第三話|『契約/アンダーテイク』
東京都台東区。上野駅から徒歩五分――
国立科学博物館の日本館、その地下二階に『葬儀会』の本部はあった。葬儀会は、内閣直轄の葬礼機関であり、警察側のフルイド、政府側の葬儀会というように、二つの組織は同じ使命を背負いながら、相容れない関係にあった。
会長室、その中央に鎮座する重厚な机を挟んで、水傘と裏城は今日もにらみ合いを続けていた。――水傘。鴉の面の奥に素顔を隠した彼女が、葬儀会の会長である。
裏城は、湯気の立つ緑茶を飲み干し、真剣な目つきで話しを切り出す。
「水傘会長、単刀直入に言わせていただきます。品都彩凛の監視を今すぐやめてください。黄泉阿代が品都の動きを見張ってるの、分かってるんですよォ。あれ、会長の命令ですよね? 一連の感電死事件の容疑者として品都彩凛を張ってるのは俺たち警察側も同じなんですよ。このヤマ、しばらくは俺らに任せてくれませんか?」
「なるほどなるほど。裏城管理官は品都彩凛を疑ってるんですね?」
どこか威圧感を帯びた、透き通った声の水傘。
彼女は、黒手袋をはめた手で一人将棋を指しながら、裏城の話を聞いていた。
「それはどういう意味です、水傘会長」
「――いえ。“品都彩凛”の監視をやめろというお願いなら、聞く必要はないと思いまして。なにせ、我々葬儀会が疑っているのは品都彩凛ではないので」
「はァ? なに言ってるんですか会長?」
「裏城管理官。ぜひ、本人に聞いてみてください」
「本人?」
ゆっくりと立ち上がった水傘は、「どうぞ、入ってください」とドアに向かって声をかける。――「お邪魔します」、そう言って部屋に入ってきたのは――
長い黒髪の少女、品都彩凛だった。
「あなたは、品都さん?」
品都彩凛は静かに頷く。
「はい……そう、です。フルイドの裏城さんですよね?」
「えェ、そうですけど。なぜここに?」
水傘に目配せをしてから、品都彩凛は言う。
「あ、あの。……お願いします。ある人を捕まえてほしいんです」
「ある人、というのは?」
「……長門海音子。ウチの大切な幼なじみで、親友です」
「品都さんは、その親友の子がなにか悪いことをしていると?」
右手の親指の爪で、左手首を強く押しながら、品都彩凛は告白する。
「……たぶん、海音子が……連続感電死事件の真犯人です……」
*
東京都千代田区のとある大通りにある、大手出版社の「弾丸社」本社ビル。一階の来客用スペースに、長門海音子と、甚平を着た男の姿があった。
男の名前は、有島偽語。
“週刊少年バレット”で漫画を連載している、有名漫画家である。――世界のギゴ・アリシマという名前でも知られ、メディアへの出演も積極的に行っていた。
有島は、その彫の深い面長な顔を頬杖で支えながら、穏やかに微笑む。
「君は素晴らしいよ。……うん、とても素晴らしい。これであの厄介な政治家、品都東明もすこしは大人しくなるだろう」
「……はい。ありがとうございます」
震える手で薬を取り出して飲み込む、海音子。
そんな彼女の前に、有島はそっと、分厚い封筒を置いた。
「今回の報酬だ、長門海音子。――我々は、君の成長に期待しているんだ」
「……有島さん。また、新しい契約をしたいんですけど、お願いできますか?」
「もちろん。何をしてほしい? それとも、何か欲しいものでもあるのかな?」
「わたしの大切な親友が黄泉人になって帰ってきたんです。……もう二度とあんな思いはしたくないから。だから、彼女を、彩凛のことを守ってほしいんです」
「そっか。――いいよ。その願い、僕が叶えてあげる。契約成立だ」
第三話|『契約/アンダーテイク』
彩凛がもどってきてから一週間後、四月初旬のある晴れた日。
横浜市新港――赤レンガパークの海辺の遊歩道を、わたしと彩凛はアイスを食べながら歩いていた。吹き抜ける心地いい潮風が、彩凛の髪をなびかせる。
……よし、今日こそ言うぞ海音子。
昨日は結局、恥ずかしくなって言えなかったから。
彩凛がアイスを食べ終えたタイミングを狙って――
「あのさ、彩凛」
「……ふふっ。ウチが食べ終えるの待ってたの、かわいいね。海音子」
「もぉ! 気がついてたなら言ってさー」
「ごめんごめん。……ぷっ」
「なぁあ! 思い出し笑いしてんじゃーん! そんなに分かりやすかったかなぁ?」
「うん。……エサ待ってる小型犬みたいだったよ、海音子」
やっぱり、こうやってただの親友同士、中身なんて一切ない会話をしている時間が一番楽しいな。わたしが雑談配信をよくするのも、それが理由だ。リスナーは友達ではないけど、くだらない話題を気軽に投げ合える仲間ではある気がする。
他の配信者さんがどう思っているかまでは知らないけどね。
「それでそれで。なに言おうとしてたの、海音子」
「実は、さ。――バンド用の新曲、書き終えましたぁー!!」
「ほんとさ!? ほんとにほんとさ??」
「ほんとにほんとさ広告なしプレミアムコース一か月無料体験でございますよ、彩凛さん」
「それは……すごい」
約束通り、わたしたちはバンドを組むことにした。
とはいっても、バンドと呼べるほど本格的なものではなく、わたしがいま活動している“ばけのかわ”チャンネルの他に、彩凛も参加するユニット活動専用のチャンネルを作って、そのチャンネルでオリジナル曲を配信していこう、というカンジである。
わたしはバーチャル・アーティスト“ばけのかわ”のまま参加するつもりだけど、そうなると、彩凛のバーチャルの姿も必要になる。なので、いまはそのママ(イラストレーター)を探しているところだ。できれば、わたしと同じイラストレーターさんに頼みたかったけど、いまあの人、連載漫画の作画もやってて忙しそうだし……。
ちなみに、ユニット名はまだ決まっていない。
“nekoiro”は、可愛すぎてハードルが上がりそうなので保留中だ。
「はやくはやく! 聴かせて聴かせて!」
「ちょーっとまってね~」
スマホを取り出して、パソコンから移しておいた音源ファイルをひらく。そして、ワイヤレスイヤホンを繋いで、彩凛に渡した。
「……それでは、聴かせていただきますよ。海音子さん」
「はい。お手柔らかによろしくお願いいたします、彩凛お嬢様」
緊張して、口調が変になっていることは気にしてはいけない。
――再生開始。
目を閉じて、すこし首を縦に振りながら、彩凛が聴いている。わたしが作った曲を彩凛が聴いている。恥ずかしい、というよりも、不安のほうが大きいのは、配信のコメントで書かれた〈うずひと神の妹のくせに音楽のセンスないのかよ〉という言葉が、いまも呪いのように、抜けない棘として刺さり続けているからだろう。
お兄ちゃん、長門渦人は、正直言って音楽の天才だった。ピアニストの父と、あるバンドでギタリストをしていた母から音楽を学んだ彼は、まだあまり名が知られていなかった黎明期にボイスロイドを使って、数々の神曲を生み出した。
未だに、うずひとPを神のように信仰している人も多い。
わたしもその一人だ。彼の曲に心を救われたことが何度もあった。
「……、うん」
イヤホンを外す、彩凛。
「どう、かな?」
「……海音子。……この曲、海音子が作ったの?」
「そう、だけど。え、なに、溜めないで。すっごく怖いんだけど」
「……海音子」
「はい」
「うみ……ね……こ……。あ……のね……」
「やめてぇ~! 死に際になんか大切なこと言い残しそうなキャラクターのセリフみたいに言わないで!!」
「うみねこ♡」
「ハート付けないでぇ~!!」
「……真面目に言うね。すごくカッコよくて、最高の曲だった。イントロのギターのジャカジャカがまずカッコよくて、歌いだしで海音子が息を吸うところがちょっとセクシーでもう最高で。ゆったりとしたメロディーで進行するのかと思ったら、サビの手前で韻を踏み始めるあの連打が気持ちよくて、そこから一回深く沈んでから、海底から浮上するみたいにサビで加速するのが良すぎる件について。えっ、というかこれで自分には才能ないとか言ってたの? それは嫌味だよ、海音子」
「ながいながい。長すぎてたぶん誰も読まないから。――でも、ありがとう。はじめて生の声で褒められたから、素直にうれしいよ」
ダメだ、ほっぺたがすっごい熱い。
人に褒められるのって、こんなにもぽかぽかして、うれしいことだったんだ。わたしの人生、他の誰かと比べられてばっかで、一度も褒められたことなんてなかった。
「今回はとりあえずわたしがフルで歌ったけど、彩凛のパートも用意してるから、あとで楽譜印刷して渡すね」
「……ウチに歌えるかな。ギターも練習しなきゃだし」
「彩凛なら大丈夫だよ」
「でた……まったく信用できない“大丈夫”。……曲名はもう決めてるの?」
「うん、一応。『電傷ロックンロールガール』って名前を仮で付けてる。黎明期のボイロライクな曲名にしようと思ってさ」
「おぉ! ……いい。カッコいい。採用」
「マジか。一瞬で採用されちゃった」
*
「テー、テレテレテッテー、テレテレテッテー!!」
赤レンガ倉庫前の広場を、“天国と地獄”のメロディーを大声で歌いながら、全身に交通安全のお守りをガムテープで貼り付けた小太りの男が歩いていた。
男が叫ぶ。
「ねェェ!! みなさァあああン!! オレさァ、生き返ったんだけどさァ!!! オレのこと轢いたクソジジィ、無罪になってますやん!! 事故ォ!? 事故ってなんですかァァあああ?! あれは殺人でしょーがぁあああ!!」
明らかに異常な男の様子に、走って逃げていく人々。
「すっげームカつくのでぇぇええ!! 全員ぶっコロしまぁぁす!!」
ドスドスと大きな足音を立てながら走り出す男――その瞬間、男の腰にマフラーが生え、ブォォンンと轟くような排気音を鳴らし始める。
「エンジン全開でいっきまぁぁぁす!!!」
そして、男はまるでバイクのようなエンジン音を上げながら、時速百五十キロで駆けだしたのだった。人間離れしたスピードで縦横無尽に走り回る男、地面にはタイヤ痕が残る。――男は、逃げ惑う人々を追い回し、やがて――
遊歩道で海を眺めていた、海音子と彩凛をロックオンする。
ノイズキャンセリングをオンにして、音楽を聴いていた二人は、迫ってくる男に気がついていなかった。だが、
「はぁぁッ!!」
玉響、火花が散る。地面を蹴って宙へと跳び上がった赤い髪の少年が、全身に炎を纏って、暴走男へと突っ込んだ。――吹き飛ばされたのは、暴走男の方だった。
少年の名は、黒咲ヒバナ。
葬儀会の実動部隊『黄泉阿代』に所属するヒーローである。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
その光景を目の当たりにして、過呼吸を起こす海音子。膝から崩れ落ちた彼女の背中をやさしく撫でたのは、大人びた顔つきをした黒いセーラー服の少女だった。
セーラー服の少女は海音子の背を撫でながら、彩凛に指示を出す。
「君、この子の友達だよね? なにか飲み物持ってたら、飲ませてあげて」
「あっ、はい。……あの、ありがとうございます。あなたは?」
「私? 私は、皆鳥羽十葉。あの赤い髪の子と同じ組織に所属してる。――って、自己紹介はまたあとでね。ではでは~」
皆鳥は、セーラー服のスカートを翻して、暴走男のもとへと歩いていく。
「海音子。……ねぇ、海音子。大丈夫?」
「はぁ……はぁ……ごめん、彩凛。カバンから薬取って」
「あ、うん。カバンの中だね」
ゆっくりとペットボトルの水を飲み干し、それからしばらくして、海音子の呼吸がだんだんと落ち着いてくる。彩凛は、そのそばで、海音子の手を握っていた。
――
ヒバナは、気を失った暴走男の両腕をテープでぐるぐる巻きにしながら、スマホで水傘に任務の報告をしていた。
「水傘さん、“轢死”の黄泉人を取り押さえました」
「お疲れ様です、黒咲くん。機動隊が到着したら、身柄を渡してください」
「俺たちも手錠使えるようになりませんか? 毎回面倒ですよ、テープなんて」
「ですよね、私もそう思います。あとで裏城管理官にお願いしておきますね」
「この男ってたしか、強盗現場から逃げる途中に車道に飛び出して、それでトラックに轢かれて亡くなったんですよね」
「そうですね。なにか思うところでもありますか? 黒咲くん」
「いや。黄泉帰りする人の条件ってなんだろうって考えてみたんですけど、あんまりそういうのなさそうだなぁと。マジでランダムで選ばれてるっぽいというか」
「面白いことを考えますね。また何か新しい考察があれば、ぜひ聞かせてください」
連絡を終えたヒバナに、皆鳥が話しかける。
「ねぇ、ヒバナくん。あの子って品都彩凛だよね。黄泉帰りの届出書がまだ回収できてないから、私行ってくるね」
「あ、先輩。俺も行くよ――」
皆鳥とヒバナが遠ざかっていく背後で、暴走男の体が、まるで高圧の電気に感電したようにビクッと跳ねあがる。そして、男の体はぐったりと動かなくなった――




