第四章 桜井雅
――昼休み。
おおよその生徒は、各々が好きなものどうしでグループを組み食事をしている。まぁ例外ということもあるんだが。その例外というものに入ってしまうんだろうな僕みたいな人間は。
猫と食事をしているかわいそうな少年。
そんなレッテルを貼られているのだろう。レイベリング理論にしたがって生きていると、やはり僕は損をする人間のようだ。群れるのは嫌いなんだよ、なんて思っている奴は、この世界には数えるほどしかいないのにな。皆友達ときゃっきゃやりたいのが本音なんだよ――とこれは余談か。
「お腹減った」
「静かにしろ」
「何で?」
「君はやはり低脳だな。特別に教えてやるよ、僕が猫と喋っているところを他人に見られてみろ……明日から僕は学校に通うモチベーションを根こそぎ失ってしまうじゃないか」
まあ、学校にはあまり来ないんだけど。梓は足で耳を掻きながら何の気なしに喋り続ける――もう猫に順応しているのか? 怖い怖い。
「いいじゃにゃいか! その為にわざわざ旧校舎の屋上なんて、誰も来ないところを選んだんじゃにゃいのか?」
「猫語は止めろ! 僕にそんな趣味は無い。そもそもさっきまで普通に喋っていただろ。全くうっとおしいったらありゃしないぜ」
――しかし、梓の言っている事は当たっている。僕はいつも昼食は食堂で食べている(独りで)。それをわざわざ梓の為に、こんな辺鄙な旧校舎、それに屋上にまで来たんだ。少しぐらい警戒を解いてもいいか。
旧校舎。
我が校、市立凪ノ宮高等学校には使われていない旧校舎が、性懲りも無く、取り壊されずに残っている。この類の校舎には怪談話とか文化部の部室があるとかがセオリーなんだけど、そんなことは無い――ただの何も無い校舎。
残っている理由も単純で――校舎を取り壊す予算がうちの高校には無いというだけの話。
「柊がどこで僕達の話を聞いているかわからないんだぞ旧校舎とはいえ油断はできないさ……あいつは異常だ。何をしてくるかわからないんだぜ」
「大丈夫だと思うよ。私わかるもん……何となく!」
と言ってさっさっと、屋上の金網をよじ登る。あいつは今は猫なので気にしないが人間だったらと考えると、止めるべき行動なんだろうな――いや、そんなことより。
「何となくだと……僕はそんなあやふやで、非合理的な考えが大嫌いなんだよ。わかるか? 僕のこの怒りが、って何逃げてんだ! 待て! おい!」
逃げやがった。
もう一度言おう、この僕から逃げやがった!
猫(本当は『 死の捕食者』)の分際でこの人間様を舐めやがって。僕の血を舐めるのに飽き足らず、僕の人格まで舐めやがった――絶対に許さん!
と独りで憤怒の炎を燃やしていると――。
「…………っ!」
視線を感じた。まずこんな場所に人はいない。しかしそんな先入観を尊重していても、たいした意味は無い。この場を見られるのは色んな意味でまずい。
僕は思考する。
起こりうる可能性全てを――柊か? しかし……ああは言ったものの、あいつが時間まで指定してきたんだぞ、僕ならともかくそんな卑怯なことをするか?
――自問自答が脳内を駆け巡る。
はっきり言って、柊可憐以外の誰かのほうが僕にとっては困る。こんあ辺鄙な場所で、猫と楽しそうに食事している姿を一般人に見られてしまうと、僕はもう学校には来れない――プライドだけは一級品なんだよ僕は。
考えていても埒が明かない。
「誰かいるのかい? 覗き見なんて趣味が悪いな……怒らないから出てきてくれよ」
我ながら陳腐すぎる台詞。こんな言葉で出てきてくれるなら、誰も困らないじゃないか。出てくるとしたら、そうだな……バトル漫画とかにいそうなバレたって、ドヤ顔の暗殺者か、単なる馬鹿ぐらいなもんだろう――もう少しぐらい例があるだろ……今はそれどころじゃないんだよ! 脳内ノリツッコミ。
「ごっ……ごめんないさい! 悪気があったわけじゃないんです! 本当にごめんなさい!」
「………………」
単なる馬鹿のほうだった。
「桜井だったのか……いつも言っている事だけど、同級生なんだから敬語やめないか?」
「ごめんなさい! 鏡見さま!」
ふざけているとしか思えないよ、本当に。でも違うんだよな――。
桜井雅。
僕と同じクラスの女子。
雅なんて煌びやかな名前だけれど、外見は地味で、黒ぶちの眼鏡がよく似合う三つ編み。
綺麗な顔立ちではあるけれど、ださい(僕の主観なので勘違いしないように)眼鏡をかけている為地味としか言いようが無い――全く、惜しいことをしてくれるよ。
超がつく程の天然――超天然なんて言葉は無いのだけれど、とこれは余談か。いや余談というよりも余計か。
特筆すべき点は、柊可憐の親友というところぐらいか。
「いつからそこにいたんだい?」
「………………」
桜井は、旧校舎の屋上の入り口でドアに隠れながら、下唇を噛み、わなわな震えている。
それにしてもなんて存在感の無さだ。結構人の目には注意して僕はここに来たんだぜ。ここに来てからにしたってそうだ。常に、梓の百倍はピット器官をフル稼動させていたはずなんだ――何回も脳内ノリツッコミをすると思うなよ。
何も知らなければそれでいい、ただ僕は他人を巻き込みたくないだけ。
「ごめん。怒らないからさ、ここに何しに来たんだい? あ、僕? 僕は気持ちのいい景色を見ながら弁当を食べたかったんだよ。旧校舎は誰も来ないからさ、何にも気にせず自由にできるだろ?」
桜井雅程度の人間ならこのぐらいの嘘で騙せるだろう。やれやれあまり嘘はつきたくないんだけどね。
「可憐ちゃん……探してたんです。ご飯一緒に食べようと思って……そしたら迷子になってしまいました。てへっ!」
「『てへっ』じゃねぇ! 学校で迷子になる奴がどこの世界にいるんだよ……いや僕は世界を全部見たわけじゃないからさ、一重に言い切れないんだけれど、少なくとも見たことはないね。柊なら……いや、別にわからないな、しいて言えば生徒会室じゃないのか?」
クラス委員長は定期的に生徒会室で昼休みに会議を行っている。柊はこの時間そこにいるのが妥当といえよう。
「生徒会室か……想像もつきませんでした。やっぱり鏡見皇太子殿下は賢いですね」
「おい桜井……わざとだろ? わざとなんだよな。それによく『皇太子殿下』なんて言葉すぐに出てきたな、逆にすごいと思うよ。さすが学年ナンバー2の秀才だ」
「えへへへへ」
この女、照れてやがる。
皮肉たっぷりに言ってやったのに。
――調子を狂わされる。柊以上にやり辛い女だ。馬鹿なのか賢いのかわかりゃあしないぜ。勉強はできるけれど馬鹿。つくづく掴み辛い性格だ。ちなみにナンバー1は言うまでもなく柊可憐。
「生徒会室なんて一番最初に思いつくだろ。まして君は彼女の友達なんだろ? だったらわかるだろ常識的に考えて」
僕は目を閉じ。さも自分は偉いと言わんばかりの表情で桜井に言ってのけた。それを受けた桜井は俯き、笑顔のままで自身なさげに言葉を発した。
「……鏡見くんは違うの?」
「……えっ?」
――この僕が何も言えなかった。
何を言っているんだ? そんな話のくだりか――超天然の桜井だから、何を言い出そうが違和感はないのだけれど、こんな質問をされるのは予想外。埒外。範疇外。
「僕は……」
何も言えない――。柊は僕にとって何なんだ? 友達? 敵? 違う。いや今は敵か……この僕が何をうろたえているんだ。何だか気味が悪くて笑えてくるよ――笑えねぇよ。
「僕はあいつを……」
「殺したいんだろ?」
「……!?」
――僕の後ろ、すなわちフェンスの金網には、一匹の黒猫が真っ赤な瞳をぎらつかせ三日月型に吊りあがった口でにやりと笑っている。
「そうはっきりと言えばいいんだよ。何も減るもんじゃない。日本人の君なら当たり前だと思うんだけどな……いや日本人というより君は……」
「黙れ」
「え!? どうしたんですか……私何か気を悪くするような事言ってしまいましたか? ごめんなさい!」
「いや……違うんだ」
――何? そうか梓の言っている事は桜井には聞こえないのか。内心ほっとしている自分がいる。
柊を殺す――僕はずっとそう思っていたじゃないか、あの時も、あの時も、あの日も……いつから変わってしまったんだ鏡見龍司。自己嫌悪に陥りそうだよ。
「ごめん桜井……僕、そろそろ行くよ授業に遅れちゃうからな」
「ああああっ! こっちこそごめんなさい! 私なんか変なこと聞いてしまいましててて……てへっ噛んでしまいました! じゃなくて」
「もういいよ、気にしなくていいからさそんな事。それにそんなに頭下げてると後ろからパンツ丸見えだぜ」
「え!? あ? あああああああああああっ!! 鏡見御大氏皇女殿下の馬鹿ーーーーー!!」
僕は男だよ。なんて、わざわざ声に出してまでツッコまないよ僕は。しかも位置からして僕には見えないんだから、そこまで照れることないだろうに。うぶなんだなイメージ通り。
桜井は猛ダッシュで階段を降りていった。よかったあいつのほうから立ち去ってくれて。
「おい。何であんな事言ったんだ……答えろよ」
梓はひょいと身軽な動作で金網から給水塔に飛び移り、にやけ面そのままに口を開く。
「おかしな奴だね君は。私と事故みたいなもんでも血契りを交わしたんだからもう殺るんだろ?」
「………………」
何の気なしに、平然と表情を変えず梓は僕に問いかけた。僕はまたも黙ってしまう。
「まぁいいんだけどね。私だって助けてもらった恩があるんだからこれ以上は言わないけどね…一つだけ忠告させてもらうよ」
「何だよ……」
「さっきの子、えーと……桜井さんだっけ? あの子――」
僕は話が逸れて内心、安堵していた。
さっきから梓の表情は何一つ変わらない。給水塔からどこか遠くを見透かすようにしている――変わらない表情に安堵していたんだ。
「『 死の捕食者』になるよ」
旧校舎の静けさが、肌寒かった。
午後の授業にはいけそうにもない――そう思うことしか僕にはできない。