39.猟犬
ジゼルの猟犬たちが来るまでの間にシャロと話をする気にはなれなかったのでとりあえずはと手に持ったナイフでシャロと被害者たちを縛っている縄を切ることにした。
その際に、俺を見上げてくるシャロについ気まずくなってしまい、その目から逃れるようにシャロの頭を少し乱暴に撫でてから他の被害者の下へと進む。
「今から縄を切る。ただ、ここはスラム街だから大人しくしてろ。すぐに信用できる奴らが来るから、そいつらが来たら一緒にスラム街を出てくれ」
縄を切って自由に動けるようになったとしても、この場所がスラム街の二番地区であることに変わりはなく、一般人にとっては非常に危険な場所だ。
本当はシャロ以外の被害者がどうなろうが俺には関係のないことではあるのだが、シャロと話をする瞬間を先伸ばしにするためにわざわざ警告して、一人一人の縄を切っていく。
そんな理由がなければ放置していたのかと思うと、やはり俺はつくづくろくでなしだな。と内心で自嘲、もしくは自己嫌悪を吐き捨てて、それを悟られないように平静を保ちながら淡々と縄を切る作業を続ける。
縄を切って開放された被害者たちからは口々に礼を言われた。だが自己嫌悪もあってかそれを素直には受け取れず、出てきた言葉は気にしなくていい。という何ともはっきりしない言葉だった。
こんな状態で本当にシャロと話が出来るのか疑問だが、話をするにしてもこの被害者たちをどうにかしてからだ。
全員の縄を切ってから猟犬たちを待っていると、そう時間がかからずに五名ほどの剣や槍を携えた女性たちが現れた。全員が見覚えのある顔で、ようやくジゼルの猟犬たちがやって来たことがわかった。
「アッシュ殿、状況を」
猟犬たちの先頭、赤の長い髪を一纏めにした女性―――バロウズがやって来て早々に状況の報告を求めてきた。
「人攫いは三人。一人は頭蓋骨陥没で死亡、一人は四肢の骨を砕いてそこに転がしているのと、最後の一人は……鼻の骨が折れてるくらいで気絶してるな」
「なるほど」
「被害者は全員無事。一番前にいる帽子を被った子は俺の連れだから俺が連れて帰る。他の被害者は頼んでいいか?」
「了承した。それで……処理はどうする?」
状況の報告を聞いてからバロウズはそう聞いてきた。ここで言う処理とは被害者たちの記憶を改竄して俺についての情報を抹消するかどうか。ということだ。
元々ハロルドから仲介された仕事やジゼルから請け負った仕事をする際には必要に応じて記憶の処理を施すことが何度もあった。
そして今回で言えば王都全域に降らせた灰の原因が俺だということは、被害者たちにはすぐにでも気づかれてしまうだろう。となれば処理を頼む必要がある。
「頼む。俺の連れ以外全員だ」
「わかった。ハリティア」
「了解致しました」
バロウズに呼ばれて現れたフードを深く被ったハリティアは被害者たちの前へと移動する。その際にシャロの手を取って巻き込まれないようにと引き寄せたのだが、まさかシャロが手を握り返してくるとは思わなかったので少しだけ驚いてしまった。
ただ、驚いてシャロを見ると何処となく嬉しそうに俺を見上げていた。そして目が合った瞬間にまたも罪悪感に苛まれるがこれは今のシャロに悟らせるわけにはいかない。
とはいえ動揺はしてしまったのでさっと目を逸らしてハリティアの処理の様子を見ることにした。シャロが小さく笑っていたような気がするがきっと気のせいだろう。というか気のせいであってほしい。
そんなことを考えているとハリティアが被害者たちの前に立った。すると何事かと全員がハリティアを見る。それを確認してからハリティアは片手を前に突き出して一呼吸おいてから口を開いた。
「注目してください。貴方たちに確認を取らなければならないことがあります」
確認を取らなければならない。と言われれば被害者たちは一体何があるのだろうかと例外なくハリティアを見ていた。何をしようとしているのかわかっているので俺はシャロに耳打ちをする。
「ハリティアを見るな」
「え?」
「良いから。目を閉じろ」
「は、はい……」
どうして俺がそうするように言っているのかわからないシャロは戸惑っている様子だったが、それでも俺の言ったように目を閉じた。
猟犬たちはバロウズを除いて全員が深くフードを被っているのだがきっと目を閉じているのだろう。バロウズは背を向けて周囲の警戒に当たっている。全員が目を閉じている間に何者かに襲われるようなことがないように、ということだろう。
警戒するのであれば全員で警戒に当たれば良いようにも思えるが、バロウズの索敵能力があれば一人で充分すぎるほどだ。
「では、確認を取らせていただきます」
ハリティアがそう言った次の瞬間、突き出していた手の先に強烈な光が灯った。
これは閃光の魔法で目くらましのための魔法なのだが、ハリティアの閃光は魔法に対する耐性が低い相手に対して催眠術をかけることが出来る。
ハリティアが生きていく上で使える魔法を改良した結果ということで、ジゼルやバロウズから信頼されている。まぁ、耐性が低い相手に対してのみ、なのだが。
「貴方たちを人攫いたちから救出したのは誰ですか」
「……そこの、赤い髪の女性、です……」
「そこにいる白に近い灰色の髪の男性について何か知っていますか」
「連れの子を……助けに来た、らしいです……」
「あの男性は何をしましたか」
「あの女性と……協力して、人攫いたちと……戦っていました……」
「ええ、そうですね。それで構いません」
ハリティアの催眠術による記憶の処理の結果、俺はバロウズと協力して人攫いたちを倒したことになったようだ。本当なら俺に関する情報というか記憶は全て消しておいて欲しいのだが、その程度の記憶になっているのであれば別に構わないか。
記憶の処理が終わると猟犬たちが周囲を警戒し始め、バロウズがハリティアへと近づいて声をかけた。
「ご苦労だった」
「いえ。これが役目ですので」
短い言葉を交わしただけだったが、この二人にとってはそれで充分だろう。互いに信頼しあっている仲でということもあって、お互いにそれ以上の言葉は不要だと言わんばかりの態度だった。
確かバロウズとハリティアは同時期にジゼルの猟犬となり、個人の能力が優れ、指揮能力があるということで猟犬たちのトップに立っているのがバロウズ。個人の能力よりも他を支援することが得意で珍しい魔法の使い方をして多彩な活躍が可能なハリティア。
他の猟犬たちもジゼルの選んだ優秀な人間ばかりなので、ジゼルが猟犬たちを放つようなことがあれば事態の収束までそう時間を要することはない。俺の知る限り猟犬たちでは太刀打ちできないような人間もいるのだが。
「アッシュ殿、我々は人攫い二名と死体を一つ。それと被害者全員を連れて帰還する」
「あぁ、ジゼルによろしく伝えておいてくれ」
「わかった。だが、たまにはジゼル様に会いに来るべきだ、と私は思う」
「あー……場所が場所だからな。暫くは無理だろうよ」
「そうか」
淡々とした物言いしかしないバロウズらしい、非常に短い言葉を残してから猟犬たちに指示を出し始めた。
人攫い二人を担ぐ猟犬と死体を灰から引きずり出して布で包み、それを担ぐ猟犬。血が滲み、それが自身を濡らすとしてもあのフードの中で嫌な顔一つせず担いでいるのが容易に想像できた。
またハリティアは未だに催眠状態が続いている被害者たちの先頭に立って誘導する役割を果たしている。周囲の警戒と全員の先導はバロウズが行っているのだが、その足取りは迷いも躊躇いもなく進んでいく。
普通であればもうあの人数で移動する場合、警戒しながら進むためにゆっくりになるのだが二番地区の人間でジゼルの猟犬に喧嘩を売るような人間はいないか。
「さて……俺たちも戻るか……」
既にこの場にいる意味も理由もない状態になっている。それならさっさと戻った方が良い。
先ほどからバロウズが警戒しているから、猟犬に喧嘩を売るような相手はいない。などと並べていたが実際は灰が降ったことでスラム街の住人たちは他人を襲うどころの騒ぎではなくなっている。
今頃ほとんどの住人たちが灰から逃げ、灰が降らなくなった今でもまた降り始めるのではないかと怯えているのではないだろうか。昔の灰のことを知らない新参の住人であればその限りではないのだろうが。
「あの、主様……」
呼ばれて少しだけ視線を向けてみれば、シャロが何かを言いたげに俺を見上げていた。
瞳に映ったのは困惑ではなく安堵や歓喜の類だったが、今の俺にはそういう感情こそが自己嫌悪に駆り立て、がりがりと正気を削ってくる。
とはいえ冒険者ギルドでの失態や、ハロルドに気を遣わせてしまうような状態にはならないようにと平静を保とうとしていたのでそれを表に出すことはなかった。
それでもこのままそうした瞳に見つめられていればどうなるかわからない。
その時ふと思い出したが未だにシャロの手を握っているままだったのでもはやそうしている必要もないと手を放す。シャロが少しだけ悲しそうにしていたのはきっと気のせいだと思う。
「悪い……話は後にしてもらって良いか。スラム街に居座り続けるのはやめた方が良いからな」
事実でもあり、シャロと話さなければならないのにそれを先延ばしにするための言葉を吐いてから歩き始める。
そんな俺の心情に気づいているのか、気づいていないのか。出来れば気づいていて欲しくはないが、とにかくシャロはそれ以上何も言わずに俺の後をついて歩き始めた。
シャロと話をするのを先延ばしにしていることと、スラム街の住人がパニック状態になって襲ってくる可能性が零ではないので念のために警戒していることがあって俺は何も喋らず歩き続ける。
「……少し、話したいことがある」
「話したいこと、ですか?」
「あぁ、だから……ストレンジじゃなくて、俺の家に戻る。ハロルドがいた方が話がしやすいかもしれないけど、今回ばかりはそうもいかないからな」
「主様の家……」
「……嫌か?」
「あ、いえ……そういうわけじゃありません。ただ……主様が私を自分の家に招くのが、意外で……」
「…………そうか」
言えたのはそれだけだった。招くのが意外と言うからには、きっと俺がシャロのことを警戒していることが勘付かれていたのだろう。だからこそ、こんな言葉が出たのだと思う。
あぁ、本当に気が重くなってくる。でも、これは因果応報とでも言うべきなのだろう。
これから俺の家に向かうが、例えシャロに許されないとしても、話をしなければならない。




