160.秘められた意味
「ちょっとアッシュ?」
もし使えない人間だったらどうしようかと少しだけ考えているとハロルドから声がかかった。
「どうかしたのか?」
「どうかしたのか?じゃないわよ……シャロってば完全に勘違いしてるわよ?」
「勘違い?何の話だ?」
「左手の薬指に嵌める意味よ」
「勘違いも何も、そういう物だろ?」
「…………え、もしかして……」
妙な沈黙の後でハロルドはそう呟いて俺を見た。
一体どういうことなのかわからず疑問符を浮かべているとライゼルが口を開いた。
「アッシュくん……婚約指輪、結婚指輪ではない指輪を左手の薬指に嵌める意味は、だね……その……」
「ちょっと過激というか、ねぇ?」
「うむ……いや、贈る側の想いというよりも受け取る側の想いなのだが……」
「いえ、素敵だとは思うのよ?でも……貴方たちはまだ子供だから……」
「どういう意味だって言うんだよ」
煮え切らない二人の言葉に軽く苛立ちながらそう問えば、途中から話を聞いていたシャロも不思議そうにしていた。
未だに赤いが、そのことについて考えるのはやめておこう。何となく、面倒なことになるというか、地雷というか。今は避けるべきだろう。
「……いえ、知らないなら知らないでも良いのよ」
「知っておかなければならないこと、というものではないからな……とりあえず、虫除け、ということにしておけば良いのではないかな?」
「あぁ……それもそうね。随分と強力な虫除けだけど」
「いや、二人で納得してないで教えろよ」
「そうですね……主様の言う以外にも何か意味があるのですか?」
「あるにはあるのよね。でも……まぁ、気にしなくて良いわ。それよりも話は終わりで良いのかしら?」
「私としてはまだ話がしたいが、そろそろお暇させてもらうべきかとも思っていてね」
「あら、そうなの?それなら仕方ないわね。また今度、飲みましょう?」
「あぁ、勿論だとも」
どういう意味があるのかと聞いている俺とシャロに答えず、完全にはぐらかすためにそうした話をしてハロルドとライゼルは矯正的に話を終わらせにかかっていた。
「あ、おい!」
「詳しい日程に関してはハロルドくんに伝える。というのが依頼としては正解かな?」
「ええ、そうなるわね。本来ならアッシュに直接依頼を持って来るのは禁止してるから、次からは気を付けて頂戴」
「うむ、心得た。それでは、また今度だ。アッシュくん、シャロくんも、北のオークの調査を無理をしないように頑張ってくれ」
「待て!!」
二人で事前に打ち合わせでもしていたのではないか、と思えるほど鮮やかにハロルドはライゼルを見送り、ライゼルは颯爽とストレンジから出て行った。
口を挟む隙はほとんどなく、またどうにかして口を挟むことが出来たとしても聞こえないフリくらいされそうだった。
「ハロルド!」
だがこの場には別の意味とやらを知っている人間が残っている。
どういう意味なのか教えろ。という意味を込めて名前を呼んだのだが、ハロルドはその意味に気づかないフリをしながら自分とライゼルの使っていたグラスを片付け始めた。
「さて、ライゼルも帰ったことだし片付けをしないといけないわね……あら、二人とも丁度グラスが空になってるじゃない!もう片付けても大丈夫かしら?」
「え、あ、はい……私は大丈夫ですよ」
「俺も問題ない。でも今はそうじゃないだろ」
俺の言葉など意にも介さずにグラスを片付けることに専念しているハロルドにそう言って、更に言葉を続ける。
「ハロルド、他にはどういう意味があるのか、それくらいは教えてくれても良いだろ」
「別に知らなくても問題ないと思うわよ?それにシャロがそうして指輪を嵌めているのなら本当に虫除けになるもの」
「虫除け、というのはどういうことでしょうか?」
「虫除けは虫除けよ。それもとびっきり強力な虫除けになるわね、それ」
微妙に困ったような、それでいて温かく見守るような、そんな微妙な表情を浮かべてハロルドはそう言ってから俺を見た。
だがすぐに視線をシャロに戻してから更に言葉を続けた。
「ただ……それをアッシュから受け取ったっていうことは他人に言わないように。って話だったけど、場合にては言っても良いんじゃないかしら?」
「いや、妙な勘繰りをされるかもって言っただろ?」
「そうだとしても、相手がはっきりしてる方が良いこともあるわよ?」
「……そういうものか?」
「ええ、そういうものなの。シャロも良いかしら?」
「は、はぁ……主様が良いのでしたら……」
「…………まぁ、ハロルドが言うってことは意味があることか。わかった、必要なら俺から受け取ったって言っても良いってことにしとくか」
時折ハロルドは俺ではわからないようなことを考え、それが結果として良い方向に作用する。ということがあるので今回もそういうことだと思い、半信半疑ながら良しとした。
虫除け、というのは左手の薬指に指輪を嵌めていればそういう関係の相手がいる。ということで妙なちょっかいをかけてくる相手はいなくなるだろう。
いや、元々俺が傍にいるのでそうしたちょっかいをかけてくるような相手はいないのだが。
「わかりました。必要だと思ったら、主様からの贈り物だと言いますね」
とはいえ下手をすると俺が幼女趣味だと思われてしまう可能性がある。
その辺りは大丈夫なのだろうか、と不安になってしまう。
「さて、話も纏まったから私はグラスを片付けて裏で少し夜の準備をするわ。二人はどうするのかしらね?」
「そうだな……微妙な時間だからピースフルにでも行くか」
「ピースフルですか!良いですね!!」
「あらあら……シャロってばわかりやすいわねぇ」
そんな俺の悩みなど二人は知る由もなく、これから時間を潰すのに適当にピースフルの名前を挙げるとわかりやすいほどにシャロのテンションが上がっていた。
まぁ、深くはないがあれこれと考えても仕方がないのでピースフルで甘い物でも食べながら今後のことに思考を向けるのも悪くはない。
「子供はこれくらいわかりやすい方が良いだろ。そうと決まれば、行くか」
「はい!ハロルドさん、ジュースありがとうございました!」
「良いのよ、気にしなくても。また夜にいらっしゃいね」
長居しても仕方がないのでさっさとピースフルに向かうことにして席を立つ。
それに続いてシャロも立ち上がり、ジュースを礼をハロルドに言った。
そんな俺とシャロに対してハロルドは微笑みかけながらそう言って、見送る態勢に入っていた。
「あぁ、それじゃ、また後で」
どうせ夜になればまた来ることになるのでそう言葉を投げてからストレンジを出た。
「ハロルドさん、また来ますね!」
俺に続いてシャロもそう声をかけて後を追ってきた。
振り返らなくてもわかるが、ハロルドは手を振って見送ってくれているだろう。
いつものことだ、と思いながらまずはピースフルへと向かうことにした。
▽
微妙な時間ということもあってかピースフルに人の姿はあまりなく、ウェイトレスとしてはフィフィが一人だけ待機している状態だった。
そんな状態のせいかピースフルに到着するとフィフィがすぐに俺たちに気づいて席まで案内してくれた。
「いやぁ……丁度暇だったので助かりましたぁ」
「まぁ、暇そうだよな」
「はぁい。暇で暇で仕方ありませんでしたねぇ」
「フィフィさんは忙しい方が良かったのですか?」
「そういうわけではありませんがぁ……暇すぎるのも考え物ですからぁ」
そうして三人で会話をしている間にメニューに目を通して何を頼もうかと考える。
シャロのようにまずは苺のタルト。というようにこれを頼もう。と考えていたわけではないので少し悩んでしまう。
「なるほど、そういうものなのですね」
「そうなんですよぉ。お仕事はぁ、適度に忙しい方がやりやすい気がしますよぉ」
そう言ってフィフィは上機嫌そうに笑みを浮かべていた。
何か楽しいこと、嬉しいことがあったのかと不思議に思いながらとりあえず注文を決める。
「シャロは苺のタルトで良いんだよな?」
「はい!よろしくお願いします!」
「なら俺はシンプルにパンケーキで、前と同じで二倍にしてくれ。それと紅茶を二つだな」
「はぁい。少々お待ちくださいねぇ」
と、そんな会話をしたのは数分前の話。
今は俺の頼んだパンケーキとシャロの頼んだ苺のタルト。それからフィフィのチョコレートケーキがテーブルに並んでいる。
そう、フィフィの食べるチョコレートケーキも一緒に並んでいる。
休憩時間に被るということで話でもしながら休憩がしたいとのことだったが店員としてそれで良いのだろうか、と思ってしまった。
「えへへぇー……実はですねぇ……最近とっても良いことがあって誰かに聞いて欲しいなぁ、なんて思ってたところだったんですよねぇ」
「良いこと、ですか?」
「はぁい!それはもうとっても良いことがあったんですよぉ!」
「あー、これは話を聞かないと解放されない奴だな。昔の話だけど紅茶狂いの依頼人と珈琲狂いの依頼人がそんな感じだったはずだ」
「そんなことはどうでも良いんですよぉ!良いから話を聞いてくださいねぇ!」
いつもよりも元気というか、非常に機嫌が良さそうなフィフィはそう言ってから俺たちの返事を聞くこともなく話し始めた。
「実はですねぇ……私の実家で起こっていた問題が解決しましたぁ!」
「そういえばフィオナが何か言ってたな」
「はい、それが原因でフィフィさんはお仕事を休んでいたとか……」
「そうなんですよぉ。でもすぐには解決しませんからぁ、こうして仕事を頑張っていたんですけどぉ……何と先日、本当に解決したんですよぉ!」
本当に今までに見たことのないテンションでそう言ってからフィフィは更に言葉を続けた。
「実は半分くらい諦めてたんですけどぉ、何とかなっちゃったみたいで率直に言って最高ですよねぇ!」
「シャロ、これは話を聞き流しておいて良いぞ。どうせ自分が言いたいことだけしか言わないし、要領を得ないからな」
「え?い、良いのですか……?フィフィさんはすごく楽しそうに話をしていますよ?」
「さっきから本人が嬉しい。ってことしかわからないだろ?だからまともに聞くだけ意味がないぞ」
「は、はぁ……」
フィフィの話を聞いても詳しいことは一切口にせず、ただ単純に嬉しい嬉しいばかりなので話を聞くだけ無駄と判断してシャロにもそれを伝える。
シャロは戸惑っているようだが、そんなシャロの意識をフィフィから引き離すのは非常に簡単だ。
「ところでシャロ」
「え、な、何でしょうか……?」
「そのタルト、本当に苺の数が多いな」
「あ、はい!そうですよね!いつも頼む苺のタルトも苺が沢山なのに、何と今回は二倍ですよ!凄いです!」
苺のタルトについて言及するとそれだけでシャロの意識からフィフィのことが消えてしまった。
まぁ、子供というのはこれくらいわかりやすい方がそれらしいと思うので俺からはそれについて何も言わない。
とりあえず、シャロには苺のタルトを食べさせて、フィフィは落ち着くまで一人で喋らせておくとしよう。