Side.騎士の憂鬱
ライゼルはアッシュたちと別れてから真っ直ぐに王城の敷地内にある騎士団の本部へと帰還していた。
そしてそのまま自身に割り当てられた部屋に戻り、職務用の机に置かれた大量の書類を見てから小さくため息を零してから椅子に座った。
これからこの書類の処理をしなければならない。と考えると同時に、今日聞いた話を思い出す。
「神造兵器、か……」
つい言葉として零れたそれには複雑な感情が込められていた。
聖剣が神造兵器だということでより心強く思う反面、その扱いの厄介さや神造兵器だという情報が洩れたことによってそれを奪おうと狙われる可能性など、その他にも色々と考えてもう一度ため息を零した。
だがライゼルはすぐに頭を振ってそれらを一度考えないようにして書類へと向き合うことにした。
王国騎士団の団長という立場上、やるべきことは非常に多い。
騎士団の活動や王国領内で起こった問題などに対する対処し、地方の貴族に何か不穏な動きがないか目を光らせている密偵からの報告を聞き、同じく帝国や魔族、その他の国々に潜り込ませている密偵からの報告も聞き、必要ならば対処するために動かなければならない。
その他にも色々とあるが机の上に置かれた書類の処理も大切な仕事だ。
そんな書類仕事を黙々と、まるでそれ以外のことを考えたくないとでもいうように処理し続け、気づけば太陽が傾き始める頃。
コンコンコンコン、と小気味良い音をさせて扉がノックされた。
「入りたまえ」
誰が訪ねて来たのかわかっているライゼルは扉の前の訪問者にそう言葉をかけた。
「失礼します」
するとそんな言葉が二人分聞こえると同時に扉が開いた。
そして部屋の中に入って来たのはアルとユーウェインの二人だった。
「お呼びでしょうか、団長」
「うむ、よく来てくれたな、二人とも」
「いえ、御用命とあれば何なりと」
二人を迎え入れてからライゼルは書類を処理していた手を止めて二人を見る。
アルは普段から接することが多いためか緊張した様子はなく、ユーウェインはライゼルに呼ばれたことから非常に緊張した様子を見せている。
そんな対照的な二人を見てから小さく苦笑を漏らしてからライゼルは口を開いた。
「そう緊張せずとも良い。と、言ったところでユーウェインは緊張を解くとは思えないからな……本題に入るべきかね?」
「失礼ながら、自分には判断致しかねます」
「団長がそうするべきだと思ったのなら、そうするべきではありませんか?」
「ふむ……であれば本題に入るとしようか」
そう言ってからライゼルは机の上の書類、というよりも資料を手に持って言葉を続ける。
「北の国境に位置する、アルルサグ山脈。それを沿うようにオークの被害が拡大している。という話は既に耳にしていると思う」
「はい、その話でしたら騎士団内でも噂になっています」
「調査隊を編成して送る、とのことでしたが……誰がその調査隊に組み込まれるのか、あまり表立ってはいませんが皆気になっているようでした」
「そうか……実は私としてはアルとユーウェインにはその調査隊の一員として北へと向かって欲しいと思っている」
はっきりと告げられた言葉にアルは真剣な表情でライゼルの言葉の続きを待ち、ユーウェインは動揺を示した。
「だ、団長!申し訳ありませんが、自分はシルヴィア様と共に旅をしなければなりません!とてもではありませんが調査の為に遠征が出来る状態では……」
国境にあるアルルサグ山脈までの距離と調査隊としての活動のことを考えれば、自分の役割であるシルヴィアの旅の供。ということが出来なくなってしまう。
だからこそユーウェインは調査隊に編成されると聞いて動揺し、こうして苦言を呈している。
「それは理解しているとも。だが……ユーウェイン、君は野営の準備すら儘ならないようだな」
「そ、それは……」
「先の盗賊団討伐の際の失態は既に聞いている。基本的なことが出来ていないような状況ではシルヴィア様の供を任せるわけにはいかない」
「……申し訳ありません」
ライゼルの声に叱責の色は窺えない。
だがユーウェインにとっては自身の失態のことを理解していることで、叱責されているのだと思い込んでしまった。
その結果として謝罪の言葉を口にして唇を噛んでいた。
「それにシルヴィア様の旅はもう暫く先になるだろう」
「何故でしょうか?あまりシルヴィア様の出立を先延ばしにするべきではないと思いますが……」
「先の盗賊団討伐に関する話は魔法院や教会にも当然話は行っている。その話を聞いてヨハンやローレンにシルヴィア様を任せることは難しいのではないか、という話が挙がっていてね。勿論、ユーウェインに関してもだ」
「そんな!!」
シルヴィアの旅の供に、となっているユーウェインたちには任せられないのではないか。そういう話がそれぞれの場所から挙がっているという話を聞いてユーウェインが声を荒げた。
「確かに野営の準備という基本的なことが出来なかったのは事実です!ですが、それだけで不適格だと判断するのは早計ではありませんか!?」
「早計、と言われてもな……シルヴィア様に何かがあってからでは遅い、と思うのだがね」
「それは!そう、ですが……!!」
「ユーウェイン。団長はまだ言葉を続けるおつもりのようだ。黙って聞こう」
「アルトリウス……そうだな、すまなかった。団長も、申し訳ありませんでした。どうぞ、続けてください」
アルに言われてユーウェインは落ち着きを取り戻した。というわけではなく、単純に団長であるライゼルの言葉を遮るような、もしくは妨害するようなことはするべきではないと考えただけだった。
だがライゼルの続ける言葉次第によってはまた声を荒げることになるだろう。
「やれやれ……とにかく、そうした話が挙がっている状態ではシルヴィア様が旅に出ることは出来ず、また後任を探すにしても時間がかかる。よってシルヴィア様がするべき旅への出立は保留となっている」
「後任の選定は既に始まっているのですか?」
「いや、まだだ。だが時間の問題だろうな……そこで、だ」
徐々に表情が険しくなってくるユーウェインを見ながらそう言って言葉を切ったライゼルは机の引き出しの中から別の資料を取り出した。
「君たちには一つ、北のオークに関する調査と同時進行で別の仕事を任せたい」
「別の仕事、ですか?」
「今の話の流れから、どうしてそのような話に……」
ユーウェインのもっともな疑問に答えず、ライゼルは資料を捲り、それを読み上げ始めた。
「本名は不明。灰を被ったような髪色をしていることから灰被りという蔑称を付けられたことが現在のアッシュという名の由来」
アッシュの名前が挙がった瞬間、アルは何かを察したように少しばかり剣呑な目つきへと変わり、ユーウェインは困惑を見せる。
「アルヴァロトという組織の一員。現在は解散し、それぞれの消息は不明となっている中で唯一王都に残っている。王都では冒険者ギルドには依頼できないような裏の仕事を受ける請負人ではあるが暗殺や強奪の依頼を受けることはなく、基本的には奪還や護衛などの依頼を受けることが多い」
「……続けてください」
「交友関係については特に語る必要もないが……扱う武器に関してはナイフの扱いと体術のみで数々の依頼を達成しているとのことだ。使う魔法は戦闘において使えるような魔法ではなく、近接戦闘が予想される」
「……?」
ライゼルの読み上げる資料の内容を聞いているうちにアルは違和感を覚えた。
アッシュの素性を調べた物かと思っていたが何かがおかしい、と。
「最近ではエルフの少女と共に行動をすることが多く、その少女が最大の弱点となるのではないか」
「団長。まるでアッシュと敵対することを前提としたようなその資料は一体どういうおつもりなのでしょうか」
普段のアルからは想像もつかない底冷えのするような冷たい声だった。
それを聞いてユーウェインは先ほどまで浮かべていた険しい表情から驚愕の表情へと変わりアルを見た。
またライゼルもその声を聞いて息を飲み、資料から目を話してアルの顔を見る。
「……アルにはそう聞こえたか」
「はい。その資料の内容はアッシュの素性を調べた物だと思っていましたが、どうにも……」
「ふむ……まぁ、あながち間違いではないか」
「ッ!!」
アルはその言葉に更に剣呑な目つき、表情へと変わる。
そんなアルを見たライゼルは何処となく嬉しそうというか、感心したような、そんな小さな笑みを零していた。
「だが、今日彼と話をして事情が変わってしまってね」
そんな言葉を零してから、浮かべていた小さな笑みが疲れたような表情へと変わり、背もたれに体重をかけて大きなため息を零した。
それを見たアルは非常に困惑したようにライゼルを見、ユーウェインも同じようにライゼルを見ていた。
「彼を敵に回すべきではない。可能な限り友好的な関係を築き、こちらに敵対の意思はないことを示し、出来るのであれば我々の味方として引き入れなければならない」
「……何かあったのですか?」
「…………ヘクター殿やクレス殿が、シャロくんのことを話題に出してアッシュくんに揺さぶりをかけた」
その際に何があったのか思い出してライゼルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「それがアッシュくんの逆鱗に触れたようでな……彼は我々では手に負えないような存在だったよ……」
疲れ切ったようなライゼルの言葉に何があったのかとアルとユーウェインは困惑しつつも疑問符を浮かべる。
二人とも先ほどまでは剣呑な目つきや険しい表情を浮かべていたはずなのに、そんなことはなかったかのような見事な転身だ。
だがそうなってしまうほどにライゼルの様子が見たこともないようなものだった。
「詳しくは後ほど資料を纏めて渡す。それを読んで欲しい」
「……わかりました」
「了解しました」
資料を読むように、と言われて二人はそう返事を返した。
そして、それを聞いてからライゼルは小さく頭を振って先ほど口にした別の仕事について話し始めた。
「さて、君たちにしてもらいたい北のオークの調査とは別の仕事だが……いや、その前に調査にはアッシュくんの力を借りることになっている」
「アッシュの?」
「それはどういうことですか?騎士団以外の人間に頼るなどと……」
「経験不足。そういうものに心当たりがあるだろう」
ライゼルの言葉にアルとユーウェインは言葉を詰まらせて黙る。
「今回はアッシュくんの動きを見て学ぶべきことがある。とそう思っている」
「アッシュの……確かに、そうかもしれませんね……」
「……団長がそう仰るのであれば、何かがあるのだと思います。ですが……」
「この調査で成果を挙げることが出来ればシルヴィア様の旅の供としてユーウェインを解任する必要はない。そう主張することも出来るだろうな」
「……つまり、汚名返上の機会としろ、と」
「そうとも言えるな。ユーウェイン、頼めるな」
「…………わかりました。その任務、受けましょう」
シルヴィアの旅の供を外される、ということで声を荒げていたユーウェインだったが今回の調査で成果を挙げることさえ出来ればその心配がなくなる。
ということでアッシュと共に、という不満を押し殺してそう返事を返した。
「団長、アッシュに協力を仰いだ。というのは僕たちに何か学ばせる為、というだけではないのではありませんか?」
「あぁ……二人には調査と同時にアッシュくんと友好を深め、仲間と認められるようにしてもらいたい。そして可能な限りアッシュくんに関する情報を集めて欲しい。私が調べた情報ではなく、共に行動することで見えてくる情報だ」
「……つまり、密偵の役割をこなせ、と」
「そういうことだ。騎士らしからぬ役割ではあるが……すまない、どうしても必要なことなのだ」
「わかりました……団長の御命令とあらば」
「本当にすまないと思っている。君に友人を探れと言っているのだから」
「いえ……大丈夫です。僕は、王国騎士団の人間ですから」
心からの謝罪を口にするライゼルと、悲しそうにしながらも王国騎士団の人間なのだからと答えるアル。
そしてどうにかシルヴィアの旅の供を外されないようにと考えるユーウェイン。
それぞれがそれぞれの想いや考えを抱えた騎士たちの話し合いはこうして幕を閉じた。