187.謎が深まる撫でマスター
「ほら!ちょっと褒めるだけでも良いから!ね!?」
ぐいぐい来るシルヴィアに困惑し、引いてしまい、呆れてしまう。
まぁ、放っておいてもうるさいだけなのでさっさとするべきことをしておこう。
「はぁ……シルヴィ」
「な、何……?」
「……いや、良くやったな。オークは一撃が重いから実際に戦うと厄介な相手のはずだ」
俺にとっては大した相手ではなかった。シャロにとっても同じだと思う。
だが一般的にはオークは身体の大きさや力の強さ、そしてそのタフさもあって厄介な相手ではある。
そんなオークを倒した。ということであれば、それは褒められること。という風に考えてシルヴィアを褒める。
「そ、そうかな?」
「あぁ、それにオークと戦うのは今回が初めてだろ?大した怪我もなかったし、上手く戦えてたんだと思うぞ」
「そっか……そっか!うん、そうだよね!僕、頑張ったよね!」
そう言ったシルヴィアはとても嬉しそうにしていた。
褒められるということがない、というわけではないだろうにどうしてこの程度のことでこんなに嬉しそうにしているのか理解が出来なかった。
だからこそ困惑するしかない。
「ほらほら、まだやることがあるんじゃないかな?」
そんな俺の様子に気づくことなくシルヴィアは何かを期待するように俺を見ていた。
「やることって……いや、ないだろ。俺はシルヴィの要望通りに褒めたしな」
「ほら、シャロのを褒める時ってアッシュはどうする?」
「頭を撫でる?」
「そう!それ!!」
それ、ということはつまり頭を撫でろ。ということだろうか。
「ってことで……後はわかるよね?」
言いながらシルヴィアは俺が頭を撫でやすいように、と頭を差し出しながら上目遣いで俺を見てくる。
どうにもこれは大人しくシルヴィアの頭を撫でるしかなさそうだ。
いや、別に撫でなくても良いとは思うがシルヴィアが面倒なことになりそうな気がする。
「はぁ……わかった。わかったよ。少しだけだからな」
そう言ってからシルヴィアの頭を軽く撫でる。
絹のような手触りは非常に触り心地が良い。というか最近俺が頭を撫でる。ということをした相手は皆どうして髪の手触りが良いのだろうか。
この世界には特にトリートメントなどはないのに。と疑問を浮かべながらシルヴィアの頭を撫でていたがもう良いだろう。と思って手を離す。
「満足したか?」
「してないね!ほらほら、もっと撫でてよ!」
「そうは言ってもな……シルヴィの頭を撫でてるとシャロが拗ねるだろ?」
「シャロが?」
俺の言葉を受けてシルヴィアがシャロへと目を向けるとシャロは首を振って俺の言葉を否定した。
「す、拗ねたりなんてしませんよ!ほ、本当ですよ!」
シャロは拗ねることはない、と言っていたが微妙に面白くなさそうな様子だったのできっと拗ねていた、もしくはもう少しで拗ねるところだったのだと思う。
まぁ、当の本人であるシャロはそんなことはないと必死に否定するのだと容易に想像がつく。
「あー……そっかぁ……そうだね、シャロが拗ねちゃうならアッシュはそうだよね……はっ!」
それならば仕方ない。と判断したシルヴィアだったがすぐに何かに気づいたようにわざとらしく、はっ!などと言っていた。
何に気づいたというのか、と思いながらシルヴィアを見ると少し悪いことを考えたような表情を浮かべてから口を開いた。
「そうだ!僕とシャロを同時に撫でれば良いんだよ!ほら、それならシャロも拗ねないでしょ?」
「名案だ、みたいな顔してるけど特に名案でもないし、単純にシャロを巻き込んでるだけだからな」
「違うよ。幸せのおすそ分けだよ?」
「押し付けてる、じゃなくて?」
「シャロはおすそ分けだと思うよね。ねー?」
同調圧力、という言葉がある。何かを決定する際には多数が少数に対して暗黙の了解として多数に意見を合わせるように強制する、というものだ。
もしくは今回のシルヴィアのように自分の意見に同調するように。と圧力をかけることも同調圧力といえると思う。
「えっと……あ、主様を困らせるようなことは良くないと思います!でも撫でていただけるのでしたら私は嬉しいですね!」
「だよね!ということでアッシュは僕とシャロを撫でるべきじゃないかな?」
「えーっと、あの……わ、私も撫でていただければなぁ、と……」
シルヴィアはぐいぐいと来るが、反対にシャロは遠慮がちだった。
まぁ、シャロが撫でて欲しいというのであればそれを断る理由はない。
「はぁ……わかった。わかったよ。撫でれば良いんだろ?」
そう言うとシルヴィアは小さくガッツポーズをして、シャロはおずおずと、それでいて嬉しそうに俺の傍に寄ってきた。
そんな二人の頭を撫でる。二人ともサラサラとした髪質で触り心地が非常に良い。
とはいえ俺としてはシャロの方が触り心地が良く、油断するとこうして撫でるのが癖になってしまいそうだ。いや、たぶん癖になっているのかもしれない。
「ふふふ……アッシュは撫でるの上手だよね……二人同時に撫でてるのに疎かになったりしないし……」
「はい……流石撫でマスターの主様、としか言いようがありません……!」
「またその意味のわからない存在扱いか……」
本当に撫でマスターというのは何なのだろうか。
別に知らなくても良いような気もしていたが、本当に調べてしまおうか。
とりあえず、王都に戻ったらハロルドにでも調べてもらおう。よくわからないことを自分で真面目に調べるのは何となく釈然としない。
きっと撫でマスターというものが何なのか。とハロルドに調べてもらう際には微妙な顔をされると思うがそれは仕方のないこと、としておこう。
「撫でマスター……」
「シャロが俺のことをそういうものだと思ってるみたいでな。本当に意味がわからないけど……」
「そっか……そっかぁ……アッシュはあの撫でマスターだったんだね……!」
「おいちょっと待て」
「僕、初めて会ったよ!」
「ですよね!私も撫でマスターと呼ばれる方に会ったのは主様が初めてでした!」
「だから待てって」
撫でマスターという謎の存在についてシルヴィアも知っているようで何故かシャロと二人で盛り上がっていた。
それに待ったをかけてからその謎の存在について聞くことにした。
「なぁ、撫でマスターって何なんだ?」
「撫でマスターは撫でマスターですよ?」
「うん、撫でマスターっていうのは撫でマスターのことだね」
「いや、だからその撫でマスターっていうのが何なのか。って聞いてるんだよ」
撫でマスターは撫でマスターだ。と言われても全く意味がわからない。
もっと詳しく、というかわかりやすい説明をして欲しいものだ。
「んー……何って言われても……撫でマスターっていうのは撫でるのがすごく上手で、撫でられると幸せな気持ちになるんだよ」
「はい、まさにゴッドハンド、と言うべきでしょうか……なでなで一つで全てを篭絡する恐るべき存在でもありますね……!」
「わかった。意味がわからない存在だってことがわかった」
本当に意味がわからない。話を聞けば聞くだけ意味がわからない。
もしかするとこれは暗に本当のことを教えるつもりはない。という意味が込められているのだろうか。
そんなことを考えながら、それはそれとして俺はいつまで二人の頭を撫でているのだろうか。とも思った。
「……ところで俺はいつまで撫でないといけないんだ?」
撫でるだけなら疲れないのだが、撫でマスターという謎の存在と、それについての話のせいで精神的に疲れてしまった。こんなことなら聞くべきではなかったのかもしれない。
なので何時まで撫でれば良いのか。と問えばシャロとシルヴィアの動きがピタッと止まった。
そして二人で顔を見合わせてからお互いに頷き、口を開いた。
「まだ僕は満足してないから、まだまだだね!」
「主様が言うにはシルヴィさんだけを撫でていると私が拗ねてしまうということですから、シルヴィさんがまだ満足しないということならば私も撫でてもらわないといけませんね!」
「というわけで、もう少しよろしくね!」
「大丈夫です、主様は何と言っても撫でマスターですからね!」
「そうやってすぐに結託するのはどうかと思うんだけどな……」
最近、どうにもシャロが強かになっていると思う。
何か自分の目的を達成する、もしくはこうした場合に素早く協力者を見つけている。ような気がする。
もしくはそうした姿が頭に残っているだけなのかもしれないのだが。
何にしても大人しく撫でる以外にはない、とさえ思えてしまう。
これも同調圧力というものなのだろうか。とか適当に思いながらふと人の気配を感じてそちらへと目を向ける。
「……アッシュ?」
「あの、主様。手が止まっていますよ?」
「……残念ながら時間切れだな」
そう言って二人の頭から手を離して立ち上がる。
「あ、ちょっと!」
「時間切れ……あ、もしかして……」
不満そうに抗議の声を上げるシルヴィアと、どういう意味なのか察したシャロを置いて近寄ってくる気配の主を見る。
それはこちらへと向かって走ってくるアルとユーウェインだった。
宴会を抜け出してそれなりに時間が経っているので俺たちがいないことに気づき、大慌てで探していたのだろう。
アルは安堵したような表情を浮かべているがユーウェインは憤怒の形相を浮かべていた。
安堵の理由は俺たちが無事そうだったから。憤怒の形相の理由はシルヴィアを連れ出したから。とかその辺りだろう。
と、適当に考えながらこの場合はどうするべきかを考える。いや、考えるまでもないか。
「シルヴィ、先にあの二人に無事だってことを伝えて、ついでにユーウェインの怒りを鎮めておいておいてくれ」
「え?」
「ほら、見てみろよ。ユーウェインのあの顔」
俺の言葉を受けてユーウェインたちを見るシルヴィア。
そしてユーウェインがどんな表情なのか確認すると苦笑を浮かべていた。
「……うわぁ……すごい顔してるね……」
「あれは俺が話をするよりも先にシルヴィアがどうにかしてくれないと面倒なことになりそうだろ?」
「面倒、というか……うん、そうだね……あの状態のユーウェインはちょっと危ないかもしれないね……」
「そういうわけだから、頼んだぞ」
「もう、仕方ないなぁ……代わりにまた撫でてよ?」
悪戯っぽく、もしくは茶目っ気たっぷりにシルヴィアはウィンクを一つしながらそんなことを言った。
「それを交換条件に出すってのはどうなんだろうな……」
「安上りでしょ?」
「あー、はいはい。確かに安いな。わかった、それで手を打つさ」
「うん、よろしくね!」
確かに安いが、それよりも面倒さにうんざりとしそうになりながらも了承するとシルヴィアは嬉しそうにそう言ってからユーウェインたちの下へと走り始めた。
そんなシルヴィアの背を見送ってから、あの状態のユーウェインの相手は本当に面倒そうだな。と思ってしまった。