161.黒髪の気になる少女
俺とシャロが暫く注文したパンケーキと苺のタルトに舌鼓を打っていると、漸くフィフィも落ち着きを取り戻したらしく静かになった。
ただ不思議なことにさっきまで喋り続けていたはずのフィフィが持って来たチョコレートケーキは姿を消していた。
いつの間に食べたのだろうか、と疑問に思いながらもそれを指摘する意味はあまりないと考えて口を閉ざす。
「いやぁ……浮かれすぎちゃいましたねぇ……お恥ずかしい姿を見せてしまって申し訳ありませんでしたぁ」
「それは別に良いけど……とりあえずフィフィにとって嬉しいことだった。ってのだけしかわからなかったな……」
「でも本当に嬉しいことがあった。と伝わったのですからそれはそれで良いのではありませんか?」
「いや、まぁ……それもそうだな。フィフィが喜んでる。俺たちにとってはそれで充分か」
言い方は悪いが、どうしてフィフィがそこまで喜んでいるのか。ということに大した興味がないのでこのまま流してしまっても問題はない。
元々ピースフルに来たのはフィフィの様子を見に来たとかではなく、単純に時間を潰しながらシャロが幸せそうにする姿を見たかっただけだ。
「はい!誰かが嬉しそうにしていると、心がぽかぽかしますからね!」
「それを本気で言える辺りシャロは本当に良い子だよな」
俺にはとてもではないがそんなことは言えない。
もし言えるとしたら俺にとって大切な誰かが嬉しそうにしていれば、といった程度だろうか。
何にしても本当にシャロは良い子だと思う。これからも真っ直ぐに育って欲しい。
「良い子だなんて、そんな……えへへ……」
褒められたことが嬉しいようで照れたように笑顔を浮かべるシャロを見て一人満足しつつ、フィフィに目を向ける。
流石に喋り続けたせいで喉が渇いたのか、紅茶を飲みつつ一息ついているところだった。
「いやぁ……ご迷惑おかけしましたぁ。あ、お詫びと言っては何ですけどぉ……次回からシャロさんの苺のタルトは苺マシマシにしておきますねぇ」
「え!?ほ、本当ですか!?」
「はぁい。あ、でも料金はちゃんといただきますよぉ。あくまでも注文の時に言わなくても増えてる、ってことですからねぇ」
「苺が沢山だなんて、すっごく嬉しいです!」
「料金は適正価格で持って行かれるらしいけどな。まぁ、注文の時に苺の量を増やしてくれって言わなくて良いなら手間が省けるのか」
「ついでに言わせていただきますとぉ、苺は最大でも三倍までなのでお気をつけくださいねぇ」
「さ、三倍……!」
シャロの頼む苺のタルトは本当に苺の量が多い。それが今回で二倍になり、最大でも三倍になると言う。
それを聞いたシャロは驚愕しつつもその姿を想像したのか、目がキラキラと輝き、想いを馳せている。ような気がした。
「三倍か……ほとんど苺じゃないか、それ」
「そうですねぇ……苺のタルトと言うよりも、タルト生地の上に苺が乗っている。の方が正しいように思えますよねぇ」
「だろうな。まぁ、それで満足しそうな子供がいるわけだけど」
「そうですねぇ……心ここにあらず、ですねぇ」
「想像の中の苺に囚われたか……それはそれで可愛いけど」
「アッシュさんはシャロさんに対してひたすらに甘いみたいですねぇ……最近のアッシュさんを見ているとぉ、らしいとも思えますけどぉ」
「はいはい。そいつはどうも」
ふわりふわりと何とも形容し難いが、それでも好意的に見ることが出来る笑みを浮かべてそんなことを言って来るフィフィに受け流すように返してからシャロに視線を戻した。
だがふと何かおかしなことがあるような気がして動きが止まる。何だろうか、この違和感は。
「あ、そろそろ休憩も終わりですねぇ……」
「え、あ……そうか。まぁ、随分と喋ってたからな」
「はぁい。アッシュさんとシャロさんはもう少しゆっくりしていただいて構いませんからぁ。ついでに言えばぁ……追加のご注文もお待ちしてまぁす」
「はぁ……ちゃっかりしてるな」
「勿論ですよぉ。何と言ってもピースフルの看板娘ですからねぇ」
「自称か?」
「いえいえ、ピースフルのオーナーの公認ですよぉ」
ピースフルのオーナー公認だ。と言われてしまえばそうなのかと感心するしかない。
とはいえここで一番活発に動いていて特徴があるのはフィフィなので看板娘として認められるのも頷ける。
まぁ、他の店のように看板娘を目当てに客が来る。ということはピースフルにおいてはあまりないだろう。常連によって支えられる小さな隠れた名店なのだから。
「そいつはすごいな。俺としてはフィフィの考案した頭のおかしいデザートの方が看板になりそうだと思うけどさ」
「あれは私の思い付きと悪ふざけですからねぇ……食べ切れる人は基本的にいませんよぉ。例外は私の前にいますけどねぇ」
こうして本当に軽い程度だが軽口を叩き合うことが出来るということは、もしかするとフィフィは俺が思っているよりも俺やテッラ、アナスタシアに近い側の人間なのかもしれない。
生き方などの話ではなく、感性の話ではあるのだが。もしくはハロルド寄りの可能性もある。
「でもあれはフィフィも食ったんだろ?」
「余裕でしたねぇ。だからこそ男性ならあの量でもいけるのではないかと思ってお勧めさせていただきましたぁ」
からりと笑いながらフィフィはそう言って空になった皿とカップを回収して席を立った。
「私の話に付き合っていただいたお礼に紅茶を一杯サービスさせていただきますからぁ、少々お待ちくださいねぇ」
「シャロが現実に帰って来るまでもう少しかかりそうだからな……有難く頂戴するか」
「シャロさんはぁ……頭の中が苺で一杯ですねぇ……」
シャロを見て小さく笑いながらそう言ったフィフィはそのまま流れるように俺たちから離れて行った。
本人の言葉を信じるのであればこの後に紅茶を持って来てくれることになる。それまで俺は何をして待とうか。と考えていると視界の端に人影が映った。
それだけならば特に気にすることはないのだが、どうにも気になってしまいそちらに目を向ける。
俺が目を向けた先に立っていたのは黒く長い髪を風に靡かせている一人の少女だった。
ピースフルの外、通りを挟んでそれなりに離れているがどうしても気になってしまう。
それに少女も俺を見ていた。
「……あの、主様?」
シャロが思いのほか早く現実に帰ってきて、たぶん俺に何か話しかけていたのだと思う。
だがそれに一切反応することなく外を、というか一人の少女を見ていることに気づいたシャロが訝しみながら名前を呼んだ。
「……まさか」
「え?」
「シャロ、少し待っててくれ」
「あ、主様!?」
そう言ってから席を立ち、ピースフルを出てからその少女の下へと向かった。
遠目に見ただけではもしかしたら、という程度でしかなかったがこうして近づけばそれが確信へと変わる。
通りを歩く人の隙間を縫って進み、少女へと近寄ると少女は小さく笑みを浮かべて俺を見る。
そして少女の前まで辿り着くと俺へと笑顔を向ける少女に向けてこう言った。
「一目見ただけじゃ確信は持てなかった。でも……まだ少し甘いんじゃないか?」
「あはは……やっぱりアッシュにはばれちゃったか……でも、僕としては頑張った方だと思わない?」
「まぁ、確かにな。それで、今日はあの三人はいないのか、シルヴィア」
本来は銀の髪を短くしているシルヴィアが対極とも言える長い黒髪ということで最初は確信が持てなかった。
だが近寄ってみれば変装をしているだけのシルヴィアだということがすぐにわかった。
「うん、今日はちゃんと変装出来てるかどうか実地試験、ってね。ここまで誰にもばれなかったから上出来だね!って思ってたんだけど……」
「俺に見つかった、と」
「うん。ほら、アッシュの髪色って特徴的だからさ。そこで見かけて話しかけようかどうかって悩んでて……そうしたらアッシュがこっちに来るんだもん。驚いちゃった」
くすくすと小さく笑うシルヴィアに対して小さく肩を竦めて言葉を返す。
「どうにも気になってな」
「気になったって……あ、もしかしてアッシュってこういう長い黒髪の女の子が好みだったりするのかな?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ……何となく見たことがあったから、って感じだ」
「んー……ってことは、やっぱり僕の変装は甘いってことかな……遠目に見ても何かおかしい。って思われちゃうんだからさ」
「とはいえ俺じゃなければ見逃しただろうからな……」
きっと俺だからこそ目に止まって違和感を抱いたのだと思う。というのは傲慢だろうか。
何にしてもシルヴィアが一人で街中を歩いている。というのはあまりよろしくはないのかもしれない。
いや、普通に考えて第三王女であるシルヴィアが変装をしているとはいえ一人でいるというのは良くない。
王城の連中は一体何をしているのだろう。
「まぁ、良いか。シルヴィアはこれから何か予定はあるのか?」
「特にはないよ。変装がばれないか歩いて回って帰ろうかなって思ってたから」
「そうか……それなら……」
「ん?何かな?」
どうせこの後予定がないというのならこの間は出来なかった話でもしようと思う。
「一緒にお茶でもしませんか、お嬢さん?」
ただ普通に誘うだけでは面白みに欠けるのであえてここはナンパをするような言葉を選んでみた。
この言葉を聞いてシルヴィアはきょとんとした様子を見せたがすぐに破顔すると楽しそうに笑いながらこう返した。
「アッシュってば似合わないにもほどがあるよ!それに僕としてはそういう言葉よりも、アッシュらしい言葉をかけて欲しいかな」
「自覚はあるさ。まぁ、シルヴィアがそう望むなら……今日は良い天気だからな。怪我もしてないし、少しくらいなら話が出来るんじゃないか?」
前にシルヴィアが口にした話のネタを振るとシルヴィアの笑みが引き攣った。
「うん、アッシュらしいけどそれいつまで引っ張るつもりなのかな!」
「飽きたらやめるんじゃないか?」
「なら早く飽きてよ!もしかして僕と顔を合わせる度に言うつもりじゃないよね!?」
「どうだろうなー。それよりもそこにピースフルって店があるから行くぞ」
噛みついて来るシルヴィアの言葉を流しながらシャロを置いて来たピースフルへと歩を進める。
いきなりだったのでまずは戻ってシャロに事情を説明する必要があるが、シルヴィアの正体を教えるかどうか、少し悩んでしまう。
とりあえずは事情の説明と謝罪からだ。シルヴィアのことはその後で決めれば良いだろう。




