Side.好意の理由
アナスタシアが仮眠を終え、アッシュと入れ替わり見張りをすることになった。
充分な仮眠、というわけではないがまた何かあった際に何ら問題なく動ける程度には仮眠を取れたアナスタシアは、仮眠を取る前よりも肌に艶があるように思えた。
そんなアナスタシアをちらりと見てからテッラが口を開く。
「……デカ女」
「はぁ……何か用がありまして?」
デカ女、という呼び方についため息を零してからアナスタシアはテッラに視線を向けず、前を見たままそう言った。
「皇帝のこと、知ってたんだよな?」
「……ええ、全てを知っている。というわけではありませんけれど、他の方よりは色々と知っていますわ」
「ふーん……」
興味なさそうに、もしくは何か考えているようにそう返してからテッラは沈黙した。
アナスタシアとしてはいきなり皇帝について聞かれたことで何かあるのかと警戒していたが、そういうことはないようだった。
ただ皇帝の話が出たことによって、テッラは皇帝の姿を見た人間であり、先ほどは少ししか話を聞かなかったことを思い出す。
「あの、テッラさん?」
「何だよ」
「皇帝についてですけれど……」
皇帝について、何を聞こうか。
聞きたいことは沢山あるけれど、それをテッラが答えられるのかはわからない。だからこそ言葉に詰まってしまったアナスタシアだった。
「あたしが答えられることなんてほとんどないぞ。ただ……」
「ただ?」
「アレには関わらない方が良いと思う。あたしたち程度の人間にどうこう出来る存在じゃないだろ」
「それは……ええ、確かにそうですわね……」
「だから、デカ女がどうしてアレについて知ってるのか、気にしてるのか、そういうのは聞かないけど……アレに関わってもろくなことはないんじゃないのか?」
アナスタシアがどうして皇帝のことを気にかけているのか、それについて聞く気はないテッラだった。それでも関わるべきではないと忠告するのは皇帝という存在を直に見たからだろうか。
「忠告、痛み入りますわ。ですけれど、わたくしにはわたくしの事情と目的がありますわ」
「そう言われると何も言えないな。なら好きにしたら良いんじゃないか?」
個人の事情と目的、というのは詮索すべきことではなく、また他人が口出しをするものではない。そうした考えがあるのでテッラは好きにしたら良いのではないか、と口にした。
そしてすぐに何かを思いついたように言葉を続ける。
「あ、でもアッシュに迷惑がかかるようなことならやめろよ」
「アッシュさんには迷惑がかかる。ということはないと思いますけれど……本当にテッラさんはアッシュさんのことばかりですわね……」
その思い付きにやはりというかアッシュが関わって来ていた。
そのことに、テッラはアッシュのことばかりだと口にしたアナスタシアに対してテッラは自慢げにこう言った。
「当然だろ!あたしにとってはアッシュが全てだからな!」
「それは自慢げに口にすることではありませんわね……ですけれど、どうしてそこまでアッシュさんに入れ込んでいるのか、理解が出来ませんわ。いえ、悪い人ではないとは思いますわ。むしろわたくしにとっては素敵な方だと思えますもの」
「別に特別なことはないけど……あたしはアッシュのことが好きなんだ。好きな人が自分の全てだって、おかしなことか?」
アッシュのことが好きだから。そうした理由でテッラにとってはアッシュが全てだと言う。
その好きというのがどういった感情なのかはわからない。家族に対する親愛なのか、異性に対する思慕なのか、尊敬すべき相手への敬愛なのか。
「それは、その……どういった感情での好き、なのかわたくしにはわかりかねますわ……」
「決まってるだろ?それは秘密だ」
悪戯が成功したように笑って言ったテッラの様子を見たアナスタシアは、そういう表情も出来るのかと少しだけ驚きながらも、そんなテッラに惹かれるものを感じていた。
その様子に、というよりもその表情の中に恋をする少女の美しさを見たからかもしれない。まぁ、秘密だとは口にしても、そんな表情を見てしまってはどういう感情を抱いているのか、すぐにわかってしまう。
そうしたことも相まって微笑ましくさえ思えたアナスタシアは、それでも恋をする少女に羨望の念を抱きながら口を開いた。
「秘密だと言うのであれば仕方ありませんわね……まぁ、見ていればわかってしまいますけれど」
「うっせーよ。でもアッシュには言うなよ?」
「アッシュさんは何も気づいていないようですものね……単純に依存されているような気がする。といった程度ではなくて?」
「それは、まぁ……依存してるってのは多少なりと自覚はあるし……って、デカ女には関係ないだろ」
アッシュに依存している。ということを指摘されたテッラは少しだけ気まずそうに言ってから、すぐに拗ねたようにアナスタシアには関係ないと口にした。
そんなテッラを見て、アナスタシアはくすくすと小さく笑った。
「ええ、関係ありませんわね。ですけれど……テッラさんのように誰かを好きだと言う方は応援したくなりますわね」
「そいつはどうも。でも応援とか必要ないからな」
「どうしてですの?」
「あたしは今まで通りあたしのやり方でアッシュの傍にいるし、出来ることならアッシュに選ばれるようになりたい。他人の力とか、そういうはいらないんだよ。あたしが自分の力でどうにかしないといけないことだからな」
そう笑いながら言ったテッラはアナスタシアが見惚れるほどに綺麗に笑っているように見えた。
実際はニッと笑ういつも通りの笑顔なのだが、それでもアナスタシアにはそうして綺麗に見えたのだ。きっと恋する乙女にしか出せないような、そんな輝きでもあったのだろう。
「……わかりましたわ。そういうことでしたらわたくしからは何もせず、ただ機会があれば見守る程度にしておきますわ」
「おう、そうしろそうしろ。変に手を出されても面倒なだけだからな」
思いもよらない恋話、という物になってしまったが、それでも結果としてそれがアナスタシアとテッラの距離を少しだけ縮めたように思えた。
別にこれから先も行動を共にするというわけではないが、何かの縁で協力することもあるかもしれない。だからこそ、こうして距離が縮んだのはきっと良いことのはずだ。
「あ、でもさっきアッシュのこと素敵な方だと思うとか言ってたよな」
「え、えぇ……そう言いましたけれど……」
そういえば、という風にそう言ったテッラに対してアナスタシアは先ほどまでの雰囲気とは違って何処となく背筋が凍りつくような寒気を感じてしまう。
一体どんな言葉が続くのだろうかと冷や汗をかきながらテッラを見ると、テッラはふっと小さく笑ってこう言った。
「もしアッシュに惚れるようなことがあったら覚悟しとけよ」
「な、何を覚悟しろと……?」
「恋敵は全力で排除、ってくらいはしても良いと思わないか?それがデカ牛女ってなれば尚のことな」
じっとアナスタシアの胸元を見つめるテッラの目からはハイライトが消えていて非常に恐ろしかった。
「だ、大丈夫ですわ!素敵な方だと思うとは言いましたけれどそれが恋愛感情になるかどうかとなれば話は別と申しますか、と、とにかく!テッラさんが気にするようなことではありませんわよ!?」
恐ろしさのあまり優美さだとか大人の女性らしさだとかを放り投げて必死に弁明をするアナスタシアだった。
アナスタシアにとってはそれだけ今のテッラが恐ろしく、何か下手なことを言おうものならば豊満に実った双丘を得物である大戦斧で削ぎ落されてしまうのではないか、という考えさえ浮かんでいた。
「何言ってんだよ。アッシュだぞ?好きになるだろ!」
「そこをテッラさん基準で考えるのはやめていただけませんこと?」
「アッシュのスペックを考えてみろよ。顔は整ってるし、性格は良いし、仲間とか身内は見捨てないし、たまに可愛いところがあるし、あたしが甘えた時とか軽く押し退けたりするのに二回三回突撃すると仕方なさそうに甘えさせてくれるし、甘えなかったら甘えなかったであたしのことを気にかけてくれるし、本人に自覚はないみたいだけどふとした瞬間にすっごい優しい表情で見守ってくれてたり、頭を撫でてくれる時の手が優しかったり……」
「テッラさん、もう良いですわ。そういう惚気のような話をするのはやめてくださいませんこと?」
スペックを考えてみろ、というので黙って聞いていれば徐々にアッシュとの惚気話を始めたことに対して苦言を呈するアナスタシアだった。
そう言われて自身が惚気話をしていることに気づいたテッラは、恥ずかしくなったの頬を赤くしながら指先で頬を掻き、目を逸らしながら口を開いた。
「あ、あー……と、とにかく!そんなアッシュが相手なら惚れることだってあり得るだろってことが言いたいんだよ!」
「話を聞く限りではないとは言い切れないような気もしますけれど……」
「だろ!?いやー、アッシュだからな!仕方ないよな!」
「ですがそれではわたくしがアッシュさんに惚れてしまう、ということになりますわね」
「は?ふざけんなよデカ牛女!」
「どう言えばテッラさんは満足するのかわたくしにはわかりませんわ……」
アッシュに惚れることはあり得ないと言えば反論され、惚れる可能性があると言えばふざけるなと怒られる。ならば一体どう答えれば良いのかわからずアナスタシアは頭を抱えてしまった。
「うっせーな!とにかく!気を付けろよな!!」
「はぁ……ええ、わかりましたわ。気を付けさせていただきますわね……」
自分でも理不尽なことを言っている自覚があるのか、やけ気味に気を付けるように言ったテッラに対してアナスタシアは投げやりにそう返事を返してからため息を零した。
ただため息を零しながらも、こうして話をすることで多少なりとテッラの人となりがわかったような気がしていた。
口が悪く、喧嘩腰で話をすることが多いテッラだったがそれでも根は真っ直ぐで、他の何よりもアッシュを優先し、その判断基準の多くがアッシュに基づいている。
それだけだと意味がわからないが、わかったことで最も大きなことはテッラが恋する乙女でありひたむきだということだった。
その点に対して好感を持ったアナスタシアは、話をする前よりもテッラに対して親しみを持っていて、もしかするとそれなりに友好的な関係を築くことが出来るのではないか、と考えていた。
勿論、それに対してはテッラからもある程度の歩み寄りが必要となるのだが、こうして話をしたことによって確実に距離は縮まっているので、きっとそれは問題ないことだろう。
そして、そうなると今度は王都までの仲ということを大前提として動いているアナスタシアとしてはそれが微妙に惜しいような気がしてきた。
それはテッラとのことだけでなく、アッシュとの関わりに対しても同じであり、どうにかして友人として縁を結んでしまおうか。そんなことを考えるアナスタシアであった。