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里帰り前夜、恋人と語らいを

作者: 蒼キるり
掲載日:2026/03/17

 明日実家に顔を出すと思うと、どうにも寝付けなくて寝返りを打った。そうすると隣に寝ていた恋人が薄っすらと目を開けた。



「眠れないの?」



 口元に柔らかな笑みを浮かべながら尋ねてくれる恋人の優しさが嬉しくて、同時に少し申し訳ない。



「ごめん。起こした?」


「ううん、うつらうつらしてた」



 それを寝始めていたというのではないだろうか、と思ったけど言うのは野暮だろうと思ってやめた。



「眠れないなら、なにかお話をしてあげようか。してほしい?」


「してほしい」



 子どものように言うと、ふふ、と恋人は笑って手を伸ばしてきた。

 しっかりした手が頬に触れる。優しく撫でられると少しの眠気が波のように訪れた気がした。



「なんのお話がいいかな」


「なにがあるの?」



 自分の口から随分と甘ったるい声が出るんだなぁと頭の隅で感心した。

 恋人相手にしか出ない声だ。誰かにこんなに甘えたことは、きっと親にもない。



「宇宙の話なんかどうかな」


「聞きたい!」


「おお、びっくりした」



 思わず提案に飛びついてしまって驚かせてしまった。

 くすくすと笑いながら頬を撫でられる。

 恋人の顔もひどく甘ったるくて、これだから安心して甘えられるのだ。



「そんなに宇宙の話が好きだったとは、お付き合いしていながら知らなかった」


「言ってなかったかな」


「言ってなかった。そんなに好きなら言ってくれればよかったのに。今度図書館に本を借りに行こう」



 ぐ、と空いた手で拳を握る恋人が勇ましい。

 それが面白くてつい、口が緩んだ。



「好きっていうか、確かに好きでもあるんだけど、眠る前に宇宙の話をするっていうのが重要で」


「というと?」



 優しく首を傾げられ、暗い部屋の中だからと口だけでなく心まで緩んだ。



「……母親の話になるんだけど」



 時々、こんな風に昔の話をしてしまう自分はあまり好きでなくて、でも恋人は笑って受け入れてくれるものだから、いっそ困ってしまうほどだ。



「なんの話でも聞くよ」



 どうやったらそんな風に優しくなれるのだろうか、と月明かりに照らされる恋人の顔を眺めながら思う。

 頬に触れられたままの手に自分の手を重ねながら言う。



「うちの母親に眠れないから宇宙の話して、ってねだったことがあるの。小さい頃に。でもすぐ断られた。ていうか、怒られた」


「なんで?」


「そんな怖い話したら、眠れなくなるでしょって」



 あの時の母親の剣幕は今でも思い出せる。

 なんてこと言うのこの子は、と言いたげな顔。そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 せっかく同じベッドに寝ていたというのに、怒った母親との距離がとても空いている気がして悲しかった。

 その距離は宇宙の端と端とまでは言わないけど、太陽系よりは遥か遠くにいるような心地で、毛布をぎゅうと握りしめて声を押し殺して泣いた日のことは忘れられない。



「怖いって言うけどさ、でもさ、それは母親の都合であって、こっちは別に怖くないし、むしろそういうこと聞いたら寝れそうって思ったから提案したわけだから……」


「うん、そうだね」


「怖いっていうのは、母親の価値観だろって。こっちは怖くねーよって。なんでその話がしたいとか、そうやって、聞いてくれても……」



 ぐちぐちと昔のことを並べ立てても、うんうんと聞いてくれるのが嬉しくて、心が解きほぐされていくようだった。



「自分が好きな話を、楽しいなって思ってることを、怖いってだけで片付けられたのがショックだった」



 やっとはっきり口に出せるくらいにまで心が落ち着いた。

 そうショックだった。衝撃だったんだ。子どもは自分の価値観を絶対と思ってしまいがちだから、そうじゃなかったことがショックで、それが母親だったことがなおさらにショックだった。

 もう少し柔らかく言ってくれてもいいだろうと思うだけなら自由だ。もしかしたらつい口をついてしまったのかなとは今なら思えるけど。



「いや、言いたいことはわかるんだけどね。宇宙を怖がる人はいるよね。そういう人もいる。仕方ない」


「仕方ないねぇ」



 淡々としたけれど優しい恋人の言葉。

 どうしたらこんな声が出せるのだろうか。何度目かのことを思う。



「でもそれがショックだったのも仕方ない」



 どうしてそんなに優しいことを言うのだろう。泣きたくなってしまう。



「お母さんの話、していいよ」


「うん」


「別に大人になったからって、お母さんの話したらダメってことないし」



 それはそうなのだけど、でもぐちぐちと言うのはよくないかなって、つい思ってしまうのだ。

 でもこんな風に包み込むような愛を見せられたら、言わずにはいられなくなってしまうだろうに。



「うちと母親は物を捨てるっていうか、断捨離っていうのか今時風に言うと。無駄なものは持たない主義で」


「言ってたね。二週間に一回くらい大掃除があったって」


「年に一回の家もあるって知った時、度肝を抜かれた」



 いやー、あれはびっくりした。家が物で埋まらないのかと本気で思った。



「だからかなのか知らないんだけど、いらないものばっかり増やさないの、これいらないんじゃないの、もう使ってないでしょって毎日のように言われんの」


「それは大変だ」


「こっちもさ、イーってなるじゃん。別に散らかしてるわけじゃないんだよ? ちゃんと片付けてる上で言われんの。そりゃ、母親よりは物は多いけど、でも整理整頓はしてるし、そもそもそんな言わなくてよくないかって思うし」



 くすっと悪戯っぽく笑って顔を覗き込まれる。



「いっぱい好きなものがある生活が落ち着くって言ってたもんねー?」


「言ってた。好き。囲まれて生活したい」


「増やしていいよ。まだまだ棚に余裕ある」



 優しいことを言われて、わーっと言ってしまう。甘えたくなる。今でも十分好き勝手にしてるのに。



「楽しい生活が一番じゃん?」


「でも、でもさ、同棲ってさ、お互いのすり合わせとか歩み寄りとか、そういうのが大事じゃん!」


「大丈夫。一緒に楽しんでる。センスも合う。問題ない」



 どんとこい、と言う恋人はなんと頼もしいのだろう。

 頬に擦り寄るようにして甘えてしまう。



「でね、そりゃ母親はそうしたいのかもしれないけど、こっちは違うんだから口ばっかり挟むなよってずっと思ってて」


「そりゃそうだね」


「とうとう言っちゃったの。そうやって捨てるばっかりしてるから後でいるものがあったって大騒ぎするんじゃん、ちょっとは気をつけなよ。捨てすぎなんだよって」



 あー、と曖昧な返事と宥めるように背を撫でられ、昔の心の傷がじくじく痛む。



「自分が言われて嫌なこと、わざと傷つけようとして言っちゃった。もう我ながらすごいショックで忘れらんない」



 母親のショックを受けた顔。昔の自分を見ているようだった。



「人を傷つけたことでショックを受けてるのは心が柔らかな証拠」


「……そうかな」


「そう。多分そう。わかんないけど、そう」



 大丈夫、だいじょーぶ、と何度も言われ、額をすり合わせる。



「ごめんな、しつこくて」



 ううん、と、柔らかく首を振られた。



「いっぱい吐き出した方がよく寝れる」


「うん」


「もういいの?」



 うん、と頷いて、今度は間違いなく笑えた。



「いっぱい吐き出したから、今度はいいものを飲み込みたい」


「じゃあ、宇宙の話をしよう」



 恋人は片手を天井に掲げる。その先に宇宙が広がっているようで、ぴんと伸びた指先までじっくりと眺めてしまう。



「いま、二人を宇宙が包み込んでいる」


「うん」


「だから二人だけど、本当は二人じゃない。二人きりだけど、本当は宇宙も寄り添ってる。宇宙はいつでも自分たちを包み込んでいるんだ」



 恋人の声はいつのまにかゆっくりして、うっとりしてしまう。



「宇宙はね、きっと寂しがり屋なんだよ」



 どこかロマンティックに聞こえる響きに、うんと頷いた。



「夜になると空を見上げただけで、宇宙を垣間見ることができるよね? それはきっと、思い出してねってこと。ここにいるよ、昼間は忘れて好きなことしてていいけど、自分はここにいるから、夜には思い出してね。そうしたら気持ちよく眠っていいよって」


「自己主張がかわいい」


「だよね」



 自分もそう思うよ、と言われているみたいに笑われる。宇宙も可愛ければ恋人も可愛い。この世は面倒なことも多いしぐちぐちと言っちゃうけど、でも究極的には幸せもたくさん。



「こんなにも宇宙に星が広がっているのは、宇宙が寂しいなと思った瞬間に星が増えようとしてざわめくからだね」


「なるほど」


「さっき話してたことも宇宙は全部聞いてる。人が話してるときっと寂しくない。喜んでる。だからいいことしたんだよ。人間はね、生きてるだけで宇宙に貢献してるの。生きているのは偉いことなの」



 ちょっとしたドヤ顔につい吹き出してしまった。



「え、いつも言っている、生きているだけで十分満点偉いって、そういう意味?」


「そういう意味だけではないけど、そういう意味でもある」



 ふふん、と言いたげな顔だった。遠慮なく笑われせてもらう。



「宇宙は幸せものだ。こんな素敵な話を聞かせてもらえてさー」


「素敵な話?」


「愛し合ってる二人が自分の話をしてくれてるんだよ、宇宙目線からしたら。最高だよ」



 宇宙目線、なかなか使わない言葉だ。宇宙目線、もう一度心の中で呟くと不思議と馴染む。



「眠っている間は寂しくないかな」


「大丈夫。地球の反対側の人は起きてるし、宇宙にはありとあらゆる場所に星があるから、宇宙はきっと寂しくないよ」



 自信のありげな言葉にそうだなぁと不思議と納得させられる。

 この宇宙の全てさえ知っていそうな恋人の横顔。なんて愛しい。なんて可愛い。

 この人も一緒にいれば、きっとなんでも大丈夫だろう。



「そして寂しいと思った時には」


「新たに星が増える?」


「その通り!」



 なんにも心配いらないんだよ、と歌うような声に、幼い頃の自分が慰められた気がした。

 もう毛布を握って一人で泣かなくていい。誰かをわざと傷つける必要さえない。

 愛し合う二人は宇宙に包まれている。明日、母に会うのも怖くはないはずだ。



「だから安心してお眠りなさい」


「うん」


「宇宙に眠りという名のお話を聞かせてあげよう」



 宇宙は毛布みたいだ、と恋人に伝えたくて、でも眠たくて、明日伝えようと思いながら眠りに落ちていった。


読んでくださってありがとうございます。

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