第五章 柊可憐
――私の名前は柊可憐。
市立凪ノ宮高等学校二年三組出席番号24番。言うまでもなく女子。
人の上にたって物事をしきるのが昔から好きな私は、現在クラス委員長を務めているの。将来は生徒会長の役職に就くつもりよ。当然じゃない、私はそういう性格なのよ。
でもね。
これまでが私の表のプロフィール。
成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗(自分では思っていない)、才色兼備の私にだって裏のプロフィールが存在するのよ。それにそんじょそこらの小娘とはわけが違う。真面目一辺倒のお嬢様が実は夜な夜なクラブに足を運んでいました、なんて陳腐なものとはわけが違うわ。
『柊一派』。
私の家族および親族はそう呼ばれている。『宗団』のうちの一つ。『式藩』を取り仕切る四つの宗教集団の一つ。
私のお婆ちゃんが教祖。『柊一派』には男の人はいなくて全て構成員は女。男は子供を生む為だけに利用され、捨てられる(何処に捨てられているのかはわからない)。
しかし昨今は、家を継ぐのが嫌で他所で男をつくって逃げる人も多いんだよね。それに子を産むだけの男の人も最近じゃ少なくなってきたって話しだし。
でも私は違うわ! 生徒会長なんてちっぽけな夢で終われますかい! 私の夢は『柊一派』の教祖になること。そしてその先にある『式神』になって世界を牛耳ること! 以上自己紹介終わり!
◆
「ほんとここの人間は腐ってるわね」
何の躊躇いも無くこんな言葉が出てくるんだもん末期なのかな。私は今、夏休みに予定されている、クラス夏合宿なる行事の企画書をまとめているところ。
場所は生徒会室。と言っても人は誰もいなくて、私一人だけ。じゃないとあんな台詞言うかっつーの。
腐っている。
腐敗している。
それはもう嫌になるくらいに。
ここの人間は、日本という国を知らないことが一番ひっかるのよね。『式藩』という国に住んでいると思い込んでいるの。何の疑いもなしに。
海を渡れないんだからしょうがないんだけどさ。少しくらいは疑心しなさいって話なのよね。
海を渡ることができない――そもそも『式藩』には海が無いし見えない。島なのに海が見えない。ドーム球場なんかをイメージするとわかり易いんだけど、島全体が光科学繊維なんてわけのわからない膜で覆われているの。
光化学繊維――外から見たら海にしか見えなくて、中からは壁に見えるの。だから日本の漁船なんかが『式藩』に近づいても、確認することができないってからくりなのよ。私たち中の人は壁があってそれ以上先に進むことが出来ない。
わかる?
つまり私たちは隔離されてるって事なのよ。信じられないじゃない……本当に。でもこの島の皆はこの島で世界が終わってると思っている。
「可憐ちゃん!!!! 会いたかったよぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「………え!?」
私に猛進してくる何かがいるんですけど!?
――その何かは案の定私と、ガッチャンコする運命にあるのだった。トホホ……。
閑話休題。
「どいてくれない雅……重いんだけど」
「あっ!! ごめん! 可憐ちゃんとはつゆ知らず突進しちゃった。めんご。めんご」
「殴っていいのかしら……絶対知ってたわよね『可憐ちゃん!!!!』とか言ってたじゃない。ほんと唐突なのよあんたは」
私と桜井雅は今、馬乗りになっている。馬は私で、騎手は雅。しかも絶妙に痛い骨盤にものすごい体重をかけてやがる――でもわざとじゃないのよね雅の場合は。
「めんご。めんご」
と言って雅は私からそっと離れる。これでも私の一番仲のいい友達だから悪く言わないでね。
私はスカートについた埃をはたいて、倒れた椅子を直し一息つく。
「で! 何か用なの? あんな勢いで突っ込んでくるんだもん……それなりの理由があるんだよね?」
「あっ! そうだった。ご飯一緒に食べようと思ったんだ。ほらお弁当手作りなんだよ」
と言って大事そうに抱えていた可愛らしい花柄のハンカチーフに包まれたお弁当を、私の前に突き出す。よく落とさなかったわね……ああそうかちゃんと机に置いてたのね。準備のよろしいことで、いろんな意味で。
「ありがとう雅……でも私仕事片付けなくちゃいけないのよね。だから一緒に食べている時間が無いの、ほんとゴメン!」
「いいよ。気にしないで可憐ちゃんは悪くないよ。私ここで一人で食べるから気にしないで」
もう少し言い方ってものが無いのでしょうか。だけど、まさにその通りなのよね。でも私は桜井雅のこういうずけずけとした物言いが気にいっているの。
雅は私以外のクラスメイトには敬語で話す。理由はわからない。何度聞いても教えてくれないんだもん。壁を作っているという雰囲気じゃないところを見ると、性格を作っているのかしら? ほら、どんな漫画にも一人はいるじゃない敬語キャラってやつがさ、それなんじゃないのかなとか思っているの……でも雅がそんな器用なことできるのかしら――。
私はさっきのちょっとした事故で散らばった夏合宿の資料を拾い上げ、席についた。雅には悪いんだけど、本当にこの企画書をまとめないといけないのよ放課後までに。
「この玉子焼き美味しいな。ほんと美味しいや。あー美味しい」
ほんとゴメン。私も本当は食べたいんだよ、でも企画書をまとめなくちゃ。
「このタコさんウインナーも美味しいや。ほんと美味しい。いやー美味しすぎるよこれは」
――企画書をまとめなくちゃ。
「ふりかけごはんまでもが美味しいよ。ほんと美味しいや。このふりかけどこに売ってたんだっけ……えーと」
――まとめなくちゃ
「お茶も美味しいや。さっきのふりかけの話だけど、多分私の家の近所のスーパーだったと思うんだ。よかった思い出せて、帰りにでも寄ろっかな」
――なくちゃ
「確かあのスーパーは……」
「スーパーの話なんて聞いてねぇしどうでもいいわ!! それに、それは私への当てつけですか桜井雅さん! 私は企画書をまとめなくちゃいけないの! もっと静かに食べれないのかな!? ねえ聞いてる桜井お嬢様。もう少しゆるりと優雅に昼下がりのランチを楽しんだらどうなの? 私そっちの方が好きだなぁ。私の好みなんて聞いてない? そりゃそうよ聞いたところで意味なんてないんだから。さぁ見せてくださいな雅お嬢様の優雅なランチタイムを!!」
「……ねえ可憐ちゃん……そんなに喋って疲れない?」
――殴っていいですか? 本日二回目。
とまあこれがいつものやり取りなんだけどね。雅といると楽しいんだけど疲れる。等価交換みたいなものね――失うものがちっぽけだから全然受け入れるわよ。
雅は私とのやり取りに飽きたのか普通に美味しそうに弁当を食べている。私も一緒に食べればよかったかな、なんて感傷に浸っていると――。
「そうだ! さっき鏡見くんに会ったよ」
雅は何の気なしにあっさりとそう言った。私は正直反応に困る。
「へぇ……そうなの。でも何で私にいちいち言うの?」
――鏡見龍司。
私はその名前を極力考えないようにしていた。
私を裏切った男。私の心を踏みにじった男。私の……。
その名前は聞きたくなかった。あいつは多分、私を本気で殺しにくると思う。『 死の捕食者』を連れていたところを見ると――。
『式人』ではなく『日本人』。
いや、正確に言うと『日本人』でもない。
本音を言ってしまえば戦いたくない。でも『柊一派』として『柊可憐』として戦わないわけにはいかない。死にたくない。殺したくない。死にたくない。殺したくない。
負の連鎖。絡みつく茨のように私を蝕む。心が折れて砕けそうだ。比喩なんだけど、本当にそう思う。
「どうしたの可憐ちゃん!? 顔色悪いよ、ご飯食べなかったから? ほんと大丈夫?」
「うん……ごめんね、心配かけちゃって……ちょっとトイレ行ってくるわ」
私は堪えきれなくなって席を立ってしまった。これじゃあ,心配して下さいって言ってるようなものじゃない。本当に私は馬鹿だ。何がクラス委員長よ、友達に心配されてるようじゃあ、まだまだじゃない。
桜井雅は何も言わない。
わかっているの、あの子は賢い子だから人の気持ちを良くわかっている。私がこんな時はそっと引いてくれる。
これが親友の距離。
――しかし。
「可憐ちゃん……これだけは答えて……鏡見くんと何があったの?」
今日は違った。
「………………」
「さっき鏡見くんに会ったって言ったよね……私聞いちゃったんだよね」
「……何を聞いたのよ……」
聞きたいけど聞きたくない。
「柊を殺すって……言ってた。ううん、いや違うの……鏡見くんじゃなくて一緒にいた猫さんが言ってたの……私頭でも打っちゃったのかな、ごめん! やっぱり気にしないで私の勘違いだから」
鏡見じゃなくて……猫?
『 死の捕食者』の猫。正確に言えば、猫にされた『 死の捕食者』。
殺す? 私を? 鏡見じゃなくて? 猫が言っていた? 猫が喋ったってこと? 雅に聞えたってこと? 猫の声が?
「……!」
――私の考えは結論にたどり着いてしまった。
「そんな馬鹿な!! 嘘でしょ! 嘘って言ってよ! ねえ雅!! あなたは――」
私が言いたいことを言い終わる前に、後ろから声がした。
「無駄だよ。もう手遅れだ。こっからは私の時間だ。どいてくれよ」
「……!?」
「猫さん!?」
生徒会室の扉の前にちょこんと小柄な黒猫が、不気味な笑みを浮かべ座っていた。
特徴的な真っ赤な目。嫌らしい喋り口調。三日月型につり上がった口角。
間違いなく――『 死の捕食者』。でなかったら、喋る猫なんてぽんぽん居られても困るわ。
「どどどどういう事ですか!? やっぱり猫さん喋ってるじゃないですかっ!! これは夢! 夢なんですか!」
「夢じゃないんだよね残念ながら。そもそも夢なんですかーとか言ってる奴がいる時に、それは本当に夢でした、なんてパターン冒頭の夢オチの時ぐらいなんだよ。もうお話が進みすぎなんで夢じゃありません……残念!」
――結構人間社会に詳しいのね。思わずツッコみそうになったところを堪える私。
「一つ聞きたいんだけどいいかしら?」
「私の食事の邪魔をする気かい小娘?」
『 死の捕食者』はより一層赤眼を輝かせて、私を見下すように睨む。怖くはないんだけれど、妙な貫禄がある。もともと動物は好きな方じゃないし。
しかし怯んでいても意味は無いので私は質問を続ける。
「あいつはいないの?」
「はて? あいつとは誰のことかな?」
とぼけるような挙動で『 死の捕食者』は、私を嘲笑する。
「あーそういう事か……あいつって――」
「待って! それ以上は言わないで、お願い……」
言って欲しくなかった――その名前を。
聞きたくなかった――あいつの名前を。
呼んでほしくなかった――『 死の捕食者』に名前を。
自己中心だって人は笑うかもしれない、でもね今その名前を聞いてしまうとこの場所に立っていられなくなりそうなの、泣いてしまうかもしれない。私は『柊一派』の柊可憐なのよ――負けてらんないのよ。
「フン! わかったよ……でも食事は止めないからね」
と言って一足飛びで、雅との距離を詰める。雅は何も反応できない。そんなの当たり前じゃない、雅はまだ人間なのよ――勝てるわけない。
――赤色の雫が虚空にアートを描く。
「へえ……友達思いなんだね。うんうん感心するよ。もう嫌味なくらいにね」
「うるさいわね糞猫……こんな腐った世の中で友達を守らないで、何を守れって言うのよ」
私の左手から多量の血液が勢いよく噴出す。痛い。かなり深いところまで切り裂かれているだろう。出血多量にならなければいいんだけど、なんて暢気な事言ってられないわね。
「……何が……起こっているですか……?」
雅は驚きのあまり、敬語がうまく使えていない。それもそうよねこの状況を受け入れられる程雅は、非日常慣れしていないんだから。
「雅! 逃げなさい! できるだけ遠くに全力で! わかった! さあ早く!」
「そんなすんなりと私が逃がすとでも思っているのかな? 甘いんじゃない? それはもう砂糖のように、 井戸田のように……いや実際甘いのは小沢のほうか。どっちにしろ甘いと思うんだよねスピードワゴンだけに、ありゃりゃ全然かかってないよ、残念!」
「なめんじゃないわよ! その姿のあんたに私が劣るとでも本気で思ってるの? 私はこう見えても結構強いのよ! だから早く逃げて! 雅!」
見栄でも虚栄でもなく立派な自信。私は強い。こんな糞猫一匹に負けるはずがない。それを一番わかっているのは私なんだ。それはもう恐ろしいくらいに。
「何かよくわかんないけど……ありがとう可憐ちゃん!」
雅は案外運動のできる女の子なのだ。文武両道。だから女子の中では結構足の速いほうなのだけれど、猫の運動神経には適わない――でもこの場には私がいる!
雅が教室を出たことを確認し私は、糞猫のほうを見遣る。
「何だと!? これは……!?」