第三章 鮮血の……
「なっ……何してんのよ!」
「………………」
「答えなさいよ!」
柊可憐が驚くのも無理はない――そう、僕の右手は今、血みどろになっているのだ。かといって別に柊にやられてわけではない。
「……やっぱり痛いな……梓、話が違うんじゃないか?」
「フン! 勝手な奴だね」
「お前がそれを言うのかよ」
僕の右手に滴る血液は致死量とは言えないが、かなりの量となって、月明かりに照らされた地面に、ぼとぼととこぼれている。
「何私の前でイチャイチャやってんのよ! あんたを助ける為に私がこの世界から出すとでも思ってんの! ふざけないでほしいわね。私の事知ってるでしょ――さぁ何をしているのか話なさい」
ふざけ調子な口調だが目が笑ってないところを見ると、なるほど本気のようだな。それもその筈、目の前にいるこの女は嘘をつくことを知らないからな。
「梓、血はお前にやるだからすぐ終わらせろ」
梓は頷き、僕の流した血液を舐める――内心自分の血を舐められるというのは背中に気持ちの悪い寒気を感じる。やれやれ直接舐められていないだけましか。
柊は目をまんまるにし絵に描いたような驚いた顔をしている――まぁ無理もないだろう。彼女には理解できないだろうからな、僕の行動の意味が。
◆
一匹の猫は内臓をぶちまけ血溜まりの中で倒れている。
一人の少年は軽薄な笑みを浮かべ立っている。
そして――僕は。
「さあ、さあ! どうしました。最終兵器を失ってしまい意気消沈ってところですか……実につまらない。どうしてそんな顔をしているのですか? 可笑しいですねぇ、さっきまでの威勢はどこにいってしまったのですか? アハハハハハハ! ほんと無力ですね人間は、無能すぎる。さあどうしました何か言ってくださいよ」
「…………うるせぇよ」
「ん? 何か言いましたか?」
僕は――沢渡君の言葉を無視し、『 死の捕食者』もとい梓のほうへ歩み寄る。
先ほどは暗がりでよく見えなかったけれど近づけばわかる。そこに横たわる猫からはほとんど生気を感じ取ることが出来ない。
僕はその場でしゃがみこみ――沢渡君がえぐった傷口に右手をつっこんだ。
客観的に見て猟奇的な行為。
「……何をしているのですか……?」
さっきまでの沢渡君とはうって変わり、額に汗をかき僕に問いかけた。答える義理の無い僕は自分の作業を続ける。
ぐちょぐちゅと気持ちの悪い音を鳴らしながら僕はさらに奥へと手をつっこむ。
さらに奥に――さらに深部に。
「……見つけた」
――と言ったとほぼ同時、沢渡君はサバイバルナイフを振りかざし、僕に突っ込んでいた。
その顔は真剣そのものでまるで僕の行っている行為の意味に気付いているかのようである。
「まさかお前、まさかお前――」
ナイフが僕の頚動脈を切り裂くか、切り裂かないかの寸でのところで僕は――あっさりとした挙動でナイフを受け止めた。
ナイフは僕の右手に突き刺さり、鮮やかな血が流れる。
「僕はさ演技へたなんだよね。ただの茶番にしかならなかっただろ? 『黒十字』? それが僕の最終兵器? 笑わせるなよ……こんなつまらないものが僕の武器になる筈がないだろうが、全くもってやれやれだよ『 死の捕食者』ってのも案外間抜けなんだな」
血塗られた右手で受け止めたナイフはぴくりとも動かない。
「嘘ですよね……こんな事が……」
沢渡君は震えながらつぶやいた。それもそのはず僕の右手は梓の血液と、僕の血液が混ざりぶくぶくと泡立っている。
それは水が沸騰するかのような、そんな印象を抱く。
「ぐっ……」
熱い。
どんどん温度が上昇している。
この泡には温度があって、とてもじゃないが耐えていられない。感度の悪い僕でさえ声を出してしまうんだ。あながち間違いじゃないだろう。
「がああああああああああっああああああ! あちぃぃぃぃぃ!」
あふれ出る声。
我慢が限界を超える瞬間。
僕の右手はもう温度が感じられないほど温度が上がりきっている。
――ふざけんじゃねぇ。なんで僕がこんな目にあわなければいけないんだ。もう被害者面は正直うざいか……そうだよな、もう『被害者』じゃなくて『加害者』だもんな。
「……沢渡君……」
「……!」
沢渡君はびくっと肩をすくわせ僕のほうを見る。焦燥にかれきった顔はもう、能面でもなく、狂気も一切感じられない。
「……はあ、はあ……君は気付いてしまったんだね。実に聡明だよ」
右手の温度が感じられなくなったおかげで、言葉を発せられるほどに落ち着いてきた。
「君の想像通りだよ。『 死の捕食者』――最初はわからなかったけれど、君の話を聞いて得心いったよ。元人間って言ったよな? それと皮肉にも『あの女』の言葉で思い出してしまった。ああ引き伸ばしすぎか、結論を急がせてもらうけどさ」
「――僕は日本人だ」
「やはり……そうでありましたか」
沢渡君は急に体を緊張させ、あろうことか膝をつき僕に頭を下げた。血液がまばらに飛び散った地面に鼻をこすりつけたのだ。その姿は自然の摂理そのもので、弱肉強食という四文字熟語を顕著に表していた。
――日本人。
ここ式藩では絶対にあり得ない日本人。
式人ではなく日本人。
「頭を上げてくれよ沢渡君。頭を下げられる筋合いは僕には無いよ。それともそれは死にたくないゆえの、命乞いととってもいいのかい?」
「あっ! すっすいません! すぐに頭をあげます!」
沢渡君はさも当たり前のように顔を上げた――後ろに迫る脅威にも気付かずに。
「沢渡君……実に愉快だよ」
ボトン。
――沢渡君の胴体と頭が二つに分かれた。
切り口からは盛大な血しぶきがあがり、僕にシャワーのごとく降り注いだ。
生暖かくて、粘着性があって――それでいて懐かしい。
「ありがとう……なんて言うと思うなよ。助けたのは僕なんだからな」
びちゃ、びちゃと血塗られた地面をよろよろと歩き『 死の捕食者』は、気味の悪い顔で笑った。
――月明かりの美しさと相成って、鮮血濡れし少女は、とても綺麗だと思った。
◆
「どうもはじめまして、梓です」
『 死の捕食者』もとい『黒猫』もとい――『梓』は丁寧におじぎをし、柊に挨拶した。
その姿は綺麗な黒髪を丁寧に切り揃え、透き通るくらい白い肌。大きめで切れ長の瞳。少し赤らんだ唇が魅力的な僕の好みのタイプの集大成のような美少女である。
とまあ、ここまで甲斐甲斐しく説明しなくても、大方わかっていると思うけれど梓は黒猫の姿から――人間の姿に戻った。
僕があの夜、気持ちの悪い黒猫の傷口に、手をつっこんでまで探し出したものは、『 死の捕食者』の心血部。
心血部――人間で言うところの心臓。
昔、『ある人』に聞いたことがあった。
『心血部を潰せ。そしたらお前の血が変えてくれるさ』
その時は『心血部』なんて言葉も知らなくて、気にもとめていなかったけれど、今ならわかる。日本人の僕の血が『 死の捕食者』を作り出したのだから。
「………………」
「だんまりかよ。少しは口から言葉を発してくれよ。じゃないと僕が飽きてしまうじゃないか、この状況に。そんな俯いた顔でいて格好でもつけているつもりか? 実に不愉快だよ。君のことは少なからず評価していたのにさ」
「……そういう事だったの……」
と言い捨て、柊はなぜか僕に背を向けた――戦う気がないのか。死ぬつもりなのか。この強欲女が? なんて、思案しているとあたり一面の景色が一変した。
色々な映像がリフレインしたり、壁が崩れ去ったり、する演出も無くただ、一瞬のうちに景色は教室のそれとなった。
◆
「おーい鏡見! 何ぼーと突っ立ってんだ」
――僕は教室の真ん中で、呆け顔で突っ立っていた。何が起こった? なぜクラスメイトの皆は僕を奇異な目で見る、当たり前か授業中なんだ今は。そうだ柊は――。
僕が柊の席を見るよりも先に――。
「早く座りなさいよ。もう何やってんだか、ちゃんとしなさいよ学校に来た時ぐらいはさ」
「ああ……わかってるよ、すまない」
僕は静かに着席した。教室に漂う空気は、いつもの日常そのものとなってゆく。
ふざけるなよ。何が起こったっていうんだ。柊はあの異世界空間を解いたっていうのか?
「柊……僕に何をした?」
隣の席の柊可憐にしか聞こえない声で、教科書で口を覆いつぶやいた。
「何言ってんのよ! 馬鹿じゃないの? 何もしてないわよ。そんな事より放課後の委員会の仕事さぼるんじゃないわよ?」
「……わかってるよ……」
――そういう事かよ。面白いじゃないか。これだから面白いんだ……なあ梓。
教室の端でつまらなそうに、眠っている猫が一瞬笑ったように見えたのは、気のせいじゃないだろう。