110.正面切っての不意打ち
テッラが大戦斧を振り回して銃を持った兵士たちを斬り潰そうとし、兵士たちは僅かな焦りを浮かべながらもどうにか大戦斧の一撃を避けて銃弾で応戦している。
それを尻目にイリエスと向き合う。勿論距離は離れていて、俺の手にはナイフが、イリエスの手には銃が握られていて楽しくお喋りでもしませんか、という雰囲気ではない。
兵士たちは不意打ちでどうにかなったが、イリエスはそうはいかないだろう。ではどうするべきか。
まともにやり合った場合は先ほどの銃弾を銃弾で撃ち落とすというとんでもないことを平然とやってのけたことから勝ちの目は薄そうだ。
そう考えていると、イリエスがパチパチと手を打ち合わせながら楽しそうに笑みを浮かべてこう言った。
「すごいじゃない。私の部下はそれなりの練度のはずなのに、随分とあっさりと無力化したわね」
「不意打ちと騙し討ち、それと闇討ちは得意でな。あぁ、お前たちが使ったヒュプノスローズを先にちょっと拝借してたけど、別に良いよな?」
「ええ、構わないわ。私たちが使えると思った物を敵となる人間が同じように使ってくる。私の部下にはその発想がなかっただけだものね」
憤る様子など一切なく、純粋に俺の取った手に対して賞賛のような色さえ窺える声で言ってから、スッとヘルマンへと視線を移したイリエスは言葉を続ける。
「貴様らは私があれを見た時に言った言葉を忘れていたようだな」
「申し訳ありません、大佐」
「ヒュプノスローズを敵に使われた際の対処をしておけと言ったはずだ。貴様の謝罪が聞きたいと、私がそう思っているとでも?」
「……いえ、そのようなことは」
「ふん……帝都に戻れば鍛え直しか。まぁ、良いだろう」
イリエスとしてはヒュプノスローズを利用される可能性について言及していたのにも関わらず、あっさりとそれによって倒れた部下に対しては多少なりと苛立ちがあるらしい。
「貴方が相手をした私の部下は全員無力化されて、あっちの子が戦っている部下も……そう長くは耐えられないでしょうね」
イリエスの言うようにテッラによる大戦斧の一振り一振りは小さな嵐かと見紛うほどであり、あれをまともに相手にしていてはそう耐えられるようなものではないだろう。
先ほどまでは前衛がどうにか押し留め、後衛が銃撃で削る。という手段を取っていたからどうにかなったが、前衛が沈んでしまえばどうしようもない。
「だから、貴方には悪いと思うけれど私の敵になれるかどうか、もう少しだけ試させてもらっても言いかしら?」
イリエスがそう口にすると、何も言わずにヘルマンが一歩前に出た。その手には銃ではなく大振りの剣が一振り握られている。
「その試させて、っていうのはそいつと戦えってことか?」
「ええ、そうよ。ヘルマンは私の部下の中では一番強いのよ。だからそのヘルマンと戦って、もし勝てるようであれば貴方は私の敵になれる存在だと認識させてもらうわ」
「お前の敵として認識か……面倒なことになりそうだな……」
「大丈夫よ、もしヘルマンに勝てるようなら、って言ったでしょ?」
ここでイリエス本人が戦うと言わないだけマシ、ということだとは思うがそれでもイリエスが認めるほど強いヘルマンと戦う。というのは勘弁してもらいたいものだ。
「まったく……一つ、確認を良いか?」
「何かしら?」
「俺がお前の敵になれるようなら、今回勇者のことは見逃してもらえるか?」
「あぁ、勇者ね。別に良いわよ。皇帝の敵になる可能性は確かにあるけど、今の勇者程度なら放っておけば何処かで死ぬんじゃないかしら?」
「……その可能性もあるけど……まぁ、良いか。勇者のことを見逃しててくれるって言うなら頑張ってみるか」
何処かで死ぬ。というのはきっと王族で、王女で、世間知らずの旅の過酷さを知らない小娘一人ならいつ死んでもおかしくはない。という意味があるのだろう。
それには俺も同感で、更に言えばシルヴィアは根が善良なお人好しなので困っている人がいれば助けようとし、自分から危険なことに首を突っ込むだろう。
いや、今はそのことは置いておこう。イリエスが本当にシルヴィアのことを見逃してくれるというのであればどうにか頑張ってヘルマンを倒さなければならない。
その結果としてイリエスに敵として認識され、面倒なことになる可能性は充分過ぎるほどにあるのだが、それはそれとしておこう。
「…………もし貴方がヘルマンを倒すようなことがあれば、少し聞きたいことがあるのよね。答えてもらえるかしら?」
「あぁ、倒した後でならな」
何かを考えるようにしてそう言ったイリエスに答えてから右手のナイフを握り直し、一歩前に出る。
するとそれに呼応するようにヘルマンもまた一歩前に出た。
「ヘルマンだったよな」
「……あぁ、そうだ」
「さっきも言ったけど俺は不意打ちと騙し討ちと闇討ちが得意で正面切って戦うのは好きじゃないんだ」
「それがどうかしたか」
「だからそれのせいで負けたからって文句は言うなよ?」
まるで俺が勝つことが決まっているような物言いにヘルマンの雰囲気が険しい物に変わっていく。
それで良い。挑発して冷静さを欠いてくれればそれだけやり易くなるし、冷静なままならば冷静なままで戦うまでだ。
あくまでも相手が冷静さを欠いてくれれば良い。という思いで挑発をしているだけにすぎないのだから。
先に仕掛けたのは俺で、ヘルマンに肉薄すると同時にナイフによる刺突を喉元へと向けて放つ。
それを読んでいたのか剣を盾にすることで防いだヘルマンはそのままナイフを弾き、流れるように袈裟斬りをしてくる。
玩具箱からナイフを取り出し、左手に持ったそれで受け流すと再度右のナイフを振るう。フリをしてヘルマンに足払いを仕掛ける。足払い、と言いながらも強烈な蹴りを放っているので足にダメージが入るだろう。
ヘルマンはナイフには反応することが出来たようだが騙し討ちのような足払いに反応することは出来なかったようで、その足に俺の蹴りがまともに入った。入ったのだが一瞬体が揺らぐ程度で倒れるようなことはなく、鋭く振るわれた剣が俺の胴体を狙ってくる。
足払いに意味がないことを悟りつつ、右手のナイフで剣を受ける。想定していたよりも強い衝撃が腕に走るが、それでもテッラの一撃よりは遥かに軽い。痺れもないので問題なく動ける。
左手のナイフを手放し、ヘルマンの手首を掴んでから再度玩具箱からナイフを取り出す。
ヘルマンの手首を掴んでから、というのには意味がある。玩具箱から取り出した物は手の平の上に現れることになる。そして、何かを掴んだ状態だとそれがどんな物であろうと関係なく取り出した物が現れることになるのだ。それが掴んでいる物の内部に入り込むことになっても、だ。
もしそれがナイフのような鋭利な物で、掴んでいる物以上の大きさだった場合はどうなるのか。
答えは非常に簡単だ。ナイフはヘルマンの手首を貫通する形で出現する。
「なっ!?」
俺の得意とする不意打ちは本当に何も知らない相手を影から狙う。ということもあるが、それ以上にこうして戦っている最中に完全に意識の外からの攻撃を仕掛けることの方が得意だ。
今回のように、事前に腕を掴んでから肘を叩き込むという動作を見せた後で、同じことをするのではないかと相手が思った瞬間に全く違う攻撃を行う。というのも俺の得意な意識の外からの攻撃というやつだ。
俺はその不意打ちが成功したと判断して後方に跳んで距離を取る。ヘルマンには申し訳ないがこれで決着がついてしまったのだから懐に入り込んでおく必要はない。
「だがこの程度で、ぇ……?」
ナイフが手首を貫通している状態をこの程度、と言い切ろうとしたヘルマンだったがすぐに呂律が回らなくなり崩れ落ちるように膝をついた。
「この程度、じゃないんだよ」
「なにを、しぁ……!?」
「無理に喋るな。無様なだけだぞ」
ヘルマンはどうにか意識を保ちながら俺が何をしたのか聞いて来るが特に答えるつもりはなかった。どうせ答えたとしてもすぐに意識を手放すことになるのだから意味がない。
だが、俺が答えずとも何をしたのか、理解している人間がその場には一人いた。
「ヒュプノスローズ」
「ぇ……?」
「そのナイフにはヒュプノスローズの蜜でも塗ってあるんじゃないかしら?」
「ご名答。良くわかったな」
「ヒュプノスローズの蜜は花びらや花粉と違って纏わりつくような甘ったるい匂いがするのよ。それがここまで届くんだからわかって当然よね」
「ヘルマンは気づかなかったのに?」
「ええ、ヘルマンも、他の部下も、全員帝都に戻ったら鍛え直しだわ」
困ったように言っているが全く目が笑っておらず、帝都に戻った際には地獄のような訓練がヘルマンたちを待っていることだろう。
まぁ、俺にイリエスやヘルマンたちに対しての殺意がないからこそ戻ったら、と言っているのだとは思う。もしかするが俺たちを殺してから帝都に戻る、という考えの可能性もあるのだが。
何にしても、そうした話をしている間にヘルマンはヒュプノスローズによる睡魔に抗えず地に伏してしまった。
「もしヘルマンを倒すことが出来れば俺を敵として認識して、今回は勇者のことを見逃してくれるんだよな?」
「はぁ……ヘルマンもまだまだね……充分な腕があって、経験も豊富、判断力も悪くない。それでも貴方みたいな戦い方をする相手には対処出来ない」
俺の言葉が届いていないのか、そう口にして歩み寄ってくる。
イリエスは表情の消えた顔で更に続ける。
それに対して俺もとある予感がしてイリエスへと歩み寄る。
「どんなに鍛えてもたったの一手でこうも無様を晒すとなると……本当に貴様のような敵が我々には必要なのかもしれんな」
言い終わった瞬間、空いていた距離を一瞬で詰めてイリエスが俺の目の前で握った拳を引き絞っていた。
だがイリエスがそうしてくるという予感がしていた俺も同じように握った拳を引き絞り、イリエスへと向けて放つ。
拳と拳がぶつかり合う音が響く。イリエスは先ほどまでとは違ってまるで獲物を前にした飢えた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべていた。
「あぁ!貴様を我々の敵と認めてやろう!!だが敵となった以上はこの場で叩き潰させてもらうがな!!」
「おいおい、聞きたいことがあるんじゃなかったのかよ!」
「貴様を叩き潰した後にでも聞かせてもらおうか!!」
言葉を叩きつけ合っている間にもイリエスとの格闘戦は継続されていて、拳をぶつけ合い、時には防ぎ、時には受け流し、時には避ける。
お互いに致命的な一撃は入らないまでも着実にダメージが蓄積されている。だがそれもまだお互いに大したことはない程度に、だ。俺はナイフを使っているのにその程度ということはイリエスの腕の方が上ということになる。
現状はイリエスがおかしなテンションになっているから殴り合い蹴り合いの格闘戦になっているというだけで、本領はきっと銃を使った戦い方だろう。銃弾を銃弾で撃ち落とすようなことをやってみせたのだから見当違いな予想ではないはずだ。
ナイフを使っているのにこれということは、イリエスが銃を持てばどうなるか。考えたくもない。
「正面からの殴り合いも出来るか!」
「当たり前だろうが!不意打ちだけでどうにかなるほど世の中甘くないんでな!」
「あっはっは!確かにそうだ!ならば少しばかり手を変えさせてもらおうか!!」
イリエスは本当に楽しそうに笑ってから俺を蹴り飛ばし無理やりに距離を開けた。
どうにか腕をイリエスの蹴りと体の間に挟み込んで防ぎ、大きなダメージにはならなかった。それでもこうして吹き飛ぶほどの威力の蹴りがまともに入っていれば今頃地に膝をついていたかもしれない。
だから無事に防いだことに安堵したいところだがそうも行かない。手を変えさせてもらう、という言葉から嫌な予感しかしなかったがやはりと言うべきかイリエスの手には銃が握られていた。
「私の本領はこれが必要でな。悪く思うなよ」
「悪くは思わないけど……もうすぐテッラがこっちに合流しそうだな」
一瞬だけテッラに視線を向ければ、残っていた兵士たちを壁に吹き飛ばし、叩きつけ、意識を飛ばすことに成功していた。
イリエスが銃を抜いたとしても二対一であればどうにかなるのではないだろうか。
そう思っていたのだが、そう上手くはいかないらしい。
「あぁ、それなら問題ない。立て!!ヘルマン!!!」
ヒュプノスローズによって深い眠りに入っているヘルマンの名前を呼ぶイリエスにどういうつもりなのかと思っていると、背後で音がした。ジャリッという地面を踏みしめる音だ。
そんなはずはない、そう思いながらもイリエスが動かないことを確認して背後を振り返るとそこには頭を押さえ、眠気を払うように首を振るヘルマンが立っていた。
「嘘だろ……?」
眠気を払ったヘルマンが俺を見る。いや、正確には俺の後ろに立っているイリエスを見ているのか。
そしてすぐに一つ頷くと手首を貫通したナイフを引き抜き、服の袖を引き裂いた物で無理矢理に止血すると落としていた剣を手にしてテッラへと向かって歩いて行く。
その足取りはヒュプノスローズによって眠りに落ちていたとは思えないほどにしっかりとしたものだった。
「ヘルマンはあれでも毒物や薬物に対して耐性があるからな。ヒュプノスローズに対しても耐性があって、眠りに落ちてもああなる」
「マジかよ……ってことは眠らせても復帰が早いからさっさと殺しておけ。ってことか」
「あぁ、そういうことだ。そしてヘルマンはあの小娘の相手をする。邪魔が入らなくて良いだろう?」
得意げにそう言ってイリエスは銃を俺に向ける。
「さぁ、これで気兼ねなく続きが出来る。せいぜい私を楽しませろよ」
「はぁ……どうにも今日は厄日みたいだな……」
テッラと一緒に戦えるかと思えば現実はそう上手くはいかない。結局俺は一人でイリエスと戦わなければならないようだ。
ただそれでもシルヴィアのことは見逃してくれるようなのでとりあえずの目的は達成したと考えておこう。
盗賊団自体はイリエスたちを捕まえることが出来なくても壊滅させることは出来るだろう。ならば後は俺が生きて王都に戻れるようにするだけだ。
戦いの再開を今か今かと待っているイリエスに対して一つため息を零してからナイフを握る手に力を籠める。さて、一体どう動いた物か。