第二話|『電傷/スパーク』
火傷の痕のように、焦げ付いて離れない記憶がある。――わたしには、年の離れたお兄ちゃんがいた。名前は、長門渦人。お兄ちゃんは、うずひとPの活動名で、ボイスロイドの黎明期から活動していたボイロPだ。ニカニカ動画で“神話入り”を果たした七曲の楽曲は、これまで何人もの歌い手によってカバーされてきた。
しかし、その動画は、今となっては一つも残っていない。
――四年前。わたしが中学生のとき。
お兄ちゃんは、国際テロ組織『ヒトリガ』の構成員として逮捕された。
わたしが音楽を始めたのは、お兄ちゃんが作った歌が好きだったから。わたしがいまも、音楽に、ロックンロールに囚われているのは、お兄ちゃんが作った歌を聞いて摂取した致死量の猛毒が、消化されず、この胃の中に残り続けているからだ。
玄関で、警察に手錠をかけられながら、お兄ちゃんはわたしに言った。
「なぁ海音子。……サイリには気をつけろよ」と。あの言葉の意味は、今でもわかっていない。そしてその後、お兄ちゃんは留置場の中で何者かに殺された――
お兄ちゃんの死因は、“感電死”だったらしい。
第二話|『電傷/スパーク』
彩凛がもどってきてから三日後。
新聞紙を敷いた浴室で、彩凛は、パチパチと鋏を鳴らしながらわたしの髪を切っていた。「海音子のおしゃれをしたい!」と、強い眼差しで迫られ、断り切れず、こうなった。正直、自分の容姿にはあまり自信ないのだけど……そういえば、昔クラスメイトの男の子に、長門って鼻だけはかわいいよなって言われたことあったっけ。
鼻“だけ”はかわいい、ってなんだよ。
鼻なんて、人間の顔面の中で一番ティアが低い部位だろ。目フェチとか耳フェチとか、口フェチはなんとなく理解できる。鼻フェチはちょっと分からないですね。
「……うんっ! 完璧! どうでしょうかぁ~、おきゃくさまー」
芝居がかった彩凛の言葉を合図に、目を開く。
人生で初めてのコンタクトを通して見た世界は、目が眩むほどに鮮明で、無数の色に満ちていた。わざと合わない度数のメガネをかけて、世界の情報量をカットして生きてきたが、そんな小賢しい小細工も今日で終わり。
――目の前の鏡に映るわたしは、まるで別人のようだった。
地毛の黒髪に青色のインナーカラー。くせっ毛のベリーショートに、今風のナチュラルメイクと、指先はウミネコのネイルで完全武装。
〈長門海音子は、バージョン2.0にアップグレードしました…〉
ヤバい。自己肯定感が爆上がりで、調子の波乗り、うなぎのぼりである。
わたしってもしかしたら可愛いのかな。……いやいや、自惚れるなよ海音子。
調子に乗ったら自滅するだけだぞ、海音子。
そうやって調子に乗って散っていった、幾千もの先人の血と屍の積み重ねで、今日のネットはできている。ネットに生きるクリエイターとして、彼らと同じ轍を踏むわけにはいかない。――そんなわたしのくだらない葛藤を察したのか、彩凛は言う。
「かわいいよ、海音子。……海音子はかわいいの。たしかに、調子に乗り“すぎる”のはよくないかもしれない……、でも。ある程度は自分に自信を持っている人の方がカッコいいなって、ウチは思う」
「――ありがとう。やっぱり彩凛のそういう考え方、わたし好きだな」
「……急に褒めたって、なにもでてこないよ」
「ふふっ、意図なんてないって。いまのはわたしの心からの本音。……ね、彩凛? ほんとうにもどってきてくれてありがとう」
「……うん」
照れくさそうに目を伏せて、そして、天使のような笑みを浮かべる彩凛。――え、かわいすぎないですか、この人。わたし女の子だけどさ、女の子だけどさ、かわいい好きって言ってもいいですよね。だって、多様性の時代ですから。
――と、きっしょい心の声は隠しフォルダに押しやって。
「次はわたしが彩凛のおしゃれをしたい!」
「ほんとに? ……うれしい。ウチ、海音子におしゃれしてもらいたい……っ!」
十分後。
「や、やったー! すっごいおしゃれだぁ、なぁー。……はっ、ははは……」
鏡に映る変わり果てた自分の姿を見て、苦笑いする彩凛。
きれいな黒髪を丸めて作った左右二個のお団子は、まるで耳かきの梵天。厚すぎるメイクと、青すぎるアイシャドウと、赤すぎる口紅はまるで子どもの落書き。
あぁ、わたしって才能なかったんだな。おしゃれの。
「いいよ、彩凛。正直に言いな。言いたいこと、あるんだろ?」
「あのぉ……すっげーーーーー、ブサイクです」
「はい、ごめんなさい。すぐにもどします」
*
時刻は午前十一時。
おしゃれ対決を終えたわたしと彩凛は、ふたり椅子を並べて、プーチューブで動画を見漁っていた。いつこっち側にもどってきたのか、今まで何をしていたのか、彩凛にはいろいろ聞きたいことがあった。だけど、いまは、途切れていたふたりの繋がりをはやく元の状態にもどしたくて――いや、それは言い訳だ。
わたしはきっと、恐れている。
わたしの知らない彩凛の“なにか”を知ることで、この日常が壊れてしまうことを恐れているんだ。……人はみな非日常に夢を見る。だけど実際は、非日常なんて、先の見えない暗闇のようなもので、そこに手を伸ばすには勇気がいるんだ。
知りたいけど、知りたくない。
変わりたいけど、変わりたくない。
怖いから、わたしは矛盾を受け入れる。
「ねぇ、彩凛。お昼はどうする? 彩凛が帰ってきた記念にお寿司とか――」
「……海音子。この薬、何?」
わたしの言葉を遮って彩凛が言う。
彼女の視線の先には、剥き出しになって散らばった錠剤があった。――わたしって、本当にバカ野郎だ。自分を偽ろうとして、結局バレる。いっつもそうだ。
――同接(同時接続数)百人前後をうろうろしている無名配信者なのに、一度だけ、その数が五千を超えたことがあった。この世界でそんな異常事態が起きるときは、大抵、炎上か飛び火、もしくは身バレ。わたしの場合は、身バレだった。
原因は、とある歌枠の生配信。
わたしの好きなボイロ曲をただ自由に歌うだけの配信内で、お兄ちゃん、うずひとPの曲を選曲した、それだけのことだった。ただ、その配信を見ていたある一人のリスナーが、その選曲に何か意図を感じ取ったらしい。過去の雑談配信からわたしの発言を集めて、死恐怖症であること、お兄ちゃんに影響を受けて音楽を始めたこと、そして、好きなゲームや漫画からおおよその年齢を特定。
バーチャル・アーティスト“ばけのかわ”が、長門海音子であると身バレしたのだった。〈化けの皮が剝がれてて草〉〈テロリストの妹ってマジ?〉〈うずひと神の妹のくせに音楽のセンスないのかよ〉そんなコメントがあったことを覚えている。
「それは……」
「ごめん。言いたくない事だったら言わなくてもいいよ」
「――わたし、彩凛が亡くなってから死が怖くなってさ。いわゆるタナトフォビアってやつ。音のない静かな場所にいると自分が死ぬ光景が脳内に溢れかえって、すごく怖くなって、パニックになるの。だから、ずっと音楽を聴いている。致死量の音楽を聴いている。それでもヤバいときは……薬に頼ることもある」
話し終えて、妙に恥ずかしくなって、ゲーミングチェアの上で膝を抱えながらくるくると回るわたし。誰か、こんなわたしをいますぐキャトルミューティレーションしてください。
あー、恥ずかしい。
自分のことを話すのって、なんでこんなに恥ずかしいんだろう。
嫌になる。今すぐこの場から立ち去りたい。
なめくじになるので、どうぞ塩をかけてください。
わたし、溶けて消えたいです。
……、
しわしわになったわたしの手を取る、彩凛。
「海音子。……約束、覚えてる?」
「約束? そりゃもちろん、覚えてるよ。みなとみらい大橋の上で約束した。バンドを組もう、一緒に音楽やろうって」
「だったら、やろうぜ。バンド組んで、ウチと海音子で音楽やろうぜ」
「なにその口調? って、いやいやいやいや! わたし音楽の才能ないらしいので無理ですぅー。登録者五百人の無名なんですぅー!」
「じゃあ、楽器はどうする? ウチがチェロ弾くから、海音子はボーカルとギター、あと作詞と作曲もお願い」
「なにその尖ったバンド!? わたしの負担が多すぎるよぉー!!」
「バンド名はなににしようかな。……『nekoiro』、とか?」
「ちょっといいのやめてよ。ってか、本当にやんないからね??」
*
東京都内、とある駅前――
選挙カーの上に立った男が、拡声器を片手に演説をしていた。
「我々、新改党はッ!! 汚らわしい黄泉人を! 一匹残らず駆逐するとここに誓います!! 黄泉人は、この美しき日本国に巣食うバケモノです!! バケモノに人権はいりません!! 皆さま! ぜひ、この品都東明に清き一票をッ!!!」
男の言葉に共鳴するように、集まった群衆が一斉に声を上げる。
「「黄泉人を駆逐しろぉーーッ!!」」
その瞬間。
――ッダァァァアアン!!
突如として、雲一つない青空から、耳をつんざくような轟音とともに、群衆の中心へと一筋の雷が落ちる。状況を理解できず混乱する人々。――砂煙が消えて、落下地点に広がる地獄のような光景があらわになる。……その場所には、感電して黒焦げになった無数の死体が、折り重なって転がっていた。
蜘蛛の子を散らすように、四方八方へ逃げていく人々。
その様子を屋上から眺める人影があった――。




