Ex.不穏な会合
帝国のとある一室に数名の男女が集まり、大きな机を囲むようにして座っていた。
非常に剣呑な雰囲気が漂うその場には帝国の英雄と呼び称されるイリエスの姿があった。
その場の雰囲気など気にした様子もなく、ゆったりと葉巻を楽しみように紫煙を燻らせていた。
「随分と余裕そうに見えるわね、イリエス?」
そんなイリエスを睨むようにしてから声をかける女性が一人。
金色の長い髪を一纏めにした女は冷静に声をかけたように見える。だが、その表情には確かな怒りが浮かんでいた。
「あら、余裕そう、じゃないわ。余裕なのよ。だって面倒な仕事は全部終わって暫くは好きに動けるんだものね。まぁ……サンドラは随分と余裕がないみたいだけど」
「誰のせいだと思っているの!?」
「貴方のせいでしょ?まさか皇帝の警護をしている貴方が賊の侵入を許し、あまつさえ取り逃がすなんて……ふふ、とんでもない失態だわ。皇帝が目覚めれば随分とお怒りになるでしょうね」
「イリエス……!!」
怒りに震えるサンドラを見てもイリエスは小さく笑うばかりで全くと言っていいほど気にしてはいなかった。
それどころか警護を担当しているサンドラの失態だと口にする始末だ。
当然、そんなものはサンドラの怒りの炎に油を注ぐようなものだ。
「ちょっと、そういうのは他所でやりなさいよね。あたしたちはそんなことの為に集まったわけじゃないのよ」
それに対して苦言を呈したのはスキンヘッドの大柄な逞しい男だった。
仕方のない子たちね。とでも言いたげな様子が見て取れるが、それもまたサンドラの怒りを煽ることになった。
「ヒューゴ!貴方はイリエスに対して何も思わないの!?クレイマンを追うと言って王国領に行ったかと思えば見つからなかったとのこのこと帰って来たのよ!?」
「王国領まで追いかけただけ充分立派だと思うわよ?まともな準備もなく、部下を連れてあの山脈を越えるなんてあたしには無理だもの」
「それは!そう……かもしれないわ……でも!だからと言ってクレイマンを逃したことは正当化出来ないはずよ!!」
「あらあら。それならクレイマンに侵入されたことはどうなるのかしら?はっきり言って責任転嫁してるだけにしか見えないわねぇ」
ヒューゴがそう口にするとサンドラは言葉を詰まらせる。
本人が責任転嫁の為に口にしていたわけではないにしろ、事実としてそう取られてもおかしくはなかった。
サンドラとしては自身の失態を理解しつつも、クレイマンを追ったイリエスが成果を得ずに帰ってきたことが信じられなかった。というのが怒りを覚えている理由なのだろう。
「ヒューゴ、サンドラは責任転嫁の為に口にしてるわけじゃないはずだ。イリエスが成果を上げずに戻ってきたことが信じられない。そうだろう」
淡々と感情の籠っていない声でそう言ったのはこの場には不釣り合いな幼い少年だった。
軍服と軍帽、そして多くの勲章を付けていることから階級の高さが窺えるが、それがまた不釣り合いな少年だった。
だが少年の声を聞いてサンドラは背筋を伸ばし、ヒューゴは口を噤んで姿勢を正した。
「イリエス。クレイマンを逃したことはどうでも良い」
そんなサンドラとヒューゴに興味はないようで、イリエスへと視線を向けた。
「僕が気になるのは、イリエスが戻って来た時に機嫌が良かった理由だ」
クレイマンが見つからなかった。
その事実だけであればイリエスの機嫌が良いわけがない。だが戻ってきたイリエスの機嫌は非常に良く、それを見て異常なことだと判断したのだろう。
「あら、カルナはそんなことが気になるのかしら?」
「異常な事態を見て、捨て置くほど楽観的じゃない。僕に言えないことなのか」
「別に教えても良いけれど……一つ、約束をしてくれるかしら」
カルナへと視線を返したイリエスはそう言った。
カルナは小さく首を傾げて、ただイリエスを見る。その視線の意味は早く言え。ということだろう。
「一人、何があっても貴方たちに手を出して欲しくない人間がいるのよ。名前と特徴を教えるから、手を出さないでくれるわね」
疑問形ではなく、それが確定事項だと言うように口にしたイリエスにサンドラやヒューゴなどその場にいる全員が驚いたように目を見開き、イリエスを見る。
カルナは驚いた様子を見せないが、目を細め、その真意を見極めようとしている。
「……返事はどうしたのかしら」
何てことはない言葉のはずのそれには背筋が凍るような殺気が込められていた。
先ほどまでイリエスに対する怒りの炎を燃やしていたサンドラはそれだけで身を震わせながら縮こまっていた。
ヒューゴは平静を保ちながらも、その頬には冷や汗が伝っていた。
その場にいる他の人間も同じような反応をしている中でカルナだけは違った。
「それは僕が判断する。イリエス。名前と特徴を言って欲しい」
「はぁ……仕方がないわね」
イリエスの殺気を受けても平然としているカルナに対してため息をついて、名前と特徴を上げる。
「灰を被ったような白に近い灰色の髪をした男。名前はアッシュよ」
「そうか。僕たちに手を出すな、ということは漸く見つけたのか」
「ええ、そうよ。やっと、本当にやっと見つけたの。邪魔をしないでくれるわよね」
「僕は現状手を出す気はない。王都へと出向く予定もない。サンドラ、ヒューゴ、スティアーノ、カイウス、ゼノヴィア。お前たちはどうする」
無表情のカルナと笑みを浮かべるイリエス。
そんな二人の様子を見守っていた、というよりも何かあってはいけないと警戒していた五人は突然カルナに話題を振られてどう答えた物かと考えていた。
「……私は、皇帝の身辺警護が役目よ。外に出るほど暇じゃないわ」
「そうねぇ……あたしは帝都の巡回がメインだから王都に足を運ぶことはないわ。つまり、手の出しようがないってことよ」
サンドラとヒューゴは内心で抱えるイリエスへの恐怖のような感情を悟られないようにそう言った。
「そうね……私は少し興味はあるわ。でもイリエスのお気に入りに手を出すほど愚かではないの」
スティアーノと呼ばれた青い髪の女はそう言った。
興味がある、と言う言葉が出た瞬間にイリエスが目を細めていた姿を見たスティアーノは平静を装いながらも言葉を続けていた。
お気に入り、というよりももはや執着しているようにすら思えたスティアーノは即座に手を引いた。とも言える。
スティアーノは内心でイリエスに執着されることとなったアッシュに対しての同情心を抱きつつ、それと同時にどういった男なのか、と更に興味が湧いていた。
「うむ、吾輩も手を出すつもりはない。だが我らが皇帝に害成すとなればそうも言ってはいられんだろうな。イリエス、それは理解しているだろうな?」
ふくよか、と言うには聊かあちらこちらに肉をつけた深緑色の髪の男がイリエスを見ながらそう口にした。
「ええ、勿論よ、カイウス。その時は私が動くつもりよ」
「イリエスが不用意に動いて被害が拡大する方が恐ろしいが……」
「仕方ないだろう。イリエスが本気で動く時は被害を気にせず嵐のように全てを蹂躙する」
「それはわかっているのだが……いや、そうだな。被害が出ないように立ち回るのは吾輩の役目としておこう……」
カルナの言葉にカイウスは頭を痛めたようにしていたが、それでも自身の役目だとして無理やり自分を納得させていた。
その様子を見る限り、イリエスが出した被害の尻拭いをしているのは普段からカイウスだということが窺える。
心なしかその場にいるイリエスとカルナ以外から向けられている視線には同情のような物が含まれているにも思える。
「ゼノヴィア。貴方はどうするのかしら?」
そんな四人はどうでも良いと最後の一人である、紫の髪をした女にイリエスが視線を向けた。
「イリエスのように自由に動けないにしろ、外で行動することが多いゼノヴィアはそのアッシュと言う男に出会う可能性はないとは言い切れない」
「カルナは帝都の仕事と魔族への対処で忙しいものね。私としては一番可能性があるゼノヴィアがどうするつもりなのか是非聞きたいわ」
カルナもゼノヴィアを見る。
ゼノヴィアは二人の視線を受け、姿勢を正してから口を開く。
「アッシュという男に興味はない。とはいえ……私の任務の関係上、遭遇することがあれば殺すことになるだろうな」
「ええ、そうね。そうかもしれないわね」
「もしそうなった場合には許せ」
「任務上、見逃せない場合はそうなるだろう。イリエス、最低限の妥協はしておくべきだ」
「……ゼノヴィア、そうね、ゼノヴィアだものね」
ゼノヴィアの言葉を聞いて、イリエスは何かを考えるようにそう言ってから笑みを深くした。
「ええ、そうなったら仕方ないわね。良いわ、ゼノヴィアがアッシュを殺せるというのなら好きにすると良いと思うわ」
ゼノヴィアにはアッシュを殺すことは出来ない。
そんな確信を持ってイリエスは好きにすると良いと口にした。
「……私では殺せないと、そう聞こえるな」
「ふふふ……あれは私の敵よ。貴方程度にどうにか出来るとは思えないの」
「ほう……良いだろう。ならば殺そう」
「好きにしなさい」
お互いに笑みを浮かべての言葉のやり取りは見ていて薄ら寒い物がある。
基本的にこの場に集まった人間は仲が良いというわけではない。どちらかと言えばお互いに牽制し合うことが多いので仲は悪い方ではないだろうか。
ただイリエスは牽制しても意味がない相手であり、全てを受け流した上で反撃をする。
カルナはそうした牽制のしようがない立場と仕事ぶりでまとめ役になることが多い。あまりまとめ役としては機能していないことの方が多いようにも思えるのだが。
「話が纏まったな」
「纏まった、と言えるのか危うい状況だと吾輩は思うのだが……」
「良いんじゃないかしら。イリエスの執着している相手に手を出さない。そうすればイリエスは満足なのよね?」
「ええ、そうよ。後は勝手にしたら良いんじゃないかしら。貴方たちみたいに私は手柄に興味はないもの」
「私たちが手柄の為に任務を果たしていると思っているのか!!」
「サンドラ、落ち着きなさい。イリエス、私たちは皇帝の為にこそ任務を果たしているわ。そういう言葉は謹んで貰えるかしら」
「イリエスには言うだけ無駄だろう?自分にとっての敵と出会い殺し合うことしか考えていない頭のイカレた女なのだから」
まったくと言っていいほど話は纏まっていない。
だが纏まったとカルナは言って次の話へと進めようとしている。
「次は魔族への対処についてだ」
自分以外の六人以外がどういう状況なのか一切気にせず本当に話を進めるカルナ。
非常に混沌とした状態となり始めているが、この七人が集まった場合は大体がこうなる。
ある意味でこの七人にとっての日常風景のようなものだが、外で待機しているそれぞれの部下は心中穏やかではない。
それぞれの部下が上官への言葉を聞いて怒りによって赤くなったり、青ざめたり、どれだけの心労を重ねているのかと心配にもなるが、こういう物なのだと諦めるしかないのだろう。