165.好きという言葉
「お待たせ致しましたぁ。パンケーキと苺のタルトになりまぁす」
シルヴィアの相手をするのも悪くはないか、と思っている間にフィフィが俺たちの傍まで来ていた。
俺の注文した苺のタルトとシルヴィアの注文したパンケーキはそれぞれ苺やアイスなど二倍となっているが別段驚いたり感心するほどの物ではなかった。
いや、シルヴィアは感嘆のため息を零していたのでシルヴィアにとってはそうでもなかったのかもしれない。
「それからぁ……こちらがシャロさんの苺のタルト、苺三倍ですねぇ」
だがシャロの前に置かれた苺のタルトは違った。
使用されている苺の量が三倍になる。というだけで見た目に凄まじいインパクトを受けてしまう。
タルト生地の上に乗った苺、というよりも積まれた苺。と言った方が良いような気がする。
「わぁ……!すごいです!苺がこんなに沢山!」
「沢山どころの話じゃないだろ、これ」
「すごいね……苺のタルトっていうよりもほぼ苺……」
「いやぁ……ちょっと悪ふざけのつもりで三倍とか言ったんですけどねぇ……」
「悪ふざけで見た目がとんでものないの作るの好きかよ」
「割と好きですねぇ」
あの女神突き刺せパフェの塔、溢れんばかりの憎悪を込めて。を作る時点でふざけた物を作るのが好きなのはわかる。
普通にあれを作った人間は頭がイカレているのではないかと思ってしまう。まぁ、俺は嫌いじゃないのだが。
とにかく、あんな物を作るフィフィは悪ふざけが大好きな、それでいて味などに文句が付けられない物を作るので性質が悪いと思う。
「あ、何でしたらぁ……またあのパフェでもご注文になりますかぁ?」
「いや、今日は遠慮しておく。また今度だな」
「…………冗談のつもりだったんですけどねぇ……また頼む気になるとはぁ……アッシュさんも相当おかしな人ですよねぇ」
しみじみとそんなことを言うフィフィに苦笑を漏らしてから目をキラキラと輝かせてから苺のタルトを頬張り始めたシャロを見る。
幸せそうに苺を一つ取っては頬張るシャロを見ていて前世で聞いたことのある言葉が零れ落ちる。
「いっぱい食べる君が好き、か……」
たぶんこうして美味しそうに何かを食べているシャロを見ていて微笑ましく思ったり、ほんわかしたりというのはそういうことなのだろう。
前世ではいまいち意味を理解出来なかったが、なるほど。こういうことか。と納得して一人で頷く。
そしてふと視線が集まっているのを感じてシャロたちを見回すとぽかんと口を開けて俺を見ていた。
「どうかしたか?」
「え、いや……す、少し驚いちゃって……」
「そうですねぇ……不意打ちはなかなかに卑怯だと思いますよぉ」
二人が何を言っているのか理解出来なかったが、シャロが静かだと思ってそちらに目を向けると耳まで真っ赤になりながら俯いていた。
「シャロ?」
どうしてなのかわからず、名前を呼んでみるが返事が返って来ない。
もしかすると聞こえていないのかも知れない。
「あー……これは……」
「ダメですねぇ……」
「何がダメだって言うんだ?」
「そうやって何もわかってないところがダメだね」
「これはもしかすると女性の敵かもしれませんねぇ」
まるでダメな人間を見るような目で俺を見ながらそんなことを言ったのを聞いて理解する。
いっぱい食べる君が好き、という言葉を聞いて該当するのは先ほどの状況ではシャロ一人。
結果としてシャロのことを好きだと言っていた、ということになるのだろう。
「あー……そういうことか……」
「これは完全に無意識とかそういうことみたいだね」
「無意識、となればやはり女性の敵の可能性がありますねぇ」
「女の敵とか言うのやめろよな。あー……シャロ?」
ジト目で俺を見てくるフィフィにそう言ってからもう一度シャロの名前を口にする。
「ひゃいっ!?な、何ですか!?」
今度はしっかりと聞こえたらしく上擦った声で返事して俺を見た。
真っ赤な状態は変わらず、俺を見てからすぐに目線がちらこちらに泳ぎ、それからまた俯いてしまった。
それを見てこれをどうにかしなければならない、と思うのと同時にこういう状態のシャロも可愛いな。と思ってしまった。
自分でも理解しているがシャロに対するあれやこれやが甘すぎる。そうして甘いばかりではシャロの内面の成長を阻害してしまうので自重、自制をするべきだ。
「……あーっと、シャロ、まずは落ち着いて聞いて欲しいんだけど……」
「は、はい……」
「さっき俺が言ったことはあまり気にしなくて良いからな」
「え……?ど、どうしてですか……?」
「いや、その……特に深い意味とか、そういうのはないから、かな?」
「深い意味はない、ですか?それは一体どういう……」
深い意味などはない、と伝えるとシャロが不安そうに聞いて来た。
だがどういうことなのかと聞かれても困る。本当に深い意味はなく、他意はなく、単純に思ったことが言葉として零れてしまっただけなのだから。
「あー、その……思ったことをそのまま言っただけ、とか……?」
「思ったこと……そ、それって…………!」
本当に意味はないのだということを伝えたはずなのにシャロは何やら思い至った様子で自分の頬に両手を当てて更に真っ赤になった。
だが先ほどとは違って何となく幸せそうというか嬉しそうというかハートマークでも飛びそうというか。
とにかく奇妙な状態になっている。意味がわからない。
「アッシュ……」
「アッシュさん……」
一体どうしたことか。と考えているとシルヴィアとフィフィが何処となく感心したように俺の名前を口にした。
「……何だよ」
「いえ……アッシュさんが本当に素で言ったのだなぁ、と思いましてぇ」
「うん……それと、シャロのことが本当に好きなんだなぁ……って」
「嫌いな相手と一緒にいるわけないだろ」
好きなのは当然として、普通に考えれば嫌いな相手と一緒にいようとは思わないだろう。
ついでに言っておくと好きというのは愛だとか恋だとかの感情ではなく親愛や友愛とか、その辺りだ。
それを口にしようと思った瞬間、シャロが先ほどよりも更に赤くなりながら口を開いた。
「あ、あああ、主様っ!!わ、私も主様のこと、す、好きですから!!」
「え、あ、あぁ……そうか。ありがとう」
「はいっ!!」
依然として赤いままだが、真っ直ぐに俺を見て言い切ったシャロからはそこはかとなく満足感のような、もしくは達成感のような物を感じる。
そしてふにゃっと破顔してから言葉を続けた。
「えへへ……私、誰かに好きだって言われたの、初めてでした」
先ほどまでは真っ赤になっていたが、今はその名残を残す程度落ち着いている。
落ち着くまでが随分と早いような気がするが、それよりも気になる言葉が俺の耳を打つ。
「初めて?」
「はい。自分が口にすることはありましたけど、人に言われたのは主様が初めてで……不思議ですね。胸が高鳴って、とてもとても幸せな気持ちになります……」
自分の胸に両手を当てながらシャロはそう言った。
浮かべた微笑みは確かに幸せそうな雰囲気が漂うが、俺の内心はそれとは真逆で穏やかではいられなかった。
普通は親が子供に対してそうした言葉をかける物だと俺は思っている。それなのにシャロは好きと言われたのは初めてだと言った。
「そうか……そうか」
もしここで俺がお母様たちのことを聞けば、その幸せな気持ちに水を差すことになるだろう。
だからこそ俺はそれだけを返した。内心で、シャロの両親に対する不信感を抱きながら、シャロが幸せそうならば今はそれで良いと自分に言い聞かせながら。
「……それならもっと幸せになれるように俺の苺のタルトも食べて良いぞ」
「え?良いのですかっ?」
「あぁ……さっきも言っただろ。いっぱい食べる君が好き、ってな」
「そういうことでしたら、喜んでいただきます!」
俺の前に置かれた苺のタルトをシャロの前へと押してシャロが取りやすいようにする。
真っ赤になって俯いていた姿はもうなく、嬉しそうに、幸せそうに苺のタルトを食べ始めるシャロ。
何と言えば良いのか、先ほどまでであればその姿に微笑ましい物を感じたり和むことも出来たのに今は違う。
お母様について話をするシャロは楽しそうで、シャロにとっては大好きな母親なのだと思う。だが話を聞けば聞くだけシャロの母親に対して不信感を抱いてしまう。
何かの機会があればシャロの母親とは少しばかり話をしなければならないのかもしれない。
そんな風に考えているとシルヴィアがこそこそと話しかけて来た。
「ねぇ、アッシュ」
「……どうした?」
シャロに聞こえないように、ということなのか小声のシルヴィアに応えるように俺も声を潜めて返した。
「シャロの言ってたこと、気にしてる?」
「何のことだ、って答えるのは野暮か。あぁ、初めてだってのにどうにも引っかかってな」
「そっか……実は僕もちょっとね。でも僕が踏み込めるような関係でもないから……」
「俺が気に掛けるしかない、か?」
「うん。アッシュなら大丈夫だと思うけど……シャロのこと、見ていてあげてね」
「言われるまでもないな。任せておけ」
シルヴィアにそう返せば、シルヴィアは安心したような、もしくは何かに納得するようにして俺へと乗り出していた体を元に戻した。
それから自身のパンケーキに手を伸ばし始め、俺からは完全に視線を外した。
すると今度はフィフィがスススッと近寄ってきて、お盆で口元を隠すようにしてひそひそ話を始めた。
「アッシュさんに一つお聞きしたいことがあるのですがぁ……」
「今度はフィフィか。何だ?」
「そのですねぇ……」
シルヴィアのようにシャロのことを気にかけて言葉をかけて来るのか、と思っていたのだが違うらしい。
「苺のタルトをシャロさんにお譲りになりましたからぁ、追加で何か注文はありますかぁ?」
気にかけていたのはどうやら商売についてらしい。
その言葉を聞いて俺は少しだけ張っていた気が緩んでしまった。
「はぁ……商魂たくましいな、本当に」
「これでも商売人ですからねぇ。売れる時に売るのは当然のことですよぉ」
「やれやれ……それならチョコレートケーキでも貰おうか。とびっきり甘い物が今は食べたい気分だからな」
「それはそれはぁ……わかりましたぁ。商売人としてぇ、お客様のご要望に完璧に応じて見せますからねぇ」
らしくないサムズアップをしてからウィンクを一つ。それからフィフィは俺たちから離れて行った。
普段のフィフィであればサムズアップも、ウィンクも、どちらも行わないだろう。
それなのにわざわざしてみせた、というのはきっと俺に対する気遣いだ。
シルヴィアのように言葉にする気遣い、フィフィのように言葉には出さない気遣い。そのどちらもが俺にとっては有難かった。