16.僅かな罪悪感
あれから荷物を置いて戻ってきたシャロとハロルドの三人で取り留めのない話をしたのだが、シャロには悟られないように警戒している俺のことを仕方のない子だとでも言いたげに見てくるハロルドが印象的だった。
そうした様子で見られるのも仕方がないことだとわかっているのにで特に何も言わなかった。それにハロルドは俺とシャロの間で会話が途切れた時にその会話を繋いでくれていたので感謝すべきだろう。
流石にバーの主ともなればそうした会話を途切れさせないことは上手だった。そのせいか随分と話し込んでいたようで、気づいた時にはストレンジを開ける時間になっていた。
ストレンジは普段から他の酒場よりも開ける時間は遅いというのに、それに気づかなかったということはどれだけ会話に集中していたのだろうか。
しかし、会話をしながらでも必要な準備をしていた辺り、ハロルドはこうしたことに慣れているように思える。
「さて、そろそろ開けたいんだけど……シャロはもうおねむの時間かしら?」
「流石にそれはないだろ……」
「はい、まだ大丈夫です」
「そう?まぁ、確かにまだ晩御飯も食べてないものね」
「近くの酒場で食うか」
「主様、この耳は隠した方が良いのですか?」
近くの酒場で食事でも、と思っているとシャロがそんなことを言ってきた。
確かにシャロの耳は一目見ただけでエルフだとわかるので人目の多い場所であれば隠した方が良いだろう。
冒険者ギルドでは他の冒険者の目は基本的にフィオナとシャーリー、その二人と話をしていた俺に向けられていたので特に騒がれることもなかったが、酒場となれば酔って気の大きくなった冒険者にでも絡まれるかもしれない。
「そうだな……だったら……」
言ってから玩具箱に入れておいたマジックアイテムの帽子を一つ取り出す。
「ほら、これでも被ってろ」
見た目は羽根飾りのついたお洒落な帽子という程度だが、ある程度の魔法を無効化する効果がある。
こうしたマジックアイテムは他にもあるが、普段は活躍の場がないので玩具箱に収めてある。ほとんどコレクションのようなもので、仕事のついでに盗ってきた物も多い。
その帽子をシャロの頭に被せると流石マジックアイテムと言うべきか、どう考えてもシャロが被るには大きかったのにぴったりのサイズに変わっていた。
その帽子はシャロに良く似合っていて、それでいてちゃんと特徴的な耳が隠れていた。
「よし、悪くないな」
「そうですか?」
悪くないと言われても自分の姿を確認することの出来ないシャロは何処もおかしくないか心配なのだろう。少しそわそわしながらそう言葉を返してきた。
仕方ないのでまた玩具箱から鏡を取り出して姿を確認できるようにしてやる。ついでに鏡をそのまま手渡して好きな角度で見られるようにした。
「どうだ?」
「わぁ……可愛い帽子ですね……」
「帽子自体の感想かよ……」
どうにもシャロには帽子を被った自分の姿よりも、帽子の方に目が行ってしまったようだった。確かにあの帽子は見た目が良い物だったので、元々はマジックアイテムとしてではなく観賞用に使われていたはずだ。
シャロはその帽子を気に入ったようで鏡に映った姿を嬉しそうというか楽しそうに眺めている。そうした姿もまた子供らしく思える。
「ちょっとアッシュ!その帽子って……!」
「俺は使わないし、別に良いだろ」
「そうだけど、だってそれは……」
「良いんだよ」
ハロルドは俺が渡した物が何かわかっているのでシャロには聞こえないようにしながら俺に言ってきた。確かにあれはそう簡単に渡して良い物ではない。というか、他人に贈るなんてことは普通考えられない代物だ。
また、シャロはシャロで帽子に夢中になっていて俺とハロルドの会話には気づいていないようだった。
「ちょっとした詫び程度にはなるだろ」
「……疑ってること、気にしてるの?」
「疑う必要はないんだろうな、ってことはわかってる。でも、どうしても警戒するし疑う。それに罪悪感を抱くのもおかしな話だけど、その詫びにでもなればってな」
「アッシュは気にしすぎな気もするけど……はぁ、やっぱり仕方のない子ね、貴方は」
「うるさい」
疑っていることに対して、僅かなりと抱いてしまった罪悪感を誤魔化すための贈り物。というところだ。
それを見抜いているいうか、理解しているハロルドからは呆れた表情と言葉をもらったが、ついそれを短い言葉で跳ね除けてしまった。
子供っぽいことをしてしまったとはわかっているのだが、どうしようもなかった。本当につい、だった。
「ほら、いつまでも鏡なんて見てないでさっさと行くぞ」
「あ、はい!」
帽子を気に入ったようで上機嫌になっているシャロから鏡を受け取って玩具箱に収め、席を立つ。
向かうのはストレンジからそう離れていない大通りにある酒場の宵隠しの狐だ。狐の獣人である主人が切り盛りする酒場で、従業員も全員狐の獣人となっている。
他にも犬の獣人である主人の酒場や猫の獣人である主人の酒場などもあり、従業員は全員同じ系統の獣人で揃えられている。
元々は酒場の主人たちが獣人の働く場所を作ろうとしたらしいが、気づけばそれぞれ自分と同じ系統の獣人ばかりが集まっていたとかなんとか。
それぞれ人気の酒場ではあるが、俺は基本的に俺の住んでいる家とストレンジの近くにある宵隠しの狐に足を運ぶことが多い。
近いから、というのも理由としてはあるのだがそれ以上に王都では宵隠しの狐でしか食べられない物があるからだ。
この世界では遥か東方の地域でしか作られていないと言われる穀物。元日本人としてはこれを主食から外せないと思っている米が食べられるのは王都では宵隠しの狐だけだ。
それだけのために足繁く通う価値はある。と思う。
「この近くの酒場と言っていましたが、酒場なのに普通に食事が出来るものなのですか?」
「本当にただ酒を飲むための酒場も多いけど、今から行く場所は食事だけでも出来るぞ」
「そういう場所もあるのですね……」
「それに何より、今から行く酒場は宵隠しの狐って言うんだけどそこは料理が美味いんだ」
「本当ですか?」
「あぁ、料理が美味い、酒が美味い、酔った冒険者の処理も上手い。見事なもんだと感心すらする」
自分でもどうかと思うが、べた褒めである。一番の理由は料理なので実際のところ酒はあまり飲まないのだが、以前口にした時に美味い酒だと思えた記憶がある。
それでも酒はストレンジか家で飲むことの方が多いので、あの時は本当に珍しく口にしたものだ。
「何にしろ、実際に口にするのが早いな」
「はい、楽しみです!」
シャロは美味しい料理というものに惹かれるようで、足取りが非常に軽くなっていた。
ただでさえ先ほどから帽子を気に入った様子で上機嫌だったのに、更に俺の言った料理に関して楽しみにしているせいか完全に浮かれきっている。
本当に、どうしてこんな子供を警戒しているんだと自分でも思うが、三つ子の魂百までとでも言えば良いのか何なのか。
もしシャロが俺の世話役ではなく、何らかの仕事の関係である程度近い場所にいる。という程度ならこんなに警戒しなかったのだろう。
それなのに世話役として傍に。となればこうも警戒してしまう。自分のことながら嫌になってくる。
「あ、今回はちゃんと自分で払いますよ!」
そんな俺に気づいていないようで、日中とは違ってちゃんと払えると胸を張って言うシャロに対して申し訳ない気持ちと、こうして楽しそうにしている子供がいるというだけで何となく救われるような気持ち、その両方を抱いてしまう。。
何か些細なきっかけでもあればきっと俺はシャロのことをちゃんと信用することが出来るような気がするのだが、果たしてその些細なきっかけがいつ来るのやら。
「はいはい。自分で食った分を払えば良いから、食い過ぎには気を付けろよ」
「大丈夫です!ちゃんと食べられる量だけ注文しますから!」
「なら良いんだけどな」
とりあえず、今はそんなことを考えずに食事にしよう。
シャロは食事を楽しみにしているし、俺としても腹が減っている。
もしかするとこんなぐだぐだと考えてしまうのは空腹のせいかもしれない。となれば美味い料理でも食って腹を満たせば、もう少し建設的で前向きな思考が出来るのではないだろうか。
きっとそうに違いない。思考が空転するのには何らかの原因があるもので、今回で言えば空腹なのが悪いに決まっている。
そんなことを考えている間に目的地である宵隠しの狐へと到着していた。
外からでもわかるほどに中は賑わっていて、席に座れるかどうかが少しだけ不安になってしまう。
もしそうなった場合は気が進まないが、ここの主人に話を通そう。本当に気が進まないのだが。
最悪の場合はそうしようと考えながらシャロを引き連れて宵隠しの狐へと入ると、案の定というかざっと見た限りでは座れる席はなさそうだった。
「主様……何処にも座れそうにありませんね……」
「だな……」
「美味しい食事……」
「残念そうにするのは良いけど、恨みがましく他の客を見るのやめろよ?」
「そ、そんなことしてませんよっ?」
「そういう反応するってことは見てただろ」
そんなことはしないだろうと思いながら適当に言ってみたのだが、どうやらシャロはつい恨みがましく他の客のことを見てしまっていたらしい。
それについ呆れてしまったが、当のシャロは恥ずかし気にそっぽを向いた。
油断するとすぐに子供っぽくなるものだと思う反面、やはり日中は気を張っていたのだろうと確信を持てた。
「まぁ……一応ここで食事するくらいは出来るんけど……」
「出来るのですか!」
「ほら、カウンターの隅の方に誰も座ってない場所があるだろ」
言ってからカウンターの隅を指さす。
指さした周辺に人は座っておらず、また近寄ろうとすらしていない。
「隅の方……あ、ありました。あれですね!」
「あそこはここの主人が座る場所なんだ。話を通せば座れないこともない」
「なら主様、お願いできますか?」
「あー……今回は仕方ないか……ほら、さっさと行くぞ」
「はい!」
本当のことを言えば気が進まないのだが、シャロがどうしてもここで食事をしたいようだったので今回は諦めて主人に話をすることにした。
俺が話をするのならほぼ確実にここで食事出来るのだが問題がある。
ここの主人は特殊過ぎるので、子供の教育には非常に悪いということだ。流石に子供相手に絡んでくることはないと信じたいが、どうなることやら。
そうした不安を感じながら真っ直ぐにカウンターの隅、本来は主人が座る席へと歩を進めた。