序章 邂逅
死の捕食者それは……
「……僕の目がおかしいのか」
今日は、学校をサボっていつもの境内で昼寝してただけなのにどうして帰り道でこんな光景に立ち会ってしまうんだよ。てゆうか光景なのか。
時刻は午後九時少し過ぎくらい。
高校二年生だと考えれば、さほど遅い帰宅時間ではないだろう。サボっていたのだから健全な帰宅時間ではないのだが、それとは無関係に、あまりにもあり得ない光景が眼前には広がっていた。
「……ご馳走様でした……」
僕からおよそ十メートル先ぐらいで女の子が満面の笑みを浮かべ、街灯に照らされながら確かにそう言った。
食事。
目の前の少女は得体の知れないものを喰っていた。
薄暗くて視力が鈍っているから、なのかもしれないけれど、喰われている対象は透き通っていてはっきりと見えない――それは幽霊のように見えた。
「………………」
言葉が出ない。見れば見るほどに喉元から言葉が出てこない。足は震えるし、嫌な汗は体中を廻るし、一体全体何がどうしたというんだ。
「……あれれ? 君、そこで何やってんの?」
戦慄する僕に気付いたらしい少女は、あろうことか声をかけてきた。
よく見れば少女の風貌は行っている行為とは裏腹に美しく、僕は性懲りもなく――照れてしまった。
少女は綺麗な黒髪を丁寧に切り揃え、透き通るくらい白い肌。大きめで切れ長の瞳。少し赤らんだ唇が魅力的な僕の好みのタイプの集大成のような美少女だった。
「そんなに大袈裟に目線そらさなくてもいいじゃん――面白い人だな」
「………………」
「何か言ってよ、つまんないな」
「なっ何やってんだよ……てゆうか何喰ってんだよって言ってんだよ!」
恐怖と緊張で声が裏返ってしまい滅茶苦茶かっこ悪い。それに「ってんだよ」といいう台詞がこんな短い台詞で三回も出てしまうとは一体全体僕は何を言ってるんだか。
黒髪の少女は切れ長の目をかっと見開き言う。
「食事! 見てわかんない? って言ってもそうは見えないか、君『真人間』でしょ?」
こいつは一体何を言ってるんだか――真人間ってなんなんだよ! 脳内で自問をしてみたが自答することが出来ず僕はその言葉を口に出そうとする。
しかし。
「むむう……君もしかして『これ』が見えてる? じゃないと喰ってるなんて発言できないよね? あれれ一体全体これはどういうことなんだ?」
少女は喰いさしの、彼女の言うところの『これ』を指差し、大層驚いた顔で僕のほうを見る。その眼差しは真っ直ぐで、目線を逸らすことができない――言っておくが、女性が相手というふざけた理由ではなく、彼女の目線には純粋に金縛りにあったかのような凄みがあるのだ。
「………………」
「君君、無視はよくないよ。何にもわかんないじゃないか、君がそんな態度をとるんだったら私だってね――それなりの対応をさせて貰うよ」
台詞こそおどけたような印象を抱くが、顔は全然違った。
口元が三日月型に吊りあがり、目は真っ赤に充血し見るもの全てを威嚇する猛獣のような、そんな風貌へと変貌した。僕の足は比喩ではなく、本来の意味で棒のようになった。
「…………見える見えないって……どういうことだよ」
ちなみに今の僕の心音は近寄れば、センリツでなくともはっきり聞こえるだろう。
僕の言葉を受けた少女は髪の毛をくるくると指に巻きつけ、楽しそうに笑いながら答えた。
「簡単なことだよ。私が言いたいのはさ、今食べてる『こいつ』が君の瞳に映ってるのかって聞いてるんだよ」
「映るも何も……そこにいるじゃないか、見えないって視力か何かの都合で言っているのか? ぼやけて見えにくいけれど確かに僕には『それ』が見えているよ」
少女の言っていることは僕には理解できない。
半透明で今にも消え入りそうな『それ』は確かに僕の目に映っており、見えないと表現することはできない。馬鹿な女が勘違いをしていると罵るのは簡単なのだが、なにぶん僕にはそんな度胸は無く相手の返事を待つことしかできない。
「ふんふん。なるほど……なかなかどうしておかしいと思ってたんだよね……」
奥歯にものがつまったような、含みのある言い方をする少女。一体どうしたというのだ。僕は何か間違ったことを言っているのか。
少女が思案顔を浮かべた後、すぐに表情はいままでと同じニヤケ面に戻った。それは何か悪いことでも思いついたような顔である。僕は約半歩後ずさり、かっと見開いた少女の真っ赤な瞳を逸らそうとする。
「君『霊視』ができるんだね」
「………………」
「なるほどなるほど、ってことは君も私と同じ『 死の捕食者』なのかな? 酷いな、だったら言ってくれよ同士じゃないか。アハハハハ全く滑稽な話だ……いやいや荒唐無稽と言ったほうがいいのかな」
少女は笑う。
僕には全く笑えない話なのだけれど――『 死の捕食者 』。
本当に笑えない話だよ今の僕にとってはね。
「『 死の捕食者』の君がどうしてこんな――田舎村にいるんだい? 理由を聞かせてくれよ、私は専ら食事なんだけどね……って聞いてる?」
「………………」
「――聞いてる?」
「なんでかな……こんな田舎村の境内で偶然寝過ごしてしまったってだけでさ、あんたなんて訳のわからない女と出会っちまうんだろうな――なるほどこれが運命ってやつなのか。僕も人生経験が多いほうではないからあんまり状況が飲み込めてるわけじゃないんだけどさ、要するにあんたは『 死の捕食者』なんだよな……」
「だからさっきから言ってるじゃん。ん? どうしたんだよ急に、さっきまでビビり君だったのに……ははーん! 同士に会えたから嬉しいんだね。なるほどなるほど、私だって少なからず嬉しいんだよ」
能天気に笑いながら近寄ってくる少女を横目に僕は、ポケットの中をまさぐり『ある物』を取り出す。それは木製でできており、真っ黒な二つの木片を中心で交差させてある。その中心点には真紅に輝く宝石が埋め込まれており、それはまさに――十字架。
「なっ何だと! くっ『黒十字』だと? なんで『 死の捕食者』の君がそんな、危ないものを持っているんだ! 答えろ!」
「へぇ……これ『黒十字』っていうんだ。何で持ってるかって、さっき会った黒服の女が持っていきなさいって言って僕にくれたんだよ――全くいい迷惑だよな」
流石に、『 死の捕食者』という言葉を聞いたら出しなさいと、言われたことは目の前の少女には伝えない。そこまで親切にしてやる義理もないし、何よりめんどくさい。
少女は半歩後ずさり、額には汗が滲み出はじめている――なるほど、この十字架にはこの状況を打破する何かがあるのか、全く――人づてに聞いたことを鵜呑みにはしたくはないのだけれど、『あの女』だけは例外だな。
「どうしたの? さっきとは打って変わって焦っているね。『黒十字』だっけ。そんなに怖いのかい……状況は全く飲み込めてないけれど『ある言葉』を発すると、君は消滅するんだよね――全く、よくもまぁこんな荒唐無稽な話を信じたもんだ」
格好をつけて叙情的に語っているが、全部『あの女』の受け売り。
受け売りということは結局、真実なんだけれど。僕は何で、こんなくだらないいざこざに、巻き込まれなければいけないんだ。結局僕は『あの女』の掌の上で踊らされているだけなのか。
「答えろ! 女って誰のことだ! むむっ、『黒十字』を持ってるってことは『宗団』の誰かか! 糞っ! こんなに簡単に餌にありつけると思ったら罠だったのか……嵌められた。こんな屈辱初めてだ!」
少女は激昂し、地面に足の裏を打ち付ける。
その姿は先程とは、まるっきりの逆で、僕は滑稽だと思う反面、可愛いとさえ思った――何者であれこの少女は僕の好きな女性のタイプそのものなのだ。
「恨むなよ。僕だって好きでこんなことを、しようとしてるわけじゃないんだ。言うならば運命って奴なのかな……だったら皮肉なものだね。この時間に僕と君が出会ってしまうこんな些細な偶然、言うところの運命が起こってしまうなんて――同情するよ、最期に名前を聞かせてくれないか? それぐらい減るもんじゃないだろ?」
哲学っぽいことを語る僕の声なんて、少女には届いてなかった。
真っ赤な瞳は、見る影もなく白一色となり、地面に尻餅をつき、華奢な体躯は小刻みに震え、涙を流していた。
「……頼む……。お願い……だよ。私、まだ消えたくないよ……死にたくないよ――君だって死にたくないよね……君に危害を与えるつもりなんてないんだよ、今すぐ立ち去るからさ……お願いだよ……」
「甘えるなよ化物。死ねって言ってるんだ」
僕は泣きじゃくる少女の前に立ち、『黒十字』を、顔面に押し付ける。真紅の宝石はより一層妖しく輝く。幻想的な赤色。少女の震えは増す――それは強姦に襲われる幼女を連想させた。
僕は少女の黒髪に隠れている耳を器用に掻きあげ耳打ちするように皮肉たっぷりに言う。
「人間ってのはさ、フィクションの世界では宇宙人や地球外生命体のことを認めることができるんだ。でもねノンフィクションじゃあ違うんだよ。西洋文化を知らないメラネシアの原住民が迫害されたように、自分とは違う存在を認めることが出来ないんだよ。悲しいよね、でもそれが当たり前なんだから、協調性を持って皆様方に従わなくちゃいけないんだ。まして僕は親から自立もしていない高校生だ――自由が許される存在じゃないんだよ……だから死ね」
「………………」
絶句。弱い。なんて弱いんだ。僕ら人間と何も変わらないじゃないか。僕は幻滅した。こんな性悪説を聞かされただけで黙りこくってしまうなんて――『死の捕食者』。期待していたのに脆過ぎる。こう見ると目の前の少女はマラソンでもして疲れている美少女ランナーのようではないか……美はよけいか?
「……梓……私の名前」
「そうか梓……さよならだ」
「うん」
僕は目を閉じ、集中する。
辺りの暗闇が心地のいい静寂を作り出し集中しやすかった。
確か『あの女』が言っていたのは『デスペル』だったっけな。全く世話のかかること押し付けてくれるぜ――僕だって人間だ。人殺しなんてやったことは無いし、やりたいとも思わない。だったらなぜこの状況で冷静でいられるのか。
答えは単純明快。現実感が無さすぎて、僕にとってはゲームのような感覚に陥っているからだ。ゲームだったらどんな善人や聖人君子だって非情になれるだろ? まぁ聖人君子がゲームをやっているとは思えないけれど。前置きはこのぐらいにしてそろそろ終わらせてやるよ――僕は目を見開き真紅の宝石を見つめ呪文を唱える。
「『デスペっ……ゴホッ……ル』」
あれ? 噛んじまった――格好悪。