136.子犬同士、結託
三人とも紅茶を飲んで一息ついてから漸く本来の話、テッラがこの家に住むことについて、それに付随するあれやこれやの話をすることになった。
宵隠しの狐ではお互いにキャンキャンと吠え合っていた子犬二匹は既に随分と仲が良さそうに見えるので特にそうした話をしなくても大丈夫なような気がするが、本来の目的ということなのでそこはちゃんとしておくべきだ。
「それじゃ、一息つけたんだから色々と話をしようか」
「あたしがこの家に住むことに関して、チビ助も聞きたいことがあるだろ?」
「ええ、それは勿論あります。まず、主様とテッラさんはどういう関係で、どうしてこの家に住むという話になったのか、それを聞かせていただけますか?」
一番気になっているのはそれだと言いたそうにシャロが俺とテッラを見てそう言った。
「それについて最初に言っておくべきことはこれだろうな」
そう言ってから紅茶を一口、それから言葉を続ける。
「前に話したクレイマンのことを覚えてるか?」
「はい。主様がスラム街で救った方の名前ですよね?」
「別に救ったとかじゃなくて、勝手に俺があれこれ仕込んだだけだ。まぁ、とにかくそのクレイマンがテッラだ」
「……え?」
俺の言葉を受けてシャロがテッラを見ると、テッラはそれがどうかしたのかと言いたげな様子だった。
「あぁ、あたしがクレイマンだ。アッシュは灰被り、あたしは泥被り。どうだ、字面は似てるだろ?」
そう言って何処となく自慢げにしているテッラに、蔑称を気に入るというのはどうかと思ってしまった。
いや、蔑称自体ではなく俺と似たような字面だからなのだが、本当にそれで良いのだろうか。
「字面は確かに似ていると思いますけど……あぁ、でも、主様が言うように、クレイマンというのはテッラさんのことだとすれば納得出来ます」
「そうか?」
「はい、テッラさんの主様に対する態度は自分を救ってくれた相手に対する態度だと考えればむしろ当然の物だと思いますからね」
「まぁ、それだけじゃねーけどな。で、チビ助。あたしの方がアッシュとの付き合いが長いんだからもっとあたしに遠慮しろよ?」
「それとこれとは話が違います。テッラさんばかりが主様に甘えるのは不公平ですよ!」
「あたしは良いんだよ!それにチビ助に甘えるなって言ってるんじゃなくて、あたしに遠慮しろって言ってるだけだ。少しくらいならアッシュに甘えても見逃してやるさ」
「……その少し、というのはどれくらいですか?」
「あたし以下なら良し!!」
堂々とそう言い切ったテッラに対してシャロはとても不満そうだった。
ただそんなシャロを見て俺は内心では割と嬉しかった。
俺に甘えるとそれが癖になってしまいそうだとか、甘えるにしても我慢が必要だとか、そうして甘えるならタイミングを見極める必要があるだとか、そう言っていたシャロが俺に甘えることを考えてくれている。
きっとシャロ一人だとそうやって我慢だ何だと言い続けたかもしれないが、俺に対して遠慮なく甘えようとするテッラがいるため、それに張り合っているのだろう。
思いもよらない収穫というか、願ってもない状況というか。とにかく、テッラを連れて帰って来たのは正解だったらしい。
「むむむ……テッラさん以下というのはわかりづらいと思います!」
「知るかよ。とにかく、あたし以下だからな!」
これではまた俺の目の前で子犬対子犬の戦いが繰り広げられてしまう。
どうにかして止めなければまた二人で結託して俺に何かしらの要求をして来るかもしれない。
「ストップだ。テッラはもう昔と違って子供のままじゃないんだから俺に甘えるのは少しくらい自重したらどうなんだ?シャロは甘えたいと思った時に甘えてくれれば良い。子供の特権ってやつだな」
「はぁ!?それはずるいだろ!!チビ助がアッシュに好き勝手甘えるならあたしだって同じようにするからな!?」
「子供の、と言われるとちょっと複雑です。でも、本当に甘えても良いのですか?自分で言うのもどうかと思いますけど、本当にすっごく甘えちゃいますよ?」
「あぁ、俺はそれで良いぞ。テッラは自重しろ、本当に」
「主様……そ、それでは、今度から甘えたいと思った時に甘えさせていただきますねっ」
テッラには甘えるのを自重するように言って、シャロには甘えたいときに甘えてくれ。と伝える。
それに対してテッラが噛みついて来るがそれをスルーして本当に良いのかと尋ねるシャロに本当にそれで良いと返すと嬉しそうな笑顔を浮かべてそう返してくれた。
そこで終わればちょっと良い雰囲気で終われるのだが、それを良しとしない人間が一人。
「アーッシュ!あたしを無視するのは良くないぞ!拗ねるぞ!!」
「あぁ、はいはい。悪い悪い。テッラも……まぁ、ちゃんと自重するなら多少は甘えても良いぞ」
「言ったな!?本当に甘えるからな!?」
「自重するなら、だ」
「わかった!あたしなりに自重しながらめちゃくちゃ甘えるからよろしくな!」
「お前絶対にわかってないだろ」
言い終わるとほぼ同時に、俺の隣に移動すると俺の手を取り、それを自分の頭の上に乗せた。
それがどういう意図なのかわかってしまったのでどうしようかと考えているとシャロも俺の隣へと移動していた。テッラに気を取られて気づけなかった。
そしてシャロもおずおずとだがテッラと同じように俺の手を取ると、それを自分の頭の上に乗せて何かを期待するように俺を上目遣いで見つめてきた。
「……二人とも、お互いに張り合ってるようで結託するのはどうかと思うぞ」
そう言ってから二人の頭を撫でる。
二人のこの行動は、つまりはそういうことだ。撫でろ、という意味を込めてのそれを理解したからの行動だったがやはりそれで正解らしい。
シャロは嬉しそうに頬を緩ませ、テッラは目を細めて大人しく撫でられている。
「別に結託なんてしてねーよ。たまたまだ」
「はい、そうしたことはありません。ただ、私とテッラさんは主様に撫でて欲しいと思っただけですよ」
「そうそう、偶然そうなっただけだからな」
「どう考えても結託してるようにしか思えないんだけどな……」
そう言ってから二人の頭を軽く撫でてから手を止め、撫でるのをやめる。
そして椅子から立ち上がって空になったティーカップを回収してキッチンへと持って行く。
「あ、おいアッシュ!」
「主様?」
不満そうな二人を気にせず、ティーカップなどを洗いながらこう言った。
「これからピースフルに行くんだろ?だったらここのでゆっくりしてるのもどうかと思うぞ」
「あ!そうだった!!いやー、チビ助が行きたいって言うからなー!仕方ねーなー!」
「えっと……私は行きたいとは言ってませんけど……」
「言ってたからな!仕方ねーよな!!」
「シャロ、聞き流せ。テッラは自分が甘党でそうした物が食べたいってのを否定したがるから」
「え、あ、はい……別に、否定しなくても良いと思いますよ?」
「うっせーな!ほら、さっさとピースフルに向かう準備しろよな!!」
「はいはい。シャロ、準備してくれ」
「わかりました。とは言っても、これと言っても準備もないんですけどね」
テッラはシャロが行きたいと言っていたのであって、自分が行きたいと言ったわけでも思ったわけでもない。と言い張っているが、ピースフルへ向かう態勢を整えて今か今かと待っているので説得力は皆無だ。
それとシャロは準備は必要ない、と言ったが俺としてはやっておいた方が良いことに心当たりがある。
「シャロ、魔力変換は使わないのか?」
「……主様、魔法を使っても被害が出ないようにするにはどうしたら……?」
「そうだな……ふわり解けてに軽い魔法を使えば良いんじゃないか?本当に解けて消えるように魔法を無効化してくれるぞ?」
「な、なるほど……でも、その……」
言い淀むシャロの視線の先にはテッラがいる。
それを見て、片付けが終わったのでシャロの傍に歩み寄りながら口を開く。
「あぁ、大丈夫だ。テッラなら余計なことはしないさ。それに一緒にこの家で生活するなら隠し通すことは無理だろ?」
「それは、そうですけど……」
「テッラ。今から見るものについては口外無用だ。良いな?」
「あ?何かあるのか?」
「シャロ。帽子を取ってくれ」
「……わかりました」
覚悟を決めたようにそう言って、シャロが帽子を脱ぐと綺麗な水色の髪の隙間からエルフ特有の尖った耳が姿を見せた。
それを見たテッラの反応を窺うシャロだったが、きっとシャロにとっては予想外の反応だっただろう。
「へー、エルフか。珍しいじゃん」
「え、あの……」
「まぁ、確かに他の奴に見られたら面倒になるかもな。わかった、口外はなしだ」
「あぁ、頼む。それと、前に言ったことを覚えてるな?」
「おう。こういうことなら、仕方ねーよな」
「あ、主様……?」
俺がエルフだと知られたらどうなるか、と散々脅していたのにテッラは大して興味を示さなかったことでシャロはどうしたら良いのかと俺を見てくる。
「テッラの反応の方が珍しいと思っておいた方が良いぞ。それと、テッラなら大丈夫だって言っただろ?」
「は、はい……でも、何だか納得がいかないと言うか、釈然としません」
何処となく拗ねたようなようにそう言ったシャロに小さく笑ってからテッラへと視線を向ける。
「そんなこと言ってもなー。あたしにとってはチビ助はチビ助で、種族とかどうでも良いんだよな」
「えっと……何となく、テッラさんらしいような気がしますね」
苦笑交じりにそう言ったシャロは、それでも何処となく嬉しそうに見える。
「よし、テッラにシャロがエルフだって教えたことだし、ピースフルに向かうか」
「おう!さっさと行こうぜ!!」
「あ、待ってください!まだ魔法を使ってませんよ!」
「なら早くしろよ。そろそろテッラが我慢出来なくなりそうだからな」
「わ、わかりました!えっと……本当に軽く……」
無詠唱で炎を起こしたシャロはそれをふわり解けてへと近づける。
するとその炎は本当に解けて消える、と表現するしかない消え方をした。
「主様の話を信じていないわけではありませんでしたけど、本当に魔法を無効化してしまうのですね……」
「だから言っただろ?」
そう言っている間にも氷を作ったり、風を起こしたり、雷を発生させたりしながらそれをふわり解けてに近づけ、ふわり解けての効果で魔法を無効化する。ということを繰り返していた。
いつまで続けているのだろうか、と思いながらシャロの手からふわり解けてを取り、それをシャロに被せながらこう言った。
「ほら、そろそろ良いだろ。行くぞ」
「もう少し使っておきたいような気もしますけど……はい、わかりました。テッラさん、お待たせしました」
「べ、別に待ってねーよ。それよりも、チビ助が行きたいって言うんだからさっさと行くぞ!」
言ってから真っ先に扉へと向かったテッラに苦笑を漏らしながらシャロと共にその背を追う。
追いながら、短い時間だがこの家の中でのやり取りを見てこの二人なら大丈夫だと確信した。
きっとテッラであれば何だかんだでシャロの面倒を見てくれるし、シャロはテッラと過ごす中で今よりも笑顔が増えるだろう。
となればそれはテッラのおかげということになる。そう考えれば多少なりとテッラに甘えさせる機会を増やしても良いのかもしれない、とも思ってしまった。