第36話 そして僕は独り
汝、死を忘れるなかれ。
いくら、文明の彼方へ逃げようが、生きとし生けるもの全て死の概念から逃れることはできないのだ。
人は、生まれながらにして、死することを約束されている。
生命とはつまり有限の資源であり、生を始めると言うことは、死が始まる事と同義である。
『メメント・モリ』
* * * * *
神社を取り囲んでいた牡丹の枝たちが、チチチチチ……と音を立てて枯れていく。
牡丹の真っ赤な花房が、風もないのにそこら中に落ち、僕の周りでは、吹雪のような赤い花びらが舞いおちる。
その花びらをかき分けて僕は境内を飛び出した。
早くリードに、会いたかった。
神社の石段を駆け下り、未だ降り積もる赤い花びらの中で、
あの呑気な笑顔。いつも僕を動かして、支えて、導いてくれた笑顔のことを、僕はただただ、想っていた。
「待ちたまえ」
突然呼び止められた。ようやく石段を降り切った後だ。
振り返ると、先ほどの糸目の男性が道の脇で、提灯を下げて立っていた。
「もう走る必要はない。危ないから止まりたまえ」
などと、淡々と語る。
「……リードは、助かったんですか?」
僕が聞くと、彼は一瞬、言葉を飲んで固まったように僕には見えた。
そしてぽつりと……
「違うよ」
と言った。
「違う?」
「彼女はね、もう君の前に現れることはないよ」
* * * * *
頭がぐつぐつ沸騰していて、同時にものすごく冷静で、口元にはいくつも出そうな言葉が溜まっていて、同時に永遠に無口でいられそうだった。
そのような脳味噌で、僕は少ない文字数の言葉を選んだ。
「それは……どういうことですか?」
すると男性の方も、一つ一つ言葉を選んで僕に言い聞かせるように……
「言葉通りの意味さ。彼女の精神は肉体を離れ……ようやく真の自由を手に入れたのだよ」
「嘘だ!」
自分に降り掛かってきている、悲しい現実を振り払うために僕は、ただただ大きい声でもう一度……
「嘘だ!!」
と叫んだ。そしてその場から走り去り、村まで戻って、リードを探した。
すぐに見つかるだろうと信じていた。
戻ってきた村は、暗くて視界が見えづらくなっているだけで、さっきまで僕らがいた村がそのままそこにある。
だからリードもいるはずだ。
そこの角を曲がったら、「ライトさん」っていつもの呑気な笑顔で待っているに違いない。
もしかしたら、「冗談でしたー」と言って、そこの木陰で僕を脅かそうと待っているのかもしれない。
彼女独特の、悪い冗談で、僕を困らせたり、僕を驚かせたりしたいに決まっているんだ。
そうやって彷徨っているうちに僕は、見覚えのある村の、見覚えのある場所に戻ってきた。
頭が確信する。ここで、リードが射られたのだ。
なんとなく、矢を射られて横たわっているはずのリードの姿が、景色と重なる。
ただ、リードがいない。
……だからきっと起き上がっているのだ。
起き上がって今頃……僕を脅かそうとどこかに隠れているのだから、ここにいるわけがない。
わけがないのに……
彼女が横たわっていたあたりの地面が、影の形に黒ずんでいるのが見えてしまった。
それは彼女の胸を蝕んでいた痣の色。
彼女の形が地面に、影だけ残したまま広がっていた。
膝から崩れ落ちた。そして、地面の黒ずんだ土をすくった瞬間に、背筋には強烈な寒気が襲ってきた。
彼女の影の形に残され黒ずんだ土は、少しだけ暖かく、まるで今さっきまで彼女がここにいたことを僕に教えているような気がして、
そして、その黒い土の暖かさが、本当に僕はここで独りぼっちになってしまったんだと教えているような気がして、
土を握りしめたまま、僕は動くことができなくなった。
「満足したかい」
背中から話しかけられる。
「悲しむことはないよ。死なんて、それこそ誰もが経験することだ。それは人間から、微生物に至るまでの全ての生き物がね」
僕は返事ができなかった。
「悲しそうだね。でも忘れたのかい? ここは……
君が書いた物語の世界なんだ。彼女が必要ならまた君が書けばいい。そんなことはわかっているじゃないか……」
「ここは僕が書いた世界じゃない!!」
地面の土に、拳を叩きつけた。
「こんな世界は書かない! 自分が孤独になるように、わざわざ世界を作る人間があるか!!」
もう何に対して怒鳴っているのかも、わからなかった。するとややあって……
「ふむ……」
と、男の声が聞こえたかと思うと……
パチン。と指がなる音が聞こえた。
* * * * *
ゴー……と、何かが作動する音が聞こえる。
すると廃村だったはずの景色は、まるでスクリーンが巻き上げられるように、上へ上へと登っていった。
足元も同じである。土だと想っていた地面は液体のように溶けて流れて行き、見慣れた白い地面が現れた。
僕らは真っ白な空間に取り残された。
「君がそう感じる感情、疑問、怒りや悲しみ。それらは全て人間だけに許された特権だな。死なんてものは、それこそそこら中に溢れている。なぜなら生物の数だけ死があるのだから。ありふれた景色なのだよ。
なのに他人の死に対して過剰に反応する生き物がいる。それが人間だ。なぜだと思う。死とは、どんな力を持つ情報なんだ」
糸目の男が、真っ白な空間に長机を用意して、僕の前で組み立てた。
僕はそれをただ茫然と見ていた。
「数々の世界を見てきたなら、分かるのではないか?
人間がこれまでに作ってきた中で、最大の発明はなんだ?
死体を繋ぎ合わせたサイボーグか? 反則ギリギリのチート能力か?そうじゃない。つまりはね、『言葉』なんじゃないか? と言うことなんだ」
男が何も無い空間から、パイプ椅子を取り出して机の前に置き、僕に座るよう促した。
「世の中のルールは実にシンプルで、叩き潰してしまうと生か死か。いいや……
もっと言うと、『有る』か『無い』か。それだけなんだ。
生物は、己の脳を通してしか世界を見ることができない。つまり、世界の形はデジタル。二進法のコードなんだよ。
君たちの世界では、神という存在がいて、七日間で世界を作ったとされているが……それは一方の見方だとなんの不思議もないことで、人間であれば誰でもできる作業とも言えるんだ。
『無い』場所に、『有る』と言えばいいのだから。これは、空白に文字を浮かべる作業と似ている。そう思わないか?」
いつの間にか僕はパイプ椅子に座っていた。
「空白に、文字を刻む。人類が初めてその作業を行った時から、すでに人間には神の力が与えられていたのだよ」
「リードに会わせろ」
僕は、興味のない講釈を終わらせようと試みた。すると糸目の男は……
「まだわかってないな。リードという存在は、あくまで目に映る情報だ。君が空白に名前を書いて、細かい数式を書きたせば、いつだって会いたい人に会えるというのに。肉体に意味などないと、そろそろ人類は気がつくべきなんだよ。そんなものは簡単な数式で表せられる。問題を解決するための数式を、今ここで解いてみようか?
『一口』『一、二口心』『1-1+一口』『一一一一口』と書けば、ここに表れている」
僕は、無機質なテーブルに突っ伏していた。
頭の中で繰り返しているのは、ずっとこの一言だ。
「リードに、会わせてくれ……」
「……仕方がない。話を変えよう。君が、君の友達を思い出せるように、この話をしよう。君は、この物語は君が書いたものではない。そう言ったね。
……その言葉は実は正しい。君は、ずっと違う人物が書いていた人間の、物語の上を歩いていたんだ。
君も、彼女も。そろそろ……君とも面を通しておこう」
男は、またパチンと指を鳴らす。
するとゴー……と音があたりに響き、男の奥の白い空間がスクリーンのように巻き上がる。
空間の奥には……四人分の『背中』があった。
それぞれ、机に向かい、背中を丸めて目の前の端末で、あるいは紙にペンで、一心不乱に何かを書き加えている。
「彼らが、私の元で世界を開拓し続ける作家陣だ。紹介しよう」
男は、向かって一番左の背中を指差した。
「彼は『木沢文吾』物書き中毒だ。文章を書かないと自分が崩れてしまう妄想に取り憑かれている。
誤字脱字が多いのは欠点だが、仕事量は常人の三倍に達するだろう」
次に、男は一つ隣を指差す。
「彼は『宙の舞』二人で物語を書いている。……二人と言っても、うち一人は彼のブレーン。ブレーンの意味は脳みそそのままの意味だ。彼は、自分が二人いるという妄想を持ち続けることで、
世界を構築する羞恥心と戦いながら世界を開拓している」
次に指されたのは、床にあぐらをかき、頭をかきながらペンを動かす男だ。
「彼は『昼行灯の辰』書くのに時間がかかる。書く時間よりも取材や検証に基づく行為に時間をかかる人間だ。
遅筆なのが玉に瑕ではあるが、一文字一文字の精度は他の追随を許さないだろうな」
最後に刺されたのは、背中から女性だとわかった。
「女流作家の『クリス・カーター』女性の感性とは本当にすごいんだ。やや潔癖で、品のないことが書けない部分があるがその文体の高貴さは、読むもの全てを納得させる力を持つだろう」
そして最後に僕の方を向いた。
「本当はもっといるが……今日は四択としよう。
さて、君がこれまで歩いてきた世界を作っていた人物は、一体誰かな?
答えられたら……君の友達に会わせてあげよう」
* * * * *
茫然と、四人の背中を眺める僕に、男はこういった。
「作家の名前は、『どこかの世界、その一言目』に記してある。
どこの世界かを知るヒントは……三十一話、桜並木の真ん中で叫ばれた英語の中のどれかだ。
知るためにはアナグラムで、文字を入れ替える必要がある。
作家に関するヒントは……、一話戻ってもらって、私が読んでいた本。その本文にヒントがあるよ」




