33.もしも神がおわしますなら
あれから少ししてシャロは苺のタルトを食べ終わった。食後のお茶を楽しみながらシャロを見れば、その様子は好物である苺を満足するまで食べられたことによる幸福感に満ちているような気がする。
そんなシャロを眺める俺も注文していたケーキやシュークリームは食べ終えており、またフィオナもパンケーキは食べ終わっていたのでそのままフィフィと話をしていた。
食事というか、本来の目的であったパンケーキなどを食べ終わった以上はそろそろ離れても良いのではないだろうか。そう考えた俺はシャロにそのことを伝えた。
「さて、食べ終わって落ち着いたことだしそろそろ離れるか」
「そうですね……思っていたよりも、随分とのんびり過ごしてしまいましたから……」
「だな。少し調子に乗って注文し過ぎたって反省しないといけないな……」
「私としてはぁ、良い注文っぷりで売り上げ的にも良かったと思いますよぉ」
「フィフィさんはそうでしょうね……えっと……私はもう少しくらいはゆっくりしてても大丈夫です。ギルド職員は激務なので、休憩はしっかり取るように言われてますからね」
言い訳をするように、というのとは違うが誰も何も言っていないのでそうして休憩していても大丈夫だと言うのはどうしてだろうか。いつまで休憩をしていて大丈夫なのか、誰かが気にするような顔でもしていたのか。はたまたフィオナが先手を打っただけなのか。
どちらにしても俺とシャロはピースフルを離れ、フィオナはフィフィと話をするのだろう。
「それでしたらお会計しましょうかぁ。とは言ってもお会計は私じゃなくて別の方のお仕事なのでぇ、私はここでさようならですけどねぇ」
「それは仕方ないだろ。むしろそうやって分担しないとフィフィ一人でどれだけ仕事するつもりなんだよ、って話だしな」
「そうですね……一人で全ての仕事を。というのは無理があると思います」
「フィフィさんなら出来ちゃいそうだなぁ、とも思いますけど……あ、フィフィさんが良ければですけど少し話し相手になってはいただけませんか?」
「構いませんよぉ、そろそろ私も休憩の時間ですからねぇ」
フィオナはフィフィに聞きたいことがあるということだったので今は良い機会だと思ったのだろう。それであれば俺たちはさっさと退散しよう。俺たちがいるせいでフィフィが喋らないということもあるのだから。
「それじゃ、またな」
「お二人とも、楽しい時間をありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ。すごい物も見れましたし」
「私は売り上げに貢献していただけて助かりましたよぉ」
そんな言葉を交わしてから俺とシャロは会計を済ませてピースフルを後にした。その際にフィオナとフィフィの二人を振り返ればフィオナが手を振って見送ってくれた。フィフィも控えめではあるが手を振ってくれたので、シャロがそれに返すように手を振っていた。
俺は軽く手を挙げて応えておいたのだが、こういうちょっとしたことで性格が出る物だと思った。
会計においてはあのパフェがあるのと、注文の数が多かったので思いのほか出費がかさんでしまったがあれは仕方のないことだと割り切っておこう。
そうしたことを考えたりしながら大通りを歩く俺たちだったが、からかい過ぎたことを早めに謝っておかなければならない。
「なぁ、その、あー……さっきは悪かったな。からかい過ぎた」
「いえ、私もついあんなことを口にしてしまって、申し訳ありませんでした」
「いや、まぁ……あれくらいは普通だと思うぞ?」
「そうだとしても、お世話役である私が軽々しく主様を相手にしてあのような言葉を使うべきではなかったと思います」
「……お前、変に真面目だよな」
自分に問題があったのだと頑なに譲らないシャロであったが、流石に真面目過ぎるような気がしてならない。俺がそこまで真面目ではないからそう感じてしまうだけなのかもしれないのだが。
「真面目というか、これくらいは普通だと思いますよ?イシュタリア様の神託を受けている以上はしっかりとお世話役の役目を果たさないといけませんから」
「むしろ俺からしてみればイシュタリアの神託は適当にやっても良いと思うんだけどな……」
「そんなこと出来ませんよ!」
「そうか……」
俺としては、という考えで言っているのだがやはり一般的な考え方ではないようだ。
一般的にイシュタリアを信仰している以上は、その信仰の対象を軽く見るというか、ぞんざいに扱うというのは確かに問題かもしれない。やめる気など一切ないのだが。
「でも……主様はどうしてそこまでイシュタリア様のことを、その……軽視しているのでしょうか?イシュタリア様はこの世界で最も強力な力を持ち、私たちを愛し見守ってくださる女神様なのに……」
「もし真に我らを見守りし神ならば、どうか我らを救い給え」
「え?」
「もし真に我らを愛せし神ならば、どうか我らを救い給え」
「あ、あの、主様?」
「されど我らを救わぬならば、どうか我らの声を聞き給え」
「何を言って……」
「我らの罪を許し給え。我らの生への渇望を認め給え」
「主様、先ほどからどうしたのですか……?」
「スラム街で神に縋った誰かがそんなことを言ってた言葉だ。まぁ、まだ続きもあるんだが、ろくな内容じゃない。スラム街の住人にしてみれば、本当に愛し見守ってくれるなら救ってくれ、って思うんだよ。当然、救われるわけもないけどな」
「…………それは、何と言えば良いのか……」
「救われたくても救われない。スラム街の住人の大半がそんな感じだから……イシュタリアへの信仰心はない人間の方が多いだろうさ」
スラム街にやってくる人間は犯罪者か、親に捨てられた子供か、スラム街に落ちるしかなかった事情を抱えた人間か。とにかくそういう人間はスラム街で生きていく中で、必ず神に縋り付く。
犯罪者は捕まらないために逃げ込んだはずなのに、その環境に心身ともに蝕まれる。親に捨てられた子供は親の元に戻ろうとしても捨てられた子供が戻れるわけもなく絶望する。スラム街に落ちるしかなかった人間などは既に絶望の淵にいる。
だからこそ神に縋り付いて、救いを求めて。それでも結局救われることはない。スラム街の住人とはそういうものだ。
ただ例外的に救われたり、自力で這い上がったりする人間も稀に現れる。まぁ、最近ではそういう人間の数も増えているのだが。
「それで、俺もスラム街の出身ってなればイシュタリアの扱いが軽いのもわかるだろ?」
「はい……あ、いえ!でも主様はイシュタリア様の加護を受けているのですよね?それならイシュタリア様を信仰してもおかしくはないと思います」
「確かにそうかもな。ただ、イシュタリアに会って、加護を与えられて。それでこう思ったんだ。この女神はろくでなしだ。ってな」
「…………イシュタリア様のことをろくでなしというのは良くないですよ」
「はいはい。まぁ、俺が勝手にそう思ったってだけの話だ。あんまり気にするなよ」
「もう……主様はこういうことになるとそうやって聞き流すのはどうかと思います!」
「こういう性分だから。ってことで諦めてくれ」
「むぅ……」
納得していない様子だったが、シャロは俺にこれ以上言っても暖簾に腕押し、糠に釘。という風に意味がないとわかったのかそれ以上は言ってこなかった。
俺としても同じ問答を繰り返すだけというのは面倒なので非常に助かる。
「とりあえず、この話は終わりにして……さっさと依頼を受けてから終わらせるとしようか」
「そう、ですね……薬草の採取は慣れているのでお祭りの日まで繰り返せば、その期間中は大丈夫だと思います」
「それもあるけど、正規の冒険者になろうってことだ」
「そういえば……お祭りまでにはなれそうですよね……」
「回数をこなすだけだからな。とは言っても何か依頼を受けるなら暫くは俺もついて行くから危ないことはたぶんないと思うぞ」
「はい、私も危険な依頼は避けるようにしようと思っているので、大丈夫だと思っています」
「そうか。それならそれで良いんだ」
俺としては危険な依頼を受ける可能性を考慮してシャロについて行く予定だったのだが、シャロ本人は危険な依頼というか、リスクのある依頼は避けようとしていたらしい。
それならばそれで構わないというか、むしろ好ましいのでそれなら良いと言っておく。これが俺一人であればリスクが高いとしても見返りが大きいのであれば受けることもあったのだが。
ただ暫くはシャロ行動を共にするのであれば危険な仕事を受けるのは控える必要があるだろう。フローレンシアからの依頼はわざわざ指名されているので受ける可能性は非常に高いので受けるとしてもその依頼だけになるのかもしれない。
「それじゃ、さっさと冒険者ギルドに行って依頼を受けようか」
「はい!」
俺の言葉に元気よく返事をしたシャロを引き連れて俺は冒険者ギルドへと向かった。
これからまた薬草の採取の依頼を受けて、それから草原か丘、もしくは森へ向かわなければならない。今の時間であれば午前中ほどの数は採取出来ないまでも、それなりの数は採取出来るはずだ。
早ければ今日、遅くても明日には必要な依頼数を達成することが出来るはずなのにそうすればシャロは正規の冒険者として登録されることになる。
そうなれば受けることの出来る依頼の幅が広がり、シャロの稼ぎも増えるだろう。そうすれば俺がシャロの面倒を見るというのも一段落と考えても良いはずだ。
とはいえ、王都での暮らしに慣れるまでは面倒を見る予定なので、本当に一段落といった程度でしかないのだが。
それと昨日今日と二日間。シャロの様子を見てきたが本当に俺は必要のない警戒心を抱いているのだと理解した。これはスラム街で育った以上、傍にいる相手のことを警戒しなければならないと心の奥底にあるからなのだろう。
こうして警戒すること自体は悪いことではない。今までだって善人を装っている悪人を見抜くのに役に立っていたのだから。
でもこれは、警戒する必要のない相手にまで警戒心を抱いてしまう悪癖ともいえる。
それでも、きっと何か些細なきっかけさえあればシャロに対する警戒心も消えるような気がした。その些細なきっかけがいつ来るのかもわからないので、もしかするともう間もなくかもしれないし、永遠に来ないのかもしれない。
どうか願わくば、その時が早く来ますように。そんなことを思った俺は、もしかすると甘いのかもしれない。




