94.急変
シルヴィアとの話し合いは続き、伝えておくべきことは伝えることが出来た。
とは言っても最初に伝えたことが本当に伝えておきたいことで、その後の話は世間話のような物であったり、野営について教えたりといった取り留めのないことばかりだった。
俺としてはこうして話をする必要は既にないのだが、何故かシルヴィアがあれやこれやと話題を振ってくる。仕方がないのでそれに応えているのが現状だ。
だが、他の冒険者たちが寝入る前の時間を選んだということもあって既に良い時間になっていた。もしくは、そろそろ休まなければ翌日に響いてしまう時間、と言えば良いのだろうか。
俺は問題ないとしてもシルヴィアはある程度の睡眠時間を確保しておくべきではないだろうか。
「シルヴィア」
「ん、何かな?」
「そろそろ寝た方が良いんじゃないのか?あんまり夜更かしするものでもないしな」
「あ……た、確かにアッシュと話をし始めてからそれなりに経ってるね……」
「元々の始まりが遅かった。っていうのもあるからこのまま話を続けるようなら睡眠時間が確保出来ないかもしれないぞ」
空が白み始める頃に盗賊団のアジトを強襲する。となれば今から休んだとしてもあまり睡眠時間を確保することは出来ないだろう。ただ、それでも仮眠程度には眠れると思う。
完全に徹夜をしてから戦闘、というのは慣れていなければ辛いはずなのでシルヴィアにはちゃんと休んでもらわなければならない。
「そうだね……それならそろそろ戻ろうかな。アッシュとも話が出来て、楽しかったよ」
「そいつは何よりだ」
言ってからふと何かが聞こえたような気がして何処から聞こえてくるのか、耳を澄ませることにした。
「アッシュ?」
「ちょっと待ってくれ」
これは何だろうか。そこまで遠くというわけではないが、確かに音がする。
「アッシュ、どうかしたのかい?」
「何か、聞こえますわね……」
俺の様子に何かあると思ったのか、アルとアナスタシアが木々の間から姿を現した。
シルヴィアは突如現れたアナスタシアとアルに驚いていたが、アナスタシアも俺と同じように何かが聞こえると言っていることから、何かあるのかと驚きながらも耳を澄ませ始めた。
「何だろうな、これは……」
「僕には聞こえないけど……?」
「アナスタシアには何か聞こえているのかな?」
「わたくしにも何かは聞こえますわ。ただ、それが何か、まではわかりませんわね……」
アルとシルヴィアには聞こえていないようだが、俺とアナスタシアは二人で何の音なのかを聞き分けようと耳を澄ませ続ける。
「…………雨の音……?」
アナスタシアが小さく呟いた言葉を聞いて確かに雨粒が木々の葉を打つ音のような気がした。
アルとシルヴィアもその言葉を聞いて更に耳を澄ませると、アナスタシアの言うように雨の音が聞こえたようで口を開いた。
「あ、確かに何だか雨の音に聞こえるかも……」
「雨は降っていないのに……」
空を見上げるが雨雲はなく、雨粒が頬を打つ感触もして来ない。それなのに先ほどから確かに雨の音が聞こえてくる。もしかすると離れた場所で雨が降っているのかもしれない。
「遠くの方で振っているのかもしれないね……」
「でも、雨雲はないよね?」
「シルヴィア様、雨雲はなくとも雨が降ることはありますわ。とはいえ……どうしてか、胸騒ぎがしてしまいますわね……」
シルヴィアの雨雲がない、という言葉にそう返してからアナスタシアは胸騒ぎがすると言って野営地へと視線を向けていた。どうしてそうしたのかはわからないが、アナスタシアには何か感じる物があったのかもしれない。
ただ、そうした様子を見て俺も何か嫌な予感がしてしまった。いや、予感ではなく不味いことが起きていると確信のようなものがある、と言った方が良いのかもしれない。
「……先に野営地の様子を見てくる。二人はシルヴィアの護衛を頼めるか?」
「ええ、わかりましたわ」
「何か嫌な予感がするんだね?」
言葉にしたわけではないが、俺の様子からそう察したアルが確信を持って問いかけてきた。
俺がそれに小さく頷いて返すとアルは強い意志の籠った瞳で俺を見返し、口を開いた。
「シルヴィア様のことは任せて。僕とアナスタシアで必ず守るから」
やはり騎士という人間は、誰かを、何かを守る際にこそ輝くのかもしれない。そう思わせるだけの意思の強さと揺るぎない決意のような物をアルから感じた。
それはアナスタシアとシルヴィアも同じだったようで、アナスタシアは何処か羨むように、シルヴィアは魅せられるように、アルのことを見ていた。
「それは頼もしいな」
言ってから小さく笑んで、すぐに気を引き締める。
「なら、後は任せたぞ」
その言葉を残してから三人に背を向けて、野営地へと向かう。その途中で玩具箱から霞に煙る我が姿を取り出してから腕に嵌めようとしたが、アルとシルヴィアに姿を見られたことを思い出して玩具箱の中に戻した。
本来であれば充分な効果を期待できる霞に煙る我が姿とはいえ、効果を発揮しているのに姿を見られたと言う前例がある今となっては使うことが出来ない。仕方ないので可能な限り気配を殺し、物音を立てないようにして野営地へと向かう。
道中で何かわかったことがないか周囲を警戒するが、これと言って変化はない。ただ野営地に近づくほどに雨の音が大きくなっていることから野営地に対してのみ雨が降っていることがわかった。どうにもこれは自然のものではなく、人為的なもののようだ。
野営地と目と鼻の先、となったところで急に雨が降っているか、降っていないかの境界に差し掛かった。やはり人為的なものと考えて良さそうだ。
だがそれよりも気になるのは、雨の中から甘い匂い、ヒュプノスローズの匂いが雨の中に充満していることだ。
雨の中を見れば、地面には潰れたヒュプノスローズが散らばっていて、降ってくる雨の中にヒュプノスローズの花びらが混ざっていることが見て取れた。
そんな雨の中を目を凝らし、野営地で何が起こっているのを見ようとすると木々の隙間から人が動いているのが見えた。人が人を担いで歩いている姿から考えられることは、この雨は盗賊団の仕業で、ヒュプノスローズによって眠った冒険者たちを運んでいる。ということだ。
このまま近くで雨との境界で見ていても埒が明かないのと、この中へ進むのは危険なので大人しく引き下がることにした。何を見たのか、三人にも教えておかなければならない。
とはいえ雨の外から野営地を見るというのはあまりにも視界が悪い。何か見落としている可能性があるので、可能であればこの雨が止んでから色々と調べたい。
そう考えてから野営地に背を向ける。たぶん盗賊団の人間が人を探すように指示を出している声を背に受けながら、見つからないように三人の下へと戻ることにした。
道中で見つからないようにと警戒していたが、まだこちら側までは人が回って来ていないようですんなりと三人の下まで戻ることが出来た。
どうやらアナスタシアはいつでも戦えるようにローブを脱いで手にはケースと日傘が握られていた。
いや、それは今はどうでも良い。戻ることが出来たことに安心していてはいつ盗賊団の人間がここまで来るか分かったものではない。早々に移動した方が良いだろう。
「おかえり、アッシュ。野営地はどうなっていたのか、教えてもらえるかな?」
「あぁ、とりあえず野営地が盗賊団に襲撃されてた。詳しくはここを離れてからだ」
「野営地が!?そ、それならすぐに僕たちも向かわないと!!」
「落ち着いてくださいまし。アッシュさんが戻ってきたということは、既に手遅れということですわ」
「そんな……なら、ユーウェインたちは……」
「最悪、死んでいるかもしれませんわね……」
「嘘……そんな……だって、少し前まで一緒にいたのに……!!」
最悪、死んでいる可能性がある。という話をされてシルヴィアが取り乱し始めてしまった。
「いや、たぶん大丈夫だと思う。盗賊団の人間が冒険者たちを連れて行くのが見えたからな」
「ほ、本当に……?」
「本当だ。だからひとまずは安心しろ」
生きてはいるだろう。だがどういう状態なのかまでははっきりとわからない。
ヒュプノスローズの甘い匂いが充満していたことから、冒険者たちはそのほとんどが眠りに落ちてしまい抵抗出来なかったのだと思う。となれば無傷の冒険者の方が多いのではないだろうか。
ただ、盗賊団が連れ去ったということはもしかすると商品として扱おうと考えている可能性がある。どういった商品にするつもりかはわからないが、ろくな目には合わないと思う。
「う、うん……ひとまず、落ち着かないとね……」
「警戒しながら離れるぞ。人を探している様子だったからな……たぶん、シルヴィアを探してるはずだ」
「依頼に参加したはずのシルヴィア様の姿がなければ、当然探すか……」
「わかりきったことですわ。一度離れて、アッシュさんの話を聞くのがベターですわね」
「そうだね……シルヴィア様、アッシュとアナスタシアの言うように一度離れましょう」
「……わかったよ。アッシュ、先導をお願いしても良いかな……?」
もしかしたら仲間が死んでいたかもしれない、もしくは現在酷い目に合っているかもしれないと考えているせいか、シルヴィアの顔色は悪く、そして言葉は弱々しかった。
「勿論だ。まずは安全なところで話をしないとな」
言ってから周囲に何か物音がしないか、耳を澄ます。遠くから聞こえる雨音以外には、風が木々を揺らし、葉の擦れる音だけが聞こえてきた。人の声や、不自然な草木の揺れる音、擦れる音はして来ない。
「まだ近くには来てなさそうだな……なら今のうちに行こう」
その言葉にアルとアナスタシアは周囲を警戒しつつシルヴィアを中心とするように配置に付き、進む。俺を先頭に後ろにシルヴィア、その更に斜め後ろ左右にアルとアナスタシア。まぁ、これは良い。
だがシルヴィアの様子は俺が思っているより悪いのか、よろよろと覚束ない足取りで歩いていた。
このままでは思うように進めないと判断して足を止め、シルヴィアに手を差し伸べる。
「……え?」
「ほら、手を取れ。どうにもしっかり歩けそうにないからな。それとも、冒険者風情の手を取るのは嫌か?」
「い、いや!そんなことはないよ!えっと、それじゃ……お、お願いします……」
「あぁ、エスコートくらいは任せてくれ」
おずおずと俺の手を取ったシルヴィアの手を引いて今度こそ野営地から離れるために歩き始める。
やはりというか、こういった状況になるとシルヴィアは頼りにはならない。勇者として経験が浅いのだから仕方がないと言えば仕方がない。
これは俺たち三人でどうにかシルヴィアを守りながら、盗賊団を討伐する。という非常に面倒なことになってしまうのかもしれない。
そんなことを考えながら、ひとまずは安全な場所までの退避を行うのだった。