21.不注意への注意
日が昇るとほぼ同時に目が覚めた。
前日に家に戻ってから必要なことをしてから眠りについたが結局は体感で三時間ほどしか眠れていない。
本来であれば日が昇った後に目を覚ましていただろうが、今日からはシャロと行動を共にしなければならないのでシャロがストレンジの二階に上がったのを確認してから自分の家に戻って休む。ということになるのだろう。
それにシャロは昨夜の時点で普段はもっと早い時間に休むと言っていたので、俺もそれに合わせて規則正しい生活になりそうだ。
とりあえずは準備を整えてからストレンジに向かわなければならない。ハロルドはいつ眠っているのかわからないほどにストレンジを訪ねれば必ず出迎えてくれる。きっと今から向かっても普段と同じように出迎えてくれるのではないだろか。
家を出てから寄り道はなしでストレンジへと向かった。元々ストレンジからそう離れた場所にあるわけではないのでそう時間はかからなかった。
当然のように閉店しているのだが、一応ノックして反応を窺ってみる。すると中からハロルドの声がした。
「アッシュね。入ってちょうだい」
入れと言われたので遠慮なくストレンジの中へと入っていく。中に入って様子を見てみればいつもと変わらずハロルドがカウンターに立っている。いつ眠っているのかわからないが、目の下に隈があるとか、疲れた様子があるとか、そういったことは一切ない。
いつも思うことなのだが、どうしてハロルドは平気そうにしているのだろうか。
「おはよう、ハロルド」
「ええ、おはよう、アッシュ。シャロならまだ起きて来てないわよ」
「なら起きるまで待つだけだな」
「そう、軽くなら朝食を用意出来るけど、用意しようかしら?」
「頼めるか?」
「勿論よ。シャロの分もまとめて用意するわね」
本来バーで朝食の用意というのは行うようなことではないが、ハロルドの好意に甘えさせてもらおう。
ハロルドはカウンターの裏へと入っていったが、二階へと続く階段以外にも簡易キッチンなどがあるスペースが確保されているのでそこで朝食の用意をしてくれているのだろう。
ただそうしてハロルドがカウンターの裏へと入ったということは、俺は話し相手を失って完全に手持ち無沙汰になってしまった。武器の整備は前日に終わらせてあるのでその必要はなく、ただ待つことしかできないのだが。
仕方ないので玩具箱から冒険者ギルドに置いてあった王都で行われる行事の予定表を確認することにした。
建国記念日であったり、王国騎士団の遠征であったり、お祭りの開催日の告知であったりと普段であれば気にも留めないような内容ばかりだ。
しかし今の俺であればお祭りの開催日くらいは知っておいても良いだろう。俺が、ではなくシャロが異国の料理を食べることが出来るかもしれないと楽しみにしているのだ。把握しておいて損はしないと思う。
確認してみれば三日後に一週間ほど、第三王女が聖剣に選ばれて勇者となったことを祝すお祭りが行われる。随分と長い期間だとも思うが、国王としては自分の愛娘が聖剣に選ばれたのだ。それほどの期間お祭りを開催したとしても足りないほどなのかもしれない。
とはいえ、勇者として選ばれた以上は平和の象徴として王国領を旅して自身の存在を知らしめなければならないのだからずっと王都に居続けるわけにはいかないのだろう。
ちなみに、この世界での一週間というのは前世と同じ七日間であり、一ヶ月は四週間、一年は十二ヶ月だ。曜日のようなものもあり、月の日、火の日、水の日、風の日、光の日、地の日、天の日、という呼び方をする。
「アッシュ、ちょっと良いかしら?」
「どうかしたのか?」
顔だけ出してからハロルドがそう声をかけてきた。わざわざどうしたのだろうかと疑問に思いながら返事をするとハロルドが二階へと顔を向けた。
「悪いんだけど、シャロを起こしてきてくれないかしら?
「俺が?」
「ええ、そうよ。ほら、私は朝食の準備で忙しいのよね」
「…………用意してもらってる立場で文句も言えないよな。わかった、起こしてくる」
「素直で助かるわ。それじゃ、よろしくね」
俺の返事を聞いてからそう言ってハロルドは再度カウンターの裏へと姿を消した。
自分で言ったように本来ならバーで頼むようなことではない朝食の準備をしてもらっている手前、この程度の頼みは断ることが出来ないので、俺もカウンターの裏へと足を運ぶ。
そのまま階段を見つけて二階に上がるとストレンジの上にあるいくつかの部屋の扉が並んでいた。
それぞれがある程度の広さを有していて、生活が出来るスペースになっている。とは言っても一つの部屋に一人か二人程度しか生活することが出来ないので長期間ここに留まるような利用者を見たことはない。
だいたいがハロルドの見つけたより住みやすい住居に移動するのだから当然といえば当然だ。
そんなことを考えながらシャロに割り当てられた部屋の扉をノックする。ノックしてから少し待ってみるが反応はない。中で人が動く気配もない。
さてどうしたものかと考えながら、念のためにもう一度、先ほどよりもノックしてみる。しかし、やはりというべきか反応は一切なかった。そして尚、人の動く気配はない。
「おい!起きろ!」
ノックしながら声をかけてみるが、中で人が身じろぎした。程度の動きはあるがそれだけだった。
これは外から呼びかけるだけでは起きそうにないと思いながら、それならば最終手段として中に入って直接起こすくらいしかないのかもしれない。とは思うものの、そうなれば一度ハロルドに鍵を借りに戻る必要があるので少し面倒だ。
そう考えながらも試しに鍵がかかっていないかどうかを確認すると、予想外にあっさりと扉が開いた。どうやらシャロは鍵をかけなかったらしい。
それを理解した瞬間に頭の中で何かがブチッと切れるような音が聞こえた。気がした。
普段であればそんなことはしないのだが、扉を開けるとそのまま部屋の中に入り、シャロが眠っているであろうベッドへと真っ直ぐに進む。
ベッドにはシャロが心地よさそうに眠っているのだが、そんなものは関係ない。
「起きろ!」
「ひゃいっ!?」
突然大声でそう叫ばれれば流石に誰でも起きるだろう。現にシャロは変な声を上げながら飛び起きた。
そして何が起きたのか理解できていないようで、寝ぼけ眼で周囲をキョロキョロと見渡した後に俺に気づいたのか、酷く驚いた様子を見せた。
「起きたか」
「は、はい!おはようございます、主様!」
「あぁ、おはよう。で、お前、何してんだ?」
「……え?」
俺が何を言っているのか理解出来ないのだろう。意味が分からないというように首を傾げている。
そういう反応をしてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。それでも俺はどうしても言わなければならないことがあった。
「何で鍵をかけなかった?」
「鍵、ですか……?」
「そうだ。この部屋には他のところで見るよりも上等な鍵が備え付けられてる。それなのに、どうして鍵をかけなかったんだ?」
「え、えっと……部屋に戻って、眠る前に必要なことをしてから、一息つこうと思っていたら主様の言うように疲れていたのか急に眠くなって……」
「それで鍵もかけずにそのまま眠ったと」
「はい……」
俺が怒っていると察したシャロは申し訳なさそう、というよりも怒られていることにより萎縮してしまったように小さくなっていた。
その姿を見て、いろいろあって疲れているのだからそういうこともあるのだから仕方ない。とも思ったが、それでも言わなければならないことがある。
「……余程疲れてたんだろうから仕方なかったのかもしれない。でも言わせてもらうぞ」
「な、何でしょうか……?」
「鍵はちゃんとかけろ。ストレンジの二階である程度は安全が確保出来てるにしても、何が起こるかわからないんだ。最低限の防犯意識は持ってくれ」
これだ。いくらストレンジの二階だといっても何があるのかわからない。最悪の出来事とまではいかないが泥棒が入ってくるなんてこともあり得ないとは言えない。
いや、あのハロルドがいるというのに泥棒を看過するとは思えないが、それでも念には念を入れておくんべきだ。
「…………えっと……」
「どうした?」
俺の言っていることの意味が理解出来ていないのか、俺の言葉に戸惑っているようだ。
どうして鍵をかけておけというだけでここまで戸惑うのか、それのほうが俺には理解出来なかった。鍵をかけるくらいは普通のことだと思うのだが。
「あの……もしかして……」
「もしかして?」
「その……心配、してくれているのですか……?」
「………………はぁ!?」
俺は普通のことしか言っていないのに、どうしてそれで俺がシャロを心配しているなどと思うのだろうか。心配していなくてもこのくらいは鍵をかけていないのであれば当然のように言うし、その程度のことが出来ていないのが気に入らなかっただけだ。
「だって、私が部屋の鍵をかけ忘れていたから怒っているのですよね?」
「別に俺はお前が部屋に鍵もかけないまま眠るなんて馬鹿なことをしたから言ってるだけで、お前を心配してるとかそんなことじゃない!」
「でも、何て言えば良いのかでしょうか……主様は本当に心配も何もしていない相手には何も言わないような気がします……」
「出会って二日目でお前に俺の何がわかるんだよ!良いか、俺はお前を心配したわけじゃないからな!」
いきなり何を言い出すのかと思いながら否定の言葉を投げてからシャロに背を向ける。
「全く……!とりあえず、ハロルドが軽めの朝食を用意してくれてるからさっさと準備を済ませて降りてこい、良いな?」
「は、はぁ……わかりました……」
そんなことを言われたのが不本意だったので少しばかり早口で否定すると、シャロは気の抜けた返事を返してきた。俺の様子が原因というか、否定の仕方が悪かったのかもしれない。
自分でも妙に必死に否定しているような印象を与えてしまっただろう。と自己分析してながらも何となく居づらくなったのでシャロにそれだけ言って部屋を出ると、さっさと階段を降りることにした。
一応シャロを起こすことはしたので頼まれたことはちゃんと出来た。と思う。
「シャロは起こしてくれた?」
階段を降りたところでハロルドの声が聞こえてきた。まだ朝食の準備をしているようだが、俺が階段を下りてくる音に反応したのだろう。
「あぁ、起こした」
「そう、ありがとうね、アッシュ」
「いや……別にこれくらいは良い。それよりもハロルド、あいつ鍵かけてなかったんだけど」
「そうなの?あぁ、でもだからアッシュの声が聞こえてきたわけね」
「妙な納得の仕方だな……」
「そうね。ほら、もうすぐ出来るから座ってなさい。それでその微妙な表情を何とかしておきなさいね」
言われてから自分の顔に触れてみるが、確かに普段とは違う表情を浮かべているような気がした。
「きっと鍵をかけてないことを怒って、心配してくれてるの?みたいなことを聞かれたんでしょうけど……ダメよ?ちゃんと心配してるから怒ってるんだって伝えないと」
「心配してない。警戒する必要はほとんどないのかもしれないけど、それでも性分のせいで警戒して疑ってるような相手だぞ?なんで心配する必要があるんだ?」
「どうしてかしらね。ほら、そんなことよりも座って待ってなさい。もうすぐ出来るから」
「……心配してるのか、俺」
「アッシュは根は善良だものね。子供のことは敵だとしても心配しちゃうんじゃない?あぁ、シャロは敵じゃないんだから心配するのが当然なのかしら?」
クスクスと小さく笑いながらそんなことを言うハロルドの言葉に言葉が詰まってしまい、何も言えなかった。俺の根が善良だとかそんなわけがない。だって俺は自分が生きるためなら人を殺めることもいとわないようなろくでなしなのだから。
ただ、それでも俺がシャロの心配をしているとしたらきっとそれは子供だから仕方なくだとか、仕事で関わりのある人物のせいだとか、そんなところだろう。
それでもシャロに言われたときは否定したのに、ハロルドに言われるともしかすると本当に俺は純粋にシャロを心配していたせいなのかもしれないと思ってしまうのは、人の考えていることや、心情を察することに慣れたハロルドの言葉だから、なのかもしれない。




