8.カルルカン
カルルカンという草食動物は王都の周辺では珍しくない動物である。基本的には温厚で人に危害を加えることはなく、危険が迫れば風のように疾走し逃げていく。
ただし、逃げられない場合や仲間が傷つけられようものなら話は変わってくる。
そうなった場合には頭から生えた立派な角を武器にした頭突きや、発達した後ろによる強烈な蹴りでもって外敵を撃退しようとする。
また、カルルカンは群れを形成して生きる動物なので一匹でも敵に回すとその群れ全体が敵になる。つまり、数の暴力による頭突きや蹴りに襲われることになるのだ。
ついでに言えばカルルカンの角は鋼鉄の分厚い板を貫通し、蹴りは鎧を着た冒険者を死に至らしめるほどの物なので、基本的には温厚とはいえ怒らせると非常に恐ろしい。
過去にカルルカンの角が薬になるということで乱獲しようとした人間がいたらしいが、その悉くを撃退、または死に至らしめたと言われているくらいなので、下手な魔物よりも圧倒的に強いことがわかる。
もしかすると王都の周辺に魔物が出ないのは魔物除けのおかげではなくカルルカンを恐れて出てこないのではないか。という噂が流れるほど、その強さは周知のものだ。
そんなことを理解しているのか理解していないのか、シャロはカルルカンに一歩近づいていた。
するとカルルカンは一歩後ろに下がり、シャロを警戒するように見つめていた。
カルルカンとしてはいきなり現れた相手が近寄って来たのだから警戒するのは当然だろう。
しかし、仲良くなりたい一心のシャロはそのことに気づいていないのかまた一歩近づいた。当然、カルルカンは一歩下がる。
「むぅ……手強いです……!」
「手強いです、じゃなくて警戒されてるんだから仲良くなるのを諦めて下がれよ」
「いえ、ここで下がればカルルカンさんと仲良くなれません。だから私は諦めません」
「地味に強情だな……」
不退転の覚悟を決めたシャロは眼前のカルルカンから目をそらさずに俺の言葉に返事をして、ゆっくりというよりもジリジリとカルルカンに近寄っていく。
そんな様子を呆れながら見ている俺の傍には五匹のカルルカンが寄り添うように立っていて、何をしているのか、と見上げてきている。
今の状態にシャロが気づけば何を言うだろうか、と思いながら気にするなという意味を込めて軽く頭を撫でてやる。
見た目よりもカルルカンの毛皮というか、体毛はふわふわとして撫で心地が良い。なのでカルルカンを撫でるのは結構好きだったりする。
ただ気持ち良さそうにしながらもっと撫でろと頭を押し付けて来るのは良いのだが、他のカルルカンまで自分も撫でろとぐりぐりと頭を押し付けて来るのはやめてほしい。
地味に角が当たっていて痛い。こいつらはもう少し自分たちの角の殺傷能力を理解すべきではないだろうか。
「全員を一度には無理だからせめて並べよな……」
ため息混じりのその言葉を聞いたカルルカンたちは、今撫でられているカルルカンの後ろに早く撫でてもらえるように我先にと並び始めた。
草原や丘に出ればいつもこうなるので別段驚きはしないが、何でこいつらはいつもこうなのかと呆れてしまう。一番多く集まったのは確か、二十匹くらい集まったはず。
そんなことを思い出しながら先頭のカルルカンを撫でていると、そいつは満足したのか頭を押し付けるのをやめて後ろで待っているカルルカンに場所を譲り、そのまま俺の足元に座り込んで大人しくしている。
そうしてカルルカンたちを撫で続けていたが、集まっていた五匹全員が満足したのか今は俺の周りで思い思いに寛いでいる。
俺は近くの岩に座り、俺とカルルカンの様子に気づくことなく奮闘しているシャロを眺める。
「カルルカンさん、少しだけで良いので撫でさせてくれませんか?」
カルルカンに撫でさせてほしいと言っているが、当のカルルカンは鳴き声を上げてから首を振っていた。絶対に嫌だと言っているそれはシャロにも伝わったようで落ち込んだように肩を落とした。
「はぁ……どうしたらカルルカンさんは撫でさせてくれるのでしょうか……」
カルルカンに直接聞いているようだったが、シャロの言っている言葉の意味を理解してもカルルカンはそれには答えない。
それどころか、そんなシャロを眺めている俺に気づいたのか俺を見ながら耳をピンと立てたかと思うと、こちらに向かって走って寄ってきた。
勢いよく走ってくるカルルカンは自身の角がどういう代物なのか理解していないのではないだろうか。このままの速さで頭突きでもされようものなら俺の体に穴が開いてしまう。
「カルルカン!止まれ!」
流石にそんなことは容認出来ないので止まるように言うとカルルカンは器用に俺の目の前でぴたりと止まった。ついでに言うと、俺の周りで寛いでいたカルルカンたちも何故か動きを止めていた。
そして俺の目の前で止まったカルルカンは一度は動きを止めたが、すぐに頭を撫でろと頭をぐりぐりと押し付けてきた。当然のように角が当たって痛い。
「本当に毎度毎度お前たちは……」
仕方なしに頭を押し付けてくるカルルカンを撫でながら文句を言うが、これもいつものことながらカルルカンたちは聞いていない。
こうしてカルルカンたちに懐かれているのは昔からなので、もはや諦めているがなんだかんだでカルルカンに懐かれているというのは助かることもあるのとカルルカンたちが可愛いので悪くはないとも思っている。
「ず、ずるいです……!」
そんな俺を見ていたらしいシャロの言葉を聞いてカルルカンから目を離してシャロを見ればすぐ近くまで来ていたらしく、自分がどうやっても撫でられなかったカルルカンを撫でている俺を羨ましそうに見ていた。
「ずるくないだろ。これ、昔からだぞ」
「もっとずるいです!」
「なんでだよ……」
「だって、私はカルルカンさんに撫でさせてくださいって言っても撫でさせてもらえないのに、主様はカルルカンさんに撫でるように催促されてました!そんなの、すごくずるいですっ!」
「そうは言われてもな……なぁ、お前たちはあいつに撫でられたいか?」
ずるいと言われるので、シャロに撫でられたいかと聞くとカルルカンたちは揃って首を横に振った。
「嫌だとさ」
「うぅ~……カルルカンさんたちは意地悪です……」
「意地悪どうこう以前に、カルルカンは基本的に警戒心が強くて人に懐かないからな?」
「でも、主様には懐いてますよね……?」
「昔から、ちょっとしたことがあってな。まぁ、別にこれは教えても問題ないわけだけど……」
「それを聞けば私もカルルカンさんが撫でられるように……!」
何やら期待しているというか、これで私も!なんて言っているがまず無理だと思う。
それでも教えても問題ないと言った以上は教えておこう。
先ほどはシャロが何かの秘密を抱えているかどうかを確かめるために秘密にしたが、いずれ勘づかれるようなことなのだから。
「俺のこれはイシュタリアの加護を受けてるからだ」
「えっ」
「割と有名な話で知られてることだけど、カルルカンはイシュタリアのお気に入りの動物で、イシュタリアには懐いてるらしいな。そんなカルルカンに懐かれるってのはそういうのが関わらないと厳しいんじゃないか?さっきも言ったけど、警戒心も強いしな」
イシュタリアのお気に入りの動物ということで、聖都であればカルルカンは神聖な動物として扱われているらしい。聖都に行ったことのないのであくまでもらしいとしか言えない。
ただ、そんなカルルカンは聖都の周辺には生息しておらず、身近な存在ではないからこそ余計に神聖な動物という扱いが定着しているのかもしれない。
王都の人間にとっては慣れ親しんだ動物ではあるのだが。
「あ、主様はイシュタリア様の加護を受けているのですか!?」
「一応な」
イシュタリアの加護や祝福を受けている人間というのは、イシュタリアの信徒にとっては特別な存在となる。何故ならば、加護や祝福を受けることが出来るということはイシュタリアに気に入られた、もしくは認められた存在だけだからだ。
またそうした加護や祝福を受ける際にはイシュタリアと対面することになるので、女神と対面したことがあるともなれば信徒にとってはどれほど羨ましいことだろうか。
「別にイシュタリアの信徒じゃないけど、もらえるもんだ」
「そんな軽く言うようなことじゃありませんよ!イシュタリア様の加護を受けてる方なんて、初めて会いました!」
本当に軽い調子で言った俺を諫めるように言いながら、それでいて初めて会ったということで感動しているようにも見えた。
「あー……イシュタリアはなぁ……いや、そんなことはどうでも良いだろ。それよりもカルルカンを撫でたいんじゃなかったのか?」
「そんなことじゃないと思いますけど……か、カルルカンさんは撫でさせてくれるのでしょうか……!」
イシュタリアのことになって驚きの声を上げていたシャロであったが結局は子供ということだろう。
カルルカンに話をすり替えればほんの少しの抵抗を見せながらも、もしかしたらという期待に流されてしまっていた。
「カルルカン、撫でられてやってくれ」
主にイシュタリアの加護や祝福に関する話を流すために。
そんな俺の考えていることがわかっているのか、俺に撫でられていたカルルカンは一鳴きすると仕方ないな、というようにシャロを見ると頭を差し出した。
「わぁ……!い、良いのですか……!?」
「良いから頭を差し出してるんだろ。でもあんまり長い時間は撫でさせてもらえないと思えよ」
「わかりました!そ、それでは失礼して…………ふわふわです……すごく、ふわふわです……!」
恐る恐るといった様子でカルルカンの頭を撫で始めたシャロは、先ほどまで拒否され続けていたカルルカンが大人しく撫でられている状況とふわふわ具合に感動した様子だった。
そのままカルルカンを撫で続けるシャロの頭の中には先ほどの話など欠片も残っていないような気がする。
別に加護や祝福の話をするのは問題なかった。わざわざイシュタリアが世話役を付けるなんて時点で何かあると察することも出来るのだから、俺が教えなくてもそのうちわかったことだ。
それに、これは隠しておくよりも自分から話すことで何もかもを隠すのではなくちゃんと話すことは話すとわかってもらえればそれで良い。
本当に大事なことは言わないが、割とどうでも良いことを教えて納得してもらえるのなら俺としては助かるのだから。
子供騙しというか、本当に子供を騙しているような気もするが、信用できるかどうかわからない相手なのでこうするのも仕方ない。
そんな風に自分を納得させながら、俺のことを心配しているように傍に寄ってきたカルルカンの頭を一撫でして、シャロが満足するのが先か、カルルカンが嫌になるのが先か、どちらが先になるだろうかと下らないことを考えた。




