99.状況に不釣り合いな穏やかさ
周囲の警戒のため、という名目でアルとシルヴィアから少しだけ離れ、周囲を警戒していたのだがどうやらアルもシルヴィアも眠れなかったようで二人が話を始めていた。
それを盗み聞きする形で全て聞いていたのだがライゼルが持って来た依頼というのは元々はシルヴィアがその探し人と会いたいがためのものだったようだ。
それに関しては何も言わないが、もしそれに駆り出されるようであれば本当に面倒だな。などと思いながら二人が寝入るのを待ち、焚火の様子を見つつ敵襲に備えて時間を潰すように夜明けが来るのを待った。
とはいえ、ただ待つだけでは手持ち無沙汰すぎるので二人が起きた際に軽い食事でも、と思いスープくらいは作っておくことにした。何も食べないで動け、というのは厳しい物があると思ったからだ。
空が白んで来ることにはアナスタシアが戻って来ていて、俺が作ったスープを見つけると何も言わずに焚火の前に優雅に腰を下ろした。
「食い意地が張ってるな」
「周囲の警戒も疲れましたわ。アッシュさんとは違って離れた場所にも向かいましたものね。となればわたくしを労う意味を込めて何も言わずにスープの一杯でも差し出すべきではなくて?」
「はいはい。そいつはどうもありがとうな」
呆れながら言葉を返せば、それに対する反論として自分が疲れていることと、労う意味を込めて、と言ってきたがその程度で疲れるような人間ではないはずだ。
つまり、単純にお腹が空いたのでスープを要求しているだけに過ぎない。優雅に座って見せたが、そうした理由だと察した身としては何をやっているのだか。と思ってしまう。
とはいえ周囲の警戒のために動いてくれたのは事実なのでそれ以上余計なことは言わずに素直にスープを器に注いでアナスタシアに渡した。
「ほら、これで満足か?」
「それは味次第ですわ。それでは、いただきますわね」
受け取ってからそれだけの言葉を口にし、それから何も言わずにスープを食べているアナスタシアを尻目に時間が時間なのでアルとシルヴィアを起こすために立ち上がった。
二人ともちゃんと眠っているようで、穏やかな寝息が聞こえてきた。もしこれがシャロなら起こすのが心苦しいと思いつつも起こすのだが、この二人なら気にせず起こせる。
子供ではないのだから、起きるべき時に起きる。というのは当然のことだ。
「アル、シルヴィア。そろそろ起きろ」
「ん……もう、時間かい……?」
「…………おはようございます……」
アルは起きると同時に状況を思い出したようだが、シルヴィアはまだ頭が眠っているようで挨拶だけを返してきた。
「おはよう、二人とも。とりあえず……顔面に水球でも受けてみるか?」
「え!?い、いや……僕は遠慮するよ!」
「んー……すい、きゅー……?」
「目が覚めるぞ」
「目が……うん、それなら……」
完全に寝惚けているシルヴィアは俺の言葉の意味をあまり理解しないまま、目が覚めるのならそれでも良いかな。という風に非常に眠そうに言葉を返してきた。
本人がそれで良いのなら、ということで掌の上に水の魔法で水球を作り出す。当然のように攻撃力は一切ない水の塊だ。
「待って!!アッシュ、時間になってもシルヴィア様が寝惚けているのが気に食わないのかもしれないけど、もう少し待ってくれないかな!?」
「いや、単純に目が覚めるだろ。と思ってな」
「目が覚めるのはそうかもしれないけど、そういうのはどうかと思うよ?」
「わたくしはそれも有りかと思いますわ。確実に目が覚めるのであれば、時間の節約になるのではなくて?」
「アナスタシアまで!」
「ん……ちゃんと、起きないと……」
アナスタシアがスープを食べながらしれっとそれだけ言うとアルが少しだけ怒った様子で声を挙げた。
そんな遣り取りの間にもシルヴィアは起きることはなく、それでもどうにか起きなければならないと地味に睡魔と戦っているようだった。
「ほら、シルヴィアも言ってるだろ?」
「それでもだよ!シルヴィア様、ほら、起きてください!ちゃんと起きないとアッシュに水の魔法をぶつけられますよ!?」
何というか、そう長い時間アルと過ごしたわけではないがこういった年相応の反応というのをしているのが珍しいように思える。
まぁ、ある程度慣れてきて素が出てきた。ということなのかもしれないので、それはそれで良いことのような気がする。
というか俺としてはこういった反応をしてくれた方が楽しい、と思う。
「アル、うるさいぞ」
「ええ、少し騒ぎ過ぎだと思いますわ」
「誰のせいだと思っているのかな!?」
それはアナスタシアも同じようで顔を向けることなくそうした言葉をアルに投げかけていた。
激怒している、というわけではないが僕は怒っています。ということが表情を見て手に取るようにわかった。これもまた珍しいと言うか意外というか。
何にしてもこれが王都で特に予定のない時に繰り広げられている日常。ということであればこのまま続けるのも一興なのだが、今は状況が状況なのでそろそろやめておこう。
「そろそろ冗談も終わりにして……シルヴィア、とりあえずスープを作ったからそれを食え。アルもな」
「え、あ、うん……ありがとう……?」
「うん……いただきます……」
二人を焚火の前まで移動させてからアナスタシアにしたようにスープを差し出した。
それを受け取った二人がスープに口を付けるのを見てから俺も自分用に注いで食べ始めた。まぁ、味は想像通りで悪くない。
アルとシルヴィアを見ると、寝起きということもあってか黙々とスープを口にしていた。ただ、少しずつシルヴィアの目がまともに開き始めたので目は覚めてきたようだった。
まぁ、香辛料を使っているので少しだけ舌がピリつくような感覚がしているはずなので目が覚めるのも当然だろう。
そのまま全員がスープを食べ終わる頃にはシルヴィアも目がはっきりと覚めたようで、そうすると今度は俺たちの様子を窺いながら恥ずかしそうにしていた。
きっと寝惚けた姿を見られてしまったから。というのがその理由だろうと容易に想像がついた。
だからこそ、それには触れないようにしようとアナスタシアに視線を向ければ俺の意図を理解したようで小さく頷いてくれた。本当に、アナスタシアは俺と同じような考え方をしているようで意思の疎通が簡単で非常に助かる。
「さて、とりあえず全員ちゃんと起きて食事も終わったな」
「そのようですわね。そういえば、わたくしが見た限りでは野営地にはもう盗賊団の人間はいないように見えましたわ」
「なら準備が出来たらすぐにでも向かうとするか。アル、シルヴィア、寝起きで悪いが準備をしてくれ」
「うん、わかったよ」
「う、うん……」
寝起きでの醜態、とまではいかないまでも恥ずかしい姿を見られたと思っているシルヴィアにとって、それに触れられないのは良いことなのか意図的に触れないようなやされているのが逆に辛いのか、それはわからないが今はそれを気にしていられる状態ではない。
まぁ、何とも言えない微妙な表情を浮かべているのでその両方という可能性も充分にありそうだった。
そんなシルヴィアの様子には一切触れず、それぞれが必要な準備を整えて野営地へと向かうことにした。
ただ、あからさまにシルヴィアの様子に触れないように、触れないように、としていたアルに対してだけはシルヴィアが不満そうな目を向けていたの。
そして、それが原因でアルが非常に困っているように見えたが俺とアナスタシアは自業自得のようなもの、としてそれにもまた触れないようにしていた。
野営地に戻る最中でも当然のように周囲への警戒を怠らない。いきなり襲われるなんてのは御免である。
ただ、そうして警戒しながら歩いているのだが、何やらシルヴィアが不思議そうにしていたので何か疑問でもあるのだろうか。
「シルヴィア、何かあったのか?」
「え、いや、その……そういえば、この森に入ってから魔物の姿を見てないなぁ、と思って……」
「確かに……街道では魔物除けがあるから姿を見ないのは当然だったけど、どうして森の中でも姿が見えないんだろう?ゴブリンやコボルト辺りなら何処にでも出て来そうなのに……」
シルヴィアの言うようにこの森に入ってから一度も魔物が姿を現したことはない。
俺としては当然のことだと思っていたので一切不思議に思っていなかったが二人にとっては疑問でしかなかったらしい。
二人の言葉を聞いてアナスタシアは少しだけ呆れたような表情を浮かべていたので、俺と同じように疑問には思っていなかったようだ。
ただ、どうして、と思うのであれば少しは考えてみれば良いのに。という風に顔に書いてある、ような気がした。
「そうだな……この近くには何がある?」
そんなアナスタシアを見て、答えをそのまま教えるより考えることを覚えてもらった方が良いと思ったのでヒントくらいで抑えておくことにした。
「この近く?えっと……廃鉱、だよね?」
「そうだ。それで、その廃鉱は今どうなってる?」
「今は盗賊団のアジトになってるって聞いたけど……あ、もしかして……」
「この森の魔物は盗賊団が全部討伐した……?」
「ええ、最も可能性として高いのはそれですわ。自分たちのアジトの近くに魔物がいる。というのは安心して休めませんものね」
二人とも頭の回転が遅い、というわけではないので少しだけヒントを出せばすぐに答えに辿り着いた。
アナスタシアとしてはそうしたヒントを出されるまでもなく答えに辿り着くと思っていたのかもしれない。口にした言葉には僅かながら呆れの色が浮かんでいた。
「なるほど……それなら魔物が全くいないのも納得だね」
「つまり、僕たちが気を付けるのは盗賊団の人間だけ、ってことで良いのかな……?」
「一応はそうなるかと思いますわ。ただ……盗賊団の中に魔物使いや従魔契約を結んだ人間がいなければ、ということになりますけれど」
「そういう人間がいる方が珍しいと思うけどな……何にしても、そういった可能性を考慮して動くようにしろ
よ?」
「うん、わかったよ!」
魔物使いと従魔契約を結んだ人間。というのは非常に珍しいので盗賊団の中にいる。とは考えにくい。
それでもそうした可能性を考慮しておいて損はないのでアルとシルヴィアにそう伝えるとシルヴィアが元気よく返事を返してきた。
アルは頷いて応え、アナスタシアはそれが当然だというように澄まし顔で小さく頷いていた。