第二章 もう一人のデスイーター
現在、日本は地図の上では、一都一道二府四十三県で成るのだが、それはあくまで地図上でだけの話。
国外にも知られていない秘密裏の藩が日本国にはある。
藩という時代錯誤な名称を用いているのには当然理由があって、それは――『式藩』の歴史に起因する。
『式藩』は日本国の一部であって――一部ではない。
位置こそ新潟県の佐島にあるのだが、日本国との交流を一切絶っている為、地図に載ることは無い。
全くの皆無。
江戸時代に行われていた『鎖国』の強化版と思っていてくれればいいだろう。そもそもなぜそのような『藩』が存在しているのかというと――。
『宗団』。
『椿屋』『樺組』『秋風教会』『柊一派』からなる宗教集団。
超自然的存在と交信することによって、天変地異や破壊、殺戮、特殊能力――エトセトラ。
いわゆるシャーマニズム的な力を使うことができる――『宗団』は、鎖国が国内を支配していた時代に国内紛争を仕掛けた。当時の日本、いや恐らく現在もだろうけれど、日本の武士達は『宗団』の使う特異能力に為す術が――無かった。
戦争という言葉を使うことが、はばかられるくらいあっさりとした最期だったという。
勝利した『宗団』の当時の首領は一つだけ願ったらしい。それが、『式藩』の創設である。幕藩体制が確立されていなかった(というよりまだそんな話、この時代には無い)為、藩の名前を未だに用いているのだ。
日本人にとって『式藩』の話を出すのは禁忌であり、即死刑。
殺人よりも罪が重いということになる。
そもそも知っている人自体あまり居ない。
何も知らない一般人から見れば、新潟県の佐島、いわゆる『式藩』は無人島だと思われている。逆に『式藩』の住民も日本に渡ることは許されていない(許可さえ下りれば海外には行ける)もちろんこちらも死刑。
現在の『式藩』はすべての住民が特異能力者というわけではない――そもそも能力者のほうが圧倒的に稀有である。ざっと説明すると、『椿屋』『樺組』『秋風教会』『柊一派』の四つからなる『四宗族』の血を両親から受け継がれなければならない――片方が一般人ではいけないということでなる。
当時は親の決めた相手としか結婚できなかったが、現在は恋愛結婚が主流となっている為、自然純血の『四宗族』なんてほんの一握りしかいない。
ただその一握りでさえ国家レベルを遥かに超越した能力者なんだけれど――あと忘れていたな、当時でさえ『式藩』の住民がすべて能力者というわけではなかった。どの宗教にも信者というものがいて――その人達も暮らしていたのだから自然そういう運びになるだろう。それでも今よりは多かったので、ざっと全体の三割くらいになるのだろうか。
しかし僕、こと鏡見龍司は日本国出身である――『式藩』では無く『日本』。
「………………」
「にゃん!」
「嘘だろ……」
「嘘じゃないよ」
「猫がしゃべった!」
「え……猫? にゃっー!」
――時刻はおそらく九時少し過ぎを、少し過ぎたくらいの時間。
なんてことをしてしまったんだ。僕らしくもない――あんなタイミングで噛むなんて。
戦々恐々としている僕を尻目に黒猫と化した柊の言うところの『 死の捕食者』の梓は、自分の両手を見て絶叫していた。
肉球がついてたんじゃあそのリアクションは間違ってはいないけれど――何であいつは猫になっているんだ。
「おい何で君は猫になっているんだ。僕は君を消滅させようとしたんだぞ」
「しっ……知らないよ! 私が教えてほしいぐらいだーっ!」
黒猫こと梓は大声で叫んだ。
他人様の家の塀を掻き毟りながら「こんな姿嫌だー」とか何とか大きすぎる独り言をほざいている。同情はするが、僕にも現状を把握しいれていないので何もすることが出来ない。やれやれ――やはり僕が詠唱を噛んだことに起因するのだろうか。それだったら大失策だ、あとで柊になんて謝ろうか――なんて考えていると、さっきまで暴れまわっていた黒猫は、猫だけに借りてきた猫のように、静かになっていた。
「おいどうしたんだ。猫になったことについて考えでもまとまったのか?」
「………………」
軽い調子で問いかけたけれど、あっさりと無視された。いや、無視というよりも聞こえていないと表現したほうがいいだろう。
梓の綺麗な真っ赤の瞳はかっと開かれ、多量の汗を流している。
僕は梓の見ている方向を見るように後ろへ振り返った。
「……え?」
と驚きの息を漏らしたけれど、そこには別に知り合いが立っているというわけではなく――全く知らない少年が立っていた。
背丈は僕の半分くらいで恐らく小学生だろうな。
薄暗くてよくは見えないけれど、キャップを被っており、上下セットのジャージを着ている。そもそも何でこんな時間に小学生が居るんだよ――全く、驚かせてくれる。
僕は視線を戻す――黒猫の様子が変わっていた。見開いた目は変わっていないけれど、その表情は肩の荷でもおりたのか、安堵といったもので、安心感に満ち溢れている。
「おい! どうしたんだよ」
「私だけじゃなかったみたいだね……」
「?」
言っていることが理解できない。やっと喋ったと思ったら何なんだ一体。
「あれれ? そこの猫さん……もしかしてその声は、梓さんじゃないですか。奇遇だなこんなところで会うなんて、おや? 食べ物は……食べさしですか、なるほど食べてしまったみたいですね。失敬。ふんふん、なるほど罠だったようですね梓さん、奇遇ではなく不遇ということですか。よかったよかった、僕が一足早ければ僕がそのような無様な猫になっていたということですか」
少年は軽薄な笑みを浮かべ僕――否。梓のほうへ近づいてくる。それにしても何者だ……こいつの知り合いか。饒舌な奴だな。それも皮肉っぽい口調が若干鼻に付く。
「調度いいや。なんとかしてよ」
と梓。少年は顎に手をおき思案顔を一瞬浮かべたが、そのすぐ軽薄な笑みを浮かべる。
「僕にはわかりかねますね。いやはや役に立てず謝辞を述べたい所存であります。まあ述べませんけれど、僕はね知っての通り謝るという行為が好きじゃないんですよ。理由は簡単嫌いだからです。そこには論理的理由や物理的理由なんて存在しません。謝るだけではなくて、嫌いなことは何もしたくありません。嫌いなものを食べさそようとする親を見るとね、滑稽にしか見えないのですよ……余談が過ぎましたか――」
「…………うっ!」
言い終わるやいなや、少年は僕のほうへ視線を移した。それはごく自然な動きだったので僕は怯んでしまった。
「ふーん。あなたは人間のようですね……梓さんを嵌めたのはあなたですか?」
「……は?」
「単なる質問ですよ。まあ質問というより確認と言ったほうがわかりやすいですか?」
いちいち言い方が腹に立つな。この温厚平和主義者の鏡見龍司がそう思うんだぞ、よっぽどのもんだ。
「そうだよ。僕がやった……としたら君はどうするんだい?」
「いいえ。どうもしません。そうですね……感謝したいぐらいです」
「何言ってるんだよ。この人をさっさと殺してよ」
物騒なことを平気で言う梓。それもそうだよな、これはどう考えても僕のピンチな場面じゃないか。敵が二人(正確には一人と一匹)になったんだ。やれやれ、どうしたものか。
「梓さん……何言ってんですか?」
「……なっ!」
「何って正論だと思うけど!」
そうか梓には見えてないんだな――梓から見れば少年は背中向きなので表情が読み取れない。
僕から見ればその顔ははっきりと見える。もの凄い形相。その顔つきは、悪意に満ち満ちており、恐怖さえ覚えた。かといって鬼のような形相ではなく全くの虚無、無表情そう表現するのが、至極まっとうだと思う。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
少年は狂ったように腹を抱え笑い出す。
「すっすいません! ハハハハッ! なんて可笑しいんだ。僕を笑い殺そうって魂胆ですか?
アハハハ滑稽だ! 滑稽過ぎる。この状況で僕が梓さんを助ける? そんなことするわけ無いじゃないですか、おかしな人だな。僕は『 死の捕食者』の沢渡ですよ? 人呼んで『共食いの沢渡』とまで言われてるこの僕がですよ……あなたを喰いに来たに決まっているじゃないですか」
「………………」
「………………」
「あれれれ? 絶句ですか? だんまり決め込んだって、結果は何も変わりませんからどうか喋ってくださいよ。そもそも僕らに仲間意識なんてあるわけないじゃないですか……所詮は過去の遺物。いや、残りかすと言ったほうがしっくりきますか。より強くなって奴らを殺す――その為にはより強い栄養分が欲しい。それはは至極当然ではありませんか?霊体よりも『 死の捕食者』を喰ったほうが効率がいいですからね、と喋りすぎましたか」
「おい……喋りすぎついでに一つ聞かせてくれないか?」
僕は、少年こと『共食いの沢渡』に初めて声をかける。
僕は基本的に初対面の人に声をかけるのが出来ないタイプの人間なのだが、この時ばっかりは聞いておきたい事があった。
沢渡君は、顔を凄い勢いで僕に近づけ、軽薄な笑みを貼り付けながら喋りだす。
「うっ!」
「何ですか一体? もう確認作業は終わってますから帰っていいですよ?」
――能面みたいな顔を僕に近づけるな! 僕はそう言ってやりたいところえを、ぐっとこらえ本題を口にした。
「『死の捕食者』って一体なんだ……よかったら教えてくれないか?」
沢渡君は近づけていた顔をすっと僕から遠ざけ、腕を組み、軽薄な笑みそのままで語りだす。
「おかしいですね……いや、これは面白いという意味ではないないことぐらい字面でわかりますよね。と余談はこれくらいに、『ここ』で暮らしている人なら誰でも知っている既成事実なのですが……フンフン、僕の見立てでは、梓さんを嵌めることができるくらいに聡明な方とお見受けしていたのですが、まさか僕らを知らないなんて――何者ですか?」
「僕は鏡見龍司、一介の高校生だ」
「かがみ……りゅうじ……いや、失礼――聞いたことはありませんね」
当たり前だ。君みたいな化物くさい奴らに、僕の名前が割れていると考えるだけで、背中に蚯蚓が走るような感覚に陥ってしまう。
『霊視』やら、『 死の捕食者』やら今日だけで一体何個、新出単語を憶えさすつもりなんだ。やれやれ、中学の時の英語を思い出すじゃないか――とまあこれは余談か。
――と嘆息している暇なんて僕には無かった。
一閃。
一筋の赤い光が僕のほうへ向かい、突き進んでくる。否、その赤き閃光は僕の首筋を数ミリ単位でかすめ、勢いそのままで進んでいく。標的は僕ではなく――。
「おっと! 危ないですね……人の会話中に割り込むなんて趣味が悪いですよ……」
危ないと確かに言ったが、沢渡君の肩口は切り裂かれ、血が少量ではあるが流れている。
どういうことだ。こいつら仲間じゃなかったのか? だなんて、さっきの会話を聞く限りふざけた感想を述べるつもりは無いが、何故このタイミングなんだ。
「なるほど、なるほど。あなたらしい攻め方だ……しかし、なんてぬるいんだ。これじゃあいつまでたっても沸騰しませんよ……カップ麺も美味しくありませんしね」
何かを悟ったらしい沢渡君はやれやれという表情で続きを語る。
「鏡見さんでしたっけ? 間違えていれば……まあ謝りませんけれど。梓さんは鏡見さんを傷つけたくなかったから僕が離れたところを狙ったようですね……もう一度繰り返します。ぬるい。ぬる過ぎる。見ず知らずの少年なんてほっとけばいいのに、わざわざ僕を殺す機会を自ら減らしているようなものです。もしかしてまだ、抜けてないんじゃないですか――」
「人間だった時の感情が――」
沢渡君はさも当たり前のようにあっさりと言った。
――人間……だった?
一体どういうことだ。皆目検討もつかない。いや、つきようもない。なんたって僕は、『死の捕食者』なんて化物の存在を知らないのだから。
僕は沢渡くんを睨むようにしている黒猫のほうを見遣る。
その表情はなんとも儚げで、今から戦いを始めようとしている様には見えない――今にも泣きそうではないか。
「――てない……」
とても小さな声。
「――残ってない……」
耳をそばだてないと聞こえない。
「――感情なんて残ってない!」
言ったとほぼ同時。黒猫は沢渡くんに向かって飛び掛る。
その速さは一瞬と表現するのは大袈裟だが、とても速い。僕が黒猫のことを見ていなかったら、見逃していたところだ。
――それとほぼ同刻、いや少し前か、鍍金君も動いていた。ポケットを弄り、何かを探しているところまでは、僕の目で捉えることができた。
「……あっ!」
突如視界が暗くなる。
血飛沫が迸る。
直撃の瞬間を僕は目に捉えることができなかった。
ただ、多量の血飛沫が道路を染め上げている。僕は不覚にも目を瞑ってしまったのだ。
それもそのはず、戦いや殺し合いが直視できるほど、僕は人間を捨てていない。ただでさえ動きが速いのだ。目の筋肉が疲れたのだろう。
僕はすぐに視線を地面から上にあげる。
赤いアートが壁にも描かれていた。
「…………な…………っ」
それは悲惨で繊細で、思わず目を覆いたくなる――光景だった。
「おい……だっ大丈夫……なのか?」
そこには、黒猫……いや、梓が血溜まりに横たわっていた。
その姿は死体のようにも見える。
明らかに致死量を超えた出血量。痛々しいを通り越し,惨々しい。血が止め処なく流れている出発点は、赤黒い物体が見え隠れしている――内臓の一部なのだろうか……。
「いや……大丈夫じゃないか……」
何をやったら、こんな怪我をすることができるんだ。自然的な事故ではなく、人為的な事件。
僕は血溜まりから目線を移し、その先で突っ立っている沢渡君を見る。
暗がりで表情を読み取ることはできないが、ある物を見つめている。それは――血で真っ赤に染め上げられているサバイバルナイフ。
「呆気ないですね……こんな護身用の武器で殺せるなんて、脆い。脆すぎる。僕に戦いを挑むなんて考えが浅はか過ぎる。なんなんでしょうか……くだらない、実にくだらない――そう思いませんか鏡見さん?」
沢渡君は無表情で語る。
そこにはいつもの軽薄な笑みはなく、ただの無。
僕はこんな表情をする人間を見たことが無い。怖い。ここに居たくない。逃げたい。でも――。
「……ここまでする必要が……あるのか……」
僕は拍子はずれなことを口にしていた。
『 死の捕食者』同士のいざこざなんだ。僕には何の関係もないんだ。でも、こう言わずにはいれれなかった。
「どうせ僕にとっては食べ物です。どう料理しようが僕の勝手でしょう……可笑しなことを言う人だ」
沢渡くんは言う。何の気なしに、素気もなしに。
「……そうかよ」
僕は右手で握りっぱなしにしていた『黒十字』を沢渡くんに見えるように前方へかざした。
「!」
「わかってるだろ、これが何かってぐらいは――そうだ『黒十字』だ。僕にとっては君を消滅させることぐらい容易いんだよ。わかったかい?」
『黒十時』を見せ付け僕は言った。柊の弁を借りれば、『黒十字』は『 死の捕食者』に対しては絶対の力があるらしい。『デスペル』を唱えれば、相手がいかにサバイバルナイフを所持していようが関係が無い――絶対勝利。必勝が約束されているのだから僕はこの局面で、冷静で居られるのだ。
――しかし、沢渡くんはにっこりと笑った。少年のような屈託のない笑み。
「あらら……愉快ですね」
「僕は脅しで言っているわけじゃないんだぞ……」
「知ってますよ、そんな事ぐらい。いやだなあ鏡見さん、僕を舐めないで下さいよ。これでも数々の修羅場を渡ってきているんですよ。あるていのことは目を見ればわかります。本気なんでしょう……実に愉快だ」
人懐っこい笑顔を僕に向けるな……。と思わず言いそうになったが、寸でのところで堪え、睨みつけるだけに留める。いかに僕でも口八丁では分が悪い。
「そうだな……僕も愉快だよ――『デスペル』……」
何の躊躇も、見せ場も無く僕は言った。
ニヤニヤと偽りの表情を貼り付ける少年に、引き伸ばしなど必要ない。
時間の無駄だ。『黒十字』の有能性は、柊の折り紙つきだ。先ほどは僕の噛むという偶発的事故で失敗に終わったが今度は違う、一文字たりとも間違えずに発音した。さっきのように『黒十字』の真紅の宝石が――。
――輝いていない……?
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
呵呵大笑。
地の底から響き渡るような、そんあ地鳴りにも似た、笑い声が夜の静寂を打ち破る。
――何故だ……? 僕は一体何処で、一体何で失敗しているんだ。
正常だった僕の心臓は今にも張り裂けそうなほどの心音を鳴らしている。額には嫌な汗がしたたり。めまいや頭痛のような感覚にも陥っている。
「鏡見さん。『黒十字』をよく見てみて下さい。何か気付きませんか?」
「……えっ? 何だとっ!」
咄嗟の判断で僕は右手で握りしめている『黒十字』を凝視する。焦って取りこぼしそうになりながらも、まずは上のほうから下に向け順に見る。特に変わった形跡は見当たらない。
「なっ何が言いたいんだ……いたって普通じゃないか……」
声は震え、うわずる。やれやれという表情を浮かべ、沢渡くんは嘆息の息を漏らす。
「裏面は見ない主義なんですか? そういう信仰主義があるのなら仕方が無いのですが」
言い終わるのも待てず、僕は『黒十字』を裏返す。
「あっ……」
「わかりましたよね。鏡見さん」
「あああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「大人げないですね。アハハハハハ! 笑いが堪えられそうもないです」
「糞ぉっ!」
――あの時だ。
この餓鬼は、梓に攻撃を仕掛ける前に僕の『黒十字』を狙ってきていたのか。
僕とした事が、なんて失態だ。僕はこれじゃあ糞野郎じゃないか。自分を殺す道具を持ってる奴が突っ立っていて、それをほっとくわけないじゃないか。何で気付かなかったんだ――気付けたら、『黒十字』の裏側の水晶を破壊されることは無かったのに。
「視界が急に暗くなるなんて事あり得ると思いますか? どうせ速すぎて、戦いなんて見えないとか、非現実な理由を脳内で決め付けたんでしょうが、あれは僕がやりました。なあに簡単なことですよ、一過性暗転というやつです。極度の緊張感の中、ほっとすることがあると陥ってしまう精神病の一種です」
「………………」
「あれれ? おかしいですね。ここまで言ったらわかりそうなものなのですが」
――不覚にも、言われてから気付かされた。
沢渡くんの声で正気に戻らされるとは情けない限りである。
僕は内心安堵していたのだ。恐怖心は梓と出遭った時から確かにあった、最初見たときは、可愛いとは思ったが気味が悪いという感情のほうが、脳内自分対戦では圧勝していた。しかし梓の――。
『ってことは君も私と同じ『 死の捕食者』なのかな?』
と言う言葉で僕は冷静になれた。
何故か――それは、柊可憐から、『黒十字』を受取った時こう言われたからだ。
◆
「ちょっと止まりなさい、鏡見龍司!」
僕は境内で居眠りをしていたのだが、寝過ごしてしまい猛ダッシュで家路への帰路を辿っているところ。
「そのままこの道を通って帰りたかったらさ……『これ』を持っていきなさい。わかった?」
柊は紺色のスクールバックから、十字架のおもちゃみたいな変な物を取り出し、適当な調子で言う。
「たまにははっきりと言わせてもらうが、全くわからない。何なんだ『これ』は……僕は忙しいんだ。遊びだったら他をあたってくえないか……ぐぅふぉっ!」
目を閉じながら、流暢に語っていた矢先に、顔面に十字架のおもちゃみたいな変な物がめり込んだ。はっきり言って痛すぎる。冗談でやっていい範囲を完全に超越している。下手したら病院にいかなくてはならない怪我にさえ発展する、そんな攻撃力。
「……あなた様は何の怨み、辛み、憎しみがあってこのような犯罪的強行に踏み入っているのですか……是でも非でもどちらでもいいので、お聞かせ願いたい」
「何わけわかんないこと言ってんのよ。気持ち悪い。あんたがふざけるから攻撃しただけ悪気なんて一ミリたりとも無いわよ」
僕の丁寧さなんてどこ吹く風でスルーされた。
やれやれ、この女には謝罪や罪悪感なんて存在していないんじゃないのか――いや、していたら僕は今頃、こんな生活を送っていないか……僕は何を今更こんな情けない事を考えているんだ。
「わからない時は、ちゃんとわからないので教えてください可憐ちゃんでしょうが、なあにが遊びだったら他をあたってくれよよ、上から目線も甚だしい、遊びだったらあんたなんか誘うわけ無いじゃん」
「………………そうだな…………」
よくもいけしゃあしゃあと人が傷付くことが言えるもんだ。柊は「だからさ」と続ける。
「教えてくださいって言いなさいよ」
「教えて下さい……可憐ちゃん」
「よろしい! やればできんじゃん!」
僕にはプライドという人間にとって忘れてはいけない精神観念が無い。と言うより無くなった。僕の正面でニヤニヤしながら僕を蔑むこのドエス女のせいで……。
「じゃあ教えてあげる。『これ』の名称は『黒十字』。お婆ちゃんが創ったものなんだけど、これは『 死の捕食者』対策になるんだよね。それであんたにやってほしいことは『黒十字』を使って『 死の捕食者』を殺してほしいのよ――わかった?」
「わかった……」
――ような気がする……とは口が裂けても言ったりはしない。
正直な話、全くわからないけれど。しかしここで、わからないと発言してしまうと些か面倒なことが起こり得る可能性があると僕は読んだ(さっきのくだりのような事が顕著な例)。
そもそも柊可憐が言ったのだから、本当のことなのだろう。僕は彼女が嘘をついているところを見たことが無い。だからと言って純真無垢とはわけが違う。
「じゃあさくっと殺りかた教えるわ。全然難しくないから、うん……そうだな、幼稚園児でもできそうだね。この『黒十字』を『 死の捕食者』に向けて、こう言うのよ――『デスペル』。くれぐれも間違えないこと」
柊は顔の前に人差し指を立て、満面の笑みで僕に言う。
「デ……ス……ペル? 呪文か……?」
「大正解! 冴えてきたじゃない。やっぱり私の教育に間違いは無かったって事ね。うんうん、よろしい。じゃあがんばってね」
「柊……一つだけ聞いていいか」
「いいわよ。ほら言ってみなさい」
「じゃあ言わせてもらうがな……どうして僕がやらなくてはいけないんだ。お前がやったらいいんじゃないか……それに、デスペルって何だ! 言わせてもらうがな、理解に苦しんでいるよ僕は、いつもそうだ……唐突に現れては何かしろって、僕はお前と違って変な力も使えない一般人だぞ。それに、お前がやった方が楽なんじゃないのか? 『宗団』のひとつ『柊衆』の次期当主柊可憐様がよう!」
「ひ…と…つ…じゃ…無いじゃん!!」
「ギャー! やめてくれ! わかった……すいませんでした!」
◆
と、いささか恥ずかしい場面が回想されたが、つまりそういう事なのだ。
『 死の捕食者』には勝てると勝手に決め付けていた。そこを狙い撃ちされるとは、情けなさ過ぎる。
「わかったでしょう鏡見さん。あなたはもう『黒十字』を使えないんです。いやいや見事なやられっぷりですね……何と言うかあっさりし過ぎてます。シンプルイズベストなんて貫いたって意味ありませんよ。日々いかなる業界でも成長するものなのです。シンプルで勝負できるのは言ったところの大御所ぐらいなもんですよ、若手は創意工夫が必要なんです――まあ余談なんですけどね」
「………………」
もはや沢渡くんの言葉は僕に届いていない。
何を言っているのかわからない。そもそもこんな雲月が見え隠れする夜に一体僕は何をしているんだろう――。