180.スキル
シルヴィとユーウェインとはすぐに合流することが出来たので、手短に現状を説明して東の森へと移動している。
平原を進むことになり、見晴らしは非常に良いので森から村まで真っ直ぐに進んでいるのであれば見落とすようなことはないはずだ。
「オークと鉢合わせになる前に話しておきたいことがある」
前を見たままそう口を開くと四人が俺へと視線を向けたのがわかる。
「オークを殺す覚悟は出来てるか?」
「オークを殺すことに覚悟も何もないと思うが」
「……主様が言いたいのは、オークというよりも……他の命を奪う覚悟。ということですよね?」
俺が何を言いたいのか、それを少し考えてから答えを導き出したシャロがそう口にした。
「そういうことだ。まぁ、相手を殺すのなら、相手に殺されてもおかしくない。殺す覚悟、殺されるかもしれないという覚悟、それをした後で何としてでも生きる覚悟。そういうのが必要になるって勝手に思ってるだけ、って言われればそこまでだけどな」
本当に、俺が勝手にそう思っているだけのことで、そんな覚悟はなくてもやっていくくらいは出来る。
殺す覚悟はなくても殺せる。殺されるかもしれないという覚悟がなくても問題はない。何としてでも生きる覚悟がなくても生き抜くことは出来る。
ただ、そうした覚悟があった方がいざという時に変わってくるような気がしているだけだ。覚悟だ何だと気にするのは遠く感じる昔に呼んだ少年向けの漫画のせいなのかもしれない。
「覚悟、と簡単に口にしても……難しい話だよね……」
「うん……この前もアッシュとアナスタシア、テッラがそんなことを言っていたよね。でも、たぶん僕はそういう覚悟はちゃんと出来なかったと思うね……」
「覚悟か……そこまで仰々しい物は必要ないと思うが……」
「あぁ、俺が勝手に言ってるだけだ。覚悟なんてないならないで別に良いんだ。ただ……何もないよりは、ずっと良いような気がしてるだけだからな」
とはいえ、それだけではない。
俺やテッラ、アナスタシアのような人間は頭の何処かで考えてしまうものだ。
何となく殺して、殺されるかもしれなくて、惰性で生きて、そのうち死ぬ。そんな野良犬のような生き方よりも覚悟を持っていた方が、少しはまともな人間でいられるような、そんな気がする。
ただこれに関してはわざわざ口にするほどのことではないだろう。
「私は、そういった覚悟がどうとか、まだわかりません。でも……何となく、敵だからと戦うよりもそうした覚悟というものがあった方が良いのかもしれませんね」
そう言ってシャロは何かを考えるように口を閉ざした。
俺の言葉を聞いて、自分が何となくでも思ったことを自分の中で少しでも形にしようとしているのだと思う。
ならばここはそっとしておこう。
「……何だか、こういう話をするとアッシュは僕たちとは色々と違うってことを実感させられるよ……」
「うん、そうだね……僕は騎士として団長から色々と心構えは聞いて来た。でも……アッシュの話を聞くと、それとはまた違った、大切なことを話しているような、そんな気がして来るね……」
「お前は、随分と大層な言葉を使うんだな」
感心したように、もしくは不思議そうに言葉を零したシルヴィアとアル。
そんな二人とは違って、別の何かを考えるようにしてユーウェインがそう言った。
「あぁ、本当に大層な言葉を使ってると自分でも思うさ。それで、それがどうかしたのか?」
「いや……大したことじゃない。ただ……何となく、お前の言葉にはもう少し耳を傾けても良いような気がしただけだ」
ユーウェインが俺の言葉を聞いて何を思い、何を考えたのかはわからない。
だがそれを俺が推し量ることは出来ない。大した交流もなく、せいぜいがこの一週間近くを共にしただけだ。
しかも基本的にユーウェインは俺のことをお前と呼ぶ。
何となく少し前までとある少女に対してそう呼び続けるクソ野郎がいたのを思い出してしまい、心中は穏やかではなくなってしまう。
「俺の言葉なんて、大したことはないけどな。それよりも……オークと戦う前に聞いておきたいんだけど、三人はスキルを使えるのか?」
スキル。
神の加護や祝福とは違い、自分たちの努力次第で手にすることの出来る少し特殊な力のことをこの世界ではスキルと呼ぶ。
それは例えば剣を振るい衝撃破を発生させたり、本来の剣の間合い以上の斬撃を繰り出したり、気弾のような物を放ったり、という特殊な力だ。
魔法使いであれば魔法で戦うことが出来るが、前衛職の冒険者たちはそのスキルを使って戦う。
とはいえこのスキルは切り札ともなるのであまり人に知られたくない。と考える人間も一定数存在している。逆にこんなことが出来るのだと自慢する人間もいるのだが。
「使えるよ」
「僕も同じく。騎士としては身に着けておくべきスキル、というのもあるからね」
「アルトリウスの言う通りだ。無論、それ以外にも習得はしているがな」
「そうか……ならオークくらいは余裕だ、って思っても良いよな?」
スキルが使えるのであればオークくらいは倒してもらいたい。
というよりも、シャロの時はまだ幼い子供が、と思っていたが勇者として、騎士として、鍛錬を続けてきているはずのシルヴィアたちであればそれくらいは出来なければ困る。と思ってしまった。
オークを倒すことが出来ない程度の腕前ならば長旅をするのはあまりお勧めできない。まぁ、基本的に逃げたり隠れたりしてやり過ごす。というのであればそれでも良いのかも知れないのだが。
「それはー……どうかなぁ……」
「オークとは初めて戦うからね……断言は出来ない、かな?」
「実際に戦ってみないとな……とはいえ、オーク風情に後れを取るつもりは一切ない」
「それは当然だね。僕は勇者として、負けることは許されないからさ」
「シルヴィ、そこまで気負う必要はないと思うよ」
「あぁ、そうだな。何かあれば俺がどうにかするから、シルヴィ……は、気にしなくても大丈夫だ」
シルヴィアを相手にして砕けた口調で話す。ということには徐々に慣れてきているユーウェインだったが、シルヴィと呼ぶことにはまだ慣れていないようだ。
シルヴィ、と口にした途端にユーウェインは僅かに頬を赤く染めていた。
「まぁ、オーク程度なら俺一人でどうとでもなる。最悪の場合は俺が終わらせるから安心してくれ」
「……アッシュなら本当に出来そうな気がするけど、あまりそういう頼り方はしたくないかな……」
「あぁ、お前に頼りっぱなしというのは不愉快だ、とまでは言わないが……あまり気分の良い物じゃない」
「そうだね……僕たちは誰かに何もかも面倒を見てもらわないといけないような子供じゃないんだ。アッシュは心配せずに、自分の動きたいように動いてくれて構わないよ」
オークの群れ程度ならやりようはあるので最悪の場合は俺が終わらせる。というつもりだったがそれを三人はやんわりと、ではないが拒絶した。
確かにそんな子供ではないか、と小さく笑んでしまう。まぁ、俺が気にするのはシャロだけにしておこう。
「そうか。なら俺は俺のやりたいように動くから、最悪の事態以外ではフォローしないと思っていてくれ」
「うん、わかったよ」
「僕が言ったことだからね、それで構わないさ」
「お前のフォローなど必要ない、という程度にはやってやる」
それぞれがはっきりとそう答えた。それも自分たちのことは自分たちでどうにかすると強い意志を持っているような気がした。
これは俺が勝手に手を出すのはむしろ無粋という他ないだろう。
そう思っていると袖を引かれる感覚がした。そちらに目を向けるとシャロが俺をじっと見上げていた。
「シャロ?何かあったのか?」
「はい。まだ主様の言うような覚悟、というものをしっかりと持つことは出来ません。でも、主様の傍にいるならばそうした覚悟が必要になるのだと、漠然とですけど私はそう思いました」
シャロは今まで黙っていたが、どうやら少しでも自分の中で形にすることが出来たようだ。
「主様は不思議な方で、私の知らないことを知っていて、たまに、何処か遠い存在のようにも思えます。だから、そんな主様に何があってもついて行く。というのは覚悟としてはどうでしょうか……?」
自分の考えたことを一生懸命に口にして、それから最後に少し不安そうにしてシャロは俺を見つめてくる。
「随分と奇妙な覚悟だな?」
「うっ……それは、その……自分でもそう思いますよ?でも主様のような方の傍にいるのであれば、そういう覚悟のようなものも必要かなぁ、と思いまして……」
奇妙な覚悟だ、と俺が言うとそれを自覚しているようでシャロは恥ずかしそうにそう言って、拗ねたように唇を尖らせてしまった。
それに苦笑を漏らしながらシャロの頭を軽く撫でて口を開く。
「いや、そうだな。俺みたいな得体の知れない人間の傍にいるならそれくらい必要かもな」
「むぅ……得体の知れない、というのは良くない言い方だと思います!」
「事実だ。そうだろ、アル、ユーウェイン?」
普段なら自分のことを得体の知れない人間、とは言わない。
だがそういう言い回しをしたのには理由があり、アルとユーウェインの二人へと目を向ける。
「あ、え?い、いや……僕はアッシュのことを得体の知れない人間だなんて思っていない、けど……」
「お、俺もそこまでは……」
「へぇ……そうか。てっきり二人はそう思ってるだろうな、って思ったんだけどな。ライゼルのせいで、な」
ここまでの旅路で時折アルが俺のことを探るように見ていた。
ユーウェインもそれは同じだった。その程度なら特には気にならなかっただろう。
ライゼルの部下である二人なら俺のことを探るように。ということくらいは言われていてもおかしくはない。だが一つどうしても引っかかることがある。
ユーウェインはシャロのことについて一切触れなかった。
シャロのような少女に主様などと呼ばれている男がいればどういう関係なのか、何があったのか聞いて来るのが普通だ。だがユーウェインはそうしなかった。
つまりは事前に話を聞いたのだと思う。それも随分と詳しく。
「べ、別に、団長は関係ないんじゃないかな?」
「あぁ、どうしてそこで団長が出て来るのか……」
「えっと……アッシュ、どうかしたのかな……?」
アルはあからさまに動揺し、ユーウェインは平静を装おうとしていたが目が泳いでいた。
そんな俺とアル、ユーウェインを見て困惑した様子のシルヴィアに苦笑を漏らす。
そしてあるとユーウェインのその反応にやはりか、と一人で納得しながらそれ以上の追及はせずにシャロを見る。
「まぁ、そんなことはどうでも良いとして。シャロ、その覚悟ってのは随分と茨の道かもしれないぞ?」
「それでも私は主様について行きます!」
「そうか……そうか。ならついて来てくれ、シャロ」
「はいっ!」
はっきりとそう返事をしてくれたシャロの頭を撫でてからふと顔を上げて前を見る。
獣の匂いがする。そして、遠目に人影のような物が見える。
どうやらそろそろオークと鉢合わせになりそうだ。