112.神の加護を持つ者
ヘルマンに支えられるようにして辛うじて立つことが出来ているイリエスはもう助からないように思えるほどに全身に銃弾を受けていて、今こうして息をしているだけでも異常なことだ。
だがどうしてもイリエスがこの程度で死ぬようには思えず、焦っているのはヘルマンだけで俺とアナスタシアはイリエスを警戒し、テッラはヘルマンを止めることが出来なかったことが不満らしく少しむくれていた。
「大佐!」
「吠えるな……傷に障る……」
「で、ですが……」
「黙れ……ねぇ、少し……良いかしら?」
ヘルマンに黙るように言ってからイリエスは口元から血を流しながら、そして笑みを浮かべて俺に声をかけてきた。
浮かべた笑みは弱々しい物で、既に命の灯が消えかかっているようにさえ思えた。
「何だ?」
「最初に、言ったことよ……勇者を庇う理由……私の敵に、なってまで、どうして庇うのかし、ら、ね……」
そこまで言ってから咳き込むようにして血を吐き出すイリエス。
確かに最初にそういう話をしたと思い、仕方がないので答えることにした。
「俺がそうしたかったから。それ以外に理由なんていらないだろ」
嘘だ。本当は理由がある。でもそれを口にするべきではない。
「それだけ、なのね……」
「あぁ、あれやこれやと理由を並べる必要なんてない。そうしたいと思ったからそうした。俺は俺らしく、俺が思ったままに動いた。それだけだ」
これは嘘ではない。俺が俺らしく生きるためにはあそこでシルヴィアが殺されることを良しとは出来なかった。ろくでなしの俺でも、せめて自分らしく生きていたいと思うものだ。
「…………あぁ、そういうことでしたのね。これは、少しばかり卑怯ですわ」
小さくそう零してから笑みを零したアナスタシアに対して何かあったのかと聞きたい気もするがイリエスから目を離すわけにはいかないので保留にしておく。
先ほどからイリエスから漂ってくる気配のようなものが変化していて、油断するべきではないと俺の中の何かが告げているような、そんな気がしたからだ。
「ふ、ふふふ……あっははははははは!!」
血を吐くことになろうがお構いなしにイリエスは笑う。
その様子に悲痛な表情を浮かべるヘルマンが止めようとするがイリエスは止まらない。
「そんな、そんな理由で!!私の敵になり!更に言えば私を死の淵に追いやったか!!!」
狂気混じりの壮絶な笑みで、血を吐きながら笑うイリエス。
その様子を見てヘルマンは言葉を失い、アナスタシアは磔の女王を向けつつも気圧されたように一歩下がり、テッラは大戦斧を構えて何かあっても対応出来るようにしていた。
俺はそんなイリエスに銃を向けたまま、イリエスを見続ける。
「王国のため!勇者のため!名誉のため!!そんな理由ではなく、ただ自分がそうしたいと思ったから!!!」
死の淵に追いやったなどと自分で言いながら、それでも狂ったように笑い続けるイリエスの姿は異常としか言いようがなかった。
「あぁ!!これだ!これなのだ!!私が欲した敵は、大儀など必要とせず、ただ自らの思いのままに私と敵対することを躊躇わない人間!!それをどれほど望んだか!!どれほど願ったか!!私は!!今!!得難き敵を見つけた!!!」
「た、大佐……?」
「狂っていますわね……」
「あれで良く生きて笑ってられるよな……」
イリエスの姿を見たヘルマンは理解出来ないように言葉を漏らし、アナスタシアはその狂気に嫌悪感を示し、テッラは妙なところで感心していた。
俺は先ほどから感じている妙な雰囲気というか気配というか、そういう物のことを考えるとそうしているイリエスを放っておくべきではないと思った。
イリエスは暫く一人で笑い続け、そして漸く落ち着いたのか笑うのをやめて俺を見据えた。
そこまで来るとイリエスの変化の理由を悟った俺は何も言わず、ただ引き金を数度引いた。
「アッシュさん!?」
「なっ!?き、貴様ぁ!!!」
炸裂音とほぼ同時に俺の放った弾丸はイリエスの体を捉える。そして、ヘルマンの支えから外れて後ろに倒れるようにして動かなくなった。
するとそこまでしなくても良いのではないか、とでも考えていそうなアナスタシアと、既に死の淵にいるイリエスに追い打ちをかけた俺に対して怒声を挙げるヘルマン。という反応を示してくれた。
そして、テッラは呆れたような声を挙げる。
「うわ……死体撃ちってやつか……惨いことするな……」
その声に非難の色は一切なく、単純に惨いと思ったからそう口にしただけ。という様子だった。
アナスタシアは非難を浮かべる目で俺を見ていて、ヘルマンは憎悪と憤怒が入り混じる形相で俺を見ている。また、イリエスは倒れたまま動かなくなっている。
そんなイリエスを見据えた、銃を向けたまま俺は口を開く。
「イリエス。お前……加護持ちだな」
「……え?」
「加護、持ち……?」
何を言っているのか、という表情を浮かべたアナスタシアと俺の言葉を繰り返すヘルマンは倒れているイリエスへと視線を向けた。
イリエスは動かない。
「あぁ、どうにもさっきから妙な気配がすると思ったんだ。俺には覚えがあるこの気配、神から加護を与えられた人間が、それを使う時の気配と同じだ」
まぁ、普通はわからないだろう。たまたま俺がイシュタリアとの関わりがそれなりにあって、俺自身も加護持ちだから何となくではあるが理解出来た。
神性、とでも呼べばいいのか、人が気づくことはないであろう特殊な気配。神とそれなりの縁でもなければわからないと思うそれが先ほど変化したイリエスの気配の正体だ。
「アッシュさん、そのようなことはあり得ませんわ!!加護という物は神に認められるか、もしくは気に入られなければ与えられることのない物。それをイリエスが持っているだなんて、そのようなことが……」
「大佐が加護持ちだと!?そのような話は聞いたことがないぞ!?」
「なら今のうちにその首落としてやるよ!!」
俺の言葉が信じられないような二人と違って、テッラは疑うことはせずに大戦斧を振り上げ、イリエスへと向かって駆け、容赦も躊躇いもなく無防備な首目掛けて振り下ろした。
ヘルマンはそれを防ごうとするが、初動の差で防ぐことが出来ず、テッラの大戦斧がイリエスの首を捉える。そう誰もが思った。だが現実は違った。
確かにテッラの大戦斧は振り下ろされた。だがそれはイリエスの首を捉えることはなく、怪力と言っても差し支えのない力を持つテッラの腕をイリエスが左手で掴んで止めていた。
先ほどまでぐちゃぐちゃになっていたはずの左手は傷一つない綺麗な手に戻っている。
そして力なく倒れていたはずのイリエスは、いつの間にか顔をテッラへと向けて優しく微笑んでいた。
「その躊躇いのなさ、私は好きよ」
優しく微笑んでいるイリエスだが血に塗れた姿でそう言ってもただ怖いだけだと思う。
というか、やはり普通に生きているし、見た目の割には元気そうだった。
「まったく……私の敵は最高ね。ヘルマンを含む部下を不意打ちで沈めて、更に言えば私に対しても思いもよらない一撃を入れてくる。加護のことも勘付いて追い打ちまでかけて……今日は本当に良い日だわ」
言いながらテッラの大戦斧を押し返してから立ち上がるイリエス。
テッラは押し返された勢いのままに下がり、俺の隣で大戦斧を持ち直し、イリエスを睨みつけていた。
そんなテッラの様子など意にも介さず、そして驚いて自信を見てくることしかできないアナスタシアとヘルマンを一瞥し、イリエスは自身の服に付いた泥を払ってから俺を見る。
「私は欲しかった敵を見つけ、貴方は願い通りに勇者を見逃してもらう。お互いにとって良い日だと思わない?」
「それに加えてさっさとお前たちが帝国に戻ってくれれば良い日だって言えるかもな」
「ふふふ……ええ、良いわよ。今ここで貴方と私のどちらかが死ぬまで戦うのも悪くないと思うわ。でも残念だけどそうもいかないの」
「理由を聞いても?」
「単純に帝都で片付ける仕事があるからよ。それが済んだらいくらでも殺し合いに応じるわよ?」
「勘弁してくれ。まぁ、縁があれば……それと、条件が揃えば相手してやっても良いけど」
「その条件はどう考えても貴方にとって有利なことになりそうね。それごと叩き潰せば良いだけだから構わないけれど」
笑みを浮かべるイリエスは血を吐くこともなく、流れていた血も止まっている。
神から与えられた加護というのはたぶん再生能力辺りだろう。わかりやすくて、前線に立ち続けるなら便利な能力だと思う。まぁ、今までの会話を聞く限りでは普段から怪我を負うようなこと自体そうないのかもしれないが。
「ヘルマン、帝都に戻るぞ。全員叩き起こせ」
「え、あ……はっ!了解いたしました!!」
ヘルマン以外の部下が意識を失っているのでまずは全員を起こさなければ帝都に戻ることが出来ない。
だからヘルマンに全員を叩き起こすように言っているのだとは思う。だがその前に少し確認しておきたいことがある。
「イリエス」
「何かしら、アッシュ」
「クレイマンのことはもう良いのか?」
「あぁ、クレイマンね。反乱軍に協力して皇帝の寝所にまで潜り込んだから殺そうかとも思ったけど……私は私の敵を得た。だからクレイマンなんてどうでも良いわ」
「……帝国の英雄が、皇帝の寝所に潜り込んだ相手をどうでも良いと言うのはどうかと思いますわ」
「事実としてどうでも良いのよ。私が英雄として呼ばれているのは私が戦いたいから戦い続けた結果であって皇帝に対する忠誠の証じゃないもの」
そう言い切ったイリエスにアナスタシアは何とも言えない表情をし、ヘルマンは苦々しい表情を浮かべていた。流石に皇帝に対しての忠誠ではないと言い、クレイマンをどうでも良いと断じたのは帝国の兵士としては良く思わないのだろうか。
そう考えたのだがどうにも違うらしく、ヘルマンが口を開いた。
「大佐……あまりそのようなことは口外すべきではないと思われます」
「ヘルマン。私がそうだということくらい軍部の人間であれば知っているはずだ。今更気にしたところでどうしようもあるまい」
「それは、その……確かにそうではありますが……」
「貴様はそんなことを気にする暇があるなら全員を叩き起こせ」
「は、はっ!」
少しだけヘルマンが気の毒になって来たが俺には関係のないこととしておこう。
「アナスタシア、テッラ。イリエスたちは退いてくれるらしいから俺たちも退くぞ」
「わたくしは構いませんけれど……その、テッラさんはよろしいので?非常に攻撃的というか、猫を幾つ被っていたのかわかりませんけれども、随分と殺る気に満ちていましたのに……」
「アッシュが退くって言うなら退く」
「……アッシュさん、後ほど話を聞かせていただきたいのですけれど、よろしくて?」
「あぁ、良いぞ」
退くという話をつけてからイリエスを見る。
ヘルマンに指示を出してから葉巻を吸っているようで、俺たちの話が終わったことを見てこう言った。
「アッシュ、私たちは帝国に戻るわ。次はちゃんと殺し合いましょう。お互いに手加減なしで、ね」
その言い方は自分が手加減をしていたので次はない。というだけではなく俺がどういった手なら使えるかを考えながら戦っていたことに勘付いていて、次の殺し合いはそういったことなく、最初から全力で殺し合いをしよう。と言っているように聞こえた。
そして俺の返事など聞かず、ヘルマンが叩き起こした部下たちに指示を出してから俺たちに背を向けて歩き始めた。
だが坑道の奥へと消える最後の最後で一度だけ振り返り、言った。
「あぁ、そうだわ。アナスタシアとテッラ、よね。そっちの二人はまだ私の敵には成り得ていないけれど……一度逃げても再度挑みに来たり、容赦や躊躇いがなかったり、そういうところは素敵だと思うわ」
言ってから小さく笑み、ウィンクを一つ残して部下たちと共に坑道の奥へと消えていった。
イリエスを見送ることになった俺たちは、示し合わせたわけではなかったが全員で緊張の糸が切れたかの世に大きく息を漏らした。
平気な顔をしてはいたがやはりイリエスのような人間を相手にするとどうしても気を張ってしまう。
本人が消えてようやくそれがなくなり、こうして三人とも気を緩めることが出来た。
とりあえずはこの場から退き、グィード辺りにあれやこれやと誤魔化しながら話をしなければならないだろう。頭領とされていたクレイマンはイリエスたちが騙ったものであり、そのイリエスが帝国の人間だということも伝える必要があるだろう。