「お前を売って借金を返す」と冷酷な金貸しに嫁がされましたが、旦那様が私の「節約術」に感動して家計を全任せしてくるので、毎日が黒字で幸せです。
「エマ。お前をウィリアム・ブラック商会長に嫁がせることにした」
薄暗い男爵邸の居間で、父が葉巻を吹かしながら言った。
テーブルの上には、督促状の山。
まただ。またこの人たちは、身の丈に合わない買い物をしたのだ。
「……それは、借金の返済代わりに、ということでしょうか?」
「人聞きの悪いことを言うな。政略結婚だ、政略結婚。ブラック氏は平民上がりの成金だが、金だけは持っているからな。お前のような地味な娘でも、貴族の血が欲しい彼なら借金をチャラにする条件で引き取ってくれるそうだ」
父の言葉に、隣で高価なドレスを着た継母と義妹のエリザがクスクスと笑う。
「よかったわねぇ、エマ。あの『冷酷な金貸し』に気に入られるなんて。陰気なあなたにはお似合いよ」
「そうよお姉様。噂じゃ、気に入らない部下を冬の海に沈めたらしいわよ? お姉様も、無駄遣いしたらすぐに捨てられちゃうかもね」
ウィリアム・ブラック。
王都でその名を知らぬ者はいない。
一代で巨万の富を築いた若き実業家にして、冷徹無比な金融王。「歩く金庫」「感情のない集金マシーン」と恐れられる男だ。
普通なら絶望して泣き崩れるところだろう。
けれど、私、エマ・バーンズの感想は違った。
(……ラッキー!)
私は心の中でガッツポーズをした。
この家は地獄だ。
父たちが宝石やドレスを買い漁る一方で、家計は火の車。
使用人を雇う金もなく、屋敷の掃除、洗濯、料理、そして借金取りへの言い訳まで、すべて私が一人でやらされていたのだ。
食事は彼らの残飯。服は義妹のお下がり(しかもサイズが合わない)。
それに比べて、相手は「金持ち」だ。
たとえ冷酷でも、少なくとも「屋根があって雨漏りしない部屋」と「三食の食事」は保証されるはず。
これ以上の好条件があるだろうか。
「わかりました、お父様。謹んでお受けいたします」
私は殊勝な顔で頭を下げた。
心の中では、すでに荷造りのシミュレーションを始めていた。
(私の私物なんてトランク一つ分もないわ。よし、明日にでも出て行こう)
◇
翌日。
迎えに来た黒塗りの馬車に揺られ、私は王都の一等地にあるブラック邸に到着した。
見上げるような大豪邸だ。
だが、庭の植木は伸び放題、窓ガラスは曇り、玄関の取っ手もくすんでいる。
(……汚い)
私の「家事スキル」が警鐘を鳴らした。
金持ちの屋敷とは思えない荒れようだ。
案内された応接間で待っていると、バン! と扉が開いた。
「待たせたな。私がウィリアム・ブラックだ」
現れたのは、長身の男性だった。
黒髪をオールバックにし、切れ長の瞳は鋭く、仕立ての良いスーツを完璧に着こなしている。
確かにイケメンだが、その眉間には深い皺が刻まれ、全身から「俺に時間を取らせるな」というオーラが出ていた。
「初めまして、エマと申します」
「ああ。契約書はこれだ。サインしろ」
挨拶もそこそこに、彼は一枚の羊皮紙を突きつけた。
内容はシンプルだ。
『借金は帳消しにする。その代わり、妻としてこの家の管理を行うこと。ただし、私生活には干渉しないこと』
「質問はあるか?」
「いえ、ありません。……ただ、一つだけ」
「なんだ? 金か? 宝石か?」
ウィリアム様が警戒心を露わにする。
私は首を横に振った。
「掃除用具の保管場所と、今夜の食材の在庫を確認させていただきたいのですが」
「……は?」
ウィリアム様がポカンと口を開けた。
私は構わずに続けた。
「玄関の埃、カーテンの黒ずみ、そしてこの部屋の空気の淀み。……我慢なりません。とりあえず、換気をしてよろしいですか?」
そう言って、私は重厚なカーテンをシャッ! と開け放ち、窓を開けた。
新鮮な空気が流れ込み、部屋の埃が舞う。
「げほっ、ごほっ! な、何をする!」
「旦那様。時は金なり、でしょう? 呆けている暇があったら、雑巾の一つでも絞ってくださいな」
私は腕まくりをした。
こうして、私の「冷酷な金貸し」との新婚生活(物理的な大掃除)が幕を開けた。
◇
この屋敷の問題点は、すぐに判明した。
ウィリアム様は仕事人間すぎて、生活能力が皆無なのだ。
そして、雇われている使用人たちが、それをいいことにサボりまくっていたのである。
「これはどういうことですか? 食費が一般家庭の十倍?」
私は家計簿(というか、どんぶり勘定のメモ)を見て、料理長を問い詰めた。
「へっ、旦那様は舌が肥えていらっしゃるから、高級食材しか食わねぇんだよ」
「嘘をおっしゃい。冷蔵庫の中、キャビアとフォアグラがカピカピになって腐っていましたよ? それに、この肉の請求書。相場の三倍ですけど、業者と癒着してますよね?」
「なっ……!?」
「即刻解雇です。退職金はありません。横領した分を請求しないだけ感謝なさい」
私は不正を働いていた使用人たちを次々とクビにし、本当に真面目な数名だけを残した。
そして、自らキッチンに立った。
その夜。
仕事から帰ってきたウィリアム様は、食卓を見て眉をひそめた。
「……なんだ、これは」
テーブルに並んでいるのは、根菜たっぷりのポトフ、焼きたてのパン、そして新鮮なサラダ。
今までの「冷めた高級フレンチ(出前)」とはえらい違いだ。
「夕食です。残っていた野菜で作りました。見た目は地味ですが、栄養バランスは完璧です」
「……俺は、食事に時間をかけたくないんだが」
「早食いは体に毒です。さあ、座って。いただきます」
ウィリアム様は渋々スプーンを手に取り、ポトフを一口飲んだ。
その瞬間、彼の動きが止まった。
「…………」
「お口に合いませんでしたか?」
「……いや。……温かい」
彼はポツリと呟くと、猛烈な勢いで食べ始めた。
ガツガツと、まるで何日も食事を抜いていた子供のように。
パンをスープに浸し、サラダを頬張り、あっという間に完食してしまった。
「おかわりは?」
「……頼む」
二杯目をよそいながら、私は彼を観察した。
目の下の隈、荒れた肌。
この人、高いものばかり食べていたようだけど、多分「まともなご飯」を食べていなかったんだわ。
「ふぅ……。久しぶりに、飯を食った気がする」
食後のハーブティーを飲みながら、ウィリアム様がほう、と息を吐いた。
その顔は、初めて会った時の険しさが消え、少しだけ幼く見えた。
「エマ。……今日の食事代はいくらだ?」
「えっと、ありあわせなので……一人分で銅貨5枚くらいでしょうか」
「銅貨5枚!? 今までは金貨1枚払っていたぞ!?」
「それはぼったくられていただけです」
私がきっぱり言うと、彼は頭を抱えて呻いた。
「俺は……金融王と呼ばれながら、足元のザル会計に気づいていなかったのか……」
「灯台下暗し、ですね。ご安心ください。これからは私が財布の紐を握りますから」
「……頼もしいな。いや、怖いぐらいだ」
ウィリアム様は苦笑し、そして私を真っ直ぐに見た。
「美味かった。……ありがとう」
その不器用な笑顔に、私の胸が少しだけトクンと鳴った。
あら。この人、笑うと結構可愛いじゃない。
◇
それから一ヶ月。
ブラック邸は劇的に変化した。
無駄な出費がカットされ、屋敷はピカピカに磨き上げられ、庭には私が植えた家庭菜園が青々としている。
ウィリアム様の顔色も良くなり、ピリピリしていた雰囲気が消えた。
そして何よりの変化は――。
「エマ! 見てくれ! 今月の収支報告書だ!」
ウィリアム様が、子犬のように尻尾を振らんばかりの勢いで帰宅するようになったことだ。
「すごいぞ! 経費が先月の三分の一になっている! なのに生活の質は上がっている! どういう魔法だ!?」
「魔法じゃありません。私が夜なべして繕い物をしたり、特売日に買い出しに行ったりした成果です」
「素晴らしい……! エマ、君は天才だ! 俺の人生で最高の投資案件だ!」
彼は興奮して私を抱きしめた。
最近、距離が近い。
最初は「契約上の妻」だったはずなのに、今では隙あらばくっついてくる。
「旦那様、近いです」
「いいじゃないか。暖房費の節約になる」
「今は初夏です」
「心の暖房だ」
わけのわからない理屈をこねて、彼は私の首筋にすりすりと頬を寄せる。
甘い。
冷徹な金貸しはどこへ行ったのか。今の彼は、ただの「節約妻デレデレ夫」である。
「エマ。……浮いた金で、何か欲しいものはないか? ドレスでも宝石でも、なんでも買ってやるぞ」
「いりません。それより、あそこの雨樋を修理したいので、予算をください」
「……そういうところも好きだ」
彼は愛おしそうに私の髪にキスをした。
まあ、悪い気はしない。
実家では「ケチくさい」と罵られていた私の節約術を、この人は「才能」として認め、感謝してくれるのだから。
そんな幸せな日々を送っていたある日。
招かれざる客がやってきた。
◇
「エマ! いるんでしょう! お父様ですよ!」
玄関ホールで大声を上げているのは、実家の父と継母、そして義妹だった。
相変わらず派手な格好をしているが、よく見ると服は少し薄汚れている。
「……何のご用ですか?」
私が冷ややかに対応すると、父はニヤニヤしながら擦り寄ってきた。
「いやあ、エマが幸せに暮らしていると聞いてな。親として安心したよ。……ところで、ブラック氏はいるかね?」
「主人は仕事中です」
「そうかそうか。なら話が早い。……実はな、少しばかり事業に失敗してしまってね。手切れ金……いや、援助をしてほしいのだよ」
やはり、金の無心だ。
私を売った金も、もう使い果たしたのだろう。
「お断りします。私はこの家の家計を預かる者として、無駄な出費は認められません」
「なんだと!? 親に向かって生意気な! お前は黙って旦那の金を回せばいいんだ!」
父が逆上して手を振り上げた、その時。
「――私の妻に、何をする」
凍えるような声が響いた。
ウィリアム様だ。
いつ帰ってきたのか、玄関の入り口に仁王立ちしている。その瞳は、商談の時よりも冷たく、鋭い。
「ひっ……! ブ、ブラック氏! いや、これは躾でして……」
「躾? 私の大切な『共同経営者』であり『最愛の妻』に、暴力を振るうことがか?」
ウィリアム様は私の腰を引き寄せ、守るように前に立った。
「君たちの借金は、エマを引き取る条件でチャラにしたはずだ。追加の融資など、あり得ない」
「そ、そこをなんとか! 娘を育ててやった恩があるだろう!」
「恩? 笑わせるな」
ウィリアム様は懐から一枚の書類を取り出した。
それは、私がつけていた実家時代の「家計簿」の写しだった。
「エマがどれだけ酷い扱いを受けていたか、彼女の日記と家計簿を見れば一目瞭然だ。食費は使用人以下、服飾費はゼロ。……よくも私の宝石を、こんな雑草のように扱ってくれたな」
ウィリアム様の怒気が膨れ上がり、父たちはガタガタと震え出した。
「お前たちに貸す金はない。だが……『回収』する金ならあるぞ?」
「へ……?」
「以前、お前たちが購入した絵画と宝石。あれのローン支払いが滞っているようだが? 契約書に基づき、担保である『屋敷』と『爵位』を差し押さえさせてもらう」
「な、なんだってー!?」
「期限は昨日だった。慈悲はない。……今すぐ出て行け。二度と私の妻の前に顔を見せるな」
ウィリアム様が指を鳴らすと、屈強な警備員たちが現れ、父たちをゴミのように外へ放り出した。
「覚えてろー!」という捨て台詞が虚しく響く。
これで、実家は終わりだ。路頭に迷うことになるだろう。
◇
「……すっきりしたか?」
静かになった玄関で、ウィリアム様が聞いてきた。
私は……自然と笑みが溢れた。
「はい。とても」
「そうか。ならよかった」
彼は安堵したように息を吐き、そして、照れ臭そうに一枚の紙を差し出した。
「これは?」
「……プレゼントだ」
それは、王都で一番人気のレストランの予約チケットだった。
しかも、最上級コース。
「えっ、こんな高いお店……! もったいないです!」
「いいんだ。今日は『黒字記念日』だからな」
「黒字記念日?」
「ああ。君が来てから、我が家の家計も、俺の心も、ずっと黒字だ。……その感謝を込めて、たまには贅沢をさせてくれ」
ウィリアム様は私の手を取り、跪いて手の甲に口づけをした。
「エマ。俺と結婚してくれて、ありがとう。……愛している。君は俺の人生で最高の『パートナー』だ」
その言葉は、どんな宝石よりも価値のあるものだった。
私は涙ぐみながら、満面の笑みで答えた。
「はい! ……でも、コース料理は高いので、お酒は控えめにしましょうね?」
「……君らしいな」
私たちは顔を見合わせて笑った。
冷酷な金貸しと、貧乏令嬢。
凸凹な二人の家計簿は、これからもずっと、幸せ色(黒字)で埋まっていくことだろう。
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