153.王都に降った灰の話
一触即発の空気の中、下手な行動に出ればどうなるか。
それを考えて俺もヘクターたちも動けないでいた。
だが一人だけ、この状況でも動く人間が一人。
「うむ、アッシュくんは思っていたよりも直情的な面があるようで驚いた。それにヘクター殿たちがそうして冷や汗を流しながら武器を構える姿など何年ぶりに目にしたことか……いやはや、今日はなかなかに愉快な日になった」
そう言ってライゼルは快活に笑った。
たったそれだけのことでこの場にいる全員の視線がライゼルへと向けられることとなった。
「アッシュくんが先ほど口にしたように、ヘクター殿とクレス殿は揺さぶりのために君の傍にいる少女を挙げていただけで投獄も拷問も考えてはいないさ。だからここは矛を、というよりもその灰と炎を納めてはくれないか?」
「シャロたちに手を出さないって確約するならライゼルの言うようにするけど、どうするんだ」
ヘクターとクレスの二人を見ながらそう言葉にした。
グィードは気にしなくて良いだろう。この場でこうしたことの決定権を持っているのはヘクターとクレス、それとライゼルだ。
第六憲兵団の団長と言う立場は確かに高い地位だとは思う。だがその上の第一憲兵団の団長や、それと同格のギルドマスター、王国騎士団の団長が並んでいる。
立場はたぶん、弱いのではないか、と判断している。
「…………ならおじさんとちょっとした約束をして欲しいんだけど良いかな?」
「何だ?」
「シルヴィア様にだけは危害を加えないって約束してくれたら助かるんだよね……どうかな……?」
未だに冷や汗を流しながら、徐々に顔色が悪くなっていくヘクターは少し前までの様子とは違い、弱々しくそんなことを口にした。
どうにもシルヴィアは色んな人から大事にされているらしい。
これが王家の人間だからということではなく、勇者だから。ということだろうか。
「…………貴族は嫌いだ。昔からクソみたいな奴ばかり見て来たからな」
仕事で貴族を殺したこともある身としては、本当にクソみたいな連中ばかりを見てきた。
だからこそ、そんな言葉を忌々しく思いながら吐き捨ててしまった。
「王家も嫌いだ。本当に、どうしようもないくらいに、大嫌いだ」
どうしてなのか、その理由は言わなくて良いと思っているので言わない。
この言葉の時点でヘクターたちの顔色が更に悪くなっていた。
「でも、シルヴィアに対しては悪い感情を抱いているわけじゃない」
そう言って灰と炎を鎮める。
「だからシルヴィアに危害を加えないことだけは約束する。だからお前らも……いや、お前らだけじゃないな。王族も、貴族も、憲兵団も、騎士団も、冒険者も、俺にとって大切な存在に危害を加えないようにしろ」
言い切ってヘクターたちを見るがぽかんと口を開けて間抜け面を晒していた。
返事がないことに多少なりと苛立ちがあったので睨むようにして一言。
「返事はどうした」
鎮めたはずの灰が舞い、炎が揺れるとヘクターたちが慌てたように口を開いた。
「わ、わかった!おじさん頑張って憲兵に少年の大切な人に手を出さないようにそれとなく伝えたりするから!勿論、おじさんも少年と一緒にいる女の子を捕まえて投獄したり拷問したりってのはしないよ!うん!」
慌てているというか、若干の怯えが見えるが気にしないでおこう。
「私もヘクター殿と同じく。ただ、冒険者全てを制御するというのは出来ることではございません。努力などは当然するのではございますが……」
「だろうな。まぁ、無茶を言ってる自覚はあるから出来る限りのことをしてくれ。何かあれば俺が容赦なく潰すだろうからその後処理を任せるかもな」
「それは……その、あまりやり過ぎないようにしていただけるのでございますよね?」
「俺から喧嘩を売ることはほとんどない。相手次第だ」
「……あまり、期待は出来ないようでございますねぇ……」
引き攣った表情でクレスはそう言って視線を彷徨わせていた。
そしてヘクターとグィードに目を向けてため息を一つ零した。
「あぁ、いえ……私がどうにかするしかないのでございましょうね……」
何処となく哀愁が漂っているが俺の知ったことではない。
仮定の話、俺を揺さぶるための話。そういうことだとわかっていてもシャロに対して投獄だの拷問だの口にしたヘクターとクレスが悪い。
俺から他の冒険者に手を出すことはほとんどないので、このくらいのことは言っても良いだろう。
そう自分の中で判断を下し、灰と炎を再度鎮める。
それを見てからもう大丈夫だと思ったのか、ヘクターが大きくため息をついてから緊張を解いていた。
「はぁぁぁぁ……もうさ、本当は王国に害を成さないように、とか言おうとしたけどさっきの少年の言葉を考えれば無理そうだよねぇ……」
「そうでございますね……ライゼル殿が動いていなければどうなっていたのか考えただけでゾッとしてしまうものでございますから……」
「申し訳ありません……私が彼の実力を見誤ってしまったことが今回の原因の一端です……」
「いやー、グィードは悪くないでしょこれ。はっきり言うけどおじさんたちも完っ全に甘くみてたわ……」
「久方ぶりでございますよ、自身の死を幻視することになるなど。ですがこのようなことを誰が想像出来るのでございましょうね……」
武器を降ろし、冷や汗を拭いながらそんな言葉を交わしている三人を見て随分と気が抜けているな。と思いながらライゼルへと視線を向ける。
ライゼルは何処となく安堵したような様子を見せている。
「ふぅ……良かった、あのままではどうなることかと思っていたが……アッシュくんが怒りに身を任せるようなことをしないでくれて助かった」
「……あいつらみたいに怯えてはいないんだな」
「うむ……まぁ、何だな。強大な力を隠し持っていたと怯えるよりも、その扱いを間違えるようなことはないと信じることから始めるべきだと思わないかね?」
「そういう教育方針でアルにも言ってるのか?」
「いや……アルはそうしたことを当然のように行える、何とも眩い子だよ」
言いたいことはわかる。アルのあの真っ直ぐさは俺にとっても非常に眩しくて目を逸らしてしまいたくなる時がある。
シルヴィアもそうだ。あの二人を相手にしていれば自身の醜さを嫌でも理解させられる。
それでも、そうした真っ直ぐさに惹かれてしまうのだからどうしようもない。
「そうだな……いや、そんなことは今はどうでも良いか。とりあえず、俺のことは誰にも言うな。この灰も、炎も、他人に知られて気分の良い物じゃないからな」
「……一つ、確かめておきたいことがあるのだが……」
「少し前に王都に降った灰のことか?」
「そうだ。あれはアッシュくんの仕業と言うことで良いのかね」
「あぁ、詳細は……いや、説明しておくか。おい、ヘクター!お前たちも聞け!」
俺からしてみればごちゃごちゃと三人で話をしているヘクターたちに声をかけてから灰を降らせた詳細を話すことにした。
詳細とは言ってもややこしい事情があるわけではないので長々と話すこともないのだが。
「え?何?何の話?」
「ヘクター殿たちも少し前に王都に謎の灰が降ったことを覚えているだろう?」
「ええ、勿論でございます。あぁ、なるほど。あの灰と、先ほどのアッシュ殿の灰を見れば簡単に繋がることでございましたね」
「あれはアッシュくんの仕業だったのか……だが、どうして……?」
「人攫いがいただろ」
「あぁ、その頃には確かにいたねぇ……もしかして、だけど……少年の傍にいた女の子が攫われた、とかそういう……?」
人攫いのことを話題に出した時点で何が言いたいのか察したヘクターがそう言った。
「そのもしかして、だ。あの灰が何なのか、何が出来るのか、その辺りは省くけどシャロを見つけるのに使った。まぁ、王都の何処かにはいるだろうって思って王都全体に降らせたけど……本当に見つけるためだけの灰だったから害はなかったはずだ」
「物理的には確かに害はなかったと記憶しているのでございますが……」
「王族、貴族、冒険者、庶民、旅人たちの中には恐慌状態に陥る者もいたはずです。あの時は先ほどのような異質な物は感じられませんでしたが、そうした者たちには何か感じるものがあったのかもしれませんね……」
クレスとグィードが疲れたようにそんな言葉を漏らした。
俺としては多少なりと騒ぎになっている。ということはわかっていたが、恐慌状態に陥るような人間がいたことに驚いてしまう。
あの本来どういうものなのか、それを理解せずとも感じ取ることが出来たということだろうか。
「ここでアッシュくんを責めたとしても今更だとは思う。だが……うむ、けじめという物が必要になる、ということであの灰がどういうものなのか、教えてもらえるかな?」
物理的な被害はなくとも、精神的に被害を被った人間がいる。ということを言われてしまえば俺としてもバツが悪い。
灰について全てを語れないし、どうしたものかと少し考えて口を開く。
「あれは俺の奥の手の一つだ。だから詳しく話すことはない」
この時点でヘクターたちは苦々しげな表情を浮かべ、ライゼルは俺の言葉に続きがあると判断したのか黙って俺を見ていた。
「ただ言えるとしたら……あれは本来、人が触れて良いような物じゃない。いや、同じ空間にいて良いような物じゃない。ってのが正しいのか?」
「それは、まぁ……あの異質な感じ、おじさんは体験したことなかったね……」
「アッシュ殿はあまり話したくない、ということであれば無理に聞くのはやめておくべきでございましょうね」
「そうですね……どういった物かわかりませんが制御は出来ているようですし……あまりしつこく聞いて機嫌を損ねるべきではありませんから……」
「グィード、そういうのは俺に聞こえない場所で言えよ」
呆れながらツッコミを入れれば何処となくバツが悪そうにしてグィードは目を逸らした。
とはいえそういうことを言いたくなる気持ちもわかる。
自分たちではどうしようもない得体の知れない何かを抱えた相手の機嫌を損ねるようなことがあれば何があるのかわからない。だからこその言葉だと思う。
まぁ、何にしてもそういうのは本当に本人には聞こえない場所で言うべきだということをどうしても考えてしまう。
「はぁ……まぁ、けじめって言われたからな。もう少し教えておくか」
この場で伝えるのは一番冷静なライゼルに対して、で問題はないはずだ。
「やろうと思えば王都を灰に沈めることが出来る。誰も生きてはいられないような、そんな環境に変えることが出来る代物だ。まぁ、やらないけどな」
やる意味がないからやらない。
やらなければならないと思えばやる。
そんな考えが伝わったのか、ライゼルは眉を顰めて言った。
「非常に恐ろしく、厄介な代物だということしかわからないのが現状。とはいえ……アッシュくんならば取り返しのつかないようなことはしないと信じているよ」
だがすぐに困ったような表情へと変わるのだから、ライゼルも大概お人好しだと思う。
いや、だからこそアルが懐くというか、アルに尊敬されるような人間なのだろう。
「ヘクター殿、クレス殿、グィード殿。アッシュくんの灰については他言無用、ということでよろしいかな?」
「勿論だとも。こんな話誰にしろってのさ。陛下にでも伝える?そんなことしたら少年がどう出るかわからないから出来ないよねー」
「王家はどうしようもないくらいに大嫌いだ、ということでございますからね……」
「他言無用、何者に対しても内密に。というよりありませんね……」
「あぁ、そうしてくれ。本来ならこんなところで披露するつもりはなかったのに、誰かさんたちのせいで使う羽目になったんだ。それくらいの気遣いはして欲しいもんだ」
チクチクと刺すようにしながらそう言えばライゼル以外の三人が苦い顔をした。
まぁ、あまり言い過ぎてもおくないのでこのくらいにして、イリエスの話へと戻さなければ。