションが一気に上がってしまった。
「考えておくって言っただけだ。実際にそうするとしてもいつになるかわからないからな」
「わかってるわかってる!アッシュはそう言いながらちゃんと甘えさせてくれるよな!」
「そうですよ!アッシュくんならいつか甘えてくれるってわかってますよ!」
「……はぁ、そうだな、そのうちな、そのうち」
自分の言った言葉が原因とはいえ、こうなってしまった二人はもう止められない。むしろテンションがどんどん上がっているので、頭打ちになって落ち着くまで放っておくしかないだろう。そうした結論に至ったので適当に返事をしてから放置する。
そして先ほどからシャロが触っている尻尾の感覚がおかしくなっているので一体何をしているのかと思い、少し振り返ると幸せそうに尻尾を抱きしめていた。
俺たちの会話を聞いていたなら何らかの反応をしているはずなので、シャロはそうした会話が聞こえない程に俺の尻尾に夢中になっているようだった。それを見た俺としては何とも言えない微妙な気持ちになってしまった。
これを甘えられていると考えるべきか、単純にカルルカンを撫でるのに夢中になっていたようにモフモフに弱いだけと考えるべきか。何にしろ、そろそろ食事をするのに良い時間にもなるので尻尾を解放してもらうとしよう。




