143.女神らしい振る舞い
カルルカンの撫で方をイシュタリアに教えてから少しすると、イシュタリアは先ほどまでのどうしたら良いのか。という様子はなくなり、デレデレしながら楽しそうにカルルカンを撫でていた。
ただカルルカンは非常に不服そうにしていたので、あまり撫でるのは上手ではないようだった。
イシュタリアはそれに気づいていないようなのでいつカルルカンが嫌がって離れて行ってもおかしくはない状況だった。
「はぁ……カルルカンってやっぱり可愛いわね……」
今までこんなに幸せそうに、というかデレデレしているイシュタリアを見たことがあっただろうか。いや、ない。
まぁ、昔からイシュタリアはカルルカンに惚れこんでいるので仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。
「ねぇ、貴方……私と契約して神獣になるつもりはないかしら?」
この女神は何を言っているのだろうか。
いや、イシュタリアがカルルカンのことをそれほど本気で気に入っているということか。
だからと言って神獣にしようと考えるのはどうなのだろう。
世間一般ではカルルカンは神聖な動物という風に見られているので、今更と言えば今更なのかもしれないのだが。
そんなことを考えているとカルルカンが頭を振ってイシュタリアの手から逃れ、嫌そうに一鳴きした。
「神獣とか面倒くさそうだから絶対に嫌だ。そんなのよりも丘を走り回って、巣でみんなと遊んだり、たまに俺に撫でてもらってり、そういう自由気ままな生活の方が良いんだってさ」
「くぅ……!でもそういう自由なところも好き!!」
「幸せな頭してるよな、本当に」
「うっさいわね!良いのよ、カルルカンは特別なの!!」
「はいはい。悪かったな、こんなことに付き合わせて」
憤慨したようなイシュタリアを放っておいて、イシュタリアに撫でられている間、我慢していてくれたカルルカンを労いの意味を込めて撫でる。
すると先ほどまでと違って気持ち良さそうに鳴き声を漏らしながらぐいぐいと頭を押し付けてくる。
俺にとってはいつものことで、イシュタリアにとっては羨ましい限りのことだろう。
嫉妬と羨望の眼差しを向けて来るので良くわかる。
「私が撫でてもそうはいかないのに……まさか、シャロの言っていた撫でマスターっていうのが本当に存在するのかしら……?」
「それはシャロの戯言だと俺は思ってるけどな。あぁ、それと、人の様子を覗き見るのは何を言ってもやめないだろうけど、プライバシーくらい尊重したらどうなんだ?」
「あら、女神である私が見守っているのよ?むしろ感謝するべきじゃないかしら?」
「ろくでなしの女神にそう言われてもな」
俺の言葉に、カルルカンが同意するように鳴き、イシュタリアを非難するような視線を向けた。
カルルカンの言葉がわからないイシュタリアでも、流石にそういった視線に込められた意味を理解出来たらしく、たじろいでいた。
「カルルカンも、自分のプライバシーは尊重して欲しいよな?」
まったくだ!と言うように鳴いたカルルカンは、それからすぐにそんなことはどうでも良いのでもっと撫でてくれ。と鳴く。
イシュタリアの相手をしてくれていたので、お礼とまではいかないまでもしっかりと、入念に撫でることにした。
いつもは少なくても数匹、多くて十数匹のカルルカンに囲まれるのでこうして一匹を撫で続けることは少ない。
イシュタリアの相手をしたことと、こうして俺に撫でられ続けること。天秤にかければどうにかプラスの出来事としてカルルカンは処理してくれる。と良いのだが。
「ぷ、プライバシーは最低限守るわよっ?で、でも、ほら!私って女神で、人間を見守るのが仕事みたいなところもあるのよね!だから仕方がないのよ!そう、仕方がないの!」
「見守るって言うよりも、何か面白いことはないかって覗いてる感じだろ」
「それはアッシュが捻くれているからそう考えてしまうだけね。他の人間に聞いてみなさい?私がそうやって見ているのは、見守ってくれているって答えるはずよ」
「はぁ……何を言っても意味がなさそうだな」
ため息を零してからそう言って、カルルカンの相手に専念することにした。
片手間にやっていても良いのだが、先ほどから催促の声が聞こえているのでそちらに集中するのも良いだろう。
「でも……撫でマスターっていうのも少し気になるのよねぇ……」
「イシュタリアまで……」
「だって、シャロよ?私が見ている限りそういったことで嘘を言うような子には見えないし、何処で聞いたのか気にならない?」
「……まぁ、確かにそうかもしれないけど……」
「そうと決まれば任せなさい!私がその撫でマスターっていうのが何者なのか、きっちり調べ上げてあげるわ!大丈夫、女神の権能を使えばすぐのはずよ!」
「お前は権能の盛大な無駄遣いをしようとしてるって自覚、あるか?」
「ないわ!!」
言い切って、流石私だ。みたいな顔をしているイシュタリアはろくでなしというよりもポンコツ感がマシマシだった。
「これがこの世界で最高の女神ってのはどうなんだろうな……」
イシュタリアに対して呆れながら、シャロとカルルカンの子供の様子を見るためにそちらに目を向ける。
シャロはこちらを見たまま固まっていて、カルルカンの子供に心配されていた。
どうしたのか、と一瞬考え、すぐにその答えが出た。イシュタリアの存在だ。
「い……」
「い?」
「イシュタリア様!?」
イシュタリアの姿を確認したシャロがそう叫ぶと同時にカルルカンの子供たちが驚いたように顔を上げ、シャロの視線を辿るようにイシュタリアを見た。
すると急に反転し、逃げるように親のカルルカンの後ろへと隠れてしまった。
「何で!?」
シャロが名前を叫んだことよりも、自分の顔を見て逃げたカルルカンの子供に対してそう叫んだイシュタリア。
まぁ、神性のせいだ。きっとそうだ。そういうことにしておけ。と内心で思いながら、とりあえずシャロにイシュタリアを引き合わせることにした。
「折角だ。挨拶くらいするよな」
「え、ちょっと。その言い方は挨拶するって確定してる言い方よね?」
「するだろ」
「え、えぇ!挨拶くらいするわよ?だからその目はやめてくれるかしら?断ったら殺す、みたいな目になってるわよ」
「それは悪かったな。無意識だ」
「無意識ってのは余計に性質が悪いわね……」
そう言ってからイシュタリアは目を閉じて深呼吸をした。
次に目を開けた時には、デレデレとしたりカルルカン相手にショックを受けたりポンコツ感が酷かった先ほどまでの様子とは異なっていた。
シャロに対して歩み寄り始めたイシュタリアの艶やかな黒髪は風もないのにふわりと舞う。強力な神性により、イシュタリアが望まずとも世界に影響を及ぼす神威の力だ。
シャロに対して小さく微笑みかける姿は美の女神として謳われるイシュタリアだからこその美しさと、その姿から目を離すことが出来なくなるような神々しさ、そして全てを受け止め、優しく包み込むような柔らかな温かさを感じた。
これが女神イシュタリアの、女神としての本来あるべき姿だ。
「また会いましたね、シャロ」
「は、はい!」
「そう固くある必要はありません。貴方は私が与えた役目を全うしている、尊ぶべき信徒の一人なのですから」
「あ、ありがとうございます!イシュタリア様!」
「ふふふ……ですが、貴方に対して、少しばかり思うことがあるのです。聞いてくれますか?」
「え……?な、何でしょうか……?」
女神としての荘厳さを失わないようにと話しかけているイシュタリアだったが、俺としてはそろそろ限界だと思っている。
それなりの付き合いがあるからわかる。あれは女神らしい振る舞いをしているが、抑えきれない思いが暴走しそうになっている。
「では、言わせていただきます」
「はい……」
神妙な顔でイシュタリアの言葉を待つシャロだったが、その表情は崩れることになるだろう。
「どうして……」
「どうして……?」
「どうしてシャロはカルルカンの子供とじゃれ合えるのに、私は逃げられるのよ!!」
こういう反応をするくらい、知ってた。
「え……えぇー……」
シャロは最初は何を言われているのかわからなかったようだった。
だがどうにか理解して、次に今度はそんなことを言われても。とでも言うような声を漏らした。
「それに前から見てたけど!私はカルルカンを撫でられなかったのに!シャロはどうして撫でられてたのよ!!不公平じゃない!!」
「そ、そんなことを言われましても……それに、カルルカンさんに関しては主様のおかげですから……」
「アッシュ!ちょっと来なさい!それとカルルカンたちも集まってくれるとすっごく嬉しいわ!」
「はぁ……カルルカンは集まらないし、集めないからな」
イシュタリアに呼ばれてため息を零してから二人に近寄る。
カルルカンたちは集まってくれると嬉しい。と言われたが関わり合いになりたくない。とでも言いたそうな表情で俺たちを遠巻きにしていた。
シャロはどうしたら良いのかわからず、オロオロしている。
イシュタリアは憤慨している、というほどではないがぷんぷんと擬音が聞こえてきそうな怒り方をしている。
俺はそれを見て非常に面倒だと思っている。
「アッシュ!ずるいわ!不公平だわ!不条理だわ!不義理だわ!!」
「うるさいぞ、クソ女神。カルルカンに関しては、お前が出てこなかっただけだろ」
「私が顔を見せたら逃げるんだから仕方ないじゃない!ってことで、ほら、どうにかしなさいよね!」
「どうにかって言われてもな……」
「えっと、あの……カルルカンさんに、イシュタリア様にもなでなでさせてあげてくださいって、お願いするとか……?」
「さっきやった。女神って言われても信じられないくらいデレデレしてたけどな」
「あ、そうなのですか……それなら、イシュタリア様も満足してもおかしくないような……?」
「まだよ!全然満足してないわ!と、いうことで……ねぇ、アッシュ?もう一回!もう一回で良いから、カルルカンを撫でることは出来ないかしら?」
「一回くらいならどうにかなると思うけど……」
「本当!?なら、よろしく頼むわね!」
「良かったですね、イシュタリア様!」
「あ、別に一回じゃなくて、今後も撫でられるならそれに越したことはないから、その辺りもよろしく頼むわ!」
「そこはカルルカン次第だな」
イシュタリアの変化だとか、態度だとか、様子だとか、その辺りのことがあってオロオロしていたシャロだったが、今はそんな様子は微塵もない。
女神らしさを投げ捨てたとしても、最高位の女神であるイシュタリアはそこにいるだけで全てに影響を与える。
イシュタリア本人がシャロに対して親しみを持っているようだったので、それに応じるようにシャロもイシュタリアに対して親しみを持っていたのだろう。
何にしても、シャロとイシュタリアが顔合わせをして、こうしてまとも、かどうかはさておき、会話をしているのを見ると少し安心する。
もしシャロがイシュタリアの怒りを買うようなことがあればどうなるのか、考えたくもない。
とりあえずはご機嫌取りを兼ねてカルルカンを説得することにしよう。