163.人それぞれの役割
「さて……ひとまず、苺のタルトとかパンケーキに想いを馳せるのは今はやめてもらえるか?」
「え、べ、別に僕はパンケーキはどんなのが来るかなぁ、とか、メープルソースとか二倍ってすごいよね、とかそんなことは考えてないよ?」
「考えてたんだな。シャロの場合は……苺の量が三倍ってなるのを想像するのは良いけど、食べ過ぎてお腹が痛くなる。とかならないようにな」
「大丈夫です!昔そうなったことがあるので気を付けていますから!」
「そうか。それなら良いんだ」
そこで一度言葉を切って鳴かない金糸雀が機能していることを確認する。
鳴かない金糸雀は金糸雀が蹲っていることが効果を発揮してる証だ。
もし何らかの要因で無効化された場合はこの金糸雀が起き上がる。まぁ、無効化されるようなことはほとんどないので基本的には蹲ったままだ。
「まずは……そうだな、名前を教えないといけないな」
「その方の、ですよね?」
「あぁ、本当は偽名でも使うべきなんだろけど、本人が何も考えずに教えても良いって言ったからな」
「え?」
「自分がどういった立場なのか理解してるならあそこまで安請け合いはしないはずなのに……まぁ、本人が良いって言うなら良いんだろうけど」
「え、何。僕ってもしかして何か不味いことしてた……?」
「完全にな」
今になって自分が何か不味いことをしたのではないか、と焦り始めたシルヴィアの様子と俺の言葉を聞いてシャロが疑問符を浮かべていた。
名前を口にするだけで何か問題があるような人間なのか、と思っているのか、もしくは単純に意味がわからないだけなのか。
「まぁ、勿体ぶっても仕方がないからサクッと話を進めるとして……ウルシュメルク王国第三王女の名前は何だった?」
「シルヴィア・シャルマス・リマト・ウルシュメルク。ですよね?」
「……自分で聞いておいて何だけど、良く覚えてたな……」
「勇者様の名前ですからね!でも、どうして今それを…………え、もしかして……!?」
このタイミングでわざわざそんな質問をすることの意味を理解したシャロは驚いたようにシルヴィアを見た。
シルヴィアはそんなシャロの様子を見て少しだけ気まずそうというか、バツが悪そうに指先で小さく頬を掻いていた。
「まぁ、気づくよな」
「あー……あんまり意識してなかったけど、お忍びでこうして出歩いてるなら偽名の方が良いんだよね……」
「普通はそうするんだよ。一人で出歩いて気分が良いのかもしれないけど、次からは気を付けろよ」
「うん……ちょっと、浮かれてたね……反省しないと……」
シルヴィアは漸く自分の行いの不味さに気が付いたようで、そう呟いた。
とはいえ、今回はまだ良い方だ。これが別の場所で同じことをして人が集まってしまったり、王族のことを快く思わない人間の前で名前を明かして危害を加えられたり、ということがあるかもしれない。
だからこそ偽名を、ということを言ったのだ。まぁ、次からは気を付ける。とのことなのであまり言い過ぎないようにしよう。
「えっと……もう気づいているみたいだけど、僕はシルヴィア。ウルシュメルク王国第三王女、聖剣に選ばれた勇者、そういう風に良く言われるけど……その、出来ればそういうのはなしにして接してもらえると嬉しいかなぁ……って」
「は、はぁ……シルヴィア様がそう仰るのでしたら……」
「ありがとう!それじゃ……まずはその様を取ってくれるかな?」
「はい、えっと……シルヴィアさん……?」
「んー……そこは呼び捨てで良かったんだけど……」
シルヴィアとしては気安く名前を呼んでもらいたいようだったが、シャロには呼び捨てにするというのは無理だと思う。
俺が知る限りの話だがシャロは人を呼び捨てにしたことがない。
基本的に敬称を付けて敬語を使うのだが、どういう時に名前に敬称を付けなくなるのか少し興味が湧いた。
だが今はその興味のままに行動するとまた話が逸れるので我慢だ。
「無理に呼ばせる必要はないだろ」
「まぁ、そうなんだけどね……」
「その……シルヴィアさんの立場というか、地位というか……そういう物を考慮すると……」
「うん、わかってるよ。無理を言っちゃってごめんね?」
「あ、いえ!大丈夫ですからそんな謝らなくても……!」
謝るシルヴィアにわたわたと慌てながらシャロはそう言った。
軽い謝罪ではあるが、シルヴィアの立場を考えればそうした謝罪だけでも一般人には恐れ多いことだ。
まぁ、俺のように平然としていられる人間もいるが、シャロではそうはいかない。
「シャロ、王族だとか勇者だとかは気にしなくて良いと思うぞ。こういうお忍びの場くらいはただのシルヴィアとして扱っても問題ないはずだからな」
「そう、なのでしょうか……?」
「そうなんだよ!アッシュはよくわかってるね!」
パンッと手を打ち合わせてからシルヴィアは俺の言葉に嬉々として同意した。
「いつもはシルヴィア様、勇者様って呼ばれてるんだよね。それは仕方のないことだけど、僕としてはもっとこう……普通の友達みたいにお互いに呼び合って話とかしてみたいんだ!」
「な、なるほど……でもシルヴィアさんがそう望んでいるのでしたら周りの方が合わせてくれたりは……」
「しないだろ。第三王女、聖剣に選ばれた勇者、ウルシュメルク王国王位継承者に友人として接してくれって言われて誰がそんなこと出来るんだ?」
「僕は王位を継承する気はないよ。そういうのは僕よりももっと相応しい人がいるからね」
困ったように笑いながらそう言ったシルヴィアの思う相応しい人とは誰のことだろうか。
第一王子キリシュアガか第二王子ウルシャナビ辺りが妥当だが、気にするだけ意味がないので今は考えなくて良いだろう。
「それと、誰がそんなこと出来るんだ、とか言いながらアッシュは普通に出来てるよね。というよりも、結構僕の扱い悪くないかな?」
「悪くはないだろ。これでも随分と友好的に接してるんだぞ?」
「友好的に接するのと、軽く扱うのは違う気がするんだけどなー?アッシュってば僕の扱い絶対に軽い気がするんだけど、気のせいなのかなー?」
「気のせいだ、気のせい。それよりもシャロのことも紹介しないといけないな」
「確かにそうかもしれないけど逃げるために言ってるような気がするのは気のせいかな?」
「それは気のせいじゃないだろうな。ほら、シャロ。挨拶してくれ」
「普通そこは気のせいだって流すんじゃないの!?」
今日も元気なシルヴィアを放っておいてシャロを促すと、シルヴィアに対する扱いに困惑しながら、それでいて何処か納得というか諦めたようにしながら口を開いた。
「あー、えっと……主様のお世話役をしています、シャロと言います。よろしくお願いします」
「お世話役?」
「はい。その……詳しくは言えない、ですよね?」
イシュタリアの神託によって俺のお世話役になっている。ということはあまり人に言わない方が良い。
この世界でイシュタリアから神託を授けられるということには大きな意味があるとされているので絶対にいらない騒ぎが起こってしまう。
だからこそ、その辺りのことは言わない方が良い。それはシャロも理解しているようで俺に確認するようにそう口にした。
「あぁ、言わない方が良いだろうな」
「言わない方が良い、か……何か事情があるっていうことだよね?」
「そういうことだ。悪いな」
「ううん、仕方ないよ。僕も同じようなことはあるからさ」
同じようなこと、というのは第三王女として、勇者として、他人に言うべきではない何かがある。ということだろうか。
だが納得してくれたようで余計な手間がかからないのは助かる。
「でも……」
俺を見て微妙な表情を浮かべながらシルヴィアは言葉を続けた。
「小さな女の子にお世話されてるってどうかと思うよ……?」
「大丈夫だ。基本的に俺が世話してる」
「あはは……本当なら私がお世話しないと!って思ってるんですよ?でも……主様の方が一枚も二枚も上手と言いますか……」
「あー……気づいたらアッシュが色々終わらせてる。とかそういう感じなのかな……」
何となく想像が出来る。とでもいうように納得した様子を見せるシルヴィアと何処となく悔しそうなシャロ。
シャロの言うようにシャロが油断したり意識を別に向けている間に色々と世話をしているので、気づいたら終わっているということになる。
まぁ、それを狙ってやっている俺としては上手くいっている。とでも思えば良いのか。それともシャロももう少し俺の動向を警戒するべきだと思うべきか。
「はい。本当に気づいたら主様が色々とやってくれた後、という状態になっていて……」
「なるほどね……アッシュ、お世話役になってるならシャロにも色々とさせないとダメだよ」
「そうは言われてもな……今まで基本的に一人で動いてたから自分でやるのが当たり前になってるんだ」
「それはわかるよ。でもね、お世話役としてアッシュの傍にいるならそれじゃダメだよ。人にはそれぞれ役割っていうものがあるんだから、結果としてそれを邪魔するようなことはあまり感心しないかな」
「……随分と実感が籠ってるな」
「……うん、まぁ……僕も色々あるし、色々見て来たから……」
歯切れの悪い言葉を返したシルヴィアだが、やはり王城の内部では色々と面倒なことがあるらしい。
それを目の当たりにしてきたからこその役割を果たすことの重要性を口にしたのだと思うが、王城内では一体何があったのやら。
知りたくないし関わりたくもないのでそれを聞き出すことはしない。
「そうか……それならシャロには色々と頑張ってもらうか」
シャロに甘い自覚はあり、色々と世話を焼いている身としてはシルヴィアの言葉に思うところもある。
だからこそ俺が勝手にやっていることをシャロにも任せるべきなのだろうと考える。
とはいえシャロに何を任せれば良いのか。その辺りはまた後々決めれば良いか。
「とりあえず帰ってから何をしてもらうか、役割分担からだな」
「え?私にも色々とさせてもらえるのですか!?」
「あぁ、シルヴィアに言われて俺も思うところがあるからな。料理は……まだ早いかもしれないけど」
「……主様はそういうところが意地悪です……」
シャロは俺が遠征に出ている数日の間、桜花に料理を習っていたようだがやはり数日では目に見えて上達することはなかった。
だからまだ早いかもしれない、と言ったのだがそれを聞いたシャロは拗ねたように唇を尖らせてしまった。
「育ちが悪いもんでな」
「そういう自虐なのかわからないことを言われると私としては反応に困ってしまいます……!」
拗ねたままで良いのか、俺を諫めるべきか、どう反応したら良いのかわからないシャロがそう言うのを聞いてシルヴィアが小さく笑う。
「二人とも仲が良いんだね。これなら僕の言ったことは余計なお世話だったかな?」
「いや、俺自身シャロには甘い自覚はあるからな。誰かに言ってもらわないとそのままずるずる続いてた可能性もあるし、正直助かった」
「そっか。それなら良かった」
誰かに言われなければわからない。というのは以前にフィオナに言われた際に実感してしまった。
だから今回シルヴィアが指摘してくれたことは非常に助かる。
とはいえ、もう少しその辺り自分でもどうにか出来るようにしなければならないだろう。