1.ろくでもない日常
小説やアニメなどには異世界転生物というジャンルがある。ありきたりで使い古された、それでいてある程度の人気があるということで消えることのないジャンルだ。
転生した主人公がなんだかんだと恵まれた環境から戦う力に目覚めるなり、農業や工業の知識を元に多くの活躍をする。
それからチョロインを落としてハーレムを作る。そんな流れが異世界転生物では主流なのではないだろうか。中にはそうした主流とは違う話もあるのだが。
そして、何故こんなことを考えているのかというと俺がその異世界への転生を体験することになり、しかし物語のような恵まれた環境からかけ離れた状況になっているからだ。
「ようやく追い詰めたぞ!」
「散々逃げ回ってくれたが、もう逃げ場はねぇ!」
「まぁ、俺たちも鬼じゃねぇからな。盗んだもんと、有り金全部で許してやっても良いぜ」
許す気なんて欠片もないくせによく言ったもんだ。そう内心で思いながら目の前のチンピラ三人を見る。
手に持ったナイフを突きつけながら血走った目で俺を見てくるその三人は、朝からずっと俺を追いかけて来る。
「はぁ……何度も人違いだって言ってるのに……」
「んなわけねぇだろ!」
「その灰を被ったみてぇな薄汚れた髪なんざ、この王都じゃテメェしかいねぇからなぁ!」
「なら俺に罪を被せるために誰かが真似てやったんじゃないか?」
確かに俺のような白に近い灰色の髪の人間はこの広い王都でも見かけたことがない。というか灰系統の髪の人間は見たことがない。
いや、それどころかこの世界では俺のような灰の髪をした人間はいないとか昔聞いたことがあるような。
となればこの三人が俺のことをスリだと決め付けてしまうのも理解出来ないこともない。だからと言って要求通りに有り金を全て差し出す気も、身ぐるみを剥がされる気もないのだが。
「まぁ、良いか。ほら、俺の持ってるのはこれだ」
言いながら懐から硬貨の入っている袋を取り出して三人の中で一番冷静そうな、真ん中に立っているチンピラに投げて渡す。
「そうそう、素直に出せば良いんだよ」
冷静そう、とは言ってもそこは所詮チンピラということだろうか。受け取ったばかりの袋を開けて中の硬貨を確認し始めた。
残りの二人もそれを覗き込むようにしているので逃げようと思えば今なら逃げられる。
だがここで逃げたとしても追い回されるのは目に見えている。それに一度でも金を渡したとなれば、その後は金づるとして搾取され続けるのはわかりきっている。
だからこそ何か手を打つのであれば、三人が隙だらけになっている今がチャンスだ。
右の袖口に隠していたナイフを真ん中にいるチンピラに対して投擲する。狙うのは投げた袋を咄嗟に掴んだ右手だ。
突然何かを投げられて、受け止めようとすれば無意識に利き手を使うのが人間だ。だからまずは利き手を潰す。
とはいえ俺の使っている投げナイフなら利き手かどうかはあまり関係ないのだが癖みたいなものだ。
「ッ!?」
「な、テメェ!!」
真ん中のチンピラの右手に突き刺さったナイフには麻痺毒が仕込んであるので掠るだけでも充分だったが、これで一人は片付いた。
現に袋を落として、膝から崩れ落ちるように倒れてから痙攣している。
呻き声を発することも出来ないほど強い毒なんて使っていたか疑問が浮かんだが、この毒で死ぬことはないし暫くはあのまま動かないのであれば別に良いか。
また、袋を持っているチンピラを狙ったことでその手から袋が地面へ落ちて小気味いい音をさせながら中身の硬貨がばら撒かれることとなった。
いきなりのことで驚いている方は後回しにして、手にしたナイフを構えて今にも飛び掛かってきそうな方の対処をしよう。
大体、ナイフを構えながら飛び掛かってきそう、という時点でお察しだ。
ナイフなんて小回りの利く獲物を使う場合は一撃で相手を仕留めるのではなく数回切りつけて出血させ、動きを鈍くさせてから仕留めれば良い。
それなのにそのことを理解していないということは、場数もあまり踏んではいないのだろう。
怖気づいたように一歩後ずされば、予想通りに飛び掛かってきたのでそれをするりと避けてから脇腹に左の袖口からナイフを取り出して軽く斬りつける。
これにも麻痺毒を仕込んでいるので一人目と同じように動けなくなり、飛び掛かってきた勢いをそのままに倒れ込んだ。
「え、は?な、何しやがったテメェ!?」
「何って、この先付きまとわれても面倒だから手を打っておこうかと思っただけだ。毒は仕込んであるけど麻痺毒だから暫くすれば動けるようになるから安心しろ」
言いながら酷く動揺している最後の一人に向けて左手のナイフを投擲する。
仲間が倒れたこと、毒が仕込んであると言われたことがそれほどまでに衝撃的だったのか、はたまたこのナイフを避けるだけの実力がなかったのか。
どちらなのかわからないが、ナイフは一人目と同じように突き刺さることとなった。
これで三人目も終わり。なんとも拍子抜けする結果となってしまったが、下手に手間取って面倒なことが起こるよりはずっと良い。
「思ったよりも弱いんだな、お前らは」
そう考えながら二人からナイフを回収して袖口へと収める。
ただのナイフとはいえ、回収しておかなければ後々必要になっても手元になかったり、新しく買うとなるとそれなりの出費になってしまう。使える状態ならば使い回すべきだ。
そうしてナイフを回収してから付着した血を倒れているチンピラの服で拭い、散らばっている硬貨を数枚拾ってからそれを動けない三人の懐へと入れていく。
痺れて動けないながらも何をしているのか理解が出来ないというように、困惑の色が見える目が俺へと向けられているのがわかった。
「なぁ、ここが何処だかわかってるか?」
そう問いかけてみたが当然答えは返ってこない。わかりきっていたことなので更に続ける。
「ここは王都の掃き溜め、スラム街でも一番危険な零番地区だ」
俺の言葉を聞いて、麻痺毒の影響とは関係なく三人の顔色が青へと変わった。
スラム街はただのチンピラが訪れるような場所ではなく、今回は複雑な裏道などを逃げ回りながら俺が誘導したからこそ気づかれることなくスラム街まで引き込むことが出来た。
もし途中で気づかれるようなことがあれば逃げられていただろうが、運が良かったのか、この三人の頭が足りなかったのか。
そんな取り留めもないことを考えながら拾った硬貨を更に三人の衣服のあちらこちらに入れてから、無理やり口を開けさせて残った硬貨をその中へと投げ入れる。
吐き出すことも出来ず、真っ青になりながら更に困惑する三人の様子を見て、これくらいやっておけば大丈夫かと一人納得する。
「さて、俺はこれで失礼させてもらうけど、一つだけ良いことを教えておいてやる」
準備が済んだのでスラム街を出るために三人に背を向けながら言葉を続ける。
「零番地区では生きていくために自分よりも弱い奴から殺してでも金になるもの、食えるものを奪うのが常識なんだ。まぁ、弱って動けなくなってる奴なんかも狙われやすいな」
スラム街であることを聞いて危険な場所だとは理解していたようだが、零番地区については何も知らなかったのだろう。俺の言葉を聞いて困惑の色は消え、その瞳には恐怖が色濃く浮かんでいた。
三人から一歩離れる。すると周囲の物陰から襤褸を纏ったスラム街の住人たちが現れた。
住人たちは俺へと視線を一度だけ投げかけてから、すぐに興味を失ったように後ろで倒れている三人へと近付いて行く。
殺してでも奪い取る。というのが零番地区の住人の常識とは言ったが付け加えるならもう一つある。
おぞましい限りだが、生きていくためなら食べられる物は何でも食べるのも常識のようなものだ。例えそれが自分たちと同じ人間だとしても。
これからきっとあの三人が動けないのを良いことに食べやすいように、もしくは争いが起こらない程度に分けられるように解体するのではないだろうか。
勿論、鮮度が落ちないように生きている状態で。いや、本当に零番地区の住人は頭がおかしい。同じスラム出身の俺でも人は食わないし生きたまま解体なんてしない。
背後から聞こえてくる肉を叩きつけるような音や硬い何かを砕くような音、そして声にならない呻き声のような叫び声のようなもの。それらを意図的に意識の外に追いやりながら、そういえばと懐に手を入れる。
そこには今朝とある事情から手に入れたばかりの財布が三つある。これを取り出すようなことをすれば零番地区の住人たちに狙われかねないので取り出すようなことはしない。
ただ、そこにあることを確認してからどんな相手からスリ盗ったのかを思い出そうとしたが全く思い出せなかった。
「あー……もしかすると、勘違いとかじゃなくてあの三人の財布盗ったのって俺だったか?」
たぶんそうなのだとは思う。盗った相手の顔なんて全く覚えていないので確信はない。
それに今更そんなことを考えたところでどうしようもないのでそんなことはすぐに頭の中から追い出して、昔から思っていることが頭に浮かぶ。
自分が産まれてから今までの境遇、環境。そして平然と他人を犠牲にすることが出来るようになってしまった自分自身も含めて、本当に異世界転生というものは。
「ろくでもないな……」
ついつい零れたその呟きは誰にも聞かれることもなく消えていく。誰かに聞かれたとしてもスラム街のことを言っていると思われるだろうが、何を指しての言葉なのかは俺しかわからない。そんな言葉を残してから俺はスラム街を後にした。