Scene 1
前に投稿した「冷たい雪 Prologue」の続編です。
山形の冬は厳しい。北国ということに加え、東北地方を真ん中から東西に分断する奥羽山脈によって大陸からやって来る寒波が遮られ、日本海側の県に激しい雪を降り積もらせるからだ。それは今年も例外ではなく、私の乗る山形新幹線「つばさ」は銀色に緑色のラインが入った車体を雪原の中走らせていた。車窓から見える景色は白一色で、雪の下に何があったのかはわからない。時計の針は午後三時を示している。灰色の雲が厚く空を覆い、地面に積もった雪にまた新しい雪を投下している。東京を出るときに確認した天気予報よりも、こちらの天気は悪いようだ。私は頬杖を突きながらぼんやりと外を眺め、そんなことを考えていた。
故郷山形を離れ、私が上京してから四年が経つ。今は大学四年生の冬休みの真っ最中だ。本来ならば、就職活動に忙殺されて帰省する時間など無い生活を送るはずだったのだが、それに反して私が新幹線に乗っていることには恥ずべき理由がある。
膝の間に挟み込んでいる黒いソフトケースを、そっと撫でた。私が進学したのは東京にある音大である。東京藝術大学、桐朋学園大学音楽学部などの名門校には及ばないが、そこそこの水準を誇る大学であり、そこに合格できたことは当時高校生の私にとって誇りであり、将来を約束されたようなものだった。一丁のヴァイオリンを携えて上京した頃の私には夢があった。プロになるという夢である。今思い返せば、それはとんでもない思い上がりであった。念願の音大への入学を果たした私は己の実力を過信し、また、それに酔いしれていたのだ。
線路がカーブを描き、車体も合わせて曲がる。車窓からはこれまた雪に覆われた山肌が間近に見えた。
大学生になった私は堕落した生活を送っていた。プロを目指すと口では言いつつも、親の目を遠く離れて自由な時間を得た私は、努力を怠り、友人と遊び呆けて日々を過ごした。大学の講義には出席していたが、その態度はお世辞にも真面目とは言い難かった。私は教室の最後尾から見える者のほとんどを、実力が無いが故に必死にならざるを得ない者とみなし、高みから見下ろして嘲笑っていたのである。自分は周りとは違って才能があるから努力する必要も無いのだと己を過大評価しながら、それが驕りだと気付かなかった当時の私を形容するには愚者という言葉が相応しい。
そんな生活を送っていたのだから、筆記、実技ともに成績が良いわけはない。大学はなんとかなっても、就職活動を始めた私に溜め込んだツケが回って来たのは必至である。私はまずプロオケへの入団を第一目標としていたが、それすら私には叶わなかった。入団希望先として掲げていたオケはどれも歴史ある名門であり、私の実力で入れるはずもなかったのだが、それすら気付かなかったあたり私はどうしようもない馬鹿だったのだろう。周りに勧められて渋々入団テストを受けた幾つかのアマオケには合格したが、私の薄っぺらいプライドはアマオケ入団は妥協だとし、それを許さなかった。そうやって進路を決められないまま、あっという間に時は過ぎ、今に至る。
雪が激しさを増してきた。雪が窓にぶつかり、ぱんと破裂して無数の水滴に変わり、瞬く間に見えなくなる。
四年の間に、自分の愚かさに一度も気がつかなかったわけではない。悪友と飲んでいるときに、ふっと自分はこのままでいいのかという考えが浮かんだことが何度かある。だが、私はその度にその考えを打ち消した。自分には才能も実力もあるのだからなんとかなると高をくくって、馬鹿騒ぎに興じた。その悪友達はどうにかして各々の就職先を見つけたらしく、就活の間だけなりを潜めると、また元通りの日常に帰って行った。つるんでいた仲間内で進路が決まっていないのは私だけだった。
私は真面目に努力していた者だけでなく、彼らのことも内心見下していた。彼らは特にこれといった目標を持たず、モラトリアムを享受していた。私は彼らを見ながら、同じような生活を送っていてもプロになるという明確な目標を掲げていただけ、自分の方が優れていると一人優越感に浸っていたのである。彼らと私を比較することはどんぐりの背比べであったが、最終的に取り残されたのは私であったことを鑑みるに、安いプライドに囚われただけ私の方が下等なのだと思えてならなかった。
冬休みに入って腐っていた私のもとに一本の電話がかかって来たのは昨日のことだ。電話の主は山形にいる母だった。正月は帰ってくるのかと母は問うてきた。上京して以来、実家には一度も帰っていない。大学一年と二年のときは友人と旅行に行く予定だったので帰らなかったが、三年生になると理由が変わった。その頃から母からの電話の回数が増えてきて、母が訊くのは専ら就職についてのことだった。就職先が決まってないと正直に言うのは気が引けたので、私はその度に、既に複数のオケに内定をもらってどこを選ぶか悩んでいるという真っ赤な嘘をついた。昨日の母からの電話はそれまでとは違った。就職のことには全く触れず、単純に帰ってくるのか否かということを訊いてきただけだった。もしかしたら母は私の嘘に気づいているのかもしれない。もしそうならば、私に直接問いただすつもりだろうか。受話器越しではなく私の口から直接真相を知ったら母はどうするだろうか。
自分が親不孝者だという自覚はある。音大に進学したいと言ったときは随分と両親を困らせた。それを実現させてくれた両親の期待を裏切り、東京で遊び呆けていた私は彼らの目にはまごうことなき馬鹿息子としか映らないだろう。全てを知ったときの両親の反応を想像すると、気が重かった。
私の気分に合わせるかのように、雪は先程から更に激しさを増していた。それに加えて風も強く吹き出したものだから、天気は大荒れだった。
このままでは新幹線が止まり立ち往生してしまうのではないかと思った、そのときだった。地響きのような音が聞こえ出したかと思うと、実際に震動が車内に伝わって来た。雪崩だ、という声が後ろの客席から聞こえた。窓から山を見ると、山肌の一部が震え、崩れ出しているのが見えた。安全装置が働いたのか、車両が緊急停止した。だが運の悪いことに、車に限らず電車も急には止まれない。さらに運の悪いことに、私の乗っていた車両はちょうど雪が崩れ落ちて来るであろう場所で停止した。
早い話、私の車両に大量の雪が横殴りに激突したのである。
列車ごと横倒しになった私は、ヴァイオリンの入ったソフトケースを抱えたまま、どこかに頭を強くぶつけ、気を失った。
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