20.異様な依頼
宵隠しの狐を出て足早にストレンジに戻る最中、大通りには程よく酔った人たちが陽気な声で話していたり、酔いが回りすぎて路上で眠っている酔っ払いとそれに声をかけている憲兵がいたり、王都の夜では割と見かける光景だ。
見かけるとは言っても大通り周辺だけの話だ。場所によっては夜は治安が少しばかり悪くなる。だからこそ夜になると見回りをする憲兵の数が増えるのだが。
そんな大通りを子供を連れて歩いているというのは憲兵に声を掛けられる可能性がある。前世でもそんなことがあれば警察のお世話になったというニュースを見たこともあった。
とはいえギルドカードを確認してもらえば監督責任者と冒険者見習いだとわかるはずなので憲兵に連行されるような事にはならないはずだ。
しかし、個人的に憲兵とは関わりたくないのでさっさとストレンジに向かった方が良いだろう。
憲兵はスラム街から時折出てくる住人たちが何か問題を起こさないかと目を光らせているので昔は何度か声をかけられたことがある。声をかけてくる憲兵によっては単純に何かあれば憲兵の駐屯所へと連行する。という話をするだけだったり、スラム街の住人というだけで問答無用で駐屯所へと連行しようとしたり、一番酷いのは俺ではなかったが他のスラム街の住人がそこにいるというだけで暴力を振るわれていたりした。
まともな憲兵なら良いのだが、そうでなければ面倒どころの話ではないのだ。とはいえ今の俺はスラム街の住人として見られることはないのでそこまで気にしなくてもいいのかもしれない。
そうした理由から憲兵に声をかけられないように急ぎ足でストレンジに戻ると数人の客が酒を嗜んでいた。
ストレンジに入った時点で全員が俺へと視線を向けてきたが、その全員と顔見知りだったので軽く会釈をしておいた。すると同じように会釈を返してきたかと思えばそれ以上は反応を示さずにまた酒を嗜み始めた。
現状、ここにいるのは仕事を依頼する、仕事を仲介してもらう、といった人物ばかりで単純に酒を飲みに来たということではないのだろう。
依頼人がいるということは、と思ってハロルドに目を向ければ小さく頷いたので俺に任せたい仕事が入ったようだった。シャロが二階に上がってから話をきかせてもらおう。
とりあえず二階に上がるように言うにしても立ったままというのはどうかと思うので隅の席に二人で一旦座って話をすることにした。
「客がいるなら子供は二階に上がった方が良いかもな」
「そう、ですね……他のお客さんの迷惑になるといけませんから……」
「だな。それと今日は色々あっただろ?早めに休んだ方が良いんじゃないか?」
事実として俺との遭遇、冒険者登録、依頼の達成、ハロルドと顔合わせをしての荷物の移動、宵隠しの狐で白亜に絡まれたり絡まれている俺の様子を見たり、シャロにとっては濃い一日だったのではないだろうか。
そのことを考えれば子供ということもあってシャロは自分では気づいていないとしても疲労が溜まっている可能性がある。であれば早めに休ませた方が良いはずだ。
「早めに、ですか?」
「まだ休むには早いか?」
「いえ、そうではなくて……いつもならもう休んでいる時間を過ぎているので……」
「…………そうだよな、十歳の子供ならそれも当然か……」
「はい。でも何だか目が覚めていまして……」
「色々あったせいだろうな……でも、休んだ方が良いのは本当だぞ。慣れないことをして疲れてるはずだし、普段はこんな時間まで起きてないんだろ?」
確かに言われてみればシャロのような子供であればこんな時間まで起きていることの方が少ないのではないだろうか。
そのことを考えれば、俺にとってはまだ早い時間だとしてもシャロにとっては遅い時間になってしまう。だったら尚更休んだ方が良いに決まっている。
「それはそうですけど……」
「だから休め。明日は丘に薬草の採取に行くんだからな」
「丘に……丘にもカルルカンさんがいるはずですよね?」
「いるな」
「またカルルカンさんを撫でたいです!」
元気なその言葉にストレンジの客全員が顔を上げて見てくる。はっきり言ってストレンジでここまで大きな声というか、元気な声というのはまず聞かない。だからこそ全員が反応してしまったのだろう。
軽く手を挙げて気にしないでくれ。と意思表示をすると俺とシャロの顔を一度確認するように見てから興味をなくしたように酒を楽しんだり、何をするでもなく空のグラスを手にして暇を潰すようにしたりと思い思いの行動をし始めた。
こんな時間に子供が元気な声で、しかも本来そういった存在がいないはずのストレンジで、ともなればああして何事か、というか誰がそんな声を上げたのか見てしまうのも仕方ない。
それからハロルドにすまない、という思いを込めて目を向けると、小さく笑っていたのでシャロの様子を微笑ましい物として受け止めているようだった。
「あんまり大きな声を出すなよ。ここでは基本的に皆静かにしてるんだからな」
「は、はい……」
「とりあえず、カルルカンを撫でるにしろ、撫でられないにしろ、明日に備えて休んでおけ」
「わ、わかりました。えっと、おやすみなさい、主様」
「あぁ、おやすみ」
少し強めに言うとシャロは観念したようにそう言ってから二階へと上がるためにハロルドに一言断ってから店の裏へと入って行った。
一応カウンターから店の裏、つまり二階へと繋がる階段へと向かうことが出来るのでシャロはそうしたのだがほんの少しの時間とはいえ、夜に子供を一人外へと出すわけにはいかないのでそれで良い。
ハロルドも同じ考えだったようですんなりとシャロを通すと階段を上がっているであろうシャロにおやすみなさい、と声をかけていた。勿論、シャロもそれに答えて同じように返していた。
そうしてシャロが二階に上がるのを確認してから俺はカウンターへと席を移した。その際に俺が座った席の近くにいた空のグラスを手に持った客が立ち上がると何も言わずに出て行こうとした。
出て行く前に俺の方を見たその客と視線がぶつかると一度だけ頭を下げてから本当にストレンジを出て行った。
「ハロルド、今のは……」
「依頼を持ってきたお客さんよ。とりあえずは私の方で色々調べてみるけど……アッシュ、貴方を指名してきたわ」
「俺を?」
「ええ、貴方なら任せられるから、ってことらしいわ」
「ちょっと待て。さっきの人は……」
俺を指名してきたということは、俺のことを知っているということだ。この髪が目立つから、ということで俺を見たことがある、というのなら可能性としてはないわけではない。
それでも、任せられるからという理由であるのならば何処かで俺があの人からの依頼を受けていたことになる。基本的に誰が依頼人なのかは知る必要はないので気にしていなかったが、依頼人は誰が依頼を達成したのか知っていたとしてもおかしくはない。
俺の場合、今回の依頼人からの依頼は何を受けたのかわからないが、顔と何処の人間なのか、といった程度なら知っていたのだが。
「…………フランチェスカ家の?」
「あら、覚えていたのね。それなら依頼の内容も何となく見えてくるんじゃないかしら?」
「待てよ……フランチェスカ家は確か一ヶ月くらい前に強盗に入られたんだったな。死者はいなかったらしいけど盗まれた物は多かったはずだ。となれば奪還の仕事か」
「ご名答。とはいってもその強盗の情報がなくてね。調べないといけないのよ」
「なるほどな。情報さえ集まれば俺の出番ってわけか」
「そういうこと。情報を集めるのは私の仕事、奪還は貴方の仕事。頼めるかしら?」
「詳細は?」
フランチェスカ家とは王都一の商人であり、その財力を持って貴族の地位を手にしている。そしてその貴族の地位は代々受け継いできたというものではなく、現当主のフローレンシア・フランチェスカの手によって既存の貴族から色々と事情が噛み合った結果として買い取ることとなったものだ。
そしてフローレンシア・フランチェスカの姿を知る物は、フランチェスカ家の人間以外にはいないというのだから謎が多い人物でもある。既存の貴族からその地位を買い取ったという人間なので、自身の姿を知らせないというのもわかると言えばわかる。
フランチェスカ家ほどの家であれば気にしないと思うが、人々にどのような言葉を投げつけられるかわかったものではない。
そんなフランチェスカ家の人間が俺を指名したとしても仕事の内容によっては受けることが出来ない場合だって当然ある。出来ない仕事を受ける気はない。
わざわざ俺を指名するくらいなのだから俺ならばどうにか出来ると思っているのだろうが、依頼を受けるかどうかを判断するのはあくまでも俺なのだから。
「盗品の奪還。現当主のフローレンシア・フランチェスカの曾祖母が大切にしていた形見のペンダントを奪還してほしいそうよ」
「他の盗品は良いのか?」
「フローレンシア・フランチェスカにとって最も重要なのは形見のペンダント。その他の盗品は好きにして良い、なんて言ってたわ」
「つまり、俺が見つけたとして、全部持って行っても黙認されると?」
「みたいねぇ……盗まれた物の中にはとんでもない値打ち物もあるはずなのに好きにして良いなんて言うほどだから、その形見のペンダントはよっぽど大事な物なのね」
「そうか……報酬については?」
「無事に奪還出来れば一千万オース。他の盗品を全てアッシュが回収しても黙認。ただ、奪還出来ていないのに他の盗品を回収した場合は然るべき処理をする。だそうよ」
奪還に成功した場合の報酬が一千万オースという法外な額だったことに驚きながら、更に値打ち物を回収して俺の物としても黙認する。とまで言っているらしい。
本来ならあり得ない話なのだが、どうしてフローレンシアはそれを良しとするのだろうか。
「ハロルド」
「わかってるわ。そっちも調べてみるわね」
「頼む。それ次第で受けるかどうか判断させてくれ」
「当然のことね。まぁ、フローレンシア・フランチェスカはフランチェスカ家始まって以来の天才にして変人だって話だからなくはない。ってことなのかもしれないけど……」
「天才にして変人か。関わりたくないのに目を付けられてるのかもな……」
「わざわざ指名するくらいだものねぇ……」
フローレンシアがどんな人間なのか俺にはわからないが、どうにも目を付けられてしまったらしい。
これから先、その変人から面倒な依頼が舞い込んでくると思うと少しばかり憂鬱になってしまう。ただ、報酬に関しては文句なしの高額を提示されそうなので内容次第では快く受けることが出来そうだった。
金に釣られているようなものだが、ハイリスクハイリターンはスラム街の常識だ。一度の危険で大きな見返りがあるのならそれをする価値は充分すぎるほどにあるのだから。
「今は考えないようにしておくか。それに良い時間だろうし、そろそろ俺も家に帰るよ」
「明日からはシャロと一緒に行動しないといけないものね。寝坊なんてもってのほかよ?」
「わかってる。明日の朝にはまた来るとするさ」
「ええ、わかったわ。それじゃ、おやすみなさい、アッシュ」
「おやすみ、ハロルド」
とりあえずは考えることをやめて、明日に備えることにした。
今までのように自分で好きな時間に行動する。というのはシャロと一緒にいる限りは出来そうにない。ある程度は規則正しい生活をしなければならなくなるだろう。
本来であればそれは良いことなのだろうが、今の俺にとってはあまりよろしくはない。ハロルドから斡旋された仕事によっては規則正しい生活なんて物とは無縁になってしまうのだから。
何にしろこれからどうなっていくのか。俺にはわからなかった。